第四話 特務大尉、命がけの大魔術です!
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
やけに遠くで、ガレキの崩落する音が残響している。
レーアの混濁した意識は、それだけを感じ取っていた。
木人にして巨人。
首が痛くなるほど見上げてなお、全貌がつかめない巨体の魔族。
四天王が壱。
木製の巨躯と、無尽蔵の魔力によって――ただ腕力だけで戦略魔術に匹敵する大破壊を招く災害そのもの。
ジーフ死火山の斜面を抉り抜き、一帯ごと破砕せしめた大暴力の化身。
怨樹のトレント。
その攻撃が直撃した。したはずだと、レーアはぼんやり考えて。
胸の内側から、熱く鉄臭いものが込み上がってくるのを感じた。
「ゴハッ!?」
失ってはならない熱量。
鮮やかな血液が、食道を逆流しあふれ出す。
致命傷――には、すこし遠い。
胸ポケットにしまっていたタリスマンが、砕けてこぼれ落ちる。
なるほど、これに命を救われたかと、レーアは笑おうとして、また血を吐いた。
「――――」
膝をつくわけにはいかない。汚れた口元を拭うことも出来ない。
彼女の目の前には、守るべきものがあった。
両手を広げ、彼女がかばうのは。
呆然とレーアを見上げる、怯えたエルクで。
苦痛が、痛みが、彼女を現実へと引き戻す。
「がああああああああああああ……っ! 風霊結界!!!!」
乖離していた時間の流れが、ここに来て追いつく。
トレントによる局地的な大破壊が炸裂した刹那、レーアもまた、切り札を使っていたのだ。
風霊結界。
発動と同時に、連隊と大隊の兵士すべてを被うするほど、とてつもない規模の白く濁った壁が、レーアの背後へと展開された。
己が魔力を最大放出し、周囲の大気をコントロールする彼女の絶技。
超高密度に圧搾された空気の壁は、鉄を遙かに上回る強度と靱性を持って、トレントの超暴力を紙一重で凌ぎ――
そして、いまなお防ぎ続けているのだ。
だが、その代償はあまりに大きかった。
繊細な制御を要求される風霊結界の連続行使によって、彼女の神経系は悲鳴を上げていた。
本来なら一瞬、戦場で敵の魔術をそらすために発動するものなのだ。
それを長時間発動し続け、戦略魔術級の攻撃を凌ぎ続ける。
負担は、尋常なものではなかった。
トレントが結界を乱打するたび、軋むのはレーアの総身だ。
眼窩から、鼻腔から、耳孔からも血があふれ、骨は軋み、筋肉は音を立てて断裂をはじめる。
当たり前だ。
事実上彼女は、背負った盾で大爆発を受け止めているようなものなのだから。
そんな彼女の状態など知ったことではないと、トレントは攻撃の手を緩めない。最悪の暴力を発露し続ける。
頭が焼けきるようなコントロールを必要とする魔術を、一瞬たりとも気を抜くことなく展開し続ける苦痛は、もはや常人ならば発狂していても不思議ではないほどだった。
レーアは命を燃料に魔術を維持していた。
やがてレーアの肉体は、魔術の行使に耐えかねて、血煙を上げながら崩壊をはじめる。
それでも、彼女は血まみれの歯を食いしばって耐える。
「なぜですか?」
何故という少年の問い掛けを、エルフは力に変える。
「連隊長!」
同胞達の叫びを、強さに変える。
「なぜ?」
口元を無理矢理につり上げて、やせ我慢の笑みを作り、彼女は答える。
「約束したからだ」
あの日、あの場所。
リヒハジャでの密会で。
交わした約束を、レーアは今しがた思い出した。
自分はたしかに、この少年を守ると言ったのだ。
その姉と、同じように。
「だから――」
折れない。
不屈の意志が、レーアの碧眼を焔に変えた。
「ああああああああああああああああ――!」
振り絞るような雄叫びとともに、彼女は魔力を爆発させた。
弾け飛ぶ大気の障壁が、殴りかかろうとしていたトレントの体勢をわずかに崩す。
波及する旋風。
周囲の魔族たちが、一時的な行動不能に陥る。
「レーアさん……!」
少年の叫び。
涙をボロボロとこぼしながら、自分に縋り付こうとする次代の防人、その情けのない顔。
「ああ」
まったく、しゃんとしてほしい。
仕事はした。同胞達に顔向けが出来るぐらいの働きはした。
だから、これでいいのだ。
自分の役目は、ここまでだ。
「…………」
けれど。
けれども。
「……――」
けっして、レーアは死にたがりだったわけではなく。
涙ながらに自分の名前を呼ぶ少年が、仲間たちが視界に入り、彼女は思った。
思ってしまったのだ。
レインの悪魔と恐れられたエルフは、初めて。
生きたい、と願った。
だからエルフは、仰向けに倒れ伏しながらも、震える手を空へと伸ばして――
「『彼は私に手を伸ばし――私は拙速の手当を施す!』」
伸ばした手が、掴まれる。
続いた激痛こそが、レーアの意識を、命を、今度こそこの世に繋ぎ止めた。
咄嗟に噛み殺した悲鳴が、あえぐような声となって漏れ出たとき、温かなものが胸に触れた。
それは、白。
純白にして潔白の手。
すべてを助く天使の御手!
「コ・ヒール! 特務大尉殿、意識はありますか!」
「――は」
「出血多数、自発呼吸あり、意識を確認。四肢の麻痺は無し。外傷数多。これより処置をはじめます!」
「はははは」
笑った。
レーアは、心の底から笑った。
なぜならば。
なぜならば!
「諦めないでください。絶対にその命、私が繋ぎます……!」
戦場の天使。
来られるはずがない救いの御子。
純白の衣装を身に纏ったエイダ・エーデルワイスが。
――無敵の表情で、応急手当を施していたからである。