第四話 エイダ・エーデルワイス量産計画です!
新兵たるカリア・ドロテシアン一等兵は、己の選択を猛烈に後悔していた。
ウィローヒルの丘が完全に人類の手に落ちてからしばらく経った頃、兵科の新設が行われるという噂が、新兵たちの中を駆け巡った。
それは程なくして事実であったことがわかり、どうやら参謀本部肝いりの新兵科らしいと、カリアは伝え聞いた。
この時点で、それが栄誉ある兵科であることは、新兵たちにとって明らかだった。
おまけにそこでは、身分や階級に囚われず、あの戦場の天使リトル・エイダから直接教練を施してもらえると聞いては、いてもたってもいられない。
カリアは、一二もなく配属を希望した。
せっかく一等兵に昇進したのに訓練課程へ逆戻りというのはいただけなかったが、それを差し引いてもあまりあるほど、兵士の間で〝戦場の天使〟というのは神格化されていたのだ。
事実カリアは、まだ右も左も解らない新兵だった頃、突出して負傷。エイダ・エーデルワイスその人に救われた過去があった。
戦場で目にした儚くも麗しい少女性の発露、産毛まで燦めくような美しさ。
彼は心底エイダに心酔し、だからこそ間近で彼女と関われる機会を得ようと参加を決めた。
決めたのだが……
待ち受けていたのは――〝地獄〟だった。
「それを担いで走ってください。あと十往復ほど」
怒声でもなんでもない、しかしやけに通る声が訓練場に響くたび、兵士たちの間から悲鳴が上がる。
配属の挨拶もそこそこに、カリアは訓練に駆り出されていた。
〝衛生兵〟。
兵士を護る兵士の訓練。
彼はどこかで高をくくっていた。そんなものは、実際に戦うよりよほど楽だろうと。
「う、うべぇあ!」
だが、今この瞬間カリアの口から漏れ出しているのは、情けない悲鳴だけだった。
既に丸一日、彼は後方に設営された訓練場を走り回っていた。
塹壕や障害物、穴や岩くれなどが忠実に再現された仮想戦場を、人間二人分に相当するおもりを背負って、である。
「え、エーデルワイス教官……! 質問であります」
誰かが耐えかねたように言った。
「実際の人間は、こんなに重くありません……!」
「認識の齟齬があるようですね」
ふるふると、少女はゆっくりと首を振り笑顔で――そう、暗澹たる兵士たちの有様を見ながら笑顔で告げた。
「意識を失った人間は、本来の重量より遙かに重たく感じます。その程度を担いで回れないで、味方を塹壕まで運ぶことは出来ませんよ」
「し、しかし!」
「……わかりました。私も魔族ではありません」
前言を撤回する様子のエイダを見て、カリアまでもが安堵に胸をなで下ろす。
しかし、少女は変わらずにエイダ・エーデルワイスだった。
「では、走る数を増やしましょう。慣れるまで続ければ、きっと皆さんにもご理解いただけると思います」
「――――」
「……? なにをされているのですか、足が止まっていますよ? 足を止めれば魔術のいい的になります。死んでは仲間を助けられません。さあ走って。ゴー、フォー! ゴー、フォーです!」
かくして体力自慢の男たちは、少女に言われるがまま、限界まで走り回ることとなった。
そうして、ヘロヘロになって崩れ落ちたところで、今度は、
「では、座学と実技の訓練をはじめます。すぐに移動してください」
と、声をかけられる。
絶句するもの。崩れ落ちるもの。
まだ、カリアのように立ち上がって、のそのそと動く気力があるものも、この時点ではいた。
だが。
「――つまり、絶えず状況が移り変わる戦場では頸椎脈に触れて確認をすることが難しく、その場合は右手首から脈を取ることになります。上肢が爆発で吹き飛んでいたら、頸椎に触れて是が非でもなんとかしてください。では、実際に隣り合うかたの脈を取って――」
という、実際に腕が吹き飛んだ負傷兵の戦場スケッチを用いた授業では、そのあまりのリアルさに嘔吐するものが多発。
逆に疲労困憊で眠りに落ちようものなら、
「ぎゃあああ!?」
止血の実技だと腕を縛り上げられて悲鳴を上げることになる。
続いた心肺蘇生術の実技訓練ではマネキン相手に口づけをすることとなり、さすがの気恥ずかしさから照れたようなそぶりを見せれば。
「なにがおかしいのですか? 言ってみてください」
「え、いや……」
「おかしくもないのに患者の前で躊躇したのですか? その瞬間にも命は消えていきますが……?」
「その、自分は」
「試してみましょうか。あなたの心臓を、いまから私が停止させます。どなたか、彼の心肺蘇生を行いたいかた――」
などという話運びになり、いかに兵士といえども泣いて懇願することしか出来なかった。
ぐったりと崩れ落ち、息も絶え絶えになりながらカリアは思った。
「悪魔だ……あれは天使じゃない、悪魔だ……」
初日が終わる頃、多くの者たちはそんな悟りに達していた。
それでも、もはや逃げ出すことは出来ない。
なんの武勲も地位もない彼らの転属願など、そうそう受理されるわけがなかったからである。
§§
エイダにとっての常識は、魔術文明の中において非常識である。
彼女が語る錬金学的な知識――臓器の振る舞いであるとか、血液の仕事であるとか――は、回復術士であれば、多少の理解が可能だ。
しかし、それを効果的に治療しようとすると、魔術の知識がどうしても邪魔をする。
治れと念じ、魔力を消費すれば治る治癒術式。
あるいは、祈るだけで命が甦る奇跡の類い。
そういったものこそが医療であると信じてきた新兵たちにとって、エイダの薫陶はすべて、異次元の言葉を聞かされているようなものだった。
それでも機械的に教えられたことを飲み込み。
無理矢理に実技で繰り返していけば。
それはやがて、血となり肉となる。
そんな訓練が連日連夜、エイダの在、不在にかかわらず続けられて――半月後。
「おめでとうございます。あなたたちは立派な衛生兵です。戦場は魔術や刃が飛び交う恐ろしいところですが、きっとひとつでも多くの命を助けるため、皆さんは奮闘してくれると私は信じています」
「はっ! エーデルワイス教官殿! 偉大なる天使!」
「この命のつきるまで、全身全霊を費やして、グランド・エイダに恥じぬよう救護を続けます!」
「万歳! エーデルワイス教官殿万歳! グランド・エイダ万歳!」
「……なんだか、奇妙な呼ばれかたをするようになってしまいましたね、私」
異様に目つきが据わったむくつけき男たちが、少女の前に整列し、表情ひとつ変えず、万歳を繰り返す。
もはやそれは、絶対忠実なる少女の教え子たちが、ただひたすらに師を礼賛しているに他ならなかった。
思うところはいろいろあったものの、それでも兵士たちはエイダにとって納得の仕上がりだった。
きっと彼らなら、誰よりも命の大切さを理解してくれるだろうと、そう信じたからである。
でなければ、わざわざ最前線に同伴させて戦火の下をくぐらせた意味もない。
その節はレーア・レヴトゲンに迷惑をかけてしまったから、いつかお礼をしようとエイダは誓う。
もっとも、レーア側からすれば、丁度良い弾よけがきたぐらいの認識ではあったのだが。
「では、訓練を卒業した証明に、白衣を配ります。この背中の赤い蛇の紋章が衛生兵の証しです。戦場ではこれ以上無く目立ちますが、そのぶん味方は安心すると思います。攻撃はできるだけ避けてください。はい、各自辞令を受けとったら、どこそこの部隊に配属になりますね。みなさんどうかご無事で。頑張ってくださいね?」
「うぉおおおおおおお!!!」
「いいお返事です」
うんうんと満足げに頷くエイダは知らない。
のちに彼らが、量産型エイダ・エーデルワイスと呼ばれるようになることを。
なんど攻撃をうけても不屈の精神で立ち上がり、味方を背負って走り続ける白衣のバケモノと魔族の間で恐怖され噂されることを。
そして多くの同胞達から、心のよりどころとして尊敬されることを。
血染めの白。
天使の指先。
リトル・エイダの子どもたち。
衛生兵という概念が大きく戦場を変えていくことを、このときのエイダ・エーデルワイスは、まだなにも知らないのだった。
彼女はただにこやかに、自分の技術が受け継がれたことを喜んで――
「大変ですエイダ・エーデルワイス高等官殿!」
激しい息づかいで駆け込んできた見慣れない軍人に、エイダは答礼するよりもさきに水を与えた。
彼は自分が伝令であると告げ、そして――
「第61魔術化大隊が!」
断末魔のような声で、こう絶叫した。
「弟君、エルク・ロア・ページェント卿が同行した第61魔術化大隊が――ブリューナ方面カールカエ大樹海にて孤立……魔族四天王直轄の敵軍によって包囲されたとのことです! 衛生兵全隊に辞令、この救援を行えとのことです! 繰り返しますエルク・ロア・ページェント卿が――」
§§
かくて、エイダ・エーデルワイスは一路、カールカエ大樹海へと向かうことになる。
孤立無援の弟と、その仲間を助けるために。
そしてかの地で。
白い少女は〝彼ら〟と、再会を果たすことになるのだった――