第三話 来訪、お貴族さま視察団!
ちょうどエイダが、複数名の負傷者を連れてトートリウム野戦病院へと出発した頃。
入れ違いとなって、レイン戦線を南進する部隊の姿があった。
それは、奇妙な行軍であった。
レイン戦線といえば塹壕戦と呼ばれるほど、この戦場では可能な限り身を隠し、飛び出してきた相手を殲滅するという戦い方が一般的になっている。
だが、その部隊は塹壕の中を走るでもなく、堂々と、あるいは無防備なまでに、ただまっすぐ地面の上を馬車で進んでいるのだ。
泥濘と化した地面は、何度となく馬車の車輪を飲み込むが、お構いなしに周囲を取り囲む屈強な護衛の兵士たちが車を押し、愚直なまでの前進を続けている。
馬車は豪奢な造りであり、その扉には辺境伯を意味する杖に巻き付く蛇の紋章――ページェント家の家紋がありありと刻印されていた。
「……連隊長」
「ご苦労、クリシュ准尉。さすが目端が利くな」
真っ先にその馬車の接近に気がついたのは、ハーフリングのクリシュだった。
彼は草原に生きる亜人であり、場合によってエルフよりもよほど目がよかった。
レーアは部下をねぎらってから、咥えていた火のついていない、針のように細い煙草を丁寧にポケットへとしまった。
「あれですかい、話だけは聞いてましたが」
「ああ、視察団だ、ヒト種のお貴族さまのな。正直副官に丸投げしてしまいたいが――辺境伯はレイン戦線を含む人類絶対防衛戦線を領地に持つ大領主だ……私が応対するよりほかあるまい」
「心中お察しします」
「言うな。これも同胞家族のためだ」
「我々の家族は、強制収容所にいるわけですが……」
「だからこそだとも」
小声で会話を交わす彼らの前に、やがて馬車は横付けされた。
周囲では爆撃魔術が飛び交っているのでいい的のはずなのだが、そのすべては護衛たちが構築する高度な攻勢防御によって阻まれている。
できる――と。
レーアは眼光鋭く、使い手たちの技量を見定め、手にしていたスコップの柄を強く握りしめた。
戦況によっては、勇者にも近しい強者であると。
そんな護衛たちに守られて、馬車からひとりの男が姿を現す。
男――否、まだ少年といってもよい年頃の人物である。
エルフとして生来の長身であるレーアと比較しても、少年の背丈は胸ほどまでしかなく、胸板は薄く、四肢は細い。
顔つきは穏やかで、柔らかな赤毛はふんわりとカールしており、優しい鳶色の瞳はくりくりと好奇心いっぱいに戦場を見つめている。
そうして、魔術がどこそこで炸裂するたびに、おっかなびっくり、全身を驚きに震わせ、よわったなぁと、首筋を撫でているのだった。
貴族のお坊ちゃんという肩書きが、これほど似合う少年もいるまいと、レーアは内心で嘆息した。
これから、この世間を知らなそうな少年のお守りを、しなくてはいけないからだ。
物珍しそうに塹壕の中や外を覗いて回る少年は、ようやく敬礼をしたまま待機しているレーアとその部下を認め、慌てて答礼をしてみせる。
「ご、ごめんなさい! お待たせしてしまったみたいで……」
「いいえ、お気遣いは無用。自分はレーア・レヴトゲン特務大尉であります。レイン戦線へようこそ、ページェントさま」
「エルク。ぼくはエルク・ロア・ページェントです。ページェント辺境伯が長男です。本日は我が家のわがままを聞き届けていただいて、ありがとうございます」
「は? はっ!」
やけに丁寧に、礼節とは別の、精一杯の感謝を言葉に代えて、貴族にあるまじき行為――ペコペコと頭を下げる少年を見て、さしものレーアも調子を崩す。
貴族というのは、基本的に傲慢で居丈高、亜人を嫌悪しており、奴隷か家畜のように思っているはずなのだが、しかし目前の彼は、レーアに対して毛ほどもそのようなそぶりを見せない。
本当に気弱な人間か、あるいは腹芸の達者な真性貴族か……レーアは見極めるべく発言の許可を求めた。
暗愚ならばよし、優秀であってもよし。
問題は、自部隊を無用な危険に突っ込ませないかどうかであって。
「ページェントさま」
「エルクでお願いします」
「……では、エルク殿。我々は詳しい説明をなんら受けていないのですが……いったいどのような御用向きで、この地獄へ?」
まさか爆撃の音楽を楽しみに来たのではあるまいなという皮肉を、彼女は寸でのところで飲み込み、よそ行きの笑顔を浮かべてみせた。
怪我をする前に帰ったほうがいいだろうとは、レーアなりの老婆心だったが。
「そもそも、どうして我が223連隊を、当地の案内役に選ばれたのですかな? 貴族ともなれば、もっと安全な部隊を指名できたことでしょうに」
レーアのシニカルな指摘を受けて、エルクは二度三度、なにかを計ったように頷くと。
「なるほど、レーアさんは優しいかたですね」
ふにゃりと、笑った。
「は――」
危なくかしげそうになった首を力任せに停止させ、レーアは、なんとか間抜けな表情を作らないように努めた。
少年は、ただうれしそうに微笑んでいる。
「世間知らずの貴族のボンボンには、戦場は危険が過ぎると、そう仰りたいのでしょう?」
「まさか、違います。エルク殿は立派にあらせられる」
否定しながらも、内心を読み取られたことにわずかな驚嘆を覚えるレーア。
少年はたたみかけるように、
「安心してください、ご迷惑はおかけしません。みなさんはいつも通りにしていただければいいのです。普段通りの皆様がよいのです。だから、ヨシュア大佐には無理を聞いていただいて……ああ、ぼくの護衛は、彼らに任せてもらって大丈夫ですから。こちらも人事部の肝いりですし」
と、連れてきた強者たちを指し示す。
よほどの自信家か、それとも裏があるのか。阿呆なのか、口達者なのか。
レーアの鷹の目には、そのどちらでもないように映った。
「もしや、とは思いますが」
「なんでしょうか、レーアさん」
「なにかをお探しであられる?」
「…………」
少年は即答しなかった。
ただ柔らかく、綿毛のように微笑んで。
そうして、じつに意味深な言葉を、口にするのだった。
「きっと、ぼくらは長い付き合いになりますよ、レーアさん。なにせぼくは――大切なアップルパイの味を、探しに来たのですから」