閑話 遺族のケアだって必要です!
真夜中まで文机に向き合い続ける白い上司を見て、パルメは重い息をついた。
普段ならばそろそろ休むように提言するのだが、今日ばかりは勝手が違う。
エイダの表情は悲壮であり、時折なにかの言葉を吐き出しかけて、ぐっと唇を結んでまた筆を走らせるのだ。
いかに衛生兵が勇猛果敢で、自ら先陣を切って傷病兵を助け出すとしても、それで死者が皆無になるわけではない。
同時に、衛生兵が不死身であることも意味しない。
白き乙女は、遺族への手紙を書いていたのだ。
ハーフエルフの少女が衛生課にやってくるより以前。
エイダの最初の教え子達が戦場へと羽ばたいた。
その筆頭が、カリア・ドロテシアン。
現在曹長の立場にある、叩き上げの猛者。
そのカリアの部隊が半壊した。
イルパーラル方面での出来事であった。
彼はとある旅団で活躍していたが、敵の反撃を受け分隊が孤立。
残された資材で必死に味方へと手当を行ったが……その大部分が命を繋ぐことなく世を去った。
カリアの衝撃は強く、一時期は錯乱し独房に入れかけられたと――そんな連絡が届いたのが、今朝方のこと。
エイダはそれから、空いた時間の全てを費やして、遺族への手紙をしたためている。
旅団の戦死者へ手紙を書くのは、彼女の職務ではない。
……同時に失われた衛生課の面々、その遺族への手紙であった。
白き乙女の心痛がいかほどのものか、パルメには推し量ることができない。
消えてしまった命の数が大きすぎて、ちっとも実感が湧かないからだ。
漠然としている。
人間が、数字で処理されていく。
そのなかで、エイダだけは相手を直接見ていた。
彼女は覚えている。
彼女は忘れない。
出会った全ての人間を、記憶し続ける。
そんな娘が、嘆く。
「戦場で命が散っていくとき、隣にいた者の名前を誰が覚えていればいいのでしょうか? もしも孤独に死んでいくとき、誰が彼を悼んでくれるのでしょうか?」
それは、汎人類軍が抱える大きな問題でもあった。
戦地では毎秒事に死者が量産されている。
その全員を把握する術を、軍は持たない。正確な数を数えることが出来ない。
その結果……遺族へと連絡すら行かないこともある。
「アンタはそれを悔いてるんでしょ? 自分の責任じゃないのに……」
ぽつりとパルメはこぼす。
エイダへ言葉は届かない。
一歩を踏み出そうとしたとき、そっとパルメの肩を叩くものがいた。
振り返ればそこに、筋骨隆々とした男――ザルク・バーン少尉の沈鬱な顔があった。
§§
「あの仕事中毒にバカンスを楽しませるぅ?」
真夜中の食堂へと場所を移したところで、パルメは怪訝そうな声を上げた。
ザルクの発案が、それほど不可能事に思えたからだ。
夕食の残りであるゆで卵から、白身だけを剥いで口に運ぶザルクは、「そうだ」と言葉を返す。
彼は煙草も珈琲もやらないが、代わりのこのような奇行が目立つとパルメは常々思っていた。
「閣下に休養していただくタイミングは、今を持って他にはない」
しかし、紡がれた言葉は至極もっともなものだ。
事実として、エイダの心労、肉体的疲労はピークに達している。
衛生課を運営し、各所からの便宜を受けるため外交を行い、暇を見つければ市民を見舞い、加えて研鑽のために寝食を惜しまない。
蛇十字基金の設立に邁進した結果、最早ほとんど、エイダに私人としての時間は残されていない。
彼女の活動への賛同者は多い。
命を大切に思うものは当然少なくない。
衛生兵の普及により戦場での損耗率は激減したことを評価する声は確かにあって。
一方で、なぜ自分の仲間を、家族を救ってくれなかったとする嘆きも消えることはない。
これを心ない言葉とするのは、如何にパルメやザルクであっても難しかった。
「でも、アイツは頑張っちゃう。もっとできることがあるはずだって……」
「だからこそ、閣下には忙しさによる忘却ではなく、安らぎが必要なのだ」
現在の戦況は硬直状態。
大陸全土での長雨も相まって、全体に足踏みの雰囲気が蔓延している。
「本来戦時中に休養も何もあったものではないが、それでも休むときに休んでもらわなければ困る」
「……アイツに潰れて欲しくないって?」
「兵科の補佐官としても、同時に一己の人間としてもそう考えると言うだけだ。ラドクリフ伍長、貴官は違うのか?」
パルメは言葉に窮した。
どこまで行っても、パルメには軍人になりきれない部分がある。
ただ、心はこう叫んでいるのだ。
誰かのためにすりつぶされてよい人間などいないと。
「……わかった。協力する。で、どうしたらいい? お茶になんか仕込む?」
「むぅ……閣下といい貴官といい、なぜそう過激な手段ばかりを……ここは順序が大事だ。まずは閣下の仕事を我々で肩代わりして――」
ザルクの言葉の続きは、出てくることがなかった。
なぜなら。
「急報……! 山岳地帯で大規模な土砂崩れが発生! 当該領地の領主から災害派遣の要請が出ています……!」
そんな伝令の叫びが、寝静まった衛生課を叩き起こしたのだから。