第十一話 大聖女の癒やし酒です!
翼十字教会に新たな大聖女が生まれたとする一報は、〝風〟を通じて最前線にももたらされていた。
これは、亜人構成部隊223独立特務連隊においても例外ではない。
同時に、大聖女の癒やし酒と称して、教会から兵士達へ恩寵の品が支給されていた。
「ぷはぁぁぁ……命の水ですなぁ……!」
感無量といった様子で、ダーレフが酒精のたっぷりとこもった吐息をこぼす。
このドワーフの伍長は、連隊でも屈指の酒好きとして有名である。
彼は葡萄酒から火酒、麦酒までなんでも嗜むのだが、
「こいつは、まったく格別で」
今回の癒やし酒には感激しきりで、じつに美味そうに味わっているのだった。
普段戦場で流通するような酒は、士官が隠し持っているもの以外ろくなものではない。
加えて煙草を筆頭とした嗜好品や日用品が不足するのは戦場の常である。
しかしこの蒸留酒は、多くの兵士を唸らせるほどに出色の出来映えであった。
「聖女の生まれ年に、樽へ込められたブランデーだとよ、そりゃあ別格だろうさ。〝聖なんちゃら〟の紅茶? とかなんとか、そう言う名前で売ってるって、おいらは聞いたぜ伍長の旦那」
機嫌良く笑いながら、オーガ種のイラギも酒をなめる。
ただでさえ赤みの強い肌が、いまは古傷の跡が浮かび上がるほど紅潮していた。
伍長であるダーレフと上等兵のイラギ。
元より仲の良い上官と部下であるが、今日はいつも以上に気安い。
数日前、大規模な制圧作戦が行われ、一帯からは魔族が撤退していた。
結果として、最前線に生じた僅か極まりない余暇。
常に緊迫した戦時下で、ようやく気を緩ませることができる一瞬こそがいまだったのである。
その貴重な時間、塹壕へと運び込まれたのは一本の酒瓶。
それをちびちびカップに注いで、223連隊の面々は味と香りを――なによりも互いの無事を喜び合っているのだった。
それはほんのひとときの、癒やしの時間。
中には律儀に翼十字を切るものもいた。
無論、誰もその兵士を嘲ることはない。
塹壕に無神論者はなく、この地獄において拠り所になるものを、各自が持っていたからだ。
「とはいえ、羽目を外しすぎるなよ」
「これは、連隊長殿」
金髪のエルフが現れると、連隊員たちは即座に敬礼しようとして――彼女が手をかざしたことで動きを止める。
レーア・レヴトゲン。
戦場の悪魔と怖れられる魔術師であり、この連隊の長たるエルフ。
しかし、いまだけは普段の険しさとは別の、穏やかさが彼女の顔には宿っていた。
「見回りに来たわけではない。私も、相伴にあずかろうと思っただけだ」
亜人のみで構成された223連隊では、上官と部下の距離が近い。
絶対的な信頼を、自らが先陣を切りながら指揮も執るという方法でレーアが築き上げてきたゆえの関係性だ。
でなければ、一癖も二癖もあるメンツが唯々諾々と従うことはなかっただろう。
規律と報国の精神、そして実力主義。
それが、この部隊を支える指針である。
「そういえば……覚えているか、副長」
杯を受け取りながら、美しいエルフは隣へと言葉を投げた。
ハーフリングの副長、クリシュが首肯を返す。
「もちろんでさ。我々とアルコールは切っても切れません」
古参兵達が、遠くを見詰めた。
この部隊へ、ひとりの少女が派遣されてきたばかりのことを思い返していたのだ。
戦場の天使などと大仰な呼び名をつけられる前、白い彼女はアルコールの有用性をこんこんと彼らに説いた。
「応急手当においては、消毒も必要です。そこで、傷口を度数の高いアルコールで洗います」
「清水魔術ですすぐのと何が違う」
「お言葉ですが、レヴトゲン特務大尉殿、それこそ雲泥の差があります」
白い少女は、物怖じもせずレーアへと向かって力説した。
この世には病を運ぶ〝もと〟があり、これをアルコールは高確率で消毒できるのだと。
水で洗うのはよい。
しかし、アルコールならばより確実なのだと。
「僅かでも命を明日へ繋ぐ可能性が増すのであれば、私はアルコールによる洗浄を推進したいと考えます」
真っ赤に燃える炎の瞳で、少女はそう断言したのだ。
「もっとも、あれの言うとおりあちこちから酒をかき集めたみたら」
「そこへ敵方の魔術が直撃、大炎上したのでしたか。ダーレフなど血涙を流すほど悲嘆していましたしね。哀しい事件でした」
副官の言葉にレーアは苦笑する。
一方で、「しかし、それが突破口になった」とも付け加える。
「魔族四天王〝怨樹のトレント〟。彼奴の巨体を焼き尽くすために、我々は酒精を使うことを思いついた。あれは、貴重な示唆だったな」
もしも酒にまつわる失敗がなければ、223連隊は四天王の戦いで全滅していたかも知れない。
レーアにしてみれば、なにが幸いに転じるか解ったものではないというところだった。
「そして、全てが幸いに転じるわけでもない。この蒸留酒もそうだ」
彼女は手の中にある琥珀色の液体を見詰め、探査魔術を走らせる。
蒸留酒の出来映えはよかった。
あまりに、できすぎていた。
「このご時世に、これだけ質がよい酒をなぜ教会は用意できた? 権威を知らしめるために身を切ったのか?」
だとしても、かねてより市場に流通していた教会産の酒などより、よほど出来映えがいい。
そもそも酒とは、教会――神が〝奇跡〟という形で汎人類へ与えた福音だ。
真水や果実の絞り汁に、祈りが加わって初めて酒が生み出される。
当然、祈る聖女の数によって出回る酒量は明確に決まっており、市井でも数が足りないことなどままあるのだ。
だというのに、今日は戦場にまで酒が届いている。
「これは本当に、聖女の生まれ年に仕込まれたものか?」
そこまで訝しんで……レーアは一息に蒸留酒を呷った。
考えを、熱いアルコールとともに喉奥へと流し込み、忘れる。
馬鹿馬鹿しくなったのだ。
このような策謀は、政治家にでも考えさせておけばいい。
自らの仕事は、対敵を打ち砕き、同胞達に自由を取り戻すことなのだから。
「そう……私が為政者になることなど、二度とないのだからな」
「連隊長殿?」
「世迷い言だ、忘れろ。さて、邪魔をしたな諸君。いまは楽しく騒いでくれ。翌朝には次の任務だ」
「はっ!」
今度こそ敬礼をして見せる連隊員に見送られ、レーアはその場を後にする。
ただ、付き従う副長にだけ聞こえるように、
「……悪巧みをする。招待状を認めたい。便箋を用意してくれ」
と、告げた。
「宛先は、いかがします?」
「……まだ〝坊ちゃん〟でいいさ。随分見違えたがな」
彼女の鷹の目が、遙か後方へと視線をやった。
いまや背丈で追いつかれた、かつて紅顔の美少年だったものの幻が瞳に映る――