第六話 狩猟パーティーで仲良くなります!
エイダが衛生課を抜け出し、あちらこちらを飛び回れるのには幾つか理由があった。
その際たるものが、双璧の存在だ。
パルメとザルク。
彼女たちが書類を徹底的に整理し、内容を判断する直前、判子を押す一歩手前まで準備することで、初めてエイダのフットワークは担保される。
逆説的に、白き乙女が外遊に励むとき、残された二人は青息吐息で職務に忙殺されてしまうのだ。
けれど、それはエイダの変化も現していた。
かつて戦場の天使は、全てを自前で解決しようとした。
誰に頼るでもなく、己の身一つで体当たりを続けて、ボロボロになって事を成し遂げる。
それが彼女の在り方であり、ポリシーだったからだ。
だが、今は違う。
衛生課総体で動き、頼るべきところは頼り、委ねるべきところは委ねる。
これは、長としての素養の芽生えでもあり、人としての成長でもあり。
彼女ことをよく知る者は皆、口を揃えて「人間らしくなった」と評価している。
また、一時期よりナイトバルトならびに人事課の主導で、衛生課へと人員補充が行われたことも彼女のフットワークが軽くなった一因であった。
ただ、こちらに限ってはエイダの首に鈴がついた状態だったのだが……そんな各所の思惑を勘定に入れるほど、白い乙女は御しやすくもない。
結果としてエイダは、退役軍人会という軍部のナイーブポイントへと踏み込んでいくことになる。
§§
その日、ユーリズム老人は狩りに出かけていた。
退役軍人会が主催する野外狩猟パーティーに参加していたためだ。
狩猟は、貴族や軍人にとって、非常に強い伝統的な意味合いを持つ。
鬱蒼とした森林を、高機動の魔導馬で駆け抜け獲物を仕留めることは、それだけで卓越した武力の指標となる。
獲物につける傷は小さければ小さいほどよいとされ、これは魔術ならば制御能力、武具であれば腕前の巧みさを現していた。
また、狩った獲物はその日のうちに捌き、心臓を自らの君主が居城へと向けて捧げるという儀式もあり、忠誠心を現すという意味でも重要視されてきた。
言うなれば、忠義の証明と武芸練成を両立させるための行事だったのである。
これは魔導馬が物資輸送の足となった現在でも変わらず、退役軍人会ではことあるごとにこの祭りが催されてきた。
歴戦の経験から猪を一頭仕留めたユーリズムは、悠々と天幕へと帰還。そして目を丸くする。
酒宴の準備が、全て整っていたからだ。
通例であれば、まだ野菜の調理をはじめたぐらいの時間である。
手間取りすぎたかと首をかしげていると、仲間のひとりが近くを通った。
声をかけてみると、次のような返事が返ってくる。
「じつは、あちらの白いお嬢ちゃんが」
「すべて仕切ってしまったって?」
見遣れば、会場の中を所狭しと駆け回っている小さな姿があった。
白衣に身を包んだ白い髪に赤い瞳の娘――エイダ・エーデルワイスだ。
前回の社交界以来、白い娘は老人達と積極的な関係を続けてきた。
社会貢献という名のゴミ拾いや、炊き出し。退役軍人会が主催する多くの福祉活動に、彼女は常に同伴。
よく働き、愚痴一つ吐かず、誰よりも勤勉に立ち振る舞い、レクリエーションでも同様に、老人達と向き合ってみせる。
あてどのない話を根気よく聞き、向けられる容姿に対する奇異なる視線を意にも介さず、催しがあるたび老人達と時間をともにして。
そうして着々と人脈を築き上げ、此度の狩猟パーティーではついに、一切の雑事を担当。
材料の調達から席順の決定まで、試みに任せたところ完璧にこなしてしまったというのだ。
確かに放っておけない健気さと、構ってやりたくなる儚さの同居する娘であるとユーリズムは考える。
それにしても、仲間達が籠絡されるのが早すぎるとも思うが。
「まったく、だらしがないねぇ……」
などと呆れていると、件の娘がユーリズムへと気が付き駆け寄ってきた。
「お久しぶりです、マダム・ユーリズム」
「ごきげんよう、レディー・エーデルワイス。こうもたびたび顔を出すなんて、ひょっとして衛生兵は暇なのかい?」
「頼りになる仲間がいますので、時間を作って貰っています。金食い虫なのは事実ですが」
などと、にこやかに応じる白い乙女。
ユーリズムは、その言葉を疑わない。
すでに娘の有能さは理解できている。この乙女の下につくということは、必然的に急場の連続に直面することだと見切っていた。
修羅場をくぐり抜けただけ勘働きがよくなる、それが軍人というもの。
事実、お付きとして今日もやってきている女顔の伍長は、老人達にもみくちゃにされていたが、こづかいをちゃっかり貰ってもいた。
そんな風に分析をしていると、エイダは猪を示してくる。
「そちら、狩りの獲物でしょうか。拝見しても?」
「お嬢ちゃんには、刺激が強いかも知れないねぇ」
思ってもいないことを老女は口にした。
噂に聞く戦場の天使ならば、このようなもの何とも思うまい。
自分たちと同じように、とっくに擦り切れてしまっているだろうと。
しかし、白い娘は予想外の反応をする。
「なるほど……致命傷は、雷霆魔術で心臓を一突き。お見事です、マダム。しかし、随分と狙いづらかったのでは?」
ユーリズムはドキリとした。
事実として、この猪を仕留めるまでに、彼女は何匹もの獲物を取り逃がしていたからだ。
なぜ解ったのかと視線だけで問えば、エイダはまさに、その視線を示して返す。
眼を押さえるユーリズム。
健常な右目ではない。
戦傷によって失われた、左目を。
「再生されていないところを見ますと、回復術が間に合わなかったわけではないようですね」
「……専門家にはお見通しかね。呪詛さ。術式が妨害されていて、いまでも治療できない」
吐き出した言葉をなぞるように、失われた眼差しが過去を懐かしむ。
ともに戦地を駆け抜けた仲間達の姿。
挫折と泥の苦味を味わった大馬鹿者ども。
その中には、樽のような身体を持つ男や、辺境伯の地位を持つ英雄の姿もあった。
「昔なら百発百中。長い手のルーシーと言えば、いまだに長距離狙撃記録を破られていないはずなんだけどねぇ」
「立体視に問題が出ているのでしょう。ならば、改善できる余地があります」
過去から現在へ。
辺境伯から、その娘へと視線が移る。
白き娘は臆することなく老女を見上げ、揺るぎない信念に裏打ちされた表情を浮かべていた。
「軍用義肢の開発を、私は進めています。魔導時計などの仕掛けを応用した、魔力で動く手足。失われた機能を補完する魔導具です。もしよろしければですが、マダム」
「お嬢ちゃん、先に訊ねるよ」
「なんでしょう?」
あくまで笑みを絶やさない乙女に。
老人は、意地悪な言葉を投げかける。
「あんたは、自分で狩りはしないのかい?」
「――可能であれば、避けたいところです」
「目の前で……例えばお嬢ちゃんの患者が、飢え死にしかけていてもかね?」
別段、自分の腕前を揶揄された意趣返しをしよう、などとユーリズムは考えていたのではない。
ただ、訊ねておくべきだと思ったのだ。
白き乙女がどんな信条を持つのか、父から何を受け継いだのか知るために。
でなければ、今後の対応を変えねばならないからと。
「――その時は、一も二もなく狩るでしょう」
揺れる。
エイダの双眸が。
ためらいにではなく、燃える感情で。
「私は、絶対的に人間の側にしか立てません。忸怩たる思いがあろうとなかろうと、失われゆく命を見過ごすことが出来ないのです」
「別の何かを対価にしてもかい?」
「……その矛盾と、向き合うことだけは忘れないようにと考えています」
老人は短く息を吐いた。
今の問いかけは、戦争の縮図だ。
人を長らえさせるために魔族を滅ぼすことをどう捉えているかという問い。
否、魔族に限った話ではない。
味方の命を救うために、敵を殺してもよいのかという命題だ。
しかし、エイダ・エーデルワイスはとっくにその論理矛盾を飲み込んでいた。
どうしようもない世の摂理と不条理を、だからなんだと踏み越える心根を持っていた。
心が摩耗しているのではない。
悲劇を悲劇として受け容れ、なお最善を尽くそうとする意志がそこにはあって。
だから、老女は頷く。
エイダ・エーデルワイスの人となりは理解できた。
理想論の殉教者ではなく、現実を直視しながら次善を探す真っ当な人間であると。
それは、軍人として必要な素質であったから。
周りの者たちが、エイダの理屈の齟齬――命を助くるために命を奪うという点を突こうとして声を上げかけるが、ユーリズムは片手を上げて阻んだ。
論戦でこの娘に勝つことは難しいだろうし、なにより無意味だからと。
「さて、楽しいおしゃべりは後にしようかね。獲物の鮮度が落ちちまうよ」
茶目っ気たっぷりに片目だけのウインクをしてやれば。
少女は応えるように、ポンと胸を叩く。
「お任せください! こういったことは、冒険者時代に慣れています」
言うなり、猪を担ぎ上げるエイダ。
一同が驚くなか、白き娘はしっかりとした足取りで調理場へと向かう。
ユーリズムが同輩の老人達へ視線だけで訊ねれば、諦めたような表情で首を振られた。
どうやら全ての成果物に対して、万事このような対応であったらしい。
この後、エイダは老人達も正確には記憶していないような〝古の宮廷ルール〟に従い獲物を捌き、人類王が坐す宮廷へと向けて心臓を捧げ、料理を完成させた。
完璧な手順。
完璧な作法で。
「まったく、面白いお嬢ちゃんだねぇ」
ルーシー・ユーリズムは。
かつて、同じように完璧に儀式をこなした男の姿を少女に重ねながら。
微かにしわくちゃの頬を緩ませるのだった。