草津温泉バレンタインデー物語
「いやー、今日は助かったよ。ありがとー」
「いいって、これくらい」
そう言い合いながら、1組の男女が商店街を歩く。服装は2人とも、オーバーオールを穿いているが、男の方は首から猫耳ヘッドフォンを下げており、黒縁でスクエアの眼鏡をかけている。女の方は、髪型がハーフアップで、口元から八重歯が覗き、目が三白眼で貧乳、上着が萌え袖になっている。
「それにしても、こんなに食べるんだな。さすが運動部姉妹」
「えへへ〜」
そんな2人の横から、「福引きだよー、よっといでー!」と、威勢のいい声が聞こえてきた。
「福引きだって、やっていこうよ!」
「ちょ……ちょっと、危ないって」
男はやれやれ、といった感じで連れられていく。
「お嬢ちゃん、やってくかい?100円だよ!」
「うん、やってみる!」
お金を払って女が箱に手をつっこみ、紙を1枚引いて開く。それには『4等』と書いてあった。
「はい、4等のポケットティッシュ」
「あーん、悔しい!」
女が男に泣きつく。
「ねえあゆみんやって!仇とってー‼︎」
「はいはい、今やりますよ」
あゆみんと呼ばれた男も女に急かされ箱に手を入れる。
内心では、『2等のカラオケマイクが当たりますように』と思って紙を取り出し開き、文字を見た。
「『特等』って書いてあるけど……」
「おめでとうございます!」
「へっ?」
「こちら特等の群馬草津温泉旅館ペア宿泊券でございます!」
「……へえっ⁉︎」
「……やった」
「ど、どうしたかっちゃん」
「すごい、すごいよあゆみん!特等だよ!やったー!」
人の目を忘れて女が喜びを表す。その横であゆみんこと江原歩は真顔で「マイクがよかったなぁ……」と呟いていた。
帰り道で、2人はこんな話をしていた。
「言っておくけど、内心恥ずかしかったからね!ペアルックなんて!」
「でもその割にはかっちゃんノリノリだったじゃん。それにペアルックと言ってもオーバーオールだけだし」
「かっちゃん言うな!」
ぽかぽか、ぽかぽか。
「痛い痛い、痛いってかっちゃ……香」
やっと香の攻撃が止んだ。
「ねえあゆみん、その券使うの?」
「うーん……特に予定はないな」
「じゃあ……一緒に行かない?」
「えっ?」
「まあ、あゆみんがよければだけど……」
「いいよ」
「へっ⁉︎」
「いいけど、僕でいいの?家族とか友達とかじゃなくて……」
「いいの!」
強めに言う香に歩が一瞬たじろぐ。
「……じゃあ、旅行の1日目は制服ってのはどう?」
「制服って……もしかして、高校の⁉︎」
「うん」
「待って待って!ペアルックの次は制服プレイ⁉︎」
「制服プレイって……僕たち現役高校生でしょ。だめかな?」
「だめじゃないけど……」
「じゃあ、2日目はジャージってのはどう?」
「……それならいいけど」
「恥ずいの?」
「だって……」
顔を赤らめながら香が何かを言おうとすると歩が一言。
「顔が赤いぞ?熱があるのか?」
と、香の額に手を当てると、反射的に香の右ストレートが歩の顔に決まった。
次の日。バス停にて。
「お待たせ、待った?」
「ううん、私も今来た」
猫耳ヘッドフォンを首に下げた歩が、革手袋を付けた手を振りながら、息を切らしてやって来た。マフラーとイヤーマフを身につけた香も手を振り返す。
「ちょっと大丈夫?無理して走らなくていいのに」
「ごめんごめん、早くかっちゃんに会いたくて」
途端に香が顔を真っ赤にする。
約束通り、2人とも上は胸元にレジメンタルストライプ柄のネクタイを結んだキャメルブレザーで、歩はタータンチェックのスラックスで靴は編み上げショートブーツ。香は同じ柄のプリーツスカートで、靴はストラップシューズを履いている。
「ねえ、寒くない?」
歩が聞く。
「じゃあ、こうする?」
と、香はマフラーを一旦解いて、そのまま歩の首と自分の首を合わせるように結んだ。いわゆる、『2人マフラー』というやつだ。
「え、ちょっと……」
珍しく、恥ずかしさのあまり目がぐるぐるになる歩。
「これなら寒くないでしょ?」
「そうだけど……」
程なくしてバスが来たので、2人はこのまま乗り込んだ。
もちろん、乗っている間は2人の胸はドキドキ鳴りっぱなしだった。
「着いたー!」
「おいおい、はしゃぎすぎだって」
地元から草津温泉までバスと鉄道を乗り継いでやって来て、バスを降り香が開口一番に叫ぶと、それを歩がたしなめる。
そんなこともありながら 2人は、今宵の宿を目指して歩く。
「そうだ」
「何だい?」
「旅館に着いてからだけど」
「うん」
「私の鞄の中、絶対に見ないでね」
「分かってるよ」
「絶対にだよ?」
「……ヤバい物でも入ってるの?」
「んな訳ないでしょう!」
「だよねぇ……あっ着いた」
「ようこそおいでくださいました、江原さん、伊藤さん」
女将さんがご丁寧に挨拶する。
「「こ、これから2日間よろしくお願いします」」
2人も緊張しながら挨拶する。
部屋に案内されると早速、香が畳に飛び込む。
「わーい!」
「こらこら、自分の家じゃないんだから」
「でもでも、畳ってテンション上がらない?」
「自分の家にもあるでしょう」
「……よその畳なら」
「え?」
「よその畳なら、テンション上がるんじゃないかなー、って」
「そうなの?」
「……観光しない?」
「どこ行く?」
「私湯畑行きたい!」
「じゃあ行こっか」
「へえー、これが湯畑なんだあ」
「来る前に本で見たけど、実際見てみると大きいなあ」
2人は湯畑を見ながらそこをぐるりと周るように歩いて、あと1メートルで1周というところで香が止まった。
「あっ」
「ん、どうした?」
「あそこに泣いてる子供がいる」
「えっ、それがどうしたの?」
そうは言ったものの、歩も香が指差す方向を見る。
目線の先には、スキニージーンズを履いて、スタジャンを着、ニット帽を被った小さい女の子が文字通り泣いている。
「うえーん、パパぁ、ママぁー」
「あなた、どうしたの?」
「ちょっ、まずいって……」
歩が止めるのもお構い無しに、香は女の子の方に寄る。
「なんで声を掛けたらダメなの?」
「誘拐犯と間違われたらどうするの⁉︎」
「でもこのまま放っておけって言うの?」
「気持ちは分かるけど、やっぱり……」
「おねえちゃんたちだれ?」
「うん、ちょっと待っててねー、ねえ」
「何?」
「やっぱり素通り出来ないよ」
「はあ……分かったよ」
「本当?ありがとう!」
歩が折れたところで、香は女の子に向き直る。
「私たちがあなたのお父さんとお母さんを探してあげる」
「ほんとに?」
「うん!」
こうして急遽、少女の両親探しが始まった。
「でも、どうやって親を見つけるの?」
「あっ、えーと。それはそのー……そうだ!まずは……」
香が何かを見つけた
「何か策があるの?」
「腹ごしらえよ。あゆみん、あそこで温泉饅頭3個買ってきなさい!自費で!」
歩がずっこけた。
「ん〜美味しい!」
「うん、確かに美味しい」
3人は一緒に饅頭を頬張っている。
「ねえあなた」
「ふぁに(なに)?」
「名前は何て言うの?」
「大木若葉」
「へえ〜、若葉ちゃんって言うんだ」
「大木……?どこかで聞いたような……」
明るい香とは対照的に、歩はどこか訝しむような表情だ。
「でも、こうしてみると、なんだか家族みたいだね。かっちゃ……ん?」
横を向くと、香はだらしない顔をしていた。
「ふへへへ……家族……あゆみんがパパで、私がママ……てことは夫婦……すなわちけっこ
「おーい、大丈夫かっちゃん?」
香の肩を軽く叩いてみる。
「はっ⁉︎」
我に帰り、赤面する香。
「だ、誰があんたなんかと‼︎」
そのセリフと同時に、香の右ボディーブローが歩の腹に決まった。
その後、30分ほど散策したが、なかなか見つけられない。
「この人の多さだものね……」
「どうする?このままじゃ埒があかな……はっ、そうだ!」
そういうと歩は、自分のスマホの音楽アプリを開き、香に見せた。
「どしたのあゆみん?それって……」
「今からこれを一緒に歌おう!」
その画面には、『赤とんぼ』と書かれている。
「な……何で?」
「ここで路上ライブをするんだ。そうすれば、人々の注目がこっちに向いて、親もこの子に目がいくはずなんだ」
「それは名案だけど……私も歌うの?」
「うん。言っておくけど、口パクはなしだよ?」
「ううう……」
「ねえ若葉ちゃん。今からお歌を歌おうか」
「わーい!」
ぴょんぴょん跳ねながら喜びを表す若葉。
「じゃあいくよ」
歩がヘッドフォンの電源を入れ、耳にはめ、スマホの再生ボタンを押す。
すると、ヘッドフォンの猫耳部分のスピーカーから流れる、どこか哀愁を感じさせるピアノの前奏が周囲に渡る。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ 追われて見たのはいつの日か」
美しく、かつ力強く歌う歩。
「ゆうやあけこやけえのあかとおんーぼおー おわれえーてみたのおはあいつのおひいかあー」
幼子なりに一生懸命歌う若葉。
「ゆーやーけこやけーのーあかとーんーぼー おわれーてみたのーはーいつのーひーかー!」
一方で、声は出ているものの、音程を外しまくっている香。
そんな3人に気づいた通行人が足を止め、あっという間に人だかりが出来た。そして、歌い終わると、聞いていた人々がぱちぱちと拍手した。
「若葉ちゃん!」
突然、観客の1人の、若葉と同じスキニージーンズを履き、スタジャンを着、ニット帽を被った女性が叫んで、こちらに割り入ってきた。
「ママ!」
若葉も女性の元に駆け寄る。
「あのー……もしかして、お母様ですか?」
香が聞く。
「はい、娘がお世話になりました。ご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いえいえ、こちらも楽しませてもらいましたので。って……」
顔を見るなり、歩の表情が驚きに変わる。
「もしかして……あなたは、大木梨奈さんですか⁉︎」
「ええ、そうですが……」
「やっぱり!自分、ファンなんです!握手してくれますか?」
急に熱くなり、梨奈の右手を両手で握る歩。
「ライブ見ました!グッズとCDも買ったんですが、写真見ますか?」
「ちょっと待って、あんた先月の金欠で昼ごはん抜く日が多かったのって……」
「うん、梨奈さんの追っかけで」
「もう馬鹿!本当馬鹿!私がお弁当作ってあげなかったら餓死してたかもしれないのよ⁉︎」
「ははは、ごめんごめ
「ごめんじゃないわよ馬鹿!」
ぽかぽかと、歩を殴る香。
そんな様子を見て、ふふっと笑う梨奈。
「よろしければ、お礼に何かご馳走しましょうか?」
「「えっ、いいんですか⁉︎いただきます!」」
「それにしてもあなた、いい歌声でした。磨けば光る逸材ですね!そちらのあなたも……個性的でしたよ?」
「すみません、Aカップジャイアン女で」
「ジャイアン言うな!」
「Aカップはいいの⁉︎」
「貧乳はステータスだから!」
ぽかぽか!ぽかぽか!
その後、2人は近くのカフェでハンバーガーをご馳走になった。
「ふぃー」
夕食が済み、2人は温泉に入った。もちろん歩は男風呂に、香は女風呂にだ。
「今日はいろいろあったなぁ……」
そうだ。今日は2人で旅行に行っただけではなく、一緒に迷子の親探しを手伝ったり、ご飯を食べたりした。そう考えるとどっと疲れが押し寄せてきた。
「そう言えば、明日は何の日だったかなあ?」
そんなことを考えながら、至福のひと時を過ごすのだった。
「はふぅー」
さすが草津温泉と言ったところか。心なしか、いつものお風呂よりも気持ちいい気がする。
「今日は楽しかったなぁ」
ボクシング部である自分は疲れなかったが、合唱部の連れは正直に「風呂入ったらすぐ寝たい」と言っていた。
「ふふっ」
まあそう言うところも、嫌いではないが。
「明日は……ついに……!」
次の日。
「ねえ、あゆみん」
「何?」
「これ」
朝食を終えて、部屋の中でハート形の箱をもらった歩。箱の中は予想がつく。たぶん、バッグの中を見られたくなかったのもこれだからだろう。
「これって……」
「毎年のやつ」
「そっか、ありがとう」
「待って!」
「……何、どうしたの?」
「あのね……」
そう言って顔を赤くして黙り込む香。それを見て歩が一言。
「トイレに行きたいのか?」
その1秒後、香の天を突く左アッパーカットが、歩の顎に決まった。