かぞく
暗闇の中で荒い呼吸が共演している。
それに紛れて何も知らない寝息も聞こえていた。
「ダメですわ…娘が見ていますわ。あぁ!こんな声まで…」
「ぐへへ、それが良いんだるぉ?隠すことなんかないんだぜぇ?」
「ああ、そんな。私には夫が……」
「そんなのすぐ忘れさせてやんよ。俺様のパオーンでな!」
「ごめんなさい……あなた…」
夢を見ていた。内容は見たそばから忘れていった。
(これは一体どういう事でしょうか?
キオクは何故お母様に抱き着いてるの?胸に顔を埋めて…)
陽射しが差し込み、二人の顔を明るく照らす。
二人とも幸せそうな顔をしている。
自身では気づいていないが、彼らを見るトスファの目つきは鋭いものだった。
その目が次に捉えたのは――――
(今まで気づきませんでしたが大きな胸が良いという事でしょうか?
…私の小さな胸では満足できないと……)
ぺたぺたと胸を触るトスファ。悲しい感触が伝わってきた。
しかし表情までは曇らない。
(いえ、そんなはずはありませんわ。私たちはすでに結ばれている二人。そこに大きな胸が入る余地は無いのです!
無いのですが……幸せそうな顔されてますわね。
何故でしょう?その顔を見ていると、湧き上がってくるこの激情は…)
彼女の手に力が入り、肩が上に上がる。髪と同じ金色の眉や、まつ毛まで吊り上がっていくようだ。
その気配を生存本能が一早く察知した。
(な、なんだ?!このプレッシャーは?!……トスファ?!)
慌てて体を起こすと、背後にゴゴゴゴと文字が見えそうなトスファの姿が目に入る。
いや文字だけではない。
怒りが形となって炎のような黒い影を身に纏っている。
(朝からラスボス戦ですか?!なぜにこれほどまでに負のオーラが…?!いや考えるのは後だ。遅ければ遅いほど滅亡が早まる!)
僕の姿が映っていない瞳をした彼女の肩に手を置く。
彼女を刺激しないよう、ゆっくりと顔を近づける。
奥義!目覚めのキッス!…もちろんおでこにですよ?
「はぇ?私は一体何を…?」
瞬時に離れたせいか、彼女は何があったのかわかっていないようだ。
僕はふぅと顎を手の甲で撫でた。
ちょろい…。ちょろすぎて心配になるレベルだ…。
でもお父さんが目を光らせてる間は大丈夫だろう。
…だからその光ってる目をこっちに向けないでくれませんか?これ以上何もしませんから…。
キヲクは部屋の入口に向かって、両の掌を見せる。
それでも収まらない眼圧に、彼は目を向けられないようだった。
(先程のはなんだったんでしょう?二人を見ていたら嫌な気持ちになって…。今までそんなことなかったのに。
あっ…思い出したらまた…)
キヲクは正面からは無理なようで横目で彼女を見ている。
しかし日課のようになってしまったのか、慣れた手は止まらない。
(またですか…。朝から…いや毎朝激しいね。食事の時くらい静かに…。げっ…姫様から黒いのがおいっすーって見え隠れしてるんだが…)
トスファから漏れている黒い影が小さな手をいくつも生み出しているように見えた。
どうも僕に向かって手を振っているようだ。
ふぅ…誤用と言われてもいい。だから言わせてくれ!
こっち見んな!!
で、どうしよう?
おでこにちゅっ、はあまり使いたくないな。これ以上お父さんを刺激したくないし。
他に何か…子供っぽいことは……。
(ん?お母さんがこっち向いて何か目で訴えてるな。なんだろう?)
僕が気づいたのを確認したようで彼女はニンマリとする。
そして隣にいるお父さんに体を向ける。
その手には朝食が乗った匙が握られている。
「あなた、はい…」
(これは伝説のあーんではないか?!まさかこれをやれと?)
彼女の行為に困惑していたが、視点を変えると目から涙が零れそうになった。
(いやよく見たら違うぞ。口の中に無理やりねじ込まれてる。けどそれを涙目で受け入れてる)
彼は顎が外れそうなほど口を大きく開けさせられていた。
咀嚼する暇もないのか、口から植物が生えているように見える。
(お父さんも頑張っている…。僕も頑張らないと!)
一度二人から顔を逸らし、頭から羞恥心を振り払う。
二度三度首を振ってからよしと頷き、彼女が好きな赤色の木の実を匙に乗せる。
「トスファ…口を開けて。あーんって…」
「あ゛あ゛ーん゛」
(なんでそんなドスが効いてるの?いやそれよりも早く口の中に…!)
初めての行為に手が震えてしまった。
それだけが理由ではないが、それはともかく彼女が口を大きく開けてくれていたおかげでナイスインです。
しかしこの技はこれで終わりではない。
そう、お返しを受けないといけないのだ!
「トスファ。僕にも…あーん」
口を大きく開けて、彼女の反応を待つ。
顔が赤くなってるだろうから、目は逸らす。
そのせいでこの沈黙が怖い。
(そんな!二人の前でなんて!
でもお二人も熱心にされてますし、こちらに気付かないかしら?)
トスファは父母の反応を気にしていたが、彼らは気づかないふりをしていた。
最も父は次々と口に放り込まれているせいで、そんな余裕はないのだが。
トスファは顔を輝かせて、赤い木の実を自身の匙に乗せる。
「キオク…はい!」
「それじゃ、お返し…あーん」
と、異様な空気がその場を包んでいたんですよ。
片や天国、片や地獄といったところでしょうか。
お父さん、あなたの犠牲が世界を救っていますよ…!
申し訳なく思いつつも堪能していた。
それに気づいてしまった時、気恥ずかしさからか脳が働き始めた。
(あれ?そういえば僕とトスファ、普通に食べてるな。彼女が作ったはずなのに…。いやまだ油断は禁物だ。いつ倒れるのが分からないのが怖いところ。最後まで気は…)
どうしてかな、彼女の顔が自然に目に入るのは。
(いや……そんな風に考えないで今を楽しめばいいのかな?恥ずかしいけど、彼女も楽しそうだし)
この光景を離れて見ている自分がいる気がした。
笑顔溢れる家庭…。僕にはあっただろうか、そんな時が…。
(兄貴、元気かな…。一人で寂しくしてないかな?)
キヲクの頭に浮かぶのは兄貴と慕う男の顔。
けど、その表情がはっきりしない。
だがキヲクはそれを笑顔だと思っていた。
(そういえば今までこんな風に考えたことあっただろうか?帰らきゃいけないのは分かってる。けど兄貴の心配をしたことがあっただろうか?…まぁあの人強いから大丈夫って勝手に思ってたのかもだけど)
「キオク、お返し!」
トスファの催促に思考が中断され、視線が手に向かう。
(おっと、手が止まってた)
左手を下に添えて、匙を差し出す。
彼女は大きな口でそれを迎え入れた。
それだけなのに心が満たされた。
左手で胸のあたりの服を掴む。
(大丈夫、僕は忘れてない。必ず帰るから、もう少しだけ待っててほしい。…もう少しだけこの人たちと家族でいたいんだ…)
その日、僕は倒れることなく完食した。




