ぶんきてん
「大分荒れてますわね…」
「そうですね…」
(お父さん…すっかり老けちゃって…。老いた和紙ィ…)
顔が元通りに――とまではいかないが、30代には見えるようになってしまった。
シャキッとしていた背中も猫背みたいに曲がっている。
(こうやって世の中の結婚した男性は堕ちていくのか…。僕も覚えておこう。可能性がないわけではないしな!)
しかし二人はよく覚えてたな。荒らされて街並みも変わっていただろうに。
建物に表札がついているわけでもないし。
多分読めない文字だろうし僕には関係ないか。それに――――
彼らの名前を知らない。
教えてくれないのではなく、忘れてしまったということだ。
それほど過酷な環境下で過ごしてきた、ということだろう。
でも、彼らは覚えていた。かつて過ごしていた場所を――――
今僕たちがいるここはお母さんの家だったらしいです。道はお母さんが言ってた方で合ってました。
どうやら今度のターゲットはお父さんのようです。いつまた僕にそれが向けられるか分からないので謙虚に生きたいと思います。
片付け中なのにあんな隅っこに追いやられて…。
キヲクは父親に視線を向ける。その僅かな時間に彼女の視界に入っていた。
「キオク、あなたも外にいなさい」
これも一種の罰なのかもしれない。
ここへ来て、一つ思い出したことがある。
その顔が出ていてお母さんは気づいたのかもしれない。
建物を目にした時だ。
外見が同じため――あの時のものではないかもしれないが、それゆえに脳に刺激を与えた。
走馬灯のようにあの時の光景が蘇る。
それは映画のように、ある場面で一時停止した。
缶詰を拾い集めている男。
その傍には無造作に刀が置かれている。
黒い服を着た男は、両手いっぱいに缶詰を持ってその建物を出ていた――――
キヲクの体は固まっていた。1ミリも動かない。
ただその顔から血の気が引いて、赤く染まるのを拒むように青ざめていた。
左手の感触だけが彼の頭を支配していた。
『あぅるぇええええええ?!カタナ?!なんでカタナ?!』
というわけで今は素振りしてます。
神はまだ僕を許してくれないようです。でも僕は負けましぇん!
そういえば来る途中、川があったなぁ…。前回は余裕なくて気づかなかったけど。
これはテコ入れで水着回が来るな!妄想がはかどるぜ!
いかんいかん。どうも逸れるね。
今こそ兄貴の教えを守って、無心で…無心で……。
現実逃避をしているとは思わないキヲクだった。
「キオク?何してるんですの?」
「おわっ?!」
姿が見えないのを心配してか、トスファが外に出てきていた。
無心を心掛けた結果、彼女に覗き込まれるまで気づかなかった。
(あ、あぶないなぁ…。いろいろと)
彼女は不思議そうに首を傾げている。
その目は汗をかいているキヲクの顔をじっと見ている。
べ、別にやましいことなんて何も考えてないですよ?トスファの水着姿とか…。
う…妄想の対象者が目の前にいるせいでだんだん顔が熱くなって…。これ絶対顔赤くなってるよな。
(あれ?彼女の顔も…?)
「二人きり、ですわね」
見ているのは星空だけと言わんばかりに、夜色の空を眺めている。
(トスファ……また子供みたいに甘えてきて…。でも、ね…?)
視線を恐る恐る下げる。
(お父さんもそこにいるんですよぉお!?影が薄くなっちゃってますけど?!)
じとーっと、じとーっと見てますよ?!
ひょっとしてこれも精神修養の一環ですか?!
これはなかなかに厳しい特訓ですよ?!
ダラダラと流れる汗の量が増えていく。
僕は必死に笑顔を作っていたが、ぴくぴくと表情筋が痙攣していた。
「…私は母さんを手伝ってくるよ……」
(あれ?覇気なく家の中へ戻って行っちゃったよ。そんなになの?そんなに心折られるほどの事が前回あったの?!)
肩を落として静かに去っていくお父さんを僕一人が見送った。
「うふふ、幸せですわぁ」
ずっと憧れていた外の世でお父様がいて、お母様がいて、そしてキオクがいて…。
これ以上の幸せは……いえ、まだ一人足りませんでしたわね。
トスファの視線が弧を描くようにゆっくりと下に向く。
横に足を伸ばして座るキヲクもそれに釣られた。
(ナンデイトオシソウニオナカヲサスッテイルノカナ?カミガゴカイスルデショ?ボクナニモシテナイヨ。オナカスイテルダケダヨ)
涼しげな風が吹いていたが、汗がまた噴き出している。
僕は後ろに手を置いて体を支え、逃げるように空を見上げた。
でも、幸せかぁ…。
そうだよな。向こうの世界じゃ当たり前だけど、今のこの世界じゃ在り得ないことなんだろうな。家族そろって外でゆっくりできるなんて。
でもそう遠くない未来、他の人たちだって同じ様に暮らすことが出来るようになるはずだ。
隣で女の子座りしているトスファを見る。
だがしかし、彼女だけに任せておいていいのだろうか?
否!それは断じて否!一人の英雄が作り出す世界に何の意味があろうか?
扱い方を教えるだけでなく、魔物に立ち向かう勇気を与えなければ世界は…人々は何も変わらん!
脱・トスファ!脱・一人無双!
拳を天高く掲げる。
前腕筋群が張っていた。
は!つい熱くなってしまった。スイッチは遺伝だな、きっと。
でも彼女たちだけに任せるのは本意ではないからね。僕もやれることをしよう。
とりあえず素振りじゃーい!明日に向かって素振りじゃーい!
キヲクは急に立ち上がって刀を上下に振り始めた。
その音が彼女の耳に届いた。
キオクが何か始めましたわね。
ですがそのお顔…決意を新たにした男の顔をしていますわ。
邪魔をしてはいけませんわね。静かに見守りましょう…あら?
そういえばあの棒は何かしら?ずっと大事そうに持ってらっしゃいますけど。
「キオク、それは何ですの?」
「へ?それ?」
彼女の人差し指が向かう先は――――
(ああ、刀の事か。まだ説明してなかったね、そういえば…)
しかし、なんて説明するかな?
そのままはまずいからこの世界観に合ったような感じで…。
「これはね、魔剣っていうんだ。選ばれし者にしか使えないんだよ!僕が使える理由は分かるよね!」
久々にスキルが発動したな。でも世の中には伝えない方が良い真実もある!
「マケン…素敵ですわね!」
夜空に瞬く星々のように、お目目がキラッキラッですね。
(ちょろいのは遺伝なのだろうか?そういえば僕も…。何故か心が濡れている、悲しみの涙で)
思わず目元を拭う。
その最中、あッと思いついた。
そうだ、彼女に持たせてみたらどうだろう?ナディも刀を使ってナタカを呼んでたし。
仮にこの刀がトリガーだったりしても、持ったくらいじゃ何も起こらんやろ。それにいつかは帰るんやし。
すぐに実行しようと、傍に置いていた鞘に納めた。
「トスファ、持ってみて。優しく…そう、優しくね」
聡明な方なら分かると思いますが刀を渡してるだけです。深い意味はありましぇん!
彼女は僕の言葉をそのまま受け取り、そっと手を伸ばしてきた。
そして指の先が鞘に触れた。
「な?!」
トスファが手に持った途端、光が?!
これはあの時と同じ?!ダメだ!このままじゃトスファが!
「トスファァアアアア!!」
伸ばした手を先頭にキヲクの体も光に包まれる。
その後、一時的に昼間のように明るかった周囲を照らすのは、今も輝いている星のみとなった。




