死の闊歩
23層目 雨
狭霧は辺りを見渡した。
白い霧が視界を覆い、数メートル先すら見えない。
雨は絶え間なく降り続き、聞こえるのは水の音と――時折、どこかで鳴る鈴のような音だけだった。
気づけば、狭霧の足は自然とその音の方へと向かっていた。
「視界が悪いですね。これでは魔物が来ても後手になります。止むのを待つにしても……どれほどかかるのか。」
ケイネスが振り返った瞬間、違和感に気づく。
自分を含め四人しかいない。
「……サギリさん? 誰か、彼を見ませんでしたか?」
「え? 私の後ろに……」
フェインも振り返るが、そこに狭霧の姿はなかった。
ケイネスの表情が一気に険しくなる。
「まずい。この攻略は彼が要であり、同時に弱点でもあります。
もしサギリさんが倒れた、もしくは収納スキルを使えない状態であれば――
私たちの帰還も難しくなるでしょう。
……皆さん、捜索に移ります。異論は?」
「ないわ! まだこの階層の魔物なら問題ないもの!」
フェインの声に、全員が頷いた。
「ねぇ、皆さん。こっちから懐かしい音が――って、あれ?」
気づけば誰もいない。
(え、あれ? ほんの少し、音の方を覗いただけなのに……どこ行ったの?)
焦りながら来た道を戻るが、仲間の姿は見えない。
霧は濃く、鈴の音だけが近づいてくる。
(やばい……こっちだった? いや、あっち……)
走りながら方向を見失い、ふと目の前に泉が現れた。
水面が雨に叩かれ、波紋が絶え間なく広がっている。
泉の奥から――あの音が聞こえた。
確実に近づいてくる。
(来る……! 俺のかっこいい刀、出番だ!)
スキル《真剣創生》発動。
白い光の中から現れた刀を掴み、構える。
MP:100 → 70
霧の奥に、黒い影がゆっくりと浮かび上がる。
(き、来たな……)
チリン――。
鈴の音とともに、影が止まった。
突風が霧を払い、その姿が露わになる。
全身を白い毛で覆い、背には黒い翼。
四肢の先にも羽があり、前足の片方に鈴がぶら下がっていた。
象ほどの巨体の狼――まるで神話の獣だ。
ゆっくりと歩み寄るたびに、鈴が鳴る。
それは死の音のように、静寂の中に響いた。
狭霧は両手で刀を握り直す。
巨大な狼の圧倒的な存在感に、狭霧の呼吸が浅くなりまばたきが多くなる。
心臓の鼓動が耳の奥で鳴り、視界の端で雨粒がゆっくりと落ちるように見えた。
(近づいてきてる……! エディッタ、発――)
狭霧は意識を一点に集中させる。
そして――まばたきをした。
一度目のまばたき。
音が遠のく。
鈴の音も、雨音も、すべて水の中に沈んだようにぼやけた。
狼の足先、鈴がわずかに揺れるのがスローモーションのように見える。
二度目のまばたき。
時間の流れがわずかに速くなる。
全身の毛穴が開くような感覚。体が勝手に構えを整える。
チリン――。
その音だけが、異様に鮮明に響いた。
三度目のまばたき。
……世界から、狼が消えた。
視界にあった白い毛並みも、巨大な影も、すべて空気に溶けるように消失している。
(は……?)
思考が追いつく前に、カラン――と足元から金属が転がる音。
ほんの刹那、目を伏せる。
その瞬間――背後から
チリン
空気が震える。
反射的に身体を捻り、振り向きざまに刀を薙ぎ払う。
が、届かない。
目の端で白い影が横切る。
直後、視界の左端で刃が砕けた。
刃の破片が雨に弾かれ、白色の弧を描いて散っていく。
この間僅か一秒ほどであった。
MP:70 → 20
新たな刀を呼び出す。
狼はあくびのような動作をしながら、無関心にこちらを見ている。
(近づいたら終わる。なら――)
「一の義・斬羽ッ!」
斬撃が放たれる。しかし狼は前足一つで、風を裂くように掻き消した。
「斬羽! 斬羽! 斬羽ッ!」
チリン――。
虚しく音だけが返ってくる。
(だめだ、逃げる!)
「二の義・瞬切 二歩!」
高速の居合で後方へと距離を取る。
(よし、離れ――)
チリン。
(……は?)
背後に気配。反射的に剣を振るう。
だが、同時に脳裏を過る確信――【死】
「う、うあぁぁぁぁぁ!」
世界が反転した。
目の前に広がったのは、病院の白い天井。
母と父が、赤子を抱いている。
(……俺、の……?)
視界が切り替わる。
小学生の自分。傘でチャンバラごっこ。
(あぁ、懐かしい……)
さらに切り替わる。
社会人。会社で寝泊まりしながら、スマホでアニメを見ていた夜。
(そうだ、あのアニメ……結局最後どうなったんだっけ……)
また暗転。
次に見えたのは――ガレスと話している自分だった。
(何か言ってるけど、聞こえな――)
世界が、闇に沈んだ。
狼はゆっくりと歩き出す。
その背後には、光の粒となって消えゆく折れた剣と――
頭のない死体が横たわっていた。
次回もよろしくお願いします。




