雪解け
吹雪いてくる雪に足元を濡らしながら自転車置き場まで行くと、ガランとしていた。この天気で自転車で来ようという愚か者は少ないようだ。
「……っち」
勇介は迷わず自分の自転車を発見したが、スカスカな自転車置き場であるのに、敢えて勇介の近くに停めたであろう自転車が上に覆いかぶさっていた。
見覚えがあるような気がしたが、銀チャリなんてどれも同じに見える。深く考える事もなく、自分の自転車を救出しようと上に乗っている自転車を引っ張るが、ハンドルが勇介の自転車の前輪に食い込んでいた。良く見ると、ペダルもチェーンの所に絡まっており、独りで外すのは至難の業に思える。
「あーもうこんなとこ停めたの誰だよ‼」
「ご、ごめんなさい‼わ、私も手伝いますから!」
誰も居ないと思って叫んだのだが、勇介の背後からすぐに謝る声が上がる。勇介が振り向くと彼女は頭を下げていた。その姿を見るや、彼は固まってしまう。顔も強張っている。自転車の持ち主は、何も言われないのを不思議に思ったのか、少し顔をあげる。その際、勇介と目が合った。
「あ……」
彼女も勇介だと気付くと、頭をあげたまましばらく固まる。二人はそのまましばらく見つめあっていた。先に動いたのはゆきだった。
「勇介君も、合格報告?」
「……あぁ、もう終わったけどね。ゆきちゃんも受かったんだ?」
「うん、そうなの。……それで、話がっ」
「ごめん、今日はこの天気だし早く帰った方が良いよ。俺ももう帰るし」
ゆきが勇介に何かを伝えようとしていたが、勇介はそれを遮り、帰るよう促す。彼女が何を伝えようとしていたのかは定かではない。だが、勇介としてはこれ以上ゆきと一緒に居るのが辛かった。
合格した事に浮かれて一時は忘れていたのに、先程思い出してしまい、更に本人にも出くわしてしまった。女々しいと思いつつも、一秒でも早く彼女の前から去りたかった。
ゆきはあの日の様に顔を歪めるが、涙は堪えている。そしてあの日とは違い真っ直ぐと勇介の顔を見ていた。
「ごめん」
勇介はもう一度謝ると、自転車を押して走り出した。今のゆきは、彼にとって眩しすぎた。勇介は、自分の思っていることを彼女に伝えられず、かといって自分の中で自分の気持ちを割り切っている訳でもない。
そんな愚図ついている彼にとっては、彼女の真っ直ぐな瞳は自分の醜い姿を映し出す鏡の様で見ていられなかった。
進めば進むほど、身体や顔に雪が纏わりつく。息が苦しくなる程風が強い。自転車を押しながら走っているのも相まって、すぐに息が上がる。
手袋をしていない両手は、真赤になり、ジンジンと痺れてきている。視界が白く染まり、三メートル先も見えない。
最早、この吹雪の中進むのは困難だと判断した勇介は、何処かで一旦マシになるのを待つことにした。しかし、この雪まみれの格好では店に入るわけにはいかないので、手近に公園でもあればそこで休もうと考えた。
暫くすると、木組みの屋根の様なものが見えてくる。厳密には、丸太が隙間を開けて渡してあるので、屋根にはなっていない。
この街は藤の花が名物らしく、ちょっと広めの公園には大体、この様な藤の花を絡ませるための設備がある。この時期に藤は咲いてはいないが、木組みの丸太には藤の幹が巻き付いており、ある程度の雪は防いでくれていた。勇介は自転車をその下に停めるとベンチに座る。
未だに視界は真っ白で、家まであとどれくらい距離があるのかも解らない。雪が弱まるまで下手に動けない状態だった。
「最悪の一日だ……」
合格発表を見た時の気分の高揚は既に跡形もなく、気持ちは落ち込む一方だった。ゆきと出会ってしまったのもその一因ではあるが、勇介の中ではその事自体は嫌な事と言うよりはうれしい事に分類される。
ただ、ゆきと出会うと自分の弱さだとか、器の小ささが解ってしまうのが嫌なのだ。そして何より、彼はまだ彼女の事が好きであるため、彼女と会うのは嬉しくもあり、苦しくも感じる。
「あーもう‼」
頭をガシガシと掻き毟ると、考えるのを放棄したと言わんばかりに全身をベンチに投げ出した。その体勢のまま鞄をごそごそと漁る。携帯を取り出すと画面をつけ、暇つぶしになりそうな物を探す。
すると、メッセージが届いていることに気付く。鞄の奥の方に仕舞ったため、鳴ったことに気付かなかったのだろう。
不在着信も何件かある。送信元を見てみると、全てゆきからのものだった。またしても勇介は、複雑な表情になる。メッセージを開くべきか、逡巡していると、更にもう一通メッセージが届いた。
しばらくはここを動けない上に、それ以外特にすることもなかったので、見ずに携帯を閉じてしまっても気になって仕方がないだけだろう、と勇介は開くことを決意した。
『勇介君、さっきはごめんね。もっと自転車離して置いてたらあんなことにもならなかったのにね。あと、直接話したいことあるんだけど、良いかな?さっきは言いそびれちゃったから……。なるべく早くがいいな。連絡待ってます』
『それとね、さっきので自転車壊れちゃってたみたいで、これから歩いて帰るんだー。雪がすごいから、いつもより時間かかって皆心配するかな?ハルちゃんから何か言われたら適当に言っといて(笑)』
何故、今更彼女からこのような文面が送られてくるのか、勇介には理解できなかった。何かの暗号か、もしくは嫌がらせかと疑ったくらいだが、全くそうも見えない。
ゆきがこの様に勇介と接していたのはいつだろうか。別れる直前まで、いや、別れた直後もこのような感じであった。だが、別れ話をして、お互い帰宅した頃にはもうメッセージのやり取りもなくなっていたし、それ以来仲良く話した覚えもない。何が切っ掛けなのか。
「って言うかアイツ、方向音痴だろ……。この猛吹雪の中、とんでもないとこまで行くんじゃないだろうな」
訳が分からず、悪態をついてしまうが、その言葉が零れてきた口元は微笑んでいた。彼は笑っていた自身に気付くと、驚いたが温かい気持ちになった。
ふと、携帯から目線をあげると、相変わらず雪は降り続けているが、いつの間にか風は止んでおり、視界が幾らか開けていた。吹雪いていた時は、この公園が何処なのかも解らなかった。
しかし今、風が止んで静かに視界を染める白の間からは、見覚えのあるベンチが雪景色に埋もれぬように存在を主張していた。勇介は、この運命的な結果に嫌気がさした。
「なんだそれ……」
誰に言った訳でもない。ただ、自分自身を嘲笑するかのような呟きだった。彼はよろよろと、あの時と同じ場所へと腰かける。当然、ベンチにも雪が積もっており、冷たい。
だが、最早そんな事はどうでも良かった。ここで暫く雪に打たれようと考え空を見上げる。冷たい雪が顔の上を滑っていく度に、色々な想いがこみ上げてくる。
結局、彼はゆきの事を忘れられなかったのだ。受験もあるからと目を反らし続けたが、それも今日で終わった。そのタイミングでの再会や、こうして今自分がここに来てしまっている事、更には今日のゆきの態度。全てが仕組まれていたのではないかと言う程劇的だ。だからこそ、彼は考える。
「俺、どうしたらいいんだろうな」
勇介は地方国立に合格したため、直にこの街を離れてしまう。その前に思いだけ伝えて去るのか、秘めたまま離れるのか。今までは当然、後者のつもりでいたのだが、今日の出来事が彼の決断を鈍らせた。
手に握りしめたままだった携帯が雪に埋もれているのに気付く。手も真赤になっている。一応防水ではあるが、念のため携帯をしまう。
いい加減寒くなってきたが、まだここを離れる気にはなれなかった。髪の毛に積もった雪を払っていると、雲に切れ間ができ始めていた。
「雪が止んだら帰ろう」
そう言って目を瞑ると、未だ多量に降り注いでくる雪を全身で感じた。自分の上にも積もってきた雪が、その白さで勇介の心も白くしてくれるのではないかと期待していた。
だが、期待とは裏腹に雪の白さは彼の思い出の色を際立たせるばかりだった。まるで今まで目を反らしてきたものを全て突きつけられている気分だ。
「ユキってやつはいつもそうだ」
文句を零すも、彼は先程と同じように笑っている。段々と小降りになる雪に一抹の寂しさを覚えながらも、彼は最後まで雪を感じようと目を瞑ったまま動かない。
とうとう日差しが彼を照らし出す。暖かい日差しと、冷たい雪の感触が心地よかった。
「っ……」
頭の上に積もっていた雪が解け、つーっと頬を伝う。雫が唇に触れると、彼は顔をしかめた。
ベンチには一人の少年が座っており上を見上げている。ベンチに積もった雪は、彼の周りから次第に解けていく。
春が来る頃には、雪は解けてなくなっているだろう。それはいつか、彼の心の名残雪も解かすに違いない。




