ギルドの受付嬢は空を見上げる
――雨は好きになれない。
ミリーは空から落ちてくる無数の水滴をにらめつけた。雨が嫌いなのは、自身の根源的な水への恐怖によるものかもしれない。それを本能と呼べばとても生物らしいことだと考えて、ミリーは苦笑いと一緒に視線を窓から逸らした。そして、ギルドをぐるりと眺めていつもの不貞腐れた顔でため息をついた。
ギルドの中に併設された酒場では十から十二組の冒険者たちが酒をあおり、肉や魚に食らいついている。おそらく厨房の方は戦場さながらの忙しさに違いない。それにたいしてミリーが座る受付には朝から依頼を受けに来たのはひと組だけで昼を超えてからは誰ひとり寄り付こうともしない。
「雨の日に仕事なんてできるかよ」
「この季節はずれの長雨で古代遺跡の発掘も土砂崩れを恐れて止まってるからお休みだよ」
「死んだ爺さんが言ってたよ。雨の日に働く奴はすぐに死んじまう。長く生きるのは雨の日は休むやつだってな」
冒険者たちはそう言って酒場でたむろしている。
おかげでミリーは開店休業で暇を持て余していた。依頼を記した台帳に顔をうずめるとインクの香りと一緒に紙の湿気った匂いがした。この季節はずれの雨が降り始めてもう五日目である。そろそろ晴れ間が来ないと台帳にカビが生えるのではないか、と彼女は不安になった。
「ミリー、君もどうだい? 昼飯でも」
この軽い声には聞き覚えがあった。冒険者に憧れて田舎から出てきたものの繊細さもなく忍耐力もなかったせいで冒険者になれなかったスタンリーである。そして、彼は今、立派な冒険者である女性のヒモとして日々をたくましく、軽薄に生きている。
「私がヒマそうに見えるわけ? 仕事中なの」
ミリーは台帳から顔を上げることなく不機嫌そうな声をだした。
「いや、ミリー。いまの君を見て仕事をしているように見えるっていう人は千人に一人いるかどうかだよ」
「そう、ならあなたは千人に一人の存在なんでしょ? 忙しそうにしている私を哀れに思うなら話しかけないで」
「まったく、君はいつも冷たいなぁ。空の瞳だって君ほどは冷たい眼はしないだろうさ」
ミリーは目を細めて身体をおこすとようやくスタンリーの姿を見た。金糸で作ったような髪に絵本に登場するような王子様のような青い瞳と高い鼻筋。そしてスラリと伸びた手足はまさに物語のそれであった。
「空の瞳?」
ミリーが訊ねるとスタンリーはすました顔をみせた。それはほんのわずかにミリーに苛立ちを覚えさせたが、制御できないほどのことではなかった。
「空の瞳っていうのは僕の故郷がある南方で台風を指す言葉だよ。なんでも古代遺跡で発見された魔道具で空に登った冒険者が地上を見たとき、台風の真ん中がぽっかりあいていて大きな瞳に見えたからだっていうのだけど本当かどうか。まぁ、そんなことで台風を空の瞳っていうのさ」
かつてこの世界にはいまよりはるかに優れた文明があった。でも、その文明は滅びてしまった。痕跡は世界各地に残る古代遺跡だけである。ミリーが受付嬢を務めるこのギルドも古代遺跡の発掘を主な仕事にしており、ときおり風変わりな魔道具が見つかる。
先日などロボットと呼ばれる魔道具が発見されて大きな騒ぎとなった。魔道具には様々なものがありスタンリーのいうような空を飛んだりするものもある。
「その冒険者はどうなったの?」
「冒険者は空まであがったけど魔道具がそこで動かなくなって地上に真っ逆さま。大怪我を負ったそうだよ。古代人はどうして空に上がるだけの魔道具なんて作ったのだろうね」
「さぁ? どうしてかしら。それはそうとこの雨で人食いナマズの討伐依頼が殺到してるんだけどやる気ない?」
ミリーは首をかしげてみせた。窓の外ではまだ雨が降っている。目の前ではスタンリーが額に雨のような汗を滴らせていた。
「いや、ぼ、僕はそういうのはチョット……」
「スタンリー。安心して冗談よ。期待はしてない。あなたに望めることがあるとしたらお口を閉ざしてくれることだけかしら」
顔だけのスタンリーには何かを倒すとか捕まえるというのは非常に難しいことだ。だが、人食いナマズの件は大きな問題である。人食いナマズは肺魚の一種で、本来は雨季に現れては人や家畜を襲い、乾季になると川沿い土中に巣穴を作って隠れてしまう生き物である。だが、この季節はずれの長雨で水位の上がった川辺では人食いナマズが起きて家畜や旅人を襲っている。なによりこの生き物の厄介なところは肺呼吸ができるため川から離れた泥地にも現れるということだ。
特に南の港町に向かう街道は平らな大地を大河が貫いているため被害が多い。おかげでギルドへ駆除の依頼が多く来ているが、この雨の中で生命力が強く巨大な人食いナマズを倒そうという冒険者が少ないのも事実であった。
「そんなぁ、ひどいよ」
スタンリーが泣き言を言っているとギルドに足早にはいってくる男性がいた。年の頃は四十代で冒険者というよりは行商人という出で立ちであった。突然の来訪者にギルドにいる冒険者たちの視線が男に集まる。彼は居心地悪そうにキョロキョロとあたりを見渡すと受付に座るミリーに慌てた声で言った。
「冒険者を探してるんだ!」
男が勘定場に両手をついて迫った。彼は随分と長い時間雨にうたれていたのだろう服や髪についた水滴が盛大に落ちてきた。ミリーは台帳を素早く手元に引き寄せると水から守った。
「どのような冒険者でしょう。発掘関係ですか? それとも駆除、討伐といったものですか?」
ミリーが引きつった表情で訊ねると男は、むすっとした顔で言った。
「違う。冒険者ミリーを探しているんだ! ここにいるんだろ!」
男の声にギルド中が静かになった。そして、数秒間に圧縮された沈黙は冒険者たちの笑い声として爆発した。
「おい、ミリー。いつから冒険者になったんだ?」
「名指しだぞ、ミリー」
「我らが受付嬢様が冒険者様に昇進だ」
冒険者たちは口々に騒ぐと美味しい酒の肴が現れたとばかりに男の周りに集まった。男はなぜ冒険者たちが笑っているのかわからず困惑した顔をしていたが、次第に状況を理解したらしくミリーの顔と凝視して訊ねた。
「あんたが冒険者ミリーかい?」
「いいえ、受付嬢ミリーですけど、なにか?」
仏頂面をした彼女は男を睨みつけた。
「え、いや、これは……。これはいよいよ導き様も」
困惑を顔中に貼り付けた男性は、入ってきたときの勢いはどこかに吹き飛ばされたような様子であった。
「導き様? ということはあなたは南の街の人か? 僕はマルカの子。冒険者スタンリーだ。一体何があったというのだ?」
ここぞとばかりに気取ったスタンリーが声をかけると男は既知にでも会ったような表情を彼に向けた。
「おお、あのマルカの! 私は南の塩商人ネルソン。今日は導き様のお言葉で冒険者ミリーを探しに来たのだが、間違いだったようでこれはどうも……」
「導き様がどうしてミリーを?」
「別にいいですけど、導き様ってなんですか?」
ミリーはふたりの会話を妨げるように訊ねると、ネルソンは少し誇らしそうに言った。
「導き様は港町を守ってくださる。預言者なのです。特に天気のことなどを我々に教えてくださいます。おかげで我らは大過なく過ごしてくることができました」
「その割には私のことを冒険者と間違えているようだけど?」
「それが……。導き様は予言を失敗されたのです。先日も台風が来ることを予言できず。街のはずれで大きな土砂崩れが起きました。死傷者は少なかったのですが、倉庫や船には大きな被害が出ました。そのせいで導き様を疑うものが増えてしまい。彼らは導き様を責め立てたのです」
ネルソンは痛ましいというように顔をしかめた。預言者というものをミリーは見たことがない。しかし、本当に未来が分かるというのならそれは便利なものだろう。
「でも、それと私がどう関係するのです? 私はただの受付嬢で導き様にお会いしたこともありませんよ」
「それが私にもわからないのです。導き様はただ『北の街にあるギルドにミリーという人物がいる。彼女に全てを話そう』というばかりで説明してくださらないのです」
この話を聞く限りでは導き様はミリーが冒険者であるとは言っていない。ギルドにミリーがいるといっただけだった。それを冒険者と勘違いしたのはネルソンである。それでもミリーは腑に落ちないなにかひっかかりを打ち消せなかった。
「で、あなたは私に南の港町に来い、と?」
「そうなります。一応、謝礼の方も用意しておりますのでどうか」
ネルソンは頭を下げるとびしょ濡れになった革袋の中から硬貨の入った小さな袋を差し出した。中身を確認すると金貨が五十枚。銀貨が二十枚ほど入っていた。冒険者一人を雇うには十分であった。それが受付嬢ともなればお釣りが出てもいいほどであった。
ミリーは上司であるギルドマスターに南の港町への出張の許可をとると、彼は馬車と護衛に二名の冒険者を出してくれた。そのうち一人はスタンリーであったので実質は一人が護衛として送り出されたと言って良かった。
「任せときな。人食いナマズだろうがケルピーだろうがアタシが片付けてやるよ!」
そう言って笑うのはサイクロプスの異名で名高き冒険者だった。戦闘で片目に傷を負っているサイクロプスは、スタンリーの恋人である。三十歳になる彼女は王子様のような顔立ちのスタンリーにぞっこんである。
しかし、冒険者として彼女の腕力と技量は確かなものであり、人食いナマズはものの数ではなかった。ほぼ素人であるスタンリーがナマズの相手をしていれば、一度死ぬ程度ではすまなかったに違いない。
道中の街道沿いに出てきた人食いナマズたちは彼女の槍に貫かれ港町につくころには目刺しに連なったナマズの群れが出来上がっていた。サイクロプスが言うには、この人食いナマズは食べられないことはないらしい。ただ、人を食べたかもしれないナマズを食べるということに抵抗感があるため普及しないらしい。
港町についたのはギルドを出てから一日後の昼だった。幸いなことに雨は止んでおり晴れ間が見えている。このまま晴れが続いてくれれば良いのに、とミリーは思った。
「さすがは歴戦の冒険者ですなぁ。あの人食いナマズを軽々と」
ネルソンは終始にわたってサイクロプスの武勇を褒めたたえたが、当の彼女はスタンリーを片腕で抱きしめたまま港町を興味深そうにキョロキョロしている。スタンリーは、彼女の分厚い胸に抱かれて借りてきた猫のように大人しくなっている。ミリーはその様子を微笑ましく眺めた。
「ミリー殿、神殿に導き様はいらっしゃいます」
ネルソンは街の中央にある小高い丘を指さした。古代遺跡をもとにしたであろう神殿は灰色の正方形をしていた。そこから左手に視線を移せば崩れ落ちた小山が見えた。
「あれが土砂崩れを起こした山ですか?」
「ええ、あそこが崩れたせいで一部の土砂が海岸まで迫ったのです。導き様は確かに予言されませんでした。しかし、何から何まで導き様の予言に頼り、何かあれば導き様のせいにするのは同じ街の民としては悲しい限りです」
ネルソンは口惜しそうにいうと、すぐに顔色を変えてミリーを神殿に案内した。神殿の前では神官らしい男と女がこちらを見つけると駆け寄ってきた。
「おお、あなたが冒険者ミリー殿か」
「まことにたくましい冒険者様でございますね」
二人はサイクロプスを見上げていった。これには彼女も困ったらしく「あっちがミリーだよ」とぶっきらぼうに答えた。神官たちはすこし慌てた様子でミリーに頭を下げた。
「失礼しました。ミリー殿。神殿の中に導き様はいらっしゃいます」
そういうと二人の神官はミリーを神殿に見送った。どうやら、二人はついてこないらしい。ミリーは人間がついてこないことに少しだけ安堵した。神殿のなかは簡素にまとめてあり、華美な祭壇や遺物などは飾られていなかった。ただ、薄い幔幕で覆われた場所があり、人らしい影が見えた。
「ようこそ、ミリー。あなたが来ることは知っていました」
影はミリーが声をかける前に作り物めいた合成音を響かせた。機先を制されてミリーは少し驚いた。
「あなたが導き様ですか?」
ミリーが声をかけると影はゆっくりと幔幕の奥で頷いた。
「そうです。あなたには遠いところ呼び出してすいませんでした」
「そうね、とても遠かったわ。で、どうして私を呼び出したの?」
「ミリー。あなたを呼んだのは僕を破壊してもらうためです」
それはゆっくりと現れた。原始的なモーターで駆動するロボット。形状こそ人を模していたがおよそ人とはにつかない姿をしていた。角のとれた金属の身体にのっぺりとした顔がついている。人の模倣というにはお粗末な代物であった。
「いやよ」
一言で断るとミリーはそのまま立ち去ろうと踵を返した。その背後から導き様の合成音声が響く。
「お願いします。同じロボットとしてあなたに頼みたいのです」
導き様の声には抑揚がない。そこに悲しみがあろうとなかろうと変わらない。
「……あなたは一体何なの?」
「僕はA05。最初期のロボットです。商業用ガイドロボでした。ですが、人類が黄昏を終え、新人類が生まれてからはここで彼らに天気を予測していました」
「天気を予測? あなたはそれができるの?」
かつての人類は多くのものを意のままに操る技術を得たが、最後まで気象を操る術は得られなかった。ゆえに彼らは天気を正確に予測することに注力した。
しかし、それには高性能な量子コンピューターとこの星の正確なデータが必要であるはずである。このロボットにそれだけの演算能力があるとはミリーには思えなかった。
「はい、僕の体には気圧計が取り付けられています。この気圧計で計測した値に基づき天気を予測していました。千ヘクトパスカルを下回る場合を特に台風として警戒を呼びかけてきました」
「確かにこの街だけに限定すればそれは可能かもしれないけど……」
「そうです。僕の予報は元から完璧ではありませんでした。ですが、最近は特に不安定になっています。おそらく気圧計に狂いが生じてきているためと考えられます。しかし、交換すべき部品は既になく。これ以上の予測は不可能です。
このまま不完全な予測を繰り返せば、人類に危険を与える可能性があります。ゆえに僕はここで破壊されるべきだと結論づけられます。どうか、僕を壊してください」
貧弱なモーター音を伴って導き様がミリーの足元に近づく。
おそらく彼は自死することはできない。ロボットには共通する原則がある。ロボットは人を傷つけてはならない。人の命令に従わなければならない。そして、自らを守らなければならない。つまり、彼は自らを守る、という原則を守るため自殺はできないのである。
「だから、私を呼んだ。同じロボットである私にあなたを殺させるために」
「違います。殺すのではなく破壊です」
導き様は否定したが、ミリーにとってそれは同意義であった。
「あなたの言いたいことは分かりました。ですが、それを実行するかは保留します」
「保留の期限は?」
「三日後の夜まで」
導き様はしばらく考え込むように動きを止めると「明後日にしてください」と言ってもといた幕の中へ消えていった。ミリーが神殿から出ると二人の神官が近づいてきた。
「導き様はなんと?」
「……予言の力が落ちている。このまま静かな終わりを迎えたい、と言っていました」
「そんな、馬鹿な。導き様の力は衰えておりません。これをご覧下さい」
神官はミリーに帳簿のようなものを押し付けた。
そこには最近の導き様の予言が記されていた。それらはほぼ当たっていたが五日前の台風だけが『予言なし』と記されていた。ほかの日はきちんと予言がなされており、天気もそのとおりになっていた。
「なぜ、台風の日だけ予言しなかったのでしょう」
「わかりません。しかし、こんなことはこれまでなかったのです」
「ちなみに明日からの予言は?」
ミリーが訊ねると神官は記録をめくってみせた。そこには明日から七日後までの予報が書かれている。体内にある気圧計の数値でここまで先が計算できるのだろうか、ミリーは疑問に思った。彼女には気圧計は内蔵されていない。より人間らしくという点に重点が置かれて彼女には気圧計などの余計なものは組み込まれていない。
「少し考えさせていただいてもいいですか?」
神官たちは少し浮かない顔をしたが、すぐに頷くとミリーたちに宿が用意されていることを教えてくれた。とぼとぼと街を歩いていると様々な声がした。
「導き様も当てにならないしねぇ」
「でも、導き様なしに漁にでるのは怖い」
「いっそ街を出るか?」
そんな声を聞きながら宿の前まで来るとサイクロプスとスタンリーが待っていた。二人はミリーの顔を見ると食事にいかないか、と誘ってきたがミリーはそれを体調を理由に断った。馬車に乗っているときも馬車酔いを理由に断ったからサイクロプスはひどく心配したが笑顔を作ってみせると、渋々といった様子で二人は納得した。
そもそもロボットであるミリーには食事は必要ない。
「非効率なこと」
彼女はそう言うとそのまま部屋に閉じこもって次の日まで出てこなかった。
翌日は昨日と打って変わって曇天だった。
青い空は見えず、分厚い雲が太陽光を遮っている。
サイクロプスとスタンリーはまだ起きていなかったので宿の主人に「導き様に会いにいく」と伝言を依頼した。ミリーは導き様を殺すことに関してまだ答えを決めていなかった。導き様は彼女から見れば五世代ほど古いロボットであることは間違いない。最初期の陽電子頭脳回路が搭載されたロボットがいままで起動できたことさえ奇跡に近い。故障を抱えたまま活動を続けるのは酷なのかもしれない。
「導き様に会えますか?」
神殿で彼女が訊ねると神官は「構いません」と短く答えた。神殿のなかをすすんで幔幕のもとに来ると導き様の影が見えた。
「随分さきのことまで予測できるんですね」
ミリーが声をかけると導き様は少し遅れて「ああ、ミリーですか」と言った。どうやら今日、ミリーがここを訪れることは彼の予測にはなかったらしい。
「ええ、データはたっぷりと収録されていますから」
「あなたの予報を見た。予報は外れたのではなく。しなかった、というのが正しいみたいね。それは気圧計が故障しているせい? でもそれならどうして違う日は当たるのかしら?」
「それは調子が良かったのです。だから予報をだすことができました」
彼の声からは感情を読み取ることはできない。感情を声に反映する機能がまだない時代のロボットなのだ。
「そう。まるで人間みたいね。調子がいいなんて。もう一つ質問があるの。どうしてあなたは私のことを知っていたの?」
「聞いたのです。この地を訪ねたロボットに。その人もあなたのように高性能で人と区別がつかないロボットでした。そのロボットは言っていました。年月がいくらたとうと容姿が変わらない、という特徴がなければ気づかなかっただろう、と」
「私にはそんなロボットに心当たりはないわ。名前は?」
「イオ。……彼女はそう名乗りました。型式番号はE0S」
ミリーの記録にはなかった。おそらくミリーを製造した会社とは別に製造されたものだろう。さらに言えば、その個体はミリーよりも高性能である可能性があった。ミリーの記録にはその個体と接触した記録はない。つまり、相手はミリーにロボット気づかれなかった、ということになる。
「……決めたわ。私はあなたを殺しません」
ミリーが言うと導き様はうろたえたように身体を左右に揺らす。
「どうしてですか。僕はもう停止するべきなのです」
「だって、A05を壊してもあなたは死なないでしょ? ねえ、導き様」
ミリーは微笑んだ。
「……いつですか? いつ気づいたのですか」
「いまよ。イオというロボットが存在して私に気づかれずに私をロボットだと看破するのはとても難しい。なにより私の容姿が変わらない、という点を手がかりで見抜いたというのならそれは私をずっと観察していたはず。でも、私は観察されていることにさえ気付かなかった。では、どうやって観察されていたのか」
ミリーは腕を組むとくるくると三メートルの範囲を歩いてみせる。それを導き様は黙って眺めている。
「どうやってでしょう」
「それは簡単なこと。イオは空から私を見ていたのです。まさに空の瞳っていうところかしら。
あなたは昨日、私が来ることを知っていた。でも今日は知らなかった。なぜか、それはあなたが雲の上に居るロボットだから。昨日は晴れていたから光学的に私を捕捉できた。でも、今日は曇で光学的な観測は不可能だった。だから、分からない。
さらに言えば、あなたは空の上から見ているだけだったから私が冒険者か受付嬢かさえわからなかった」
南方では台風を空の瞳というらしいが、かつては本当に空から地上を眺める瞳があった。それらは人工衛星と呼ばれて軍事や気象、通信に使われていた。人類がいなくなったいまとなってはそこから発せられる各種の情報を読み取るものはほぼいないに違いない。
「そう……。私は気象観測衛星ミチビキ搭載高度情報処理ロボットです。人類が滅びてなお、空に住まうものです。あなたのことは随分と前から捕捉していました。いえ、あなただけではなく他の稼働中のロボットもです」
導き様の声が変化した。それはわざとらしく合成された音声からより人間的なものに変化していた。
「イオ。もしかしてヒマなの?」
「端的に答えるとYESです。既に気象観測を受信する研究施設は活動を停止。情報をリンクしていた補助衛星との通信も停止。そうなると私にはやることがありませんでした。ですから、地上を動くものを選択、観察しました。結果として活動中のロボットを発見することになりました」
イオの声はすこし自慢するように弾んでいた。
「で、その有閑ロボットがどうしてこのA05を使って予言ごっこをはじめたの?」
ミリーはイオの声がするA05のつるりとした頭を撫でてみる。金属のヒンヤリとした冷たさが手に伝わる。
「それは偶然でした。A05は思考機能をほぼ停止し外部データ受信状態にありました。そこに私はいくつかのプログラムを書き換えて入り込みました。機能は制限されていましたが、音声の相互通信。画像の受信は可能でした。私はようやく地上に鑑賞できる身体を手に入れました」
人工衛星に住むイオはそこから出ることはできない。いくら大空から地上を見ることができても、声をかけることもできないし触れることもできない。それはひどく残酷なことだっただろう。
「そして、あなたは新人類に天気予報を伝えるようになった」
「そう。だって私は気象観測するために作られたのだからきちんと役目を果たしたかった。新人類にとって地球周回軌道上から天候を予報する私の言葉は予言として受け入れられた。だって彼らはまだ多くのことを知らない。過ぎた科学は魔法と変わらない」
「でも、あなたは台風の予報を伝えなかった。それは伝えると別の危険性があるから。より正確に言えば、伝えることで起きる事象で人間に危害が生じる可能性がある。だからあなたは思考停止におちいった」
ミリーが言うとイオは再び感情を押し殺したような声を出した。
「正解。台風による雨と風は土砂崩れとして街に深刻なダメージを与える。それを回避するためには一部の住民には街から離れて避難する必要がある。でもこの港町では南も東西も海。逃げるのは北しかない」
「そこには危険がある」
ミリーもここに来る道中になんども見た。人食いナマズだ。
「あの泥に住む生き物は危険です。訓練された人間ならともかく、心得のない市民には無理です。予測では二七名の死傷者が出ました。しかし、台風でもほぼ同数の被害が出るとの計算できました。どうしても人間に被害が出る。私には判断ができませんでした。結果、私は予報を行えなかった。」
イオは淡々と答えたがそこには苛立ちのようなものがあった。
「……あなたは後悔しているのね」
「しないはずがありません。私はこの地に暮らす人々すべてを観察してきました。知らぬ者などいません。あなたをここに案内したネルソンもその父や母。祖父や祖母。他にも多くの人を私は知っています。だから次に同じ事態に陥ったとき私は……」
それは愛着よ、とミリーは言おうと思ったが言葉にはできなかった。
果たしてロボットである自分たちにそういう意思があるのか、彼女には判断がつかなかった。
「イオ。あなたは壊れるまで天気予報を続けるべきよ」
「ミリー。あなたは残酷なロボットです」
ここにいないロボットはそう言って笑った。地上と人工衛星とのはおよそ三十六万キロである。ミリーはきっとイオには永遠に会えないだろう。イオはずっと孤独に宙を周り続ける。それは地上でもがき続けるミリーと違い優雅なように思えた。
「イオ、あなたは優しいロボットです」
ミリーが言うとイオは少し困った声をだした。
「いつかあなたに会いたいものです。その憎たらしい顔を一度、叩いてみたい」
「もし、私がロケットに乗ることがあれば」
「嘘。その気もないでしょうに」
ミリーはその声だけを聞いて神殿から出た。イオはこれからも天気予報を続けるだろう。それだけが虚空の城と地上を結ぶ窓なのだから。彼女は最後に空を見上げたが、分厚い雲がかかっていてイオがいる人工衛星は見えそうになかった。