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秘密基地、3

シャウの部屋には何もなかった。

 それはめぼしいものがなかったなどではない。本当に何もなかったのだ。

 椅子も机もベッドもカーテンも本棚も、前に来たときにはあった見覚えのある家具は一切ここにはなかった。ただただがらんどうで無機質な部屋が一室あるだけだった。

「これ……どう考えても不自然だよね」

 物が何一つない――これは逆に不自然だ。

「ここは何に使ってる部屋なんですか?」

「……たしか物置小屋だったかな」

 家主にしては少し曖昧な言い方だった。だが、そこを突いてもおそらく何も出て来ない。

 セロはじっとその部屋を眺めて――あることに気がついた。

「あの……一ついいですか?」

「なに? 言っておくけど、本当にそこは昔から物置小屋だったわよ」

「それはわかってます。なら、シャウママはいつここを掃除しましたか?」

「掃除……?」

 サラの顔がきょとんとなった。次いで考える仕草。サラは唸った。

「よく覚えてないわねぇ……それがどうかしたの?」

 するとセロは返事することなく部屋に入って座り込んだ。そしてその床を指の腹で舐めた。

「どうしていつ掃除したかもわからないような部屋なのに埃が一つもないんだろうと思いまして」

「――――!」

 サラはそこで初めて驚きに顔を染めた。そして目を見張りながらその物置小屋をみつめる。

 ――どこにも埃がない。シミもない。もっと言うと小さな傷もないし何かを置いた形跡すらもない。

 そんな場所、本当に物置小屋と呼べるだろうか。

「というかこの物置部屋使ったことあるんですか?」

「え……そういえば、どうだったかなぁ。あるようなないような」

 サラはたじろいで目を逸らす。自分でもよくわかっていない様子だった。

「そうですか……わかりました」

 ここでセロが考えていた仮説が確証へと変わる。

「キセキ、シャウはもうここにはいないよ」

「え、いない? どういうことだよ!」

「多分、シャウは連れ去られた。シャウに関するすべてのものと一緒にね」

 

 シャウを探すにはどうすればいいか、セロなりに考えた案が一つある。そのためにはまず検証が必要だ。

 まずは片っ端からシャウの行方を聞き出す。行く人々に声をかけ、シャウを見ていないかと尋ねる。

 結果的に、シャウを見た者はおろかシャウを知っている人物は存在しなかった。ようはシャウに関する情報はすべてシャットアウトされていることになる。これではシャウの居場所は特定できない。詰みだ。

 だがこれはセロの予想の範疇である。おそらくシャウのことを覚えている人間はキセキとセロを除いていない。

 ならばなぜ二人は覚えているのか、それに関してはまったくわからないが、シャウを探す方法ならば考えがある。それは、

「すいません、今日のお昼ごろからこの時間帯にかけて、僕と同じくらいの背でピンクの髪をした女の子と男の人をみかけませんでしたか?」

 シャウの名前を出さずに捜索するのだ。こうすれば相手はシャウではなくピンクの髪をした女の子を思い浮かべるはずだ(男の人というのは勘)。

 そしてこれは上手くいった。

「あぁ……もしかしてあのへんてこな服を着た人かな。たしかピンクの髪をした子が隣で歩いていたような……しかも何かに巻き付けられていたような……」

 こんな感じの証言がいくつも取れた。

 ――よし!

 セロは思わず証言を聞きながらガッツポーズしそうになった。それくらい嬉しかったのだ。

 その証言いわく、男は妖術師のような怪しげな格好をしていて、アイマスクをしているらしい。そして小さな女の子に縄のような鎖のようなよくわからないものでぐるぐる巻きにしていたらしい。

「やべーな。シャウのてーそうが奪われちまう」

「……ねぇキセキ、それ意味わかって使ってる?」

「え、なんかこう……やべぇんだろ?」

 まぁその話は置いておくとして、シャウの身に危険が迫っているのはたしかだ(貞操も視野に入れて)。

 だから早く探し出さねばならない――それなのに。

 よりによって、証言を辿って行きつく先が――塔下町だなんて。

 塔下町とは、文字通り塔の下にある町のことだ。そこでは至る所で露店が開かれ、武器や防具、小道具や薬などダンジョンに必要なものが何でも売ってる場所だ。ようはレンジャーのための町だ。

 それ故に、塔下町に入れるのは十二歳からで。尚且つギルドに登録されている者だけだ。それ以外は決して入ることのできないとても神聖な場所だ。

 そんな所に、まだ六歳にもなっていない子供が入れるわけがない。唯一の出入口は二十四時間門番が二人いるし、かといって他のところの塀からよじ登って行こうとしても有刺鉄線に阻まれるし、かといって穴を掘ってもその塀はずっと地中奥深くまで続いていて、とてもじゃないが子供二人ではどうにもならない。詰みだ。

「おいどうすんだよセロ、塔下町だぞ。何か策はあるのかよ」

「まぁ、一応……」

「ほんとか! さすがはセロ! で、どんな作戦なんだ?」

 キセキから期待の目が寄せられる。





             4



 塔下町は平民街とはまた違った様相だった。至る所で露店が開かれ、そこを武器と防具に身を包んだレンジャーが行き交う。その絶対数は決して多くない。だが、一人一人の迫力と熱気が、そこを賑わっているのだと錯覚させる。

 その中で、キセキとセロはありえないくらい目立った。二人共よれた服をただ着ているだけで、そこには風格や凄みといった内面から溢れるオーラのようなものが皆無だ。それに二人は往来する人々を目を輝かせながら眺めていた。入る前に堂々としていれば大丈夫だと言ったセロだったが、今はそんなこと頭にない。ただただ映える大人のレンジャーをその目に焼き付けていた。

「おい小僧共。お前ら貴族じゃないよな? どうしてこんなとこにいる?」

 たくましい体つきをした一人の男が二人に話しかけてきた。目を細めて怪訝な表情をしているので、二人を完全に疑っているのは確かだった。

その男はスキンヘッドで顔に無数の傷を負い、年季の入った真っ黒な鎧を身に着けていた。帯刀もしている。言葉を間違えれば問答無用で斬られそうだった。

「いや……その……」

 二人は言葉に詰まった。その時点でもう自分が貴族ではないことを証明しているとは気づかず、二人は顔を見合わせた。二人の顔は青ざめ、今にも卒倒してしまいそうだった。

「おいお前らよぉ――」

 終わったと、二人は思った。

 ――だが、二人の人生はここで終わりはしなかった。

「どうやってここに来たんだ? 塔下町と平民街を繋ぐ門には門番が居るはずだが?」

 この質問はおそらく二人を平民だと知った上での問いかけだとセロは思った。

 だからセロは正直に答えた。

「えっと……その門番、寝てました」

「……へ? 寝てた?」

 スキンヘッドはセロからキセキに顔を移した。キセキは何度もそうだと頷いた。

 ――これは本当の話だった。門番は二人共鉄格子に背中を預け椅子に座ったまま眠っていた。

 スキンヘッドの男は一瞬きょとんとした顔をして、一気に破顔した。

「――ははははは! そうかそうか! あの門番たちは寝てたのか! 悪いな変なこと聞いちまって。ま、平民がここに来てることは内緒にしといてやるからよ。じゃあな」

 スキンヘッドの男はそう言ってそそくさと帰っていこうとして――立ち止まった。

「そうだお前ら。気を付けろよ。さっきここに妖術師みてぇな奴が幼女連れて歩いてたからな。あいつはもしかするとそういう癖の野郎かもしれねぇからな」

 スキンヘッドは満足したのかそのままそそくさと歩き、やがて人ごみに消えた。

「ようじゅつしと……ようじょ?」

 キセキは聞き慣れない単語が二つも飛び出し理解ができずにセロを見た。

「変な服着た変な人と小さい女の子って意味」

「変な服着た変な人って……ようは変態?」

「そうとも言う……かな」

「変態! 変態か! おぉ変態! ――ってシャウのてーそうが危ねぇ!」

「……貞操って。意味知ってる?」

「やばいんだろ! なんか!」

「……もういいよそれで。それより幼女はシャウで間違いないと思う。妖術師はわからないけど……でもどこに向かったかはわかる」

「ダンジョンか?」

「そういうこと。だから急ごう! 中に入られたら打つ手がない」

「わかった!」

 二人は一気に駆け出した。顔は険しい。どうやらミリオネアに向かうことしか考えられなくなったようだ。

「あ、あれうまそう」

「あれかっこいいね」

 もちろんそんなのは十秒と持たなかった。このことは、一生シャウには言わないでおこうと子供ながら二人は強く思うのだった。

 ダンジョンに入る扉のことを、人は大口と呼ぶ。何故かと言えば、扉の形が人の口のようだからだ。円形の扉は氷柱のような真っ白で鋭利な歯を上下させて開閉する。人間が食べ物を口に含んで咀嚼するようなイメージだ。中も舌を想起させるような真っ赤な道が続いている。だから大口。

 シャウとエッフェルは開かれた大口の前に立っていた。周りには警備兵が何人も倒れている。微かに胸が上気しているのでおそらく眠りについているのだろう。

 シャウはそれをただ見つめていた。その顔は無表情ではない。主に、悲しんでいる。というのは、こうなったのは仕方がないことだという諦念と、これで邪魔する者は居なくなったと安堵する気持ちも入り混じっているからだ。純粋に悲しんでるわけではない。

 エッフェルはアイマスクで自分の目を隠してから、ふぅと溜め息をついた。疲れているのか少し息が荒い。だが、それだけだった。そのままシャウの元へ戻り、笑顔を振りまいた。

「さぁ行こう。これ以上事が大きくなる前にね」

「……うん。わかった」

 不思議な感覚だった。ミリオネアの中に入りたいと思う気持ちに比例するように、ここで踏みとどまらなくてはならないという気持ちも強くなる。ここで足踏みしている余裕も、立ち止まる理由もあるわけないのに。例えあったとしてもそれはエッフェルの傍にいるという気持ちには敵わないはずなのに。

「どうしたんだい、不安そうな顔して? 怖いのかい?」

「……それもあると思う」

「僕と一緒でもかい?」

 エッフェルは優しく問いかけてシャウの頭を撫でる。

「僕がついてるから安心して。それと、シャウちゃんは早くここから出なくちゃならないんだ。そうしないと君はすぐに死んじゃうから」

「――え? それ、どういう意味?」

 シャウにはエッフェルの言っていることがわからず首を傾げた。

 エッフェルは何も答えなかった。その代わりと言わんばかりにシャウの手を掴み、少しばかり強引に手を引いた。

「――あ」

 ぐわんと、上半身が先に出た。その勢いで右の足が一歩大きく前に出て大口の歯を飛び越えた。左足を踏み込めばもうシャウの体は完全にミリオネアの中だ。

 ――助けて? なんで? なんで私はそう思うの?

 ただエッフェルについていけばいいだけなのに。それが今のシャウにとって一番のすべきことのはずなのに。心の奥底が慟哭するのだ――助けてくれと。

 ――誰かが、来る? 来ないよ。来ても意味ない。倒されちゃうだけだよ。

 エッフェルの目があれば誰も敵わない。それくらい、彼は強い。勝てるわけがない。もし仮に多勢でも、それに対抗できるくらい彼は暴力も強い。鬼に金棒だ。

 ――信じたいの? 誰を? 決まってるじゃない。愛しの彼。彼ならここにくる。

「シャウゥゥゥゥゥゥ――――――!!!」

 ――ほら呼んでるよ? 行かないの? その小さな手を取らないの?

 必死の形相で彼はシャウに向かって手を伸ばしてる。捕まれと唇が動いた。

 ――エッフェルとキセキどっちが大事? 偽物の恋心と本物の恋心、私はどっちを取るの? そんなの、聞くまでもないよね。

「――キセキ」

 手が、気付いたら伸びていた。細くてまだ小さいくて吹けばすぐに飛んでいきそうな彼の手が、がっちりとシャウの手を掴んだ。遠くでセロが驚いたようにこっちを見ている。

 エッフェルの手を振りほどいた。エッフェルはハッとなって身を翻す。どれもこれもがスローモーションだった。

「おらぁぁぁぁぁぁ! ……あ?」

 思ったより簡単にシャウがこっちにやって来て、キセキは思わず仰け反る。そこに引っ張られたシャウが折り重なって地面にダイブ。ごはぁ!とキセキの呻き声が響く。

 一瞬の静寂の後、

「おもぐほぁぁ!」

「次言ったら叩くから」

「いやもう叩いてんだよ! いってぇなぁ! ヒーローの顔になんてことすんだ!」

「ヒーローは自分をヒーローなんて言わないの! ばか!」

「――ちぇ。つかよ、軽くて死にそうだから早くどぐほぉ!?」

 先程のと合わせてキセキの両頬にもみじの跡がついた。痛すぎる。やり返せないのがまた辛い。

「シャウ! 怪我はなかった?」

 シャウが顔を上げると、そこには笑って微笑むセロの姿があった。彼はシャウに手を差し伸べている。

 シャウはその手を取った。

「参ったなぁ。まさか僕のスキルを破られるなんてって思ったけど、うん。効果時間が切れてたんだね。そりゃこうなるわけだ」

 やれやれと首を振りながら、エッフェルがミリオネアの中から現れた。同時に拍手もしている。よく頑張りました、と言いたげだった。

「だれだよこいつ」

 キセキはエッフェルをねめつけて、さっとシャウの前に立ちはだかる。その瞬間、ほんのりとシャウの頬が朱色に染まったのだが、誰もそれには気づかない。

「それはこっちのセリフだよ。君たちは一体誰だい? シャウちゃんのなんなのかな?」

「俺はキセキ。んでこっちはセロ。シャウとは……なんつーか、あれだよ。な、セロ。ほら言ってやれ」

「友達であり、大事な仲間」

「……そ、それだよ。……んまぁ最後の方は俺は別に、あれだけど」

「なんかキセキかっこつかないね」

「うっせぇ! とにかくシャウは渡さん! 出ていけこの変態!」

 びしっとエッフェルを指差して変態呼ばわりするキセキ。はぁ、とエッフェルが溜め息をついた。

「なら仕方ない」

 誰に言うでもなくエッフェルはアイマスクに手をかけ――

「二人共目を閉じて! 目を見ちゃだめ!」

「え!?」

 シャウの声に素早く反応できたのはキセキだけだった。

セロはエッフェルの白い眼と目を合わせてしまう――彼の視界が歪む。頭がぐちゃぐちゃに掻きまわされる。

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

「はは。本能派と理性派の違いだね、これは」

 好奇心は猫を殺すという有名なことわざがある。これは九つの命を持つ猫でも、好奇心によって死んでしまうという意味だ。

 セロが持ったのもそれだった。目を瞑る、の前にどうして?が先に来て、気づけばセロはエッフェルの目を凝視していたのだ。

 ――あ、死んだ。

 エッフェルの濁りのない漂白剤のような眼を見たときそう思ったが、現実には死ななかった。それどころか傷一つ付いていない。

――だが! とても心が晴れ晴れとしている! なんて気持ちがいいんだ!

 心が澄み渡っている。川のせせらぎや小鳥のさえずり、大草原が見えてきそうだった。だからこそ、闇は一層浮き彫りになって。

 ――キセキだ。キセキが目の前にいる。

 ただそれだけのことで、川は濁流に、小鳥は鴉に、大草原は砂漠へと変貌していく。

 ざざ、とノイズがセロの頭に走った。

「ねぇキセキ、知ってる?」

 気づけばセロは喧嘩腰でキセキに話し掛けていた。何を話したいか、そんなの決まっている。

「僕は君が嫌いで、シャウが好きだ。馬鹿な君に言っておくとこの好きは結婚したいの好きね」

 それはキセキとシャウの二人にとって思わぬ言葉だったようで、二人の肩が同時にびくりと動いた。それがまたセロには気に食わなかった。

「は? セロお前こんなときに何言ってるんだ?」

「……セロ、もしかしてあやつられたの?」

 二人の心配の声が聞こえてくるが、関係ない。

「――違うよ。僕は操られていない。僕は今、本心を語ってるんだ」

「ほんしん?」

「本当の言葉だよ。自分の底にある正直な気持ちを、伝えてるんだ」

 ふと、隣を見るといつの間にかエッフェルがいた。彼はおそらくこちらを見ていた。

「セロ君……だよね? 君、面白い操られ方するんだね」

「……そうかもしれません。でも、貴方には忠誠を誓うことを約束しましょう」

「はは。小さいのに言葉の使い方がませてるね、君」

「僕は学ぶことが好きですから。でもその代わり本心を語れない。それが僕です。けれど今は違う。貴方には感謝を」

「ならシャウちゃんを捕まえるか目を無理矢理こじ開けてきて。そうすればもっと色んなことを教えてあげるよ」

「わかりました。なら――」

 ダダダダダ!と地を駆ける音が響いた瞬間、キセキとシャウは思わず身を竦めた。視界が真っ暗な状態での足音は恐怖でしかない。もしかするとセロはそれを計算に入れているのかもしれない。

 ざ、と地を踏みしめる音がキセキの目の前で響いた。続いて拳を振り抜く音――次の瞬間、キセキの頬に衝撃が走った。

「うぐッ!」

「キセキ!?」

 シャウはキセキの呻き声に反応して声を上げるも、キセキからの返答はない。それどころか、二度三度と絶えず呻き声が聞こえてくる。同時にバキッゴキッという悲痛な音も。

「あ、あぁ……あぁ……」

 シャウはパニックに陥った。こうなったのはすべて自分の所為だ。駄々をこねてまだ小さくて弱い二人に助けを求めてしまったから。だからこんなことに。

 また、地を踏みしめる音。

「目を開ければ罪悪感に囚われることは無くなりますよシャウちゃん」

 それはさながら悪魔の囁きのようだった。天使が、ここで諦めたらもう彼と会えなくなると叫ぶ。だがそれはただの自分のエゴだ。彼は関係ない。彼を巻き込んではいけない。

 独りよがりの想いなんていっそ――。

「シャウ! 絶対目、開けんじゃねぇぞ! 絶対だからな!」

「でも――キセキが!」

「大丈夫。俺は負けねぇ」

 キセキはゆっくりと目を見開いた。目の前にセロが立っている。彼は一瞬瞠目したが、すぐに不敵な笑みに変えた。

「君は馬鹿だよ、やっぱり」

 バッとセロの体が横に動いた。キセキの正面にはエッフェルが居る。これでキセキも――。

「なに余裕こいた顔してんだよ、セロ」

 キセキが動いた――その顔はセロをじっと見つめたままだ。彼はその事実にぞっとした。

 セロは羽交い絞めにして無理矢理エッフェルを見せようとしたり、急に体をぐっと縮めたりあらゆる手を尽くしてエッフェルの目を見させようとした。だが、そのすべては失敗した。

「くッ!」

 どうにもできないその事実に、セロは歯を噛みしめた。体が力む。

「お前が俺に勝てるわけねぇだろばぁか!」

 キセキの拳が飛ぶ。セロは避けられずそれを顔面にもろに食らう。けれど歯を食いしばって、鼻血が出てもそのままで、キセキに殴り掛かった。

 キセキはそれを甘んじて受けた。口が切れたのか、血が滴り顎に伝う。

 それはまるで青春の一ページのような決闘だった。思わず夕日がバックに見えてきそうだった。

「あーあ。自分たちの世界に入っちゃったよ。これだから子供は」

 それをエッフェルは冷めた目でみつめ、シャウを見た。

「ねぇ知ってるシャウちゃん? セロ君をこのまま操り続けると、彼の心が無くなっちゃうんだよ」

「え? どういう意味?」

「んーそうだな。死んでるのと一緒ってこと」

「え? でも私のときは……」

「僕のこの力は強弱をつけることができるんだ。シャウちゃんには自我を出来る限り保ってもらうために弱くしていたけど、彼は違う。彼はこのままだと、死ぬ」

「そ、そんな……どうすればいいの?」

「簡単な話だよ」

 それは悪魔の囁きでも、天使の囁きでもなかった。

「目を開けて、シャウちゃん」

 それは抗うことのできない大魔王の囁きだった。何人たりとも彼の囁きに歯向かえる者はいない。

 シャウは、その目を見開いた。

「もう、操らなくていいよね?」

「うん」

「じゃあおいで」

 エッフェルが伸ばしたその手を、シャウは取った。もう離すことはないだろう。

 シャウはエッフェルと共に行く道を選んだのだ。

 キセキは目を見開いた。二人が手を繋いで歩いているのが信じられずその場で思わず硬直した。

「振られたね、キセキ。僕と同じだ」

「うっせぇ……そこをどけぇぇぇぇぇ――!!!」

 セロを突き飛ばし、キセキは二人の元へ駆け寄ろうとする。だが、セロはそれを拒むように立ちはだかる。

「これ以上先には行かせないよ、キセキ。僕がシャウを守るんだ」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇ! おかしいだろ! あいつ、明日誕生日なんだよ! まだ、あの秘密基地だって見せてないんだ! なのに、そんなの――やだよ!」

 キセキの目から大粒の涙が溢れた。

 ――俺はただ、シャウの笑った顔が見たかっただけなのに、なんで。

「馬鹿らしい。そんなの、シャウが喜ぶわけないじゃないか。彼女はもうそんなに子供じゃないんだ」

「お前、そんなこと思ってたのかよ」

「当たり前だろ。僕は君の馬鹿な真似に付き合ったに過ぎないよ」

「お前の言葉、難しいんだよ」

「つまり、君のプレゼントはただのゴミだったんだよ」

 その瞬間、キセキの中で何かが音を立てて切れた。

「もう、お前なんか友達でもなんでもねぇ。敵だ」

「元から僕は君のこと友達なんて思ってな――」

 セロの言葉が止まった――キセキに気圧された。

 ――彼の瞳は野獣のそれだった。瞳が、妖しく光って。

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!」

 キセキの殴打がセロの鳩尾を高速で叩いた。受け身を取ることもできずセロは後方に吹っ飛ばされる。

 キセキはそれに対して見向きもせずにエッフェルとシャウの元へ走った。二人はもう大口の中に居るのか姿が見えない。

 ゴゴゴゴゴゴゴ、と音が響く。大口の閉まる音だ。

「シャウ!」

 大口の正面を陣取って、夢中になってその名前を呼んだ。向こう側に、彼女はいた。

 シャウはふと、体をくるりと反転させた。

 ――彼女は笑って言うのだ。

「待ってるから」

「必ず、迎えに来てね」

 その言葉と同時に、大口は完全に閉じた。目の前にはもう、真っ白な無機質な扉があるだけだ。

「シャウ……シャウ……なんで」

 もう、彼女の笑顔は見れないのだろうか。それを考えるだけで胸が苦しい。痛い。思わず胸を抑えてしまう。嗚咽が出る。

「く……っそがああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 キセキは地面を思い切り叩く。何度も、何度も。血が出ても止めることなく。

 ――影が差した。セロだとわかったが、もうどうでもよくなった。何もかもがもう、どうでもいい。消えてなくなれ、きれいさっぱり。跡形もなく。

 それでもきっと、彼の痛みは消えないだろうが。

「ごめん、キセキ」

 微かに、震える声でセロは言った。影が無くなる。足音が遠くなる。

 ふと、顔を上げて後ろを振り返った。

 もうそこに人影は無かった。


 アメーバは体の中にある紫色の核を破壊すると溶けて無くなる、ということをスレイドは戦いの中で学んだ。闇雲に剣を振り続けるという作業はそこで終わりを告げた。

 スレイドは少しずつアメーバの倒し方のコツを掴んできた。そのおかげでピンチになることは無くなり、人が助けにくることが無くなった。

 これは大きな一歩だと、スレイドは内心安堵していた。それと同時に、これ以上周りの人を死なせるわけにもいかないと思っていた。

 だからスレイドはひたすら奥に進んで行き、なるべく人が少ない所で戦い始めた。人が来たらある程度間隔を空けて戦う。そうすればピンチの時にそれを立て直す時間ができる。

 このときスレイドは自分の力についても学んでいた。

ピンチはスレイドがそう思う思わないに関わらず自動で判断され、自動で人が助けにやって来る。そして助けに来た人は必ず死ぬ。けれど、助けが来る前にそのピンチをスレイド自身で切り抜けた場合、その力は効果を失くす。ようは誰かが来る前にピンチを凌げば助けに来た人は死なないのだ。

だからスレイドは極力ピンチにならないようにし、ピンチになってもすぐに切り抜けるようにした。そうしたら人が死ななくなった。

スレイドは自身の成長を大いに喜び、同時に気を引き締めた。まだまだこんなのは序の口だ。三層のアメーバを倒せるようになっただけなのだから。層はまだまだ存在している。

 スレイドはなぜか焦っていた。このままではだめだと、体がうずくのだ。最早これは呪いなのかもしれないが、彼には自覚がない。

 もっと強い敵を求め、彼はずんずん奥へと進んで行く。

 その時だった。

 見上げるほど大きなアメーバが目の前に現れたのは。

「――は?」

 今まではスレイドより少し小さいか同じくらいの大きさだったのに、このアメーバは見上げるほど高く、その体は通路全体を覆っていた。逃げるには背を向けるしかない。

 体が自然と後方を向く。その瞬間、天井からぽとりと普通のアメーバが生み落とされた。その数二体。

 スレイドはこの場合どうすればいいのかわからなかった。前を倒そうとすれば後ろから攻撃されそうだったし、かと言って後ろのアメーバは大きすぎて倒せる気がしない。だからスレイドは前を向いたり後ろを向いたりと迷っていた。

 そんな時間なんてないはずなのに。

 双方のアメーバが動き出した。ゆっくりとスレイドに距離を詰める。まるで獲物を狩る狩人のような静かな動きだった。

「あ、あぁ……来るなぁ来るなぁ!」

 スレイドはどうしようもなくなって無我夢中で剣を振るう。だが、核に当たらないその攻撃は意味を成さない。無情にも剣音だけが鳴り響く。

 ――助け。だめだ。そう思ったら負けだ。今はピンチじゃない。ピンチじゃないんだ。

 心に言い聞かせ、スレイドはアメーバをねめつけた。

 ――そのとき、事は起こった。

「おおぅ!? こんなところにアメーバが二体もいる。邪魔くさいなぁ! よっと!」

 男の声がした、そう思ったときにはアメーバは二体とも溶けて消えていた。

「やや! あそこにはリザリア! つまりイレギュラーが居るぞ! あれも邪魔だなぁ! しょうがないなぁまったく!」

 アメーバが二体消えたおかげで、声の主が目視できた。

 ただのおっさんだと、言ってよかった。大した武装しているわけでもないし、歴戦の雰囲気もない。背中には緑色のリュックを背負っている。結構重そうだった。

 なのに、それなのにその身のこなしは華麗の一言だった。

 リザリアの向かうまではおぼつかない足取りなのに、アメーバを前にして一度剣を振るえばそれは華麗の一言だった。思わずスレイドは目を奪われる。

 バルムほど剣捌きは速くない。体捌きも上手くない。それなのに、その身のこなしに思わず目を奪われた。

 リザリアを倒した彼は、パッと後ろを振り返って驚いた。それが振りだというのはなんとなくスレイドにはわかった。

「やや! こんなところに少年が! 大丈夫かい、君? 怪我はないかい?」

「え、はい……あ、ありがとうございます。助――」

「助けてない! アメーバが邪魔だったんだ! 君もそうだろう?」

 ただのおっさんはウインクした。それでスレイドはすべてを察した。

「はい。気づいたら居なくなってました」

「あぁそうさ。それより少し話さないか? 君、ダンジョンの知識がないだろう」

 もしかすると、彼は今までの戦いを見てくれていたのかもしれない。でないとあんな会話はできないし、あんな助け方もできない。

 スレイドは二つ返事でそれに応じた。

「じゃあ早速だけど――」

 ただのおっさんの正面、つまりスレイドの後方にリザリアが出現した。

「またイレギュラーか。なんなんだ一体」

 彼は眉を潜めた。リザリアは滅多に出現しないレアなアメーバだ。それがこうも立て続けに――

「は?」

 アメーバの触手がいきなり伸びた。それはぐんぐん伸びて二人がいる天井に突き刺さった。

 バコン!という強烈な破砕音と共に降り注ぐ無数の瓦礫。それが二人の頭上に降り注ぐ。

 ――気づけば、おっさんはスレイドを庇っていた。

「あ――」

 スレイドは何もできなかった。胸のあたりをぐっと押されてなすすべなく後方に吹き飛ばされる。

 瓦礫が、おっさんに降り注ぐ。

 ガラガラガラガラガラガラガラ―!!!

「あ、あぁ……」

 スレイドは口に手を当てて、身を震わせた。

 また人が死んだ。どうして、どうして。

「そんなもう死んだみたいな顔すんなよ、なぁ少年」

 ただのおっさんは生きていた。だが、首から下は全て瓦礫に埋もれている。

「あはは、体が全部潰れちゃったなぁ」

 瓦礫の下から、血が湧き出てきた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 スレイドは祈るように、謝っていた。目尻から涙が溢れ始める。

 それをおっさんは愛おしそうに見つめていた。

「助けて欲しいんだ――家族を」

「え?」

「僕には家族がいる。そして子供はまだ六歳だ。この意味、わかるよね?」

「――え? そんな、嘘でしょ? ならなんでこんなところに! どうして?」

 そのとき、リザリアが動き始めた。動く度、地面が揺れる。

「放っておけなかったから、かな」

 おっさんは情けない顔をして苦笑した。

「だから少年、生きるんだ。生き続けろ。そして強くなれ――いや、強く在れ!」

「強く……あれ?」

「自分は強い、そう思い続けなさい」

「……わかった」

「なら君のやることはわかるね?」

「うん」

スレイドは後方を振り返った。そこにはもう眼前まで迫ったリザリアがいたが、不思議と怖くはなかった。むしろ彼は怒っていた。

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 勝負は一瞬だった。スレイドが跳躍し、その体のど真ん中にある紫色の核を綺麗に真っ二つに叩き斬る。リザリアは何もできずに溶けて消えていく。

「やった!」

 一発で倒したのは初めてだったので、少し興奮する。そして嬉しそうな顔でスレイドは振り返った。

 おっさんは血の海に沈み、そこに顔を埋めていた。目がまどろんでいる。

 スレイドは急いで彼に近づいた。

「ねぇ、しっかりして!」

「あぁ、すまない。なんだか急に眠くなってな」

「ねぇ、名前を教えて! 貴方の名前!」

「名前? 名前はセイン……オリジナル。ただのしがないおっさんだ」

「セイン=オリジナル……僕はスレイド。スレイド=キットだよ!」

「そうか……なぁスレイド、君に一つ伝えたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

「伝えたいこと? なに?」

 おっさん――セインはそっと上を見上げた。そこには穴が開いている――はずだったが、元通りになっていた。スレイドはその事実に瞠目した。

「生きてるんだよ、この塔は」

「塔が、生きてる? それってどういう――」

 聞こうとして、もうそれが無意味なことに気がついた。

 セインは死んでいた。安らかに、眠っていた。

「う……うぅ……強く……強くならなきゃ。強く……」

 スレイドはこの身に誓った。もう誰も死なせたりはしないと。

「強く、あれ。強くあれ。強く在れ。強く在れ!」

 彼の瞳に火が付いた瞬間だった。


            5


 この日、キセキの家族の元に二通の郵便が届いた。

 一通目は、死亡報告書。セインがダンジョンで死んだ、それを報告するものだ。

 二通目は、強制退去命令書。これが届いた者は必ず翌日までにR層へと引っ越さなければならない。そういう手紙だ。

 キセキとその母――アユミは絶望した。

 特にキセキは、精神がやつれた。

 二人はその日の内に最小限の荷物を持ってR層へと向かった。


 セロは震え上がっていた。もうあの洗脳のような呪縛から解き放たれたはずなのに、また頭がぐるぐるし始めた。

 セロの元にも二通の手紙が届いていた。

 一通目は、死亡報告書。セロの両親がダンジョンの三層で死んだ。アメーバにやられたそうだ。なんでもこの日は、アメーバによる大量の虐殺があったらしい。セロにはよくわからなかった。

 セロの心がぽきりと折れた。


 世界はそれでも変わらない日々を送っていた。


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