一教科目 進路学習
いつも、一人でいいと自分に言い聞かせていた。
一人が自分に一番合っているのだとも。
皆をバカにしているようで、心の底では羨ましかった。
僕を変えたのは、八重歯の覗く君の笑顔だった。
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出会いの季節、春。
この前まで冬だったのに、炬燵が必要だと感じなく
なり、裸足でも過ごせるようになった。
いつの間にか朝日が昇る時間が早くなり、
夕日が沈むのが遅くなった。
春休みになり、美しいウグイスの声が本格的に
響くようになってきた。
ちょっと下手糞なウグイスもたまにはいるのよ、という
母の話を思い出した。
明日、4月4日で僕が地域の図書館に通う日々も終わりになる。
朝10時から夜の7時、金曜日は6時まで。
休館日の日曜日以外、ずっとそこに居座り続けていた。
図書館ですることといえば、学習スペースでの勉強。
それだけだと気が狂いそうになるから、気晴らしの読書。
今まであまり読書はしていなかったのだが、
棚で目を引くタイトルを読むという読書法をしていった所、
自分の好きな作家も数人出来た。
国語の読解力を上げる為に読もうという学校で配られた
資料を思い出すと、ちょっとだけ読むスピードが
上がった気もしなくはない。
学習スペースでの勉強といえば、受験生らしき人以外、
余り人が見あたらなかったので、図書司書さんには
顔を覚えられたらしく、毎日偉いねと声をかけられた。
図書館以外でも、図書館では演習、添削、
家では復習と決めて頑張った。春休み直後の課題考査という
目標もあり、やる気は途切れなかった。
自分がここまで続けられるとは思わなかった。
ちょっと自分にご褒美をあげたい気分。
今まで頑張ってきたつもりだったが、
人生で受験に次ぐ頑張りをしたのはこの春休みだった。
高校一年生の夏。ギクシャクとしていたクラスの雰囲気も
少しずつ打ち解けはじめ、クラス内でのグループが
決まりつつある頃。
母親に父親と離婚すると言われた。
前々から喧嘩は絶えなかった。些細なことでも勃発する
喧嘩に、僕と弟は慣れっこになっていて、
リビングで言い争いが始まると、そそくさと自分の
部屋に入っていったのだった。
でも驚いた。
結婚して20年。
これまでずっとずるずると引っ張ってきたのだから、
惰性でこれからも関係は続くのだと思っていた。
思い立ったが吉日の母親は、もう他県に行くと決めていた。
母方の祖父母は母親が高校生の頃にはどちらとも亡くなっていた。
若い頃から苦労をしてきた母親の口癖は、
早く自立しなきゃいけないよ、だった。
荷物は母親がまとめてくれていた。
転校の手続きもしてくれていた。
他県に行く一週間前、中学2年の弟は、
同級生に手紙を書いていた。たどたどしい字だった。
前日には、お別れ会もしてくれたのだという。
はる兄は?と聞かれたけれど、
明るくて優しい弟とは違い、大人しくて一人が多い僕は
特に仲の良い友達もいなかったし、
何もしなかった。
他県といっても隣の県なので、車で4時間くらいかけていった。
乗り物酔いを比較的しない僕でも流石にきつかった。
弟は酔いやすかったのもあり、何回か休憩を挟みながらいったの
だった。
引っ越して、問題が発生した。
父親が振り込むはずの教育費が、振り込まれない。
母親に、このままだと大学に行けないかもしれないと言われた。
当時の母親はパートを引っ越してきた県でやっていた。
だが、パートである。今の僕達の生活をぎりぎり支えられる
くらいの給料の少なさだった。
教育費の件、父親に何回も訴えたらしいが、駄目だったらしい。
そういえば僕と弟は父親に何も買って貰ったことはないなあ。
買って貰ったかも知れないが、覚えていない。
お小遣いを通常の家庭に比べ、倍近い量を母親から
ふんだくっていた父親は、自分以外の人間の為に身を惜しむ
人間だった。足りない分は母親が補っていた。
実質、殆どの食費は母親が出したお金だった。
母親は本当に男を見る目がなかったのだなと思う。
大学に行けないかもしれないと言われ、ショックだった。
勉強は、嫌いじゃなかったし、前通っていた学校も
県内では進学校だった為、大学には行くものだと考えていた。
そして、僕にも、夢はあった。
大学に行かないと達成することの出来ない夢だった。
インターネットで調べて、
一定の条件を満たせば、つまり、学業が優秀であれば
返さなくても良い奨学金がこの世にはあるのだと知った。
一つ目は県内で何人かに配られる奨学金。
金額は覚えていないが相当な金額だったと思う。
二つ目は大学で上位の成績で入学すれば得られる奨学金。
一つ目が駄目だったとしても、二つ目が良かったのならば
母親に迷惑をかけなくても済む。
第一志望、第二志望どちらも満たされているのならば尚更だ。
幸い、俺は成績は悪くは無かった。
俺は決めた。絶対に自分の力で掴み取ってやる。
部屋に柄でもなく、そんな言葉を書いた紙を部屋に
貼ったのだった。
それから半年。自分なりにやってきて、
もう少しで高校2年生。課題考査の範囲にもなっている古文単語を
勉強しながら、僕は考えて、風呂に入って、寝た。