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前編『想像の余地』

 現在、我が家のパソコンがネットに繋がらない状態にあり、ここへの投稿もスマホを使っています。


 ですが使い慣れたキーボードでないと打ちにくい上に調べものでも不便なので、更新ペースがどっと落ちました。おかげでパソコンに向き合う時間も短くなり、以前よりも規則正しい生活が送れています。


 ちょうどWBCも開催中で退屈はしないのですが、時間も余っていたので久しぶりにスー◯ーファ◯コンを引っ張り出して、昔ハマったゲームをいくらかプレイしてみました。


 やはり昔やりこんだだけあって、すっかり忘れていると思っていた隠しアイテムの位置や登場人物のセリフも、遊んでいく中で自然と思い出されます。


 そして同時に思うのです。なぜ、こんな前時代の遺産(失礼)にいつまでものめり込むことができるのかと。


 グラフィックやサウンド、操作性も最新のゲームの方が圧倒的に優れているはずなのに、それらには無い魅力を感じるのか。


 このエッセイではギリギリ平成生まれの私のゲーム遍歴を含め、レトロゲームが人を惹き付ける理由を私なりに考えてまとめてみます。


 レトロゲームの魅力。あれこれと考えてみた結果、『想像の余地』と『遊戯としてのゲーム』というふたつの要因が挙げられるのではないかと結論に至りました。


 前編では『想像の余地』について書き連ねたいと思います。




 では『想像の余地』とは何か。


 当然ながらレトロゲームはグラフィックも演出もショボいです。パッケージイラストとゲーム画面のあまりの違いに、「誰やねんお前!」と突っ込んだ経験のある方も多いでしょう。


 ですが、だからといってゲーム自体を楽しめないことは無かったでしょう。


 幼い頃にブロックと人形で遊んでいるとき、本当に目の前にはプラスチックの塊しか見えていなかったでしょうか。恐らく皆さんの眼には小さいながらも街並みが、お城が、宇宙船が、映り込んでいたはずです。ごっこ遊びも同じで、私たちは何度もヒーローに変身してその度に悪のボスを倒してきました。


 ゲームをプレイしていても、画面に映り込まないものを想像できたはずです。


 表情の一切変化しない粗いドットのキャラクタが走って飛び回る。そして強敵に苦戦しながらもなんとか打ち倒したとき、プレイヤーには主人公たちの安堵と喜びが感じられたでしょう。


 フィールドマップに表示されるお城も、アニメ映画に登場するような荘厳で豪華絢爛な佇まいに見えていたはずです。


 かつてゲーム制作は容量との戦いでした。製作者は会心の出来と自負するアイデアを温め、次々とゲームに突っ込みます。


 ですが今ほどコンピューターの技術の発達していない当時は、データ量の上限も今と比べれば絶望的なまでに違いました。国産RPGの代名詞とも呼べるド◯ゴンク◯ストも「あと2キロバイト足りない」と嘆きながら、ゲーム中の全てのセリフを読み直し、2文字ずつ削る、という苦労を重ねて作り上げたそうです。


 本当はもっと色々と注ぎ込んで、より重厚な世界観を演出したかったでしょうが、どうにもならない事情により必要最低限の素材だけで勝負せねばならなかったのです。


 ですが逆にそれら限られた素材がスパイスとなり、プレイヤーの想像力を刺激して眼には映らない冒険世界を想起させたのです。


 メッセージウインドウだけの淡白なやり取りが数回繰り返されるだけでも、主人公の苦悩や悲しみ、互いの腹の探り合いは十分に感じ取れたと思います。実際にはもっと長い交渉をしていたんだろうなと想像された方もいたでしょう。


 ダウンロードコンテンツやディスク交換によって無限にゲームを引き伸ばすことが可能となった現在ではついゲーム内だけで全てを表現しがちですが、それが不可能で制限があるからこその魅力もあります。


 たとえチビのドットの集まりでも、美少女と呼ばれればその人物は美少女であり、あなたの目には最上の萌えキャラとして映り込むことでしょう。


 ゲーム原作のノベライズやコミカライズも数多く出版されましたが、特に古い作品は単にゲームのストーリーをなぞるだけでなく小説オリジナルのキャラや設定も登場し、総じて原作のゲームよりも濃厚な世界を構築していました。


 これらはいわば作家なりのゲーム世界の解釈であり、数ある想像の形態のひとつです。当時の読者もなんとなくそれを理解しており、気に入らない変更であっても「まあこんな想像もあるかな」と流していました。


 今現在、設定のガチガチに固められたゲームでこのようなことをした場合、炎上は避けられないでしょう。


 レトロゲームの攻略本が読んでいて妙にわくわくするのは、ゲームで中に明かされない設定も盛り込まれ、より大きな冒険世界を実感しプレイヤーの想像を促すからかもしれません。




 一方で想像の余地をゲーム中に残すことによって、現在も高い人気を誇るシリーズもあります。


 個人制作の東◯projectシリーズや、ソシャゲの艦◯これく◯ょん、刀◯乱舞は正にこれで、二次創作界隈での人気は他の追随を許しません。


 これらの共通点はゲーム中で多くのことが語られない、という点にあるでしょう。


 キャラクタや世界観といった素材はありますが、その経歴や人間関係について詳しく明かされることはありません。世界観も緻密なようで色々と謎だらけです。


 そういったある種穴だらけな設定だからこそ想像の余地が生まれ、同人書きの琴線に触れたのでしょう。ネットの発達した現在ではファン同士の交流も活発になり、二次創作から生まれた膨大な共通認識も蓄積されています。


 私は東◯をプレイして「あれ、これ魔◯物語(ぷよ◯よシリーズと言った方が伝わりやすいかな?)になんとなく似てるな」と思うことがあります。


 キャラデザも世界観もまったく異なる両者ですが、いずれも作中で多くのことが語られず、多くのキャラが暮らす箱庭世界を表現しています。


 かつて一般までネットの普及していない時代、魔◯物語も多くの二次創作が登場し賑わっていたそうです。そう考えれば当時のファンもどのような層が多く何に惹かれていたか、想像は容易でしょう。




 本当はもっと語りたいことはありますが(オタクらしい感想)、これ以上は冗長になりますので省きます。


 次回は後編として『遊戯としてのゲーム』について更新します。

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