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#23:ラン・ペイジ - 1

 瞼を開けると、いつの間にか見慣れた白い天井がそこにあった。

 すっかり馴染んだ、薄い夏用の布団に柔らかい枕に包まれる感触。朱色に焼けた斜光を帯びた薄暗い室内には鳥の鳴き声ぐらいしか聴こえない。

 長い夢でも見ていたのだろうか。そんな錯覚を覚えながら、シュテラはゆっくりと体を起こした。


「あいたっ!」


 額に鋭い痛みが走る。反射的に手で振れると、ざらついた包帯が巻かれていて、それほど辛くもない。きっとカサンドラが手当てしてくれたのだろう。

 胸にたまった息を吐き出すと、あの空を飛ぶ感覚や宿で出会った強盗、城下町で出会った生意気そうな少年の顔がふと目に浮かんだ。


(帰って……来たんだ)


 ここはすっかり見慣れた「我が家」だ。もう何刻だろうか。帰って来てからどれだけの時間が経ったのかもわからない。

 恐らく、飛行中に眠ってしまってそのままベッドに運ばれたのだ、とようやく気付くと、シュテラは弾かれたように起き上がった。


「そうだ、お義父様!」


 寝間着のまま着替えもせずに裸足で走る。

 エントランスを通り、階段を二段飛ばしで二階へ上がり、左奥の寝室の戸を、ノックもせずに開いた。


「お義父様!」


 しかし、サイラス夫妻の寝室には誰もいない。大きなベッドが一つだけだ。

 シュテラは何も考えず、直ぐに引き返して二階の部屋を次々開け放ったが、どこももぬけの殻だ。

 まさか、これは悪い夢を見ているのか。息を荒くしながら、今度は一階へ走る。

 エントランス正面の両扉を勢い良く開けると、そこには大勢の人がテーブルに座っていた。

 彼らは談笑していたようだが、シュテラの切羽詰まった顔を見るなり、一斉に扉の方を向いて黙った。


「…………お義父、様……?」


 テーブルの正面に──初めてこの部屋に入った時と同じ──その雄々しき姿を確認すると、胸の奥から熱いものが込み上げてきて顔いっぱいに満たした。


「シュー!」


 呼ばれると同時にシュテラは一目散に駆け出した。

 もはや誰が座っているかもわからない数々の席の横を走り抜け、唯一目に映る義父の姿だけを捉えて一直線に飛び込む。


「うおっと!」


 サイラスは立ち上がって受け止めたものの、よろけるほどの凄い力だった。

 自身が目覚めたばかりで弱っていたからなのか、シュテラの怪力がそうなったのかは定かではなかったが、元気だということを体感しただけで、サイラスは安堵した。


「お前はいつも本当に無茶をする。暴れ者(ランペイジ)とはまさしくこのことだな」


 妙なあだ名を付けられたシュテラは、口を尖らせながら恥ずかしそうに俯いた。

 しかし、それよりも今は元気な姿をしたサイラスに出会えたことが嬉しい。嬉しくて嬉しくて、涙を通り越してつい笑ってしまう。


「よほど疲れていたのだな。朝まで眠っていたとは」

「あ、朝っ!?」


 寝室から空が焼けて見えたのは朝焼けだったのだ。シュテラは慌てるあまり、陽の射す方向に気付いていなかった。


「まったく、お前の無茶ぶりにはほとほと呆れるぜ。アレだけ言ったのに聞かずに飛び出しやがって」


 いつもの朝食にはいないはずのライアットが口を挟んだ。

 シュテラが疑問に思って周囲を見渡すと、ライアットやウッドエンド家の者だけでなく、エーラやケイネスまでが同席していることに気付いた。


「快復祝いにみんなで朝食を食べようと思って。昨日はまだ本調子じゃなかったから」


 オリビアがシュテラの気持ちを汲み取って説明した。


「それに、主役のあなたがいないのにお祝いできるわけないでしょう?」

「主役?」


 何のことだろう、と首を傾げるシュテラに、サイラスは腰に差してあった短剣を鞘ごと帯から抜いた。


「散々迷ったが、やはりこれを渡そうと思ってな。……ライアット」

「おう」


 反対側の席に座っていたライアットは立ち上がり、ニヤニヤしながらサイラスの横に立った。

 彼はわざとらしくどでかい咳をすると、


「シュテラ=エスツァリカ!」


 と、いつになく厳かな口調で高らかに呼称し、呼ばれた当人は反射的に「はい!」と応え、ピンと背を伸ばした。


「此度の遠征に際し、その勇気と決断力を以て雷獣と心を交わして騎士団長サイラス=ウッドエンドを救った功績を称え、汝、シュテラ=エスツァリカを、サイラス=ウッドエンドの子従(ペイジ)として任命する!」


 そこにいる皆が、感嘆の声を洩らした。唯一マリアーナとエドワードだけは聞かされていなかったのか、驚きのあまりに声を失っている。


「えっ!? あ、あの……?」


 一番よく分かっていないのはシュテラ当人だった。難しい言葉が立て続けに唱えられたこともあり、何が起きているのかちんぷんかんぷんだ。

 ライアットは呆れた顔でシュテラを見下ろした。


「あのなあ。神聖な儀式を台無しにするなよ……。つまり、お前を、サイラスの子従(ペイジ)、つまり、従騎士の一歩手前の見習いとして遣わせるってことだ。言うなれば、ひよっ子騎士……雛騎士ってところか?」


 サイラスは苦笑混じりに微笑んだ。


「いや、騎士と呼ぶにはまだ早い。だが、その歳で実際に騎士の職場で働き、騎士への道を辿る過程に身を置けるのだ。まずは週に三日。後はマリィやエドと同様、学問に専念してもらう。……それで良いか?」


 頭の中で氷が溶けていくようにゆっくりと事態を飲み込むと、シュテラのきょとんとした顔は次第に明るくなっていき、


「……はい! お義父様!」


 ついには満面の笑みで元気よく頷いた。


「いい笑顔だ。その気持ちを忘れるなよ。……さあ、これを受け取りなさい」


 差し出された短剣を、シュテラは丁重に両手で受け取った。

 鞘を見ると、ウッドエンド家の紋──サイラス騎士団の紋様が描かれていた。シュテラはそれを、大事そうに胸に抱く。


「ありがとうございます。お義父様」

「だが、よく聴きなさい、シュテラ」


 サイラスは屈み、シュテラの目を真っ直ぐに見つめた。


「帯剣したとはいえ、むやみやたらと抜くんじゃないぞ。これは護るための道具だ。人に向けるものではない。そのことだけは忘れぬようにな」

「はい」


 シュテラはしっかりと胸に言葉を刻みこんだ。とはいえ、今のシュテラには道徳の上で当然だとしか理解出来なかったが、そもそも七歳になったばかりの少女なのだ。言葉の意味を深く知ることは出来ない。

 サイラスはそのことも周知の上で、とにかく人に向けないことだけを教えた。言葉の意味は、シュテラが大きくなれば自然に分かることだろうから。


「ところで、あの……お義父様」


 シュテラは何か言い辛そうに短剣を強く抱きしめながら、サイラスを恐る恐る見上げた。


「あの、わたし……その…………お願いがあります」

「なんだね? 言ってみなさい」


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