08 「誰かの為に」は、あなたの為に side日下部灯
3Dマッピング
学校から支給されているスマートフォンに搭載されているアプリの一つ。使用者の半径五キロ圏内を立体的に表示する。全ての建造物が立体的に表示されるため、高低差を確認しやすい。
アプリ「EPチェイサー」が自動的に展開される仕組みになっており、一度マーカーを付けると、このアプリを起動している間は五キロ圏内であれば見失うことは無い。また種高の生徒であれば、学校に登録してある生徒名簿によって能力など簡易ではあるが確認する事が出来る。
そして、自分の為に――
「真壁、古雅、稲葉、片岡の四人は『ナイチンゲール』から出場停止判断を下された」
競技終了から約十分後、本部から帰って来た十村と遠野が告げた連絡事項は静かな天幕に更なる暗雲を積らせた。
●●
灯たちが食べている昼食は、寮や校内の食堂で毎日腕を振るってくれている『食事処の女神 (命名:校長)』――唯の給食のおばさんたちが用意してくれたものだ。
「……」
普段なら騒ぎながら食事を摂る雪音も、それに便乗する双葉も、静観しながらも一緒に盛り上がる坂上も、誰もが誰も口を閉ざして静かに食事を口に運んでいた。
そんな中で、食事を素早く終えた十村と遠野は最前列へと立ち、食べながらでいいから聞いてくれ、という言葉を合図に口を開いた。
「色々と健闘した所、騎馬戦への出場だけは断念とする」
その一言に誰も反論はしなかった。残っている全員で出場しようにも、最低参加人数である二十人にはどうしても人が足りないからだ。
「問題は、この後待ってる‘物取り’だ」
「全員で出場すれば、最低出場人数の十五人は達成できる。だけど、当初予定していた作戦は使えない。それに集団対人戦に慣れてない連中が入るから、その分のフォローを経験者に頼ることになる」
「負担はバカデカい。――どうする? ここで引くのも、一つの策だ」
遠野の言葉に、全員が雪音へと視線を向ける。意見を集めて最優的な判断を下すのはクラス委員長である雪音だ。
「それと、『音の妖精』と『魔王』から言伝だ。――お前は《花園》に誓えるか? とな。……布津御、《花園》とは一体何だ? 妖精たちを操っていたのは一体誰だ?」
沈黙が場を支配する。雪音は十村の言葉が始まった時からずっと瞼を閉じていたが、《花園》と聞いた瞬間スッとその目を開け、口を開いた。
「《花園》というのは妖精たちの住処であり、彼らの心の拠り所。そして、《精霊使役》持ちが妖精たちと繋がりを得た時、誓いの証として口にする……いわば契約の印みたいなもの。もし《花園》の後に続いた言葉が嘘だったとき、妖精たちを裏切ったと見做され、今後一切《精霊使役》の特殊能力が使えなくなる」
「って事は、『音の妖精』と『魔王』は犯人じゃないか……」
「あと『妖精戦姫』もだね。彼女、妖精たちの妨害が始まってから競技終了まで一切手ぇ出さなかったし」
「そうとも限らないだろ。妖精たちへの指示に忙しくて手が出せなかったとか、自分が疑われないために態と妨害をしなかったとかさ」
「――犯人は『妖精戦姫』じゃない」
結論が出にくい討論が広がりかけたのを止めたのは、雪音の静かな声だった。
「根拠は?」
「体育祭開催一週間前くらいに、《精霊使役》持ちには妖精たちに力を借りないようにって別途通達が来てたんだ。で、『妖精戦姫』はその時ぐらいから妖精たちに注意を促してた。更に付け加えて、開会式の後、『魔王』とお互いに不正が無いようにそれぞれ《花園》へと誓いを立てたの。――アタシを立会人としてね。それに、あの生真面目が服着て歩いてるような『妖精戦姫』が、こんな狡猾な真似出来る訳無いじゃん」
「そりゃ……そうだけど、さ」
「じゃあ、アンタが言ってた「彼女」って誰よー?」
「『氷結の魔女』」
瞬間、空気が極限状態まで張り詰める。灯が息苦しいと感じてしまうのは、こんな状況下に陥る事が少なかったからだと自己判断を下す。
「あの魔女ならやりかねないな」
「で、でも! 彼女だって証拠は……」
「あの女、自分では《花園》って言ってはいなかったんだけど、それってどーなのー?」
「自らの口で《花園》と言わなければ、誓いを立てたとは言えない。双葉は知ってると思うけど、アタシは魔女に「《花園》に誓えますか?」って聞いた。で、その答えが……」
「『ええ、勿論』」
雪音と双葉の声が重なり合った。その一言は、『魔女』が犯人だという決定的証拠ではないが、限りなく黒に近い灰色を示していた。
喧騒が遠く聞こえる。それだけこの天幕内を支配している空気は重く、状況は切迫していた。そんな空気を破るように口を開いたのは、十村だった。
「とにかく! 今重要なのは「誰が」じゃなくて「どうする」か! 物取りに出場するか、否か。――雪音、決めてほしい」
「……アタシとしては――」
『ぴんぽんぱんぽーん!』
出鼻を挫くように、人の声で作られたアナウンス音が会場に響く。
『ハロハロ? みんなのアイドル、小金井トーヤ君だよー! 競技開始一時間なったから、僕と伏見君とで、今回のステージ説明に入りまーす!』
『どうも、伏見宗二郎です。お馴染みアプリ「3Dマッピング」を利用したフィールドマッピングを使用しています。今回のステージは、密林。イメージは鹿児島の屋久島です』
『み・つ・り・ん!! ジャングルの奥深くで出会う人喰いドラゴン! その水を飲んだ者に不老を授けてくれる神秘の泉! 閉鎖的雰囲気が漂う先住民たちの住処! 男慣れしていないアマゾネスだけの集落! そして、その中で執り行われる禁断の……!』
『そんなモノは一切登場しませんが、展開される木々の高さは最低でも二十メートル。中央は沼地地帯となっており、非常に足場が悪くなっています。東側には深さ三十メートル前後の泉があり、西側には草原が広がっています』
放送と共に、競技場が電子で構成された密林へと変化する。地面から瞬時に現れた木々の背丈は高く、背の低い灯にとっては首を限界まで逸らさなければならないほどだ。
得点などが映る掲示板に映像が投映される。生い茂る草木の中に綺麗な蒼を持った水面が映し出される。数秒すると映像が切り替わり、今度はアニメに出てくるような広い草原が画面に映る。
『魔力変換を使用しているため実際はそれ程の広さではありませんが、体感的には広大なフィールドに身を置いているような感覚を得られます。まさに、皆さんがかつて体験した事がある異世界での冒険そのものです』
『二・三年は理解していると思うけど、確認の為に一応言っとくね! 「3Dマッピング」で競技場全体を覆っているから、フィールドを破壊したりしても実際には壊れたりしていない。いわば、一種の結界みたいなもの。だから、いくら暴れてもだいじょーぶだよ! 本当は中央の沼地に触手系電子生物配置して、真莉亜ちゃんのあんな姿とか……!』
『その他細かい所はご自分の目でご確認ください。それでは、説明を終わります』
断絶するノイズ音と共に放送が途切れる。最後の方は思い切り私情であったため、本部と名前を出されたであろう生徒がいると思われる天幕の方から怒号が聞こえてくる。
何故か久賀が顔を両手で覆っている姿が見えるが、何も聞くなという雰囲気を背負っているため声を掛ける事はしない。
沈黙は僅かな時間だろうが、灯には既に一時間近くは経っているのではないかと錯覚させられる息苦しさがそこにはあった。
「わ、私は、棄権した方がいいと思う」
この静寂を切り裂くには勇気が要ったのだろう。胸の前で両手を組みながら震える声で言葉を発したのは、物取りで大将を任されている祭祇美桜だった。
「対戦相手はまだ発表されてないけど、こっちは全員で出なくちゃいけないんだよ? 三年生相手なら相手側にも人数制限とか掛かるからまだしも、それ以外と当ったら確実にこっちが人数で負けちゃうよ!」
「それは……」
「それに、日下部さんに無理はさせられないよ」
美桜が心配そうな目を向けて来た。美桜から発せられた言葉は不意打ちにも等しいものだったが、自ら言い出せなかった逃げ道を開いてくれた。それをきっかけにしようと音を作るが、美桜が続けた言葉に灯は口を噤ませざるを得なかった。
「日下部さんは私たちみたいに戦えないんだから、人数合わせの為に無理矢理参加させるのはよくないよ!」
言い分はもっともだ、と灯は思った。確かに自分は前衛にも、後衛にも立つには余りにもお粗末すぎる出来だ。保有魔力量も少なく、身体の作りは普通の高校で考えるならば平均的だが、種高で考えるなら生きてはいけないレベルである。
そんな自分でも出来る事といったら、身体強化魔術や【アクセラ・シューター】による援護射撃くらいだ。だが、前者はそれぞれが自前で出来るし、後者に関しては灯より強力な使い手たちが揃っている。その中で灯が力を使うとなると、あっても無くてもいいくらいでしかない。――言い方を変えれば、唯のお荷物だ。
今更ながらに降り掛かって来た事実に胸が押しつぶされそうになる。自分に突き刺さる視線に情は含まれていない。聞こえてくる溜息が、責めの吐息にしか聞こえない。
――そんな時だった。
『それでは、物取りの対戦表を発表していきます。第一戦……二年A組対一年C組』
アナウンスと共に掲示板に対戦カードが提示されていく。第一回戦では無かったことに安どのため息が漏れる。
二回戦と三回戦が発表されるが、そこに自分たちのクラスが無かった。そして――
『第四戦、一年A組対三年C組』
「……」
瞬間、天幕内が凍り付いた。ありとあらゆる場所から、殺気に等しい何かが発せられる。無理もないと思うし、灯自身もこの組み合わせには何か因縁を感じてしまった。
『以上が、物取り合戦の対戦表となります。第一戦は、三十分後に開始します。各陣営は準備をした後、五分前には入場門に集合してください』
天幕の外が騒がしくなっていく。気合を入れ直す雄叫びや、円陣を組む掛け声など様々な場所から声が上がって来る。その中で、この場所だけが静かだった。
みんなが思っている事。抱いた気持ち。言葉にしなくても、顔を視なくても、分かる。
「あの、さ……」
「ダメだよ!」
誰かが発した言葉を遮るように、悲鳴に近い声で美桜が叫んだ。
「戦えない人を無理矢理出場させるなんて、横暴にも程があるわ! 優勝は出来なくても、みんな頑張ったじゃない! 真壁さんも、久賀さんも、片岡さんも、稲葉君も、みんな棄権しても文句は言わない! これ以上、みんなが怪我を負う必要は何処にも無いんだよ!?」
「……じゃあ、無理矢理じゃなきゃいいんだね?」
「……え?」
割と、すんなり口に出来た。
全員の視線が灯に向かう。一か月前の食堂での作戦会議の時もこんな風に注視されることがあったけど、やっぱり人に注目されるって言うのは苦手だと、場違いな事を思う。
「日下部さん何言ってるの!? この競技は怪我人が出る事が当たり前なんだよ!? それに自分から出るなんて……言い方は悪くなっちゃうけど、足手纏いなんだよ!?」
「うん」
「うん、じゃない! 態々出る必要ないって言ってるの! みんなだって、日下部さんに強制したくないから言わなかっただけで、本当は出てほしくないって思ってるんだよ!?」
「ユキちゃん」
丁度、真正面から相対できる位置に居る雪音に視線を合わせる。何の感情も無く目を合わせてくる。何とも居心地が悪い。
「ユキちゃんは、私が出たいって言ったら、反対、する? 足手纏いにしかならない私が、物取りに出場したいって思うのは、みんなの敵を取りたいって思うのは、ダメ?」
美桜の配慮はとても嬉しいと思う。だが、その気持ちに甘えてはダメだと自分の中の何かが訴えた。――だって、灯は見てしまったのだ。
一葉の決意を、奈央の頑張りを、柚希の気持ちを、稲葉の執念を。
普段は全くと言っていいほど話をしない仲だが、彼らが勝利に向ける想いは並々ならない物であることぐらい理解しているし、知っている。でなければ、食堂での作戦会議の際に意見の出し合いに口を出したりなどしない。
自分よりも遥かな高みに居る人たちがあれだけ頑張っていた。灯には絶対に出来ない所業だが、場の雰囲気に流されたという名目で、彼らの意思を引き継ぎたいと思う。
灯の言葉に、天幕内の雰囲気も少しだけ明るい物へと変わった。だが、あくまで逃げの姿勢を貫く美桜は頭を勢いよく振り、灯を非難するように声を上げた。
「じゃあ! 仮に出場したとして、日下部さんはどう戦うの!?」
「それは……」
灯が言葉を続ける前に、雪音が決まってんじゃん、と明るい声を出した。
「作家が……というか、文字を武器にしてるやつの戦い方なんて、一つしかないじゃん」
「……なるほど。お前がそう言うなら、それをお披露目するって訳か」
雪音の言葉に、合点がいったという風に坂上や品木が頷く。少し考えてから、十村や遠野といった頭の回転が速い面々もそういう事かと納得の表情を浮かべる。気が付いていないのは、美桜だけだった。
「――じゃあ」
静かに立ち上がった雪音は、首を捻りながら十村を見る。
「良樹」
「分かってる。物取りに関しては棄権しない。だけど、騎馬戦は諦めてよね」
「それこそ分かってるって」
ニヤリと笑った雪音はどこまでも美しかった。
NEXT.
『ナイチンゲール』 男 属性:善
種高の保険医の一人。自分に付けられた異名について小一時間疑問をぶつけたい三十三歳。
『電脳魔術師』/小金井桃矢 男 3-A 属性:奔放
基本変人。別の異世界に二回ほど呼ばれた稀少人物。工学部に所属し、アプリ「電子呪文詠唱」を開発した張本人。久賀真莉亜の恋人であり、彼女を溺愛している。某果物のお姫様ポジション。
伏見宗二郎 男 3-B 属性:善
工学部に所属し、小金井桃矢と共に「電子呪文詠唱」の開発に携わった。またアプリ「3Dマッピング」と「EPチェイサー」は宗二郎の作品。複雑すぎる事情持ち。