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07  崩壊の足音  side:日下部灯


 それは、英雄(かれら)に課せられた宿命。


 雪音や双葉、十村などが他のクラスへと確認を取りに行っている間、灯は残っていた烏丸と木更津と一緒に障害物競走を見守っていた。

 灯が目を離した少しの間に、バトンは一葉から第二走者の坂上へと渡っていた。一葉の手にバトンが無かったことに気が抜けるようなアホの声を出してしまった灯に、バトンは坂上の手にあるよと烏丸が教えてくれた。

 視線を移動させると、第一の妨害エリアを器用に走り抜けていく坂上を見つけた。途中、坂上に物凄く楽しそうに射撃の雨を降らせている『神童』の姿は見なかったことにしたい。

 それより……と、スタート地点へ意識を戻す。


「一葉ちゃん……起き上がれないの……?」


 灯が目にした光景は、一葉が担架に載せられて運ばれていく姿だった。

 大丈夫だろうかと心配に胸が押しつぶされそうな気持でいると、その光景に一つの違和感を覚えた。


「一葉ちゃんだけじゃない……?」


 よく見れば一葉だけじゃなく、上級生も担架に乗せられて救護室へと運ばれていた。その数は少ないが、それでもこの光景は異常ではないのかと思う。

 種子田高校の生徒たちは基本的に頑丈だ。例外として灯のような凡人系も存在しているが、それでも脳を揺らされたくらいじゃ多少の休憩を取れば回復する。例え骨折でも、生徒(かれら)はお構いなしに競技を続けようとする。

 雪音から体育祭の旨を教えてもらった時、思わず「何その戦争!?」と驚きと恐怖を表した記憶がある。それは決して遠い過去では無いはずなのに、既に懐かしいと称せるくらいに脳裏からは薄れてしまっている。

 ……ふと、そんな事を思い出した。灯が一瞬意識を遠のかせている間に、状況は再び動き出していたらしい。


「あ、奈央ちゃんだ……」


 バトンはいつの間にか第三走者の古雅奈央へと渡っていた。走り終わった選手が待機している場所には涼しい顔をした坂上がおり、その視線は本部の方へと向けれられていた。


(やっぱり、心配だよね……)


 坂上の口は動いては無いかったけれど、視線だけで判断するならきっと灯が思っている事と同じだ。自意識過剰だと言われるけど、何となくそうだと灯は思っていたかった。


「日下部さん、どうかした?」

「う、ううん。なんでもないよ」


 黄昏ていたことに気が付かれたようで、烏丸が背を曲げながら灯の顔を覗き込む。心配をかけてしまうようなことは思っていなかったから否定の言葉を述べるが、どうも世辞だと取られたらしい。

 烏丸は少しだけ不服そうな表情を浮かべながら、競技場へと顔を向ける。それにつられて灯も意識を戻した。

 奈央は既に三百メートル間から四百メートル間の所まで走り切っており、妨害も第三高台に居るクラスメイトの片岡柚希が射撃処理と並行して、上手に切り抜けて行っている。

 安定したその姿に、烏丸と一緒に安堵の溜息を漏らす。決して気を抜いている訳では無いが、この調子ならと期待が膨らんでくる。

 バトンの受け渡しの場に、第四走者の稲葉勇人が上がってくる。

 坂上が頑張ったお蔭で再び首位争いに浮上する事が出来た為、奈央は現在一位の3-Bとそれを追う2-Cや2-Aなどとデットヒートを繰り広げていた。


「稲葉!」


 凛と透き通る声が灯の耳に届いた。奈央はどちらかと言えば人と積極的に関わることの無いタイプで、大きな声を出すことを苦手としていた。

 故に、競技場から離れている観客席にまで奈央が声を届かせたという事は、非常に珍しい事だった。――だが逆に言えば、それだけ必死という事だ。

 感情起伏が乏しく関わり合う事を望んでいない。灯はそんな彼女の真意を図り損ねる事が多かったが、今この時、少しだけ古雅奈央という人物の内面に触れられた気がした。

 自意識過剰と取られても過言では無い気持ちを抱きながら、あと少しでバトンが稲葉の手に渡る。――その時だった。


「……え?」


 ふわり、とエレベーターに乗ったような内臓が浮く浮遊感を灯は感じた。明らかな違和感に可笑しいと思うが、次に襲ってきた衝撃に、その疑問はすぐ頭から抜けてしまったからだ。


「く、ぁ……!」

「ちょ、なんだ……これ!?」

「……!?」


 上から押さえつけられるような衝撃。灯はこれに似た攻撃をかつて受けたことがある。それに当て嵌めるのなら――。


「こ、れ……重力、こうげ、き……?」

「らし、いな……」

「何、考えてんだ、クソ運営……!」


 重力による押し潰し。流石に殺傷能力は有していないが、内蔵を押し潰される圧迫感による生理的吐き気は、川の流れに逆らう魚の様に灯の喉を駆け上がって来る。身体を折り曲げ、胎児のように丸くなりながら口を両手で押さえ、吐き出さないようにする。

 目尻に溜まった涙のせいで霞む視界から、烏丸と木更津が重力に逆らいながら立ち上がる姿が見えた。彼らが持つ特殊能力(スキル)重力半減(じゅうりょくはんげん)》のお蔭だろう。


「範囲は……競技場(なか)、と……最前列だけみたいだ……」

「だ、がこれ、何時まで続くんだ……!」


 息を吐き出すのも億劫と言わんばかりの声。どうにかしないと、と灯は思考を巡らせる。


(……あ、)


 ――あった。

 手探りでポケットに入れていたメモ帳を取り出し捲っていく。重力緩和の文言が掛かれたメモを発見し、それを切り取り出来るだけ小さく丸める。吐き気とか、気持ち悪さだとか色々なものが身体を支配しているが、それを押し殺す。


「……!?」


 激しい違和と嘔吐感に襲われる。重力による圧迫感が更にそれを増長させ、普通ならそんなに時間を掛けずに飲み込めるそれも、多大なる吐き気に襲われながらの飲み干しとなった。


「ぎもぢわるい……」


 気分は最悪。状況も最悪。だが、それでも――。


(やらなければならない時が、女にはある!)


 と、妙な根性論を引っ張り出しながら、愛用のボールペンを取り出し、本来なら必要無い伊達眼鏡を着用する。


「日下部……?」

 今、此処に居る誰にも出来ない事。灯にしか出来ない事。木更津が声を掛けてくるが、それに応える気力は残っていない。


「……」


 目を閉じる。自分の中から雑念を出来るだけ排出し、頭をクリアな状態へと持っていく。

 ――視ろ。

 脳からの命令に極限まで目を見開き、混濁する文言を視界に捉える。情報量の多さに眩暈がするが、なんとかそれを気合で抑える。

 文言とは、魔法や魔術を構成する言葉の事だ。通常では見ることは出来ないが、特殊能力(スキル)文言破壊(もんごんはかい)》や《魔力可視(まりょくかし)》などを有している人間には、脳や意識を切り替える事でそれを視る事が出来る。灯の場合は、伊達眼鏡と一瞬の静寂が切り替え方だ。

 競技場を漂う文言の数は灯が思った以上に多く、どの文言が重力攻撃の物なのか判断が付けられない。全部一気に破壊してしまう事も可能なのだが、それをすると高台以外からの妨害として失格の烙印を押されてしまう。

 そんな事を言っている場合では無いとは思うが、まだ競技は続いているため変な言い掛かりを付けられる危険性がある。

 灯は飛び交う文言を一つずつ丁寧に脳内処理を行い、判断を付けていった。その中に、


「……! あった!」


 目に留まったのは、一つだけ明らかに魔力の配色が違うもの。普段生徒が使用する文言とは形状が違っていたため、発見が遅れてしまったのだ。頭の中に浮かんだ言い訳を片隅へと追いやり、配色の違う文言に向かってボールペンを走らせる。

 元々保有魔力が少ない灯にとって他の《文言破壊》所有者と同じような術の書き換えなどの器用な事は出来ない。精々出来る事と言ったら、文言そのものを破壊し、丸一週間はその魔法が使えないようにする事だけだ。

 雪音が残した言葉が正しいのならば、恐らくこの文言を紡いだのは妖精たちだ。妖精たちの主戦力と言えばやはり魔法で、それを破壊する事は彼らから戦う力を奪うという事に直結する。

 正直、やりたくはない。だけど、この重力に苦しみながらもバトンを繋げた奈央と稲葉を見ていると、そんな気持ちは勝利を阻害する害悪でしかないと理解する。

 心を鬼にする。ボールペンで上からなぞり、文言を構成している魔力に自らのそれを割り込みさせる。上書きが成功したらそれに二本のラインを引き、更に斜線を加える。

 完全に灯の扱い易いように文言を変えると、手で握りつぶす様に砕く。薄いガラスが割れるような音と共に、灯の手の中で文言が砕けた。

 それに応じて、競技場と観客席の最前列に影響を及ぼしていた重さが消える。


「これは……」

「日下部さんが、壊したの……?」


 選手も、烏丸たちも、酷く困惑した表情で辺りを見回す。特に灯の近くに居た烏丸と木更津は驚きの表情を浮かべながらこちらを覗き込んでくる。灯としても、その疑問に答えたいのだが……。


「……も……む、り……」


 膝から力が抜け、尻から地面に腰を据える。慌てた様子で烏丸が駆け寄ってくれるが、今はそれよりも……。


「と、トイ、レ……」


 トイレで吐きたい。その欲求だけが灯の脳内と心中を占めていた。



     ●●



「……大変ご迷惑をお掛けしました」


 恥ずかしさのあまり少し俯き気味な姿勢で烏丸に礼を述べる。

 あの後、烏丸に支えられながら女子トイレに駆け込んだ灯は、体内に収めた全てを吐き出した。英雄としてあるまじき失態を犯してしまった事が、物凄く恥ずかしい。烏丸や木更津、果ては他のクラスの子たちでさえあの程度では吐かなかったと思うと、如何に自分が弱すぎるのか再確認させられる。


「いや、あの攻撃は重力系の特殊能力(スキル)持ちじゃなきゃキツイよ。それに、重力系持ちじゃない日下部さんがあの状況で文言破壊出来ただけでもスゴイ事なんだよ?」

「『八咫烏』の言うとおりだ。正直、重力系よりも《文言破壊》の方が特殊能力(スキル)としては貴重なんだ。……俺は『魔王』以外にそれを持っている奴を知らなかったから、流石に驚いた」

「そう、なんだ……?」

「なんで《文言破壊(それ)》持ってるお前が知らないんだ……」


 そう言われても、こっちとら全員持っているものだと思っていたから……。

 という反論は胸にしまっておいた方が良さそうだと、灯は判断した。誤魔化しの意味を含めて木更津から目を外し、競技場へと意識を向ける。

 重力から解放された走者は、多少ふらつきながらもその足を前へと進めている。1-Aの第四走者である稲葉勇人も首位争いからは外れてしまったが、その目は未だ諦めていなかった。


「ただいま!」

「戻りましたわ」


 息を切らせながら天幕に戻って来たのは、『音の妖精』が属する1-Bへと聞き込みに行っていた久賀と美都の二人だ。


「お帰り……て、十村はどうした? 一緒だったろ?」

「筆頭参謀は救護室へ寄ってから、こちらに来るとのことですわ。……最悪の場合を想定したいとの事で……」

「真壁、か……」


 木更津の呟きに全員が競技場へと視線を向けた。

 灯が捉えたのは、担架に乗せられて運ばれる上級生の姿だった。先程もこんな光景を見たような気もするが、英雄や勇者と呼ばれる人達が集まる体育祭は毎回こうなのかと、思考が巡る事を止める。

 首を振り、そんな事は無いと麻痺した考えを消す。

 十村が考える最悪の場合というのは、一葉がこの後に待っている競技に出られないという事だ。また、先程の重力攻撃により奈央も運ばれることは簡単に予想出来たため、彼女の具合も確認しに行ったのだろう。

 二人が出場停止判断を下されたとなると戦力は大幅に低下してしまう為、総合優勝や学年優勝を取る事が出来なくなってしまう。

 灯自身優勝に掛けるこだわりは薄いが、雪音などあからさまに闘志を燃やしている者や、一葉や遠野、坂上のように静かに熱情を抱いている面々を見ると、微量ながらも力になりたいと思うのだ。

 考え込んでいると烏丸が帰って来たか、と天幕の入口へと視線を向けた。


「戻った」

「ただいまです!」

「たっだいまー!」


 2-Cへ行ってきた品木たちが帰って来た。残るは3-Cに行った雪音と双葉だけだ。


「あれ? シナ君、遠野君は?」

「本部によってから戻ると言っていた。大方真壁の様子と、教師達への申し入れだろう」


 参謀チームに身を置く『角割れ』遠野蓮も、十村と同じ考えを抱いたのだろう。


「これで、布津御が帰ってくれば、話が進められるな」

「あそう言えば、『音の妖精』から聞いて欲しいって頼まれたことがあった」

「聞いて欲しい事?」

「『魔王』からも同じこと言われたわ」


 烏丸、木更津と共に首を傾げた。久賀と品木がアイコンタクト無しに言葉を合わせながら言った。


「『征服王』は《花園》に誓えるのか……と」

「君の所の《精霊使役》持ちは《花園》に誓えるか……って」


 天幕内が静寂に包まれる。だが全員が思う事は一つ。


「《花園(はなぞの)》ってなに……?」


 灯も《花園》から考えられる事柄は幾つか存在するが、それが正しいという確証が無い。その答えを知っているのは、自分たちの中では恐らく雪音(かのじょ)だけだ。


「あ、稲葉がもうすぐゴールするよ!」


 全員を思考の海から引っ張り上げたのは、協議を見守っていた『玉依姫(たまよりひめ)』の異名を持つ古郡梨華と、『疾風迅雷(しっぷうじんらい)』の二つ名を持つ高坂麻耶の声だった。

 二人の言葉で競技場を見ると、既に総合一位の旗を掲げた3-Cがゴールしていた。二位、三位も上級生が占めている。稲葉は1-Cと総合四位を、学年では一位を争うように走っていた。

 だが、現実は灯の思いを優に超えてしまう。


「……っ!? 稲葉、避けろ!」


 最早気力の域で足を動かしていた稲葉は烏丸の声に条件反射で身体を動かし、迫り来る射撃を避けた。だが避けた先には――第三高台の妨害者、柚希がそこに居た。


「片岡!」


 逃げろ、と全員が口々に叫ぶ。だが、柚希は自らの視界に稲葉を捉えたまま、身体の向きを変えたりはしなかった。

 次の周が残っているのなら、順位を落としてしまっても次で取り返す事が出来る。だが、最終走者である稲葉にバトンがもう渡っている。

 後は無い。挽回など出来ない。

 稲葉がボロボロの状態になってまででも頑張る理由。それは唯一つ。灯も知っているもの。その気持ちに柚希も応えたいのだと、彼女の表情が語っていた。


「……」


 灯は柚希の口が小さく動くのを捉えた。

 何を言っているのかは――分からなかった。






NEXT

『音の妖精』  男  1-B  武器:指揮棒  属性:中立

音記号や略語など、音楽に関する様々な物を武器として扱う英雄。妖精の異名を冠しているが実際は妖精を使役する事は出来ず、彼の奏でる音楽に魅せられて妖精たちが自主的に協力しているだけ。

音に色を見出す「共感覚」の持ち主。それを利用し、文言を自在に組み替える事が出来る特殊能力《文言操作》を持つ唯一人の生徒。



『魔王』  男  2-C  武器:魔剣  属性:善

種子田高校の頂点に君臨する魔王系勇者。魔王のように恐ろしい事から『魔王』の異名を付けられたと噂されているが、真偽は不明。今年の英雄ランキングでは三年生を抑えて一位を獲得し、その実力は『人外』『最強』と呼ばれている種子田高校校長:進藤義孝に迫ると言われている。

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