04 神殺し side:品木来栖
品木来栖は、日下部灯を評価している。
品木と日常的に行動を共にしている坂上・雪音・双葉・灯の四人は、部活動には参加していない。それ故に、放課後校外に繰り出せる時間が多く、五人でいろんな場所へと繰り出すのが品木の楽しみの一つだ。
「ひゃっはー! これで学食のデザートは貰ったぁ!」
「なーに、言ってんのー。スコア僅差じゃーん。逆転なんて、何時でもできるしー」
今、五人がいるのは種子田高校の近くにある大型ショッピングモールのゲームセンターの中だ。プレイしているゲームはシューティング。対決しているのは雪音と双葉。スコアは僅かな差で雪音のリードだ。坂上は二人の近くに置いてある格闘ゲームで対戦しているし、灯は両方へと視線を行ったり来たりさせている。
――実に学生らしい放課後といえよう。
品木がそう思っていると、灯の近くに一人の男子生徒が近づいて行くのが見えた。
何処となく気だるげで、ラフに着崩した制服。ポケットに手を突っ込み、その手首にはコンビニのビニール袋が下げられている。顔立ちは、双葉に似ているが性別が違う。
「あ、キリくん」
「おいー」
言葉の切り方が少しおかしく、こちらのやる気を削がれるイントネーション。双葉の双子の兄――本多霧葉だ。
ビニール袋の中からマーブルと書かれた小さな筒を取り出すと、それを灯に向けて差し出した。灯が両手で皿を作ると、きゅぽんという音を立てて筒の蓋を外し、その手の中に色とりどりのマーブルを落としていった。
それが友好の証だという事に気が付いたのは、品木が霧葉から直接お菓子を受け取ってからのことだった。たまたま霧葉からポッキーを受け取った時、一緒に居た灯と双葉が珍しいものを見たと笑った。何の事か分からなかったが、灯が後からこっそり教えてくれた。
――霧葉は、自分がいいなと思った人にしかお菓子を分け与えないのだと。
そこから先は、非常に速いスピードで霧葉と仲良くなっていったなと、品木は少しだけ遠い過去を振り返る。ふと二人の方を見ると、灯の手に乗ったマーブルをチビチビと食べながら談笑をしているようだった。
「へいほーぎゃっくてーん! 大雑把なユッキーがアタシに勝とーなんて、四十五年早いんだよー」
「ぬぐぅ……! ま、まだだよ! 最終ステージ残ってるし、ボーナス確定させてもっかい逆転しちゃる!」
「あ、負けた」
耳後ろと左側から聞こえてくる話し声を他所に、目に映る光景は何処となくマイナスイオンが発生されているのではないかとあり得ない事を思った。それほど自分は疲れているのだろうかと品木が己の脳内を疑っていると、二人の後ろから一つの人影が近づいてくるのが見えた。
「やあ、久しぶり。元気かね?」
「あ、橘先輩」
派手な音楽に遮られてしまい、辛うじて聞こえたのがその挨拶だけだった。人は疎らだが、ゲーム機が邪魔となってその姿までは見えない。だが、聞こえてきた灯の声からその人物が誰であるかは判別出来る。
灯と仲が良い一つ上の学年の男の先輩で、『悪性』という大変不名誉な通り名を持つ。異名の文字通り人を煽り、悪意で頭を満たして冷静さを欠かせる事に関しては天才といっても過言では無い。それ故人に嫌われることもあるが、それを己の個性として受け入れているように見える。
灯などが言うには違うらしいが、橘と仲が良いとは決して言えない品木にとっては少しだけ理解が及ばない。
そんな決して人受けの良い訳では無い彼と灯が話す所を目撃してしまった以上、自らが持ち得る心配性が発動しあの場に足が向きそうになるが、霧葉も居る事だし大事にはならないと自分を納得させる。
だが、と品木は『悪性』の事を少しだけ考える。
あの人は自分が人に嫌われやすい事を自覚し、それ故に人様に迷惑をかける事を嫌っているらしい。らしいというのは、この情報が灯とかから聞いたからであり品木自身確証が持てないからだ。
それ故に、郊外で接触を持ちかけてくるというのは極めて稀だ。校内であっても、悪評を気にして人前では声を掛けてこないと聞いている。
(あの『悪性』が、一体何の用だ……?)
態々こんな所まで。しかも、見た感じでは探してきたように感じる。品木は逸る気持ちを抑えるので精一杯だった。
●●
種子田高校の夕食は、午後十九時から二十時の間だ。学校指定の門限は二十一時であるが、基本的にはみんな夕食時には帰ってくる。品木たちも例に紛れず食事にありつき、時刻は二十時半を回った頃だ。
人気が無くなった食堂は静かで、上の階から響いてくる足音だけが自分たち以外の人がいる事を示していた。食堂に設置されているポットなどを拝借し、それぞれが持ってきたマグカップに飲み物が注がれる。
坂上が持ってきたオレンジジュースを飲みながら、灯があのね、と口を開いた。
「今日ゲーセンで橘先輩と会ったんだけど……」
「橘センパイってー、あの人ー?」
双葉ののんびりとした声に、灯は頷きだけで返す。雪音は坂上・久賀と一緒に携帯ゲーム機で遊んでいるし、その近くでは参謀チームが一つのノートに書き込みをしながら体育祭の作戦会議に望んでいる。
「そうそうあの人。なんかね、何時にも増して妙なこと言われてさ」
「あの人、いーつも変じゃーん」
「ぅ……ま、ぁ、そうなんだけど……」
マグカップの縁を噛みつつ、灯は言葉を繋げる。
「話の中で体育祭のこと出したらさ、なんだっけ……『ああ、その事か。最初に言っておく、お前たちは絶対にその手に勝利を掴むことは出来ない。何故なら、お前たちは花園を知らないからだ。花園に辿り着く前に、永久凍土の上で野垂死ぬのが関の山だ。神の英知の前に阻まれ、無様な姿を世に晒す事だろう。まぁ、例えそうなったとしても……』的な感じのこと言われた」
「相変わらず発症してるんだねー。てか、よくそんな長ったるいセリフ覚えてられたねー」
「うーん、と。要点だけ抜き出した、みたいな?」
「てことは、本当はもっと長かったって事? うっわメンドー」
「お前と本多兄は、良くそれに付き合っていられるな……」
あまりの発症具合に、品木は思わず言葉を漏らす。品木から見て右斜めの対岸に座っていた双葉は、キリくんも居たんかーい! と気だるい声で驚きを表した。
あの時ゲームセンターで話していたことはこれか、と品木が少しだけ遠い目をしていると、ガシャンという金属音が近くで聞こえてきた。三人が持っているのは割れやすい金属製だが、ちゃんと手にしているので自分たちじゃない。
――ならば、誰が……?
三人が音のした方へ視線を向けると、肩を震わせずにはいられない光景が広がっていた。
瞳孔を完全に開き、ゲーム機片手にこちらを見ている雪音のグループ。金勘定の傍ら聞き耳を立てていた木更津も、一人で居たはずの古雅も、爪のコーティングに勤しんでいた三峰も、お菓子を貪っていた高坂も、全員が三人の方を向いていた。
「……あれ? あ、れ? みんな、どしたの?」
「どしたのー?」
「お前らどうした。鳩が豆食ってポーしたみたいな顔して」
「鳩が豆鉄砲を食ったよう、じゃないんか?」
「直接口の中に放り込まれてボケーっとしてる感じだったから」
「豆、落ちない?」
「落とさないんじゃね?」
「……灯ちゃん」
「はぃ!?」
それは、地を這う蛇が出したような声。極限まで感情を殺したとも言えるその声に、灯は思いっきり肩を震わせる。決して自分に向けられた訳じゃないのに、品木も双葉も小さくその身を揺らす。
百足を思わせる機械的且つ間接的な動きで迫って来た参謀格筆頭十村良樹は、灯の両肩を力強く掴んだ。掴まれた灯は涙目だ。
「あ、あの! 十村くん、私、なにか、した?」
「うん。別に灯ちゃんが何かしたわけじゃないんだ。気にしないで」
「じゃ、じゃ、どうして肩掴んでるの?」
「灯ちゃんさ、さっきなんて言った……?」
「へ? さっき? 要点だけ抜き出した?」
「その前!」
灯に向けられる目は真剣そのもの。それから逃げるために視線をそらすと、十村と同じ目をした雪音とか、坂上と目が合う。
逃げ場が無いと悟った灯は、半ばやけくそ気味に口を開いた。
「橘先輩に『ああ、その事か。最初に言っておく、お前たちは絶対にその手に勝利を掴むことは出来ない。何故なら、お前たちは花園を知らないからだ。花園に辿り着く前に、永久凍土の上で野垂死ぬのが関の山だ。神の英知の前に阻まれ、無様な姿を世に晒す事だろう。まぁ、例えそうなったとしても……』的な事言われてポカーンとしてましたゴメンナサイ!」
「それだぁ!!」
瞬間、食堂内が一気に湧き上がる。十村は灯の二の腕をバシンッ! と一回強く叩き、再び元の席へと戻っていく。それに着いて行けないのは品木と双葉、灯の三人だ。
「なにが「それだ!」なんだ?」
「あ、こいつら分かってねぇわ」
「『悪性』の言葉って、分かり辛いからなぁ」
「というより、私としてはなんで灯ちゃんが分かってないのか凄く不思議なんだけど」
「同感」
頭に疑問詞を飛ばし続けている三人に、あのね、と枕詞を付けて雪音と十村が説明しだした。
「『悪性』が言う花園・永久凍土・神の英知って、ある人たちの暗喩なの」
「花園が妖精。永久凍土が氷結。神の英知は……結構そういう事言われてる人多いけど、前の二つと関連付けるなら、策士が妥当な線」
「で、そこから更に連想してみる。妖精の異名持ちは『妖精戦姫』『妖精女王』『音の妖精』だけで、氷結と名の付く異名持ちは唯一人『氷結の魔女』なの。策士系統はもう絞り切れないけど、前の二つと関連付けるなら3-Cの『策士』って事になる」
「今年は『氷結の魔女』『策士』が同じクラス。その二人と同じクラスで妖精の異名持ちは唯一人『妖精戦姫』だけ」
「つまり――俺たちが対戦する競技のどれかに、3-Cがいるって事だ」
スラスラと説明される事柄に、目を丸くする灯と双葉。そんな二人を尻目に、品木は思考を巡らせる。理屈・推測・法則性は間違っていないし、矛盾らしいものは今のところ見えない。
だが……。
「『悪性』の謀略とは考えられないのか?」
この体育祭は、打撲・擦り傷・打ち身が当たり前の戦争に近い行事だ。いかに戦略を練り、損害を少なくして次の競技に望めるか。それ故に、策士系統たちの戦争はもう始まっており、今食堂に集まっているのもそのためだ。
品木の言葉に頷きを返したのは十村。それと並行してコイツ馬っ鹿だーと人をおちょくる目を向けてきたのは雪音だ。ああ確かに、と品木に同調してくれたのは久賀と三峰。灯と双葉に関しては未だに疑問詞を頭に乗っけているままなので、放っておく。
「まあ、流石に全部を鵜呑みにしてる訳じゃない。第一、どの競技でぶつかるとかも聞いてないから、謀略とも見える。だけど――」
「あの『悪性』が。校外で態々。しかも灯に。これだけで信頼性六十は固いよ」
「そうなの?」
灯の頭に更に疑問詞が増えたような気がする。
おいこら作家。お前の作品には伏線というものが無いのかと思うが、その疑問を口に出したのは品木では無かった。
「アンタ、伏線とかオブラートとか、生八つ橋って知ってる?」
「し、知ってますぅ! 小説とかに使ってますぅ! 食べたこともありますぅ! ただ、現実でそんなことされると思わないじゃん!」
「現実は、そうゆうのありまくりだけどなー」
完全なブーメラン。自分の言葉が二倍ダメージとなり灯が打ちひしがれていると、一人悠々とお茶を飲み続けていた少女――真壁一葉が、ぽつりと声を漏らした。
「『悪性』が後輩を気に掛けることは、決して無い」
波の無い湖畔を思わせる静かな呟き。一葉が漏らした言葉に疑念を持っているのは灯だけで、品木を始めとする彼女以外の面々は彼女の言葉に頷いていた。
「灯はさ、中学の時に、橘先輩に助けられたんでしょ?」
「うん」
「アタシたちからしたら、それだけで驚愕物なの」
「ああいった人達が人助けする理由は大きく分けて二つ。一つ目は、その人物に恩を売っておきたいから。二つ、何かの謀略の布石だから。もっと細かく分けるとキリが無いけど……灯ちゃんみたいに無条件かつ無益で助けられた人なんていないんだよ」
灯は十村の言葉に、そうなのかなぁと沈んだ声を漏らす。灯からしてみれば、橘はちょっと厨二病を発症しているだけの優しい先輩としか見えないだろう。だが、品木からしてみれば『悪性』が人助けをしたという事実が未だに信じられないのだ。
人の不幸は蜜の味を地で貫く『悪性』が、損益を考えずに人助け。たった一回だけでも驚きの事実なのに、それが幾らか続いているという事もまた品木にとっては信じがたいものでしかない。
だけど、灯が気落ちする理由も品木を始めとする全員が理解している。四月から二か月がたった今、灯が言っていた『悪性』の優しい部分を品木は片手で数えられる回数だけだが、垣間見る事が出来た。
何故なら――そこには確かに、痛いものを発症させながらも、自分の不器用さに苛立ちながらも、灯を気にかけている『悪性』が居たのだから。思わず突っ込みや冗談で笑い話にしてしまいたいと思った品木だったが、それはどうしてか憚られた。
理由としては、簡単だ。――単に、灯の中にある「ちょっと気難しいけど優しい先輩」のカテゴリに位置付けされている『悪性』の印象を壊したくなかったからだ。それは他のクラスメイトも同じだったようで、現にこの時まで灯は『悪性』のもう一つの面を知らなかった。
雰囲気は暗雲が上に圧し掛かったように暗くなる。誰も、口を開くことが億劫と思っているようだった。そんな空気の中、一際気の抜けた声を出した人物がいた。――双葉だ。
「色々とあるけどさ、信じていいんじゃないのー?」
楽観的思考ともいえるその言葉。一部腑に落ちない面々を除き、双葉が発したその一言は、自分たちの上にある暗雲を晴らして太陽を呼び戻してくれた風のようだと品木は思った。
双葉の言葉に雪音たちは顔を見合わせる。
「ま、結論はそこに落ち着くわな」
静寂の中、意を決して口を開いたのは十村だった。それに続いて、雪音や坂上、久賀も言葉を漏らしていく。
「問題は、これが百パーになるには何が足りないかってのと、どの競技だってことでしょ」
「騎馬戦だったら最悪」
「物取りとかでも死ねる」
双葉の言葉をきっかけに食堂の雰囲気は元の明るさを取り戻し、喧騒は更なる活気を連れ込んでくる。参謀チームの作戦会議はさらに熱が入り、雪音や坂上、果ては一葉までもが積極的に意見を言い合っている。大まかな作戦しか立てられなかったが、明確な敵が見えてきたことでそれぞれが持ち得る情報を提供し、戦略の幅を広げているのだ。
これだから、と品木は未だ状況をうまく呑み込めていない灯を見る。決して状況を有利にした訳では無い。寧ろ事態をより深い暗雲へと突き落としたようにも見える。実際に、一つの敵が分かったとしてもそこから派生して更なる課題が追加されてしまったのだ。
現に参謀チームにとっては問題を後出しされ、労力も増えた。だけど、結果としては正体不明の敵の姿を一つ暴き、それに対して有効な対策を立てられた。これは、賞賛に値する成果だ。
自覚が薄いながらも、それを容易にやってのける。こんな事が出来るのは唯一人、灯だけだ。だからこそ、品木来栖は日下部灯を心から尊敬している。
NEXT
『悪性』/橘 勇馬 男 2-A 武器:レイピア 属性:悪 位置:後方
灯の先輩。元は心根の優しい人物だったが、召喚された世界を救うために自らの在り方を変えざるを得なかった。厨二的な言い回しが多く距離を置かれがちだが、後になって後悔するタイプ。
種中出身で、灯の入学式に彼女を助けた事で交流を持つようになった。
策士系統の一人で、ハッタリやだまし討ちといった戦略が得意。