番外編01・ベートーヴェンとクリームパスタ その3
※前話か長すぎたため分割しました。
二人とも完食して、食器もすべて片付け終わって、私達は二人で緑茶を飲んでいた。
私達は隣どうしに座って、お茶うけのおかきをつまんだり、テレビをぼーっと見たりして時間を浪費していたのだ。
お昼休みの屋上の風景が自室で再現されていると思うと、なんだかこの状況を気に入ってしまった。
しかしそうやってまったりしていると、突然飛鳥が口を開いた。
「ねぇ、今日はありがとね」
飛鳥らしくない、か細い声。
その声で、この緩やかでぬるま湯のような雰囲気が書き換えられるということを私は直感した。してしまった。
「ん?」
「呼んでくれて」
「ああ。いいのよ別に気にしなくても」
「そんな訳にはいかないよ」
飛鳥は柔らかく微笑んだ。
けれども彼女の瞳は寂しそうに私を映していた。
彼女の瞳の中の私はいったいどんな顔をしているのだろうか。
瞳の中の私は小さすぎて、よく見えなかった。
「あのね、私寮で一人暮らししていんだけど」
「うん」
「一人暮らしを始めたのって家族と上手くいってないからなんだ」
「────うん」
「私の家族ってね、血が繋がってないんだ」
「────」
「2年前に本当の両親が二人とも事故で死んじゃってね。私は二人とも本当に大好きだったからとっても辛かったんだけど、親戚のおじさんとおばさんが引き取ってくれたの。二人ともとってもいい人だったんだけど、やっぱり重ねちゃうんだ、お父さんとお母さんに」
飛鳥は私から目を反らしてテレビに視線を向ける。
私もつられてテレビを見る。
液晶画面には最近人気急上昇中の若手アイドルグループのお手本のような笑顔と、ごてごてとしたテロップが踊っていた。
「お父さんならこうしてくれた、お母さんなら、みたいにおじさんもおばさんも本当によくしてくたのに、それでも両親を重ねちゃうのが申し訳なくて。私はそんな自分が許せなかったんだ」
「そう──」
とくにこれといって波乱万丈チックな出来事が何一つなかった17年間をのうのうと生きてきた私。
そんな私が飛鳥の抱える闇に対して何か言えることなんて何一つあるはずもなく、私はただ間抜けに相槌を打つことしか出来なかった。
「だから家を離れようとしたんだ。そうしたらお父さんのこともお母さんのことも忘れられて、またおじさん達に会った時は誰とも重ねずにおじさん達を見れるって思ったの。それが私を拾ってくれたおじさん達への恩返しだと思ってるんだ。だから無理をいって遠い青嵐学園を受験して寮に入ったの」
「そうだったんだ」
「うん。でも読み外れちゃったんだ。一人でいればね、重ねる人がいなくなるから両親のことを少しは忘れられると思ったんだ」
飛鳥はテレビから目を離して、私の瞳に向かって視線を戻した。
こんどもやっぱり飛鳥の中の自分を見ることは出来なかった。
「でも一人で暮らしてたとしても両親のことを忘れられる訳がなかった。寂しいのが膨らむだけだったし、学校でも独りだし」
「飛鳥────」
飛鳥はおじさん達への義理を果すために遠い青嵐に来たのに、両親のことを忘れられないばかりか、さらに寂しさを募らせていたのだ。
私は飛鳥がそんな状況にいたなんて想像すらしてなかった。
「だから、今日茉莉華に優しくして貰えてすごく嬉しかったんだ」
飛鳥の瞳はみるみるうちに涙で覆われていった。
辛うじて確認できた瞳の中の私の輪郭が、涙の波で見えなくなってしまった。
「だから、私、私っ──」
飛鳥はとうとう泣き出してしまった。
「────」
正直私はこんな状況についていけてなかった。
何故か元気を無くした飛鳥を元気付けようと家に上げて手料理を振る舞ったら泣かれたのだ。
「茉莉華ぁっ」
「飛鳥!?」
自分の感情の奔流を制御出来なかったのだろうか。
神様でもエスパーでもない私はそんなの検討もつかないけれど、ともかくつ飛鳥は私に抱きついた。
「っ!?」
私は溢れる飛鳥の匂いを全身に浴びた。
かすかに柑橘系の匂いがするのは、彼女の使ってるシャンプーの匂いだろうか。
彼女の胸が押し当てられる。
その柔らかな感触に私の心拍数は跳ね上がった。
飛鳥って着痩せしてるんだ──なんて場違いな感想を抱く。
まったく、私はどうしたらいいのだろう?
「──うぐっ。えぐっ」
飛鳥はいまだに泣きじゃくっている。
私はそんな飛鳥を見て、胸が締め付けられるような思いをした。
いつも凛としてる彼女がこんなにも悲しそうに泣いている。
涙が彼女の頬を伝わり、私を濡らした。
「──えいっ」
私も思いきって飛鳥を抱き締めた。
とりあえずまずは落ち着かせようと思ったからだ。
飛鳥の匂いが濃くなって少し怯んでしまう
でも、そんものはかまわない。
「────よしよし」
私が昔母親にしてもらったように飛鳥の髪を鋤く。
彼女の髪はシルクのようで、私の指に心地よく絡みつく。
飛鳥は私の突然の行動に驚いたのか、一瞬体を強張らせたが、すぐに私をもっと強く抱き締めた。
────トクン、トクン。
飛鳥の鼓動が伝わってくる。
もしかしたら私の鼓動も飛鳥に伝わってるのかもしれない。
そう考えたら何故か急に恥ずかしくなった。
私と、彼女の鼓動が合わさる。
鼓動と一緒に彼女の体温も感じた。
────やっぱり生きているんだな。
私は当たり前なことを感じた。
でも、人が他人の生を確認できる時なんて、こうやって抱き合わない限りなかなか無い気がする。
鼓動も、体温も、彼女が血の通った人間であることを証明していた。
✠ ✣ ✤ ✥ ✠ ✣ ✤ ✥
そうしてしばらく抱き合っていると、飛鳥の嗚咽が聞こえなくなった。
どうしたのだろう、落ち着いたのだろうか──と飛鳥から身体を少し離して顔を見てみる。
「──寝てるし」
飛鳥は安らかな顔をして寝息をたてていた。
さっきまであんなに取り乱していたのが嘘みたいだ。
規則正しい呼吸音が静かに響く。
「泣きつかれて眠るってまるで子供ね」
まったく、世話のかかる大きな子供だ──。
このままずっと飛鳥をこうして抱きしめ続ける訳にもいかない。
私はベットまで運ぶべく、彼女を担いだ。
「軽っ」
見た目からは想像できないほどの体重だった。
やっぱりまともなモノを食べてないんだな────私は何故か少し切なくなった。
「よいしょっと」
私は飛鳥を起こさないように、そっとベットに下ろした。
ベットの軋む音が僅かに響く。
シーツに皺がよる。
一瞬、飛鳥が身動ぎするが、すぐにまた安らかな表情に戻った。
私は飛鳥を起こさなかったことを確認して一息ついていると────。
「しまった」
ベットに寝かせてから気づいた。
飛鳥は制服を着たままなのだ。
このままだと制服に皺が入ってしまう。
「ふ、不可抗力だよね」
私は心のなかで飛鳥に謝りながら、セーターを脱がせた後、ブラウスに手をかけボタンを一つづつ外していく。
「────黒かよ」
ブラウスの下から現れたのは大胆な黒いブラだった。
私の顔が赤く染まっていくのをどうしようもなく自覚した。
同性でも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ、他人の下着姿──それも飛鳥のをこんな近くで見るのは。
私は飛鳥の思わぬ大人っぽい一面を見てしまい、思わず頭を抱えた。
「ええいっ」
しかしいつまでも頭を抱えている訳にはいかない。
私は意を決した。
私は次の目標──スカートに手をかける。
激しく躊躇したが、振り払う。
無理矢理腕を動かしてホックを外してスカートをずらす。
「もうやだ────」
現れたのはこれまた大胆な黒いショーツだった。
私は気まずい思いを押さえつけながら、なんとかスカートを脱がすことに成功した。
次いでに紺の靴下も脱がす。
「これで、全部」
一気に疲労感が私を襲った。
私は床に座り込む。
飛鳥が来ているのはもう下着だけだ。
そう、下着だけ────。
「────っ」
私は飛鳥の下着姿を見て思わず生唾を飲み込んだ。
彼女の白いシルクのような美しい柔肌があらわになっている。
それに服を着ていない分、彼女のすらっとしたスタイルが如実になってしまっているのだ。
同性の私でも思わず見とれてしまう美しさだった。
私はしばらく飛鳥に見魅っていた。
飛鳥は相変わらずすやすやと寝息を立てたままだ。
「ほんと、子供みたい」
いつもは謎めいてとらえどころのない飛鳥だけど、この寝顔は純粋で無邪気だった。
寝れば皆天使──どこかの漫画でそんな台詞を読んだことがあったけど、まったくその通りだ。
私はそんなことを思いながら、飛鳥が風邪をひかないように布団をかけた。
もう夜も遅いし私も寝よう、と思ったのだが────。
「寝るとこないじゃん」
あいにく私の部屋にお泊まりにくるような友人はいないので、予備の寝具はない。
それに寝冷えする心配のない夏ならともかく、まさか床に雑魚寝することなんてもってのほかだ。
「ふ、不可抗力だよね────」
パジャマに着替え終わった私は恐る恐る飛鳥の眠るベットに入る。
「お、お邪魔します」
お邪魔しますもなにも元々私のベットじゃないか、とは言ってから気づいた。
まったく、どれだけ動転してるんだ私は。
ベットに完全に潜ってしばらくは、緊張してまったくねむくならなかった。
なんていったって、飛鳥がすぐ近くにいるのだ。
しかも飛鳥の寝息が私にかかるくらい。
これで緊張するなというほうがどうかしてる。
しかしだんだん慣れて落ち着いてくると、今度はまたまた猛烈な疲労感に見舞われた。
いっぽう飛鳥はすやすやと寝息を立てたままだ。
「まったく、人の苦労も知らずに」
私はちょっと魔がさして飛鳥の頬を摘まむ。
むにっとした感触が心地よかった。
すこしスカッとした。
「でも────」
こんな可愛らしい寝顔を見れただけでも収穫か。
私はそんなことを飛鳥の天使のような寝顔を見ながら感じた。
規則正しい寝息が、静かな、静かなこの狭い部屋に柔らかく広がる。
それに合わせてベットが小さく軋む。
それがたまらなく心地よかった。
そうこうしているしているうちに、とうとう私も睡魔の腕のなかに堕ちてしまった────。
今思えば。
もうこの時から私は飛鳥にそうとう参ってしまったのかも知れない。