第四話 脱・社会不適合者の偉大なる第一歩
わたしは歴史研究同好会に所属している。
──歴史研究同好会。
歴史研究同好会とは名ばかりで、その実体はただの歴史オタクどもが語り合うお茶のみグラブだ。
年に一度の文化祭の時だけは、真面目に活動するのだけれど。
って言っても、各自の好きな時代なり人物なり出来事なりを壁新聞に纏めるだけのちゃちなものだけど。
そしてわたしはその歴史研究同好会の部室にいた。
もっとも、部室と言っても空き教室を使ってるだけだが。
しかもこの空き教室。
この教室がとんでもなくボロいのだ。
壁の塗装はとうに剥げているし、歩けばみしみしと床が悲鳴をあげる。
もし勢いよくジャンプでもしようものなら、床が抜けてしまうんじゃないか。
というのも、この部室のある南館は青嵐学院で一番古い校舎で、生徒たちの間で南館ら戦前れに建てられたのだ、なんて囁かれている。
ほんと、耐震とか大丈夫なのだろうか。
ちなみに南館は木造建築だ。
わたしが部室の古さを見て物思いに耽っているうちに、毬乃が紅茶を用意してくれていた。
「智花?紅茶に砂糖かミルクは入れる?」
毬乃は白薔薇のような微笑を向ける。
繊細な彫刻のような横顔が4時のすこし傾いた陽光に照らされる。
もう写真にして部屋に飾りたいほど絵になる光景だ。
──ちなみに。
なぜただの空き教室で紅茶を淹れれるのかというと、それは簡単、カセットコンロを持ち込んでいるからだ。
何故かは判らないけど、部室にカセットコンロを持ち込むことは認められている。
ちょっとこの青嵐学院は生徒に甘すぎやしないかと時々思う。
もし火事になったら、この木造建築の南館の被害は大きいだろう。
──閑話休題。
「うーん、両方お願い」
わたしはストレートが苦手なのだ。
あの舌にこびりつくような渋さがどうにも好きになれない。
よくそれで飛鳥先輩から子供だとからかわれるけど。
飛鳥先輩だってコーヒーをブラックで飲めないんだから五十歩百歩だと思うんだけどな。
「巴は?」
毬乃はまたまた白薔薇のような微笑を振り撒く。
気のせいか薔薇の薫りまでしてきた。
「私はストレートで大丈夫よ」
巴と呼ばれた少女──越前巴は私の幼なじみだ。
幼稚園からこの青蘭学院までずっと同じ学校で、示し会わせたわけではないのに何故か同じ同好会に入ってしまった。
腐れ縁とはこのだろう。
「智──」
それにしても今日は暑い。
が、衣替えにはまだ早い。
しばらくこんな中途半端に暑い日が続くのだろう。
そう考えたら、少し気分が重くなってきた。
「──花。智花!!」
巴がわたしの耳元で叫んだ。
「ひゃっ」
思わず変な声が出た。
耳がきーんとする。
その衝撃にびっくりしてしまって、心臓がバクバクと激しく動いている。
「ちょっと、なによびっくりしたじゃない」
さりげなく声に非難の色を混ぜて見た。
全く、人の耳元でこんなに大音量で叫ぶなんて非常識だ。
いけない、視界までくらくらとしていた。
被害は甚大だ。
「『びっくりしたじゃない』じゃないわよ。さっきから呼んでたのに」
「そうなの?」
「そうよ!!」
巴はまたわたしの耳元で叫んだ。
しかも今回は耳をひっぱるという頼んでもありがたくもお得でもないオプション付である。
「いひゃい、いひゃいでふ(訳・痛い、痛いです)」
わたしの悲鳴を聞いて、巴はやっとわたしを解放した。
涙目で巴に視線をやると、かなり目がつり上がっていた。
相当気に障ったみたいだ。
今日はあれか、月に一度のあれの日か今日は。
「まったく!!」
「ご、ごめんね?」
とりあえず謝った。
上目遣いで。
この上目遣い、これが実は怒る巴によく効くのだ。
これは幼馴染みであるわたしだけが知っていることだ。
「べつにいいけど、寝てないの?」
その上目遣いが効果あったのか、一転して巴は心配そうに窺う。
巴は性格に少々キツいところがあるが、本当は面倒見が良い優しい人なのだ。
「うん。ちょっと学級委員長の業務で」
「あのねぇ。なんでも一人で抱えこむんじゃないわよ 。他のクラスの学級委員長も色んな人を頼ってるでしょ?」
でもその面倒見の良さが先走って、ついつい言葉に刺が生えることがある。
もっとも、こんなに刺を隠さないのは幼馴染みであるわたしと話している時だけだ。
巴はクラスメイト相手には別人と思ってしまうくらい穏やかに振る舞っている。
未だに信じられないことだけど。
「でもわたしは他の人に自分の仕事を押し付けれないわよ。学級委員長の仕事は学級委員長のわたしがするの」
「はぁ。皆はあんたのこと真面目真面目っていうけど、それは真面目じゃなくて臆病なだけ──」
「はいはい、そこまでよ」
ぱんぱん、と手を打つ音。
「熱くならない、ね?」
「部長──」
歴史研究同好会の部長、萩茉莉華。
ちなみに萩が苗字、名前が茉莉華だ。
部長は優雅に、そして颯爽とスタイルの良い肢体を連れて部室に入ってきた。
彼女が居るだけで空気が代わる。
少し巻き毛気味の長い茶髪、豊満な胸、細く長い手足。
勝ち気そうな顔立ちに、皮肉げな光を灯す瞳。
萩茉莉華は人気アイドルにもひけをとらないほどの魅力と存在感がある。
「あなた達。意見の押し付けあいは不毛よ?」
部長が言が呆れる。
部長の眉間に皺が寄った。
それだけのことなのに、部長から華やかさが振り撒かれる。
──それにしても。
助かった。あのままいけば大喧嘩になっただろう。
わたしと巴は、性格も価値観も真反対で、それ故によく喧嘩になってしまうのだ。
「そうそう、聞いたよ。智花、今、初瀬美墨に世話焼きまくってるんでしょう?」
大隅飛鳥先輩が言う。
「ええ、そうですけど。どこで知ったんですか?」
ていうか先輩、いつのまにいたんですか。
相変わらずの神出鬼没ぶりだった。
もっとも、恐らく部長と一緒に入って来たのだろうけど。
「うふふ、それはね──」
飛鳥先輩は急にニヤニヤ笑い、わたしに近づく。
嫌な予感がする。
わたしの経験と本能がそう告げていた。
わたしは思わず身を若干引いた。
そして予感は的中した。
飛鳥先輩はわたしの耳にかかる髪をかきあげ、耳元で囁いた。
「愛する智花を尾行しているからさ。四六時中ね」
「ひっ──」
引いた。飛鳥先輩ならやりかねない。
わたしは後ろに勢いよく跳んで、飛鳥先輩との距離を作った。
「い、いや冗談だって」
わたしの反応が予想外だったのか、飛鳥先輩は狼狽えた。
少し傷ついたようだが、明らかに飛鳥先輩の自業自得なので同情の余地はない。
フォローはしないことにした。
「いつもいつもふざけたことばっかり言ってるからこう言うことになるのよ」
部長が呆れる。
「で?初瀬さんって誰?智花ちゃんの彼女?」
そして部長は瞳に好奇心と揶揄の光を宿らせて言った。
「ッ!!──ごほんごほん!!」
な、なななななにを突然言い出すのかこの人は!!
あまりにも突拍子もないことを言い出したからむせてしまったではないか。
「だ、大丈夫ですか!?」
毬乃が背中をさすってくれた。
毬乃の優しさが制服ごしに感られてわたしの心にしみた。
天使とは毬乃のことを指すのだろう。
「ちょ、いきなりなんてこと言うんですか!!部長!!そういうのやめてくださいっ」
ともかく、ここは厳重に抗議をしないと気が治まらない。
「話の流れでなんとなくね?」
部長は悪びれもせずにいたずらっぽく笑う。
「なんとなくって」
だめだこの人。わたしを弄って楽しんでるよ。
「で、どうなの?」
飛鳥先輩も訪ねてくる。
だめだこいつも目がキラキラしてる。噂マニアとしての何が刺激されてるのだろうか。
「智花さんっ。そこのところどうなんですかっ」
毬乃まで──。
わたしは項垂れた。
「そんな、わたしと初瀬さんは──」
その時、わたしの脳裏に先日の保健室の風景が想い浮かんだ。
美墨の潤んだ瞳。
上気した頬。
顔にかかる吐息。
至近距離の唇──。
ドクン、と鼓動が高まる。
自分の顔が朱くなっていくのが判った。
「──べ、べつにわたしと初瀬さんとはそういう関係じゃないですからっ」
わたしは保健室のイメージを取り除くべく、声を張り上げた。
わたしは何故かそのイメージを封印するべきだと思った。
「むきになっちゃってまぁ」
巴が冷めた目付きで皮肉げに言う。
「巴っ」
相変わらず巴はムカつく言い方をするっ。
──
もうこうなったら話題をかえるしかない。
そうだ、もともとわたしには今日話したいことがあるんだった。
「そうそう、皆に聞いて欲しいことがあるんですけどっ」
これでどうだっ。
「こいつ露骨に話反らしましたね、部長」
巴が冷ややかな視線をわたしに投げ掛けた。
「そうね。こいつ逃げたわよね、巴」
部長ほ溜め息ぎみにわたしを一瞥した。
あれー?
「そんな悪い子にはエロいお仕置きが必要だねっ」
うきうきしている飛鳥先輩のことは取り敢えずスルーして。
「智花、言いたいことってなに?」
毬乃が助け船を出してくれた。
白薔薇のような微笑が場の空気を和ませる。
もし、芸術家がこの時の毬乃の微笑を見れば奇声を上げて作品に昇華しようとするだろう。
それくらいに美しかった。
少なくとも部長の好奇心を抑えるくらいには。
「そうね、智花ちゃん弄りはこのくらいにしときましょう」
やれやれと、部長は困ったように肩を竦めた。
良かった。部長は諦めてくれた。
「もう智花ちゃんも限界だろうし。それになんだか可哀想になってきてしまったわ」
くすくすと部長が笑う。
毬乃の微笑が儚げで控えめな白薔薇なら、部長、萩茉莉華の満面の笑みは華やかさを醸し出す紅薔薇だ。
部長を巡って、彼女のファン達の間で相互不干渉の取り決めが出来るのも、まあ判らない話ではない。
「あれっ?私スルー?」
「ええと、その初瀬さんのことなんですけど。初瀬さんをこの歴史研究同好会に入れたいんですよ」
先日の、美墨教室失神事件──わたしが勝手にそう呼んでいる──は失敗だった。
成りゆきとはいえ、美墨の不登校予備軍っぷりを矯正するために挑発して、無理矢理教室に来させたのだ。
結果は散々だった。
美墨は教室で失神するわクラスメイトは騒ぐわ美墨と気まずくなるわ──。
正直反省している。
──しかしまだわたしは諦めたわけではない。
クラスメイトとして、そして学級委員長として、今の美墨をこのまま放っておくことは出来ない。
前回はハードルが高い教室に、いきなり連れていったのが不味かった。
でも、この少人数の部活なら、ハードルも低いのではないだろうか。
そう考えたのだ。
──それに。
美墨と同じ部活、というのも不本意ながら魅力的に思えたから。
「あれっ?ねぇねぇ」
「いいんじゃない?」
部長は思いの外あっさり認めた。
「それじゃ明日連れて来ますね」
「お願いね」
実はこの歴史研究同好会は謎な規則があって、それは部員の紹介と部長の承認がなければ入部出来ないというものだ。
だからいつまでたっても部員が増えないんでしょうね。
全く、いったい歴史研究同好会らどこの会員制高級クラブかっての。
「ねぇっ、智花構ってよ!!寂しいじゃない!!」
ちょっとイラッときた。
「飛鳥先輩?うるさい」
すこし言い過ぎた気もするけど、この人にはこれくらい言わないと。
「そ、そんなー」
「うっ」
そんな捨てられた猫みたいなめで見ないで下さいっ。
全く、飛鳥先輩と居ると自分のペースを乱されてしまう。
わたしの意思を遠くはなれてね。
でもここは心を鬼にして、飛鳥先輩から逃れなくては。
「じゃあわたしそろそろ帰るんで」
明日の授業の予習しないといけないし。
──余談。
帰り際、こんな会話が聞こえた。
「茉莉華ー。わたし智花にうるさいっていわれたーっ」
「はいはい、完全にあなたが悪いけど」
「茉莉華ー。そこは嘘でもいいから慰めてよー」
「よしよし、辛かったね?」
「茉莉華!!流石私の親友!!」
「もちろん嘘だけど」
「そんなー」
──聞かなかったことにしよう。
そしてその翌日。
わたしは礼拝堂にむかう。
正直、脚が重い。
一度、職業体験的な学校行事で手術室に入ったことがある。
その時に鉛の入った放射線対策のベストを着させてもらった。
それが物凄く重くて、そしてめちゃくちゃ重かったのだ。
──心境としてはそれになんだか似ていた。
そう、気まずいのだ。
美墨と顔を合わせると、保健室のことを思い出して物凄くいたためられなくなるのだ。
できるなら永遠に美墨の城、礼拝堂に近づきたくはなかった。
しかしそんなわたしの心情はこの現実に干渉できるわけもなく、現実は非常にも、礼拝堂のすぐ近くまでわたしを運んでしまった。
でもだからといってこのままUターン出来るわけない。
わたしはなんとしてでも、美墨を部活に誘わなければならない。
わたしは意を決して、礼拝堂の裏にまわり込む。
そして、礼拝堂の煉瓦造りの壁の下のほうの一部をしゃがんで取り除く。
そうして出来たトンネルをくぐって礼拝堂の中に入る。
──国境でもなく長くもないトンネルを抜けると雪国ではなくいまだ闇だった。
それもなんだか少し熱気がする。
「?」
わたしは疑問に思って上を見上げると、一気に光の奔流が溢れだした。
わたしの目に飛び込んで来たのは──ピンクの布で──レースがついた──つまりこれは──下着。
かばっと、ピンクの下着が遠ざかる。
そして視界の端に美墨が見えた。
美墨の顔はこれ以上ないほど紅潮していた。
頭が真っ白になったわたしは、とりあえずなにかを言わなければならないと思った。
「き、今日はいい天気ね?」
「い、いや────!!」
ばちん、と甲高い音が聞こえた。
「ごめん!!ほんとごめん!!」
わたしはヒリヒリと痛む頬を押さえながら謝った。
「い、いいわよ。事故なんだし」
美墨は気まずそうにそっぽをむきながら呟く。
何があったのか。
順を追って説明すると、美墨曰く、わたしがトンネルをくぐったのは、美墨がくぐり終わり、外した煉瓦を戻した直後だったらしい。
美墨は煉瓦戻したとたんに、それがまた動いたから、それにびっくりして尻餅をついた。
そして尻餅をついたことで広げられた脚の間──つまりスカートの中に、わたしは顔を突っ込んでしまったのだ。
なにこの少年向けのお色気漫画的展開。
それにしても気まずい。
ただでさえ気まずかったのに、さっきのでさらに気まずくなってしまった。
──さっきから気まずいばっかりな気がする。
礼拝堂は静寂に支配されていた。
幽かに聞こえるのは、風のざわめきだけ。
そんな礼拝堂に、わたしと美墨は何も言わずにただ同じ場所と時間を過ごしていた。
青嵐学院の無駄に広い敷地の片隅にある礼拝堂は、校舎の喧騒からも街の騒音からも程遠い。
──沈黙が痛い。
こんなに沈黙を苦痛に感じるのは、生まれて初めてだった。
無音が刃となり矢となってゆく。
「新嶋さん、貴女今日は何しにきたのよ」
「え?」
沈黙を破ったのは美墨だった。
美墨は居心地悪そうに腕を組んでいる。
それでも、ちらちらとわたしに視線を寄越してくるのは美墨らしいというか何というか。
「だからっ。何しに来たのって聞いているのっ。なに?またプリントかしら?」
「いや、それもあるんだけど、それより付いてきて欲しい所があ──」
「私嫌よ」
美墨は眉間に皺を寄せて冷たく拒否する。
「わたしまだ目的地も言ってないんですけど?」
それどころか、わたし最後まで台詞を言ってない。
「どうせろくな所ではないわ」
美墨はそっぽをむいて切って捨てた。
「うっ」
わたしには美墨教室失神事件という負い目がある。
それ故にわたしからは強く言えない。
でも諦めるわけにはいかなかった。
「そこを何とか」
「ふんっ」
だめだこりゃ。
またあからさまに挑発するのも、わたしの良心が大出血してしまうから使えない。
なら、相手の不安とか好奇心を刺激するのはどうだろう?
これは挑発には当てはまらないはず。
きっと多分メイビー。
「へぇー?いいんだぁそんなこと言って?」
──わたし、美墨と出会ってからどんどん性格が悪くなってる気がする。
以前の自分なら、こんな駆け引きじみたことなんてできなかっただろう。
わたしが成長したのか、それとも美墨に堕とされたのか──。
ていうかわたしからこんなに甘ったるい声が出るなんて。
少しびっくりした。
それは兎も角。
「──っ」
ぴくり、と美墨の肩が動いた。
あっ、ちょっと反応した。
手応えあり。
「べっつに?いいんだよ?わたしだけそこに行っても?」
やばいなんかこらハマりそう。
ちょっと楽しい。
何が楽しいって──。
「そっ、そこってどこなのよ」
──こんな風に『気になってしかたがない』素振りを隠せない美墨を見るのが楽しい。
「えぇ~。行かない人には教えれないなぁ~」
駄目、にやけが止まらない。
「ひ、卑怯よ」
美墨が涙目でわたしを睨んでくる。
ぐぅ、なんだか嗜虐心をそそられる光景だ。
「じゃ、わたし行って来るね?」
振り向きたい。
正直に言うと、今すぐ振り向いてオタオタしてるであろう美墨を見てみたい。
でも、ここはぐっと我慢。
妥協しない姿勢を見せることが大事なのだ。
そうすることで、自分のペースに巻き込むことができるはすだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ」
美墨はわたしの肩をおずおずというふうに掴んだ。
そして。
わたしと美墨は歴史研究同好会の部室の前にいた。
「ちょっと、新嶋さん!?はーなーしーてーよーっ!!」
──わたしは美墨を後ろから抱き締めるかたちで羽交い締めにしていた。
「だって逃げるし」
美墨は決して筋力に恵まれてるわけではないが、気を緩めると腕の中から飛びだしそうだ。
あれだ、窮鼠猫を噛む的な。
もしくは火事場の馬鹿力的な。
思いの外強い抵抗に驚きつつも、わたしは美墨を押さえつけた。
──美墨の髪からシャンプーの匂いがするとか、こんなに強く抱き締めて華奢な美墨の体が折れるんじゃないかとか気になったが、それに構うだけの余力はなかった。
「に、逃げないわよっ」
美墨は必死に身をよじらせながら抗議する。
「説得力ないよ」
こんな必死に腕の中でじたばたされたら、どんなお人好しだって腕を放すまい。
「だ、だって何よ此処っ。歴史研究同好会?興味無いわよそんなのっ。それに嫌な予感がするし」
美墨が駄々をこねる。
よほど歴史研究同好会に興味がないらしい。
なにしろ『そんなの』扱いだ。
そんなの部員としては少し傷ついた。
「でも初瀬さん、あなた一緒に行くって行ったじゃん」
──そういう風に誘導したのはわたしだけど。
「そんなのしらないわよっ。よくも騙したわね!!」
知らないって。
子供か美墨は。
心なしかじたばたも激しくなってきた気がする。
ていうか正直もう腕が怠い。
明日は筋肉痛になりそうだ。
「騙してないわよ。ただ隠してただけ」
「なによそれっ。屁理屈?」
「屁理屈って」
美墨はこちらに振り向いてきっと睨んだ。
眉と目がつりあがっている。
──ていうか顔が近い。
わたしは思わず動揺してしまうが、美墨は怒りに支配されているのか気にしている様子もない。
「ていうか、いいところってどういうところを想像してたの?」
少し気になったので美墨に聞いて見た。
行き先が歴史研究同好会と知って逃げたしそうになったのだから、それは良いところを想像してたのだろう。
「お、お花──畑──とか──」
「お花畑!?」
乙女か!!
まさか美墨からそんな少女趣味じみた答えがかえってくるなんて思いもしなかった。
美墨はもっとシックで渋くて優雅な感じの答えをすると思っていたのだが。
美墨に世話をやくようになってから、彼女に対するイメージが絶えず更新されていく。
その更新速度があまりにも早いくて、よくそれについていけなくなってしまう。
「なんか文句あるかしらっ」
美墨は暴れるのをやめて、恥ずかしそうに身をよじらせた。
ただでさえ小さな体を、さらに丸めて小さくしている。
──ほんと、こうしていると小動物みたい。
小さいし、デリケートだし。
美墨にとっては失礼だろう感想を抱いていると、荒々しく目の前の部室のドアが開いた。
その音でわたしも美墨もびくっと肩を震わせてしまった。
「うるさい!!」
部室から出てきたのは巴だった。
わたしたちをきっと睨みつけている。
リズミカルに、ダイナミックに片足の爪先を足首だけで動かして高速で地面に打ち付けている。
わたしは高速片足足踏みにすっかり威圧されてしまった。
これは相当お怒りのようだ。
まあ、部室の前であんなに騒いでいたから、怒らせて当然だろう。
ちょっと反省。
「ごめんごめん。ちょっと手間取ってて」
「あ、もしかしてその子が初瀬さん?」
「うん」
「わかった」
わたしの返事を聞いた巴は、怒りも冷めたのかあっさりわたしを解放した。
巴はぴょこっと頭だけを部室に入れた。
「部長ー。初瀬さん来ましたー」
「連れて来なさい」
と、いうことでわたしは巴と二人で強制連行して部室の中に引きずりこんだ。
美墨は椅子に縛りつけられている。
彼女があんまりにも暴れて落ち着いて話が出来ないから、わたしと巴と部長の三人がかりで椅子に縛りつけたのだ。
美墨は長い黒髪を振り乱してながらもぞもぞと束縛に抵抗している。
怒りに頬を上気させながら、涙目でわたしたちを睨む。
──なかなか卑猥な光景だ。
背徳感と嗜虐心がふつふつと湧いてくるけど、必死にそれを封じた。
「あら、なかなか可愛い子じゃない」
部長はむすっとふくれている美墨を眺めて言う。
部長は妖艶に脚を組んで、意味ありげにニヤニヤと笑っている。
わたしはそんな部長を見て緊張してしまった。
彼女の雰囲気に気圧されたともあるけど、それより美墨の入部が認められないかも、という今更すぎる疑問が湧いてきたのだ。
「『あら、なかなか可愛い子じゃない』じゃないわよ!!これ拉致監禁よ!!訴えてやるわっ、訴えてやるんだからっ。覚えておきなさい!!」
「それ噛ませ犬のセリフ」
わたしは思わずツッコミを入れてしまった。
それにしても、どうしてるこんなに美墨は部長と初対面なのに、こんなによく喋れるのだろう。
大抵の人は初対面では、部長の存在感やらカリスマやらに圧倒されてなにも喋れなくなってしまう。
わたしも初めて部長に会ったときは頭が真っ白になった。
それなのに、あの美墨が部長相手に啖呵を切っているのだ。
恐らく怒りに任せてのことなんだろうけど、それでもわたしは意外に思った。
「うん。認めた。あなた入部しなさい」
そんな美墨の態度が気に入ったのだろうか。
部長が歌うように言った。
好奇心の猫が飼われたそのメロディは、ボロくちゃちな部室を華やかに縁取りした。
「ふぅ」
わたしは安堵のため息を漏らした。
部長が美墨の入部を認めるだろうとは思っていた。
ただ、やっぱりどうしても不安はつきまとう。
緊張が一気に緩んだ。
──それにしも、これは美墨の脱・社会不適合者の偉大なる第一歩だろう。
お赤飯を炊きたくなる母親の気持ちが少し判ったきがした。
「わー。めでたしめでたし」
そんのわたしの心境を知ってか知らずか巴が無表情に拍手する。
全くそんなこと思っていないくせに。
知ってた?無表情で拍手って、見ててものすごく怖いのよ?
「ねえ、私の意思は?」
「ないに決まってるじゃない」
即答。
あなたなに言ってるの?と訊きたげな視線を美墨に投げ掛ける。
どうやら部長のなかでは、美墨を入部させるのは完全に決定事項なようだ。
それも美墨の意思とは関係なく。
たまに部長は鬼なのかと思う。
「いーやーだー!!」
美墨の悲痛な叫び声がさして広くもない部室に響いた。
──そういえば。
美墨と暴れている間に、気がつけば気まずさは消えていた。
なんか気がつけばブックマークが4件ついてました!!ありがとうございます、すごく嬉いんです!!
これからも頑張りますね!!
べ、べつにコメントも欲しい訳じゃないんだからねっ!!勘違いしないでよねっ!!(ちらっ、ちらっ
…冗談は置いときまして。
次は多分番外編(過去編)をすると思います。
少しシリアス入るかも。