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第三話 悪気はないけど悪意はある。

 放課後。

 わたしは今日も礼拝堂に足を運んだ。

 もう6月になってしまった。

 梅雨になったのだろうか、紫陽花(あじさい)が可憐に咲いている。

 わたしはテレビは余り見ないので、梅雨入り宣言がされたかどうかは知らない。

 しかし梅雨なんかより憂鬱なものがある。

 期末テストだ。

 実際には期末テストそのものが嫌いな訳ではなくて、それにまつわる業者が嫌なのだ。

 範囲を各教科の先生たちから聞き出し、また提出物の有り無しなどをまとめてクラスの皆に(しら)せなければならない。

 それをテスト勉強をしながらだ。

 前回の中間も大変だったのに、実技科目が増える期末はどれだけ苦労するか──。


 そんなことを思いながら歩いていると、初瀬美墨(はつせみすみ)の背中が見えた。

 背中にかかる黒髪がさらさらと揺れている。

 話かけようと思うが、はて、話題がない。

 でも──。

「今日はいい天気ね、初瀬さん」

──話題がないときは天気の話をする。

 これは太古の昔より伝わる人類の世界的なセオリーだ。

 考えた昔の人は尊敬できる。いや本当。

「──私、晴れてるの嫌いなのよね」

 興味無さげに答えたのは初瀬美墨。

 皆ダサいと言ってもはや誰も着なくなった旧式の修道服じみた制服が呆れるほど似合った女の子だ。

 少しむっとしたが、いつものことだと堪えた。

 美墨が(はす)に構えた態度をとっているのはいつものことなのだ。

 本当は、凄く素直で純粋なのだろう。

 たまに彼女の綺麗な側面を覗く機会がある。

 何が彼女をそこまで頑なに周囲を拒むのか──わたしは彼女のそんな態度を周囲を拒絶するためだと考えているのだ──は知らない。

 しかし彼女をありのままでいることの助けになりたいと、最近思うようになった。


 そうこうしてるうちに、礼拝堂の扉が見えた。

 この礼拝堂の扉、長年使われて無かったせいか実は(さび)に錆ている。

 そのせいで開けるのにかなりの労力を要する。

 そういえば。

 わたしは美墨のか細い腕を見た。 

 うわ、華奢(きゃしゃ)な腕。 

 その肌は陶磁器のように白く艶やかで、優美な輪郭(りんかく)を誇っていた。

──って、そうじゃない。

 わたしは美墨の腕に見とれてしまっていた。

 

 美墨はその腕の細さから判るように、わたしより断然力は貧弱なはずだ。

 美墨の腕力ではおそらく礼拝堂の扉を開けることは出来ないだろう。

 では、どうやって礼拝堂に入ってるんだろう。

 気になったわたしは、()えて

美墨の後に続いた。

 美墨は問題の礼拝堂の扉に手を──あれ、かけない。

 美墨は礼拝堂の裏に回り込む。

 うわ、雑草めっちゃ生えてるじゃない。

 なんか虫とか出そう。 

 しかし美墨は慣れた様子で草の海を突き進む。

 わたしはおっかなびっくり彼女の後に続いた。

 美墨はしゃがみこみ、礼拝堂のレンガ作りの壁に手をかける。

「ちょ、初瀬さん?なにしてるの?」

 それはあまりにも想定外過ぎた。

「なにって。この中入るんだけど」

 美墨は拍子抜けしたような顔だ。

 彼女は軽々と壁の一部を取り外した。

 こんな抜け穴があるなんて。

「これどうやって見つけたの?」

「──自分で作ったのよ」

 美墨はか細い声で言った。

「嘘。初瀬さん凄いじゃない」

 人には何かしらの意外な技能があるらしい。

「う、うるさいわねっ。べつにこれくらいなんともないわ」

 美墨は照れ隠しのつもりなのか、言葉を荒げる。

 美墨の(あか)くなった頬に黒髪が垂れた。


 美墨は壁の四つん這いになって壁のトンネルをくぐる。

「ほら、貴女(あなた)も来なさいよね」

「あ、うん」

 わたしは慌ててなかに入った。

 いつも美墨はこんな風に礼拝堂に入っていると思うと少し感慨深かった。

「そうそう。初瀬さん、はいこれプリントと課題」

 危ない。抜け穴に気をとられて本来の目的を忘れてしまっていた。

「べつにそんなの持って来なくても良かったのに」

 鬱陶しそうにそんなこと言いながらも結局は受け取って貰える。

 高圧的に振る舞ってはいるが、やっぱり本当は素直なのだろう。ただの推測だけど。

「はいはい、サボり魔にプリントを持っていくのも学級委員長の仕事なもんでね」

 美墨の扱いにも少し慣れてきた。

「ふーん?貴女も暇ね。私になんか構っちゃって。それともなに?私しか話してくれる相手がいないのかしら」

 美墨の保護、もとい世話をして3日たって(わか)ったことがある。

それはこの小動物が無駄に上から目線なことである。

 まぁ、それも彼女なりの背伸びだということはなんとなく分かってるけど──

「へぇ?そんなこと言うのなら授業でてごらんなさいよ。ていうかなんで出ないのよ」

──なんとなく分かっていてもムカつくものは仕方がない。

 つい挑発紛いのことを言ってしまった。

後悔はしている。しかし反省はしていない。

「だって青蘭学院は単位制じゃない。テストでそこそこの点を取れば単位貰えて進級できるんだから、あんな低レベルな授業なんて出るだけムダよ」

 そう言って無い胸を反らす美墨。

 可愛らしい鼻がぴくぴくと高い。

 あ、こいつちょっといい気になってるな。

 そう思うと少しむっとした。

「ふーん。なにそれ言い訳?自分が社会不適合者で人見知りで授業に出られないだけじゃない?」

 いけない、歯止めが効かなくなってきた。

 だめだ、自制しないと。焦りが募っていく。

「ッ!!ば、馬鹿にしないでよねっ。出れるわよ、授業くらい!!」  

 しかしふと思った。

 あれ?これいい傾向じゃないか?

 美墨がちゃんと授業に出てくれたら、わたしがこうしてプリントを持ってくることもないのだ。

 それはそれで寂しい気がするが。

 しかし、学級委員長としてはクラスメイトが教室に顔を出さないのは看過(かんか)出来なかった。

 学級委員長にはなりたくてなった訳ではない。

 むしろ今すぐ()めたいくらいだ。

 しかしなってしまったからには仕方がない。

 学級委員長としての責任を果たさなければならない。

「本当に?」

 方向転換。

 とりあえず(あお)ろう。

 美墨はどうやら挑発に弱いようだ。

「本当よ!!いいわよ、そこまで言うのなら出てやるわよっ。明日の授業!!」

 効果は抜群だったみたい。

 まさかここまで簡単に事が進むとは思わなかった。

 わたしは予想外の事態に唖然(あぜん)とする。

「その言葉、しかと聞き届けたわよ」

 あまりにも上手くいきすぎな気がしてむしろ不安だったので、一応念のために確認してみる。

 美墨、引き返すなら今のうちよ?

「ふ、ふんっ」

 美墨はぷいっとそっぽをむいた。

 美墨はわたしの降伏勧告に対してそっぽをむくことで答えたのだ。

 これはわたしの勝利だ。

 それも完封勝利。

──ていうか、このわたしに口論で勝とうだなんて10年早いのよ。

 まぁでも、小動物相手に正直大人げなかったと思う。

 悪気はなかったのよ?

──悪意はあるけど。

 いや、もし教室に苦手意識持っていたらこの機会に克服できるかなーとは一応思っているのだけど。

 うん。ほんと。


──わたしはこの時、紛れもなくいい気になっていた。

 有頂天だった。

 わたしにはこのあと起こることなど仕方ないとは言え、想像も出来なかった。

 


 翌日。

 そして、その日がやって来たのだ。

 授業開始を報せるチャイムが鳴る。

 後ろのほうを見ると、いた。

 美墨は微動だにせず、前を見てるまま動かない。

 美墨の肌が白いのはいつものことだが、今日は一段と白い。というよりむしろ青白い。

 心なし顔色も悪い気がする。

 美墨は緊張しているのがこの距離でもわかった。 

 でも、ちゃんと来たんだ。

──もう5時間目だけど。 


 がらがら、と教室の扉が開いた。

 入ってきたのは40才くらいの男性教師だった。

 彼は世界史の先生で、その気さくな性格と解りやすく面白い授業で人気の先生だ。

 先生が出欠をとり始めた。

「相沢」

「はい」

「上村」

「はい」

 嫌な予感。

「ええっと、初瀬は──今日もいないな」

 あちゃー。

「せんせぇー。初瀬さんいまーす」

 めぐみがすかさず言った。

 彼女はこんなトラブルを嗅ぎ付けると飛び付いてくる。

 教室に笑いが広がった。

 人は時として無意識に無自覚に無抵抗に残酷だ。

「お、そうかそうか。すまんな初瀬」

 先生が全く申し訳なく思って無さそうに謝る。

 それが面白かったのか、また笑い声が広がる。

 とふと美墨の方を見てみると。

「──っ」

 涙目だった。


 


 そのあと、休み時間になると美墨の席は4人くらいの生徒に囲まれていた。

「先生ひどいよね。初瀬さん可哀想」

 生徒の一人が、初瀬さんを気遣う私ってまじ優しぃ~とか思ってそうなカン高い声で話しかける。

「あの、いやっ。ど、どうも」

 だめだテンパってる。

 美墨の視線は(せわ)しなく空中散歩している。

 可哀想に、膝の上に置かれた手がガタガタと震えている。

「ねぇねぇ、初瀬さん。何気に授業でるの初めてじゃない?」

 一人が美墨の顔を覗きこんだ。

 覗きこまれた美墨は素早(すばや)()()った。

「え、ええ。そうかもしれないわね」

 目をそらしぎみに返答した。

 あれ、冷や汗かいてない?

「初瀬さん結婚してください!!」

 ちなみに最後のはめぐみだ。

 ちなみにその直後に毬乃(まりの)に引きずられて首を絞められているのもめぐみだ。

 瞳とはもう別れたのかよ。まだ2日でしょ。ていうか美墨のこと諦めてなかったのかよ──。

 だめだツッコミが追い付かない。

「あ、初瀬さん朱くなってるー」

「可愛いー!!」

 まるで猫に対してカーワーイーイーと騒ぐ女子高生みたいに、さらに美墨に対する包囲網を縮める。あ、女子高生か。

 美墨の血の気がどんどんひいていく。

 これは良くない兆候な気がする。

 いやな予感が募る。

 

 果たして、その予感は当たった。

「あ!!大変、初瀬さんが倒れてしまったわ!!」

 生徒の一人がヒステリックに叫ぶ。

 ヒステリックは伝染し、何人かが悲鳴をあげた。

「初瀬さん!?」

 見ると、美墨は(うつぶ)せに倒れている。

 顔は土気色をしていた。

 良く見ると息をしているのが判った。

「わたし、保健の先生呼んでくるから!!悪いけどあなた達は初瀬さんを見てて!!」

「閣下!!」

「わかりました閣下、私が初瀬さんを見守ります」

「ちょっと!!あなた何気にどさくさに紛れて初瀬さんの体に触ろうとしてるんじゃ無いわよ」

 もう一人が美墨に触ろうとした人の髪の毛を掴んで、美墨から引き離す。

「なによ!!痛いじゃないっ」

「うるさいわね、さっさと離れなさいよっ」

「ちょっとなによ私にそんな酷いことしておいて謝罪もないの?何様よあんたっ」

「はぁ?なにそれあんたのほうこそ何様なわけ?」

 二人がもめ始めると、周りもそ同調して騒ぎ始めた。

 きっと美墨が倒れて、皆も動揺しているのだろう。

 自分の動揺を人にぶつけることで、心の安寧(あんねい)を図っているのかもしれない。

 でもわたしには、そんなことは関係なかった。

 この状態を招いた元凶としての自覚が、わたしの視野を狭めていた。

「いい加減にしなさいっ」

「閣下──」

 わたしは美墨の方へと近づいた。

「初瀬さんから離れなさいっ」

 いくつもの視線がわたしに注がれる。

 その視線の陰には戸惑いと苛立ちが潜んでいた。

「でも──」

「いいからっ」

 わたしの自己嫌悪が怒りに変換される。

 周囲のざわめく声が聞こえる。

 注がれる視線が冷めていく。

 空気が白けたのが判った。

 わたし独りが突っ走っている。

 でも今はそんなことはどうでも良かった。

 もう誰かに任せられない。

 こうなったら、自分独りで美墨を保健室まで運ばなければならない。

「初瀬さんっ」

 わたしは美墨の頬をぺちぺちと軽く叩く。

「に、新嶋(にいじま)さん──」

 美墨が薄目を開ける。

「わたし、今からあなたを担ぐけどいい?」

 こくこく、と美墨が弱々しく(うなず)く。

 美墨の腕を掴む。

 彼女の腕は驚くほど細いのに、何故かとても柔らかかった。

 美墨をわたしの背中まで誘導し、一気に背負う。

「行くね」

 美墨に声をかけた。

 わたしは立ち上がり、保健室まで移動を始める。

 すぐ近くにある美墨の髪からは、シャンプーの匂いがした。  心なしミルクの匂いがする美墨の吐息は、わたしの頬にか弱くかかる。

 それらはわたしの背徳感を煽った。

 柔らかな美墨の肢体がわたしに絡みつく。

 落ちないための無意識の行動だろう。

 しかし、そうと判っていてもドキリとする。

 美墨はわたしに全体重をかけてしなだれかかっている。

 正直言って重い。

 いくら美墨が華奢だといっても、それでも40キロはあるだろう。

 お世辞にも力持ちとは言えないわたしにとっては、十二分に過負荷だった。

 自然と足取りは重くなる。

 脚はだるくなってくるし、美墨を支える腕も力が入らなくなってきた。

 もう散々だった。

 でも、後悔と罪悪感と自己嫌悪がわたしの背中を押した。

──もうすぐ保健室だ。




 保健室。

 わたしは血色(けっしょく)を取り戻した美墨を見つめている。

 美墨は規則正しく呼吸している。

 養護教諭(保険室の先生)の栗山かおり先生(25才独身)は保険室に入ったわたしを見て、

「どうしたの新嶋さん。そんな青い顔して。え?誰その担いでる子。あらぁ貴女たちそういう関係?いいわねぇ青春だねぇ。え?違う?倒れた?どれどれ、ああ、大したことないわね。(ただ)の貧血ね」

 と開口一番にマシガントークをお見舞いし、わたしから美墨をひったくりベットに寝かせた。


 わたしは重い気持ちで美墨を眺める。

 美墨はすやすやと静かに眠っている。

 この時、申し訳なさと自己嫌悪は同義語だった。

 (しばら)くすると、美墨は目を開けた。

此処(ここ)は?」

 美墨が弱々しく呟く。

 相変わらず(つら)そうにしていたが、瞳には健全な光があった。

「保険室よ」

「え?なんで私、此処に居るの?」  

 どうやら美墨は記憶が軽く混乱しているらしい。

 わたしは軽く経緯(けいい)を話した。

 美墨はすぐ思い出したらしく、朱くなった顔を布団で隠した。

「最悪。わたしがあんな失態するなんて。信じらんないっ」

 布団を被ってるせいか、美墨の声は曇って聞こえた。

「ごめん──」

 ことの元凶としては(ただ)謝るしか出来ない。

 わたしは申し訳なくて俯いた顔を上げることが出来ない。

 美墨は顔の上半分──つまり鼻から上だけを布団から出して言った。

「ばかね、あなたが謝ることなんてないわよ」

 美墨はぶっきらぼうに言う。

「でもわたしあなたを挑発して──」

「貴女の挑発にのったのは私の責任よ」

「でも、そのせいで初瀬さんは倒れたじゃないっ」

「それも私の責任よ。私の不徳がなした結果よ。恥ずかしながら私は人ごみが苦手でね。囲まれると良く人気(ひとけ)にあてられて倒れるのよ。今日みたいにね」

「でも、でも──」

 自己嫌悪で視界が歪んだ。

 頬に冷たいものを感じた。

 それが水滴だと、さらには自分の涙滴(るいてき)だと気づくのには暫く時間がかかった。

「『でも』ばっかりね、貴女は」

 美墨が布団から起き上がる。

「初瀬さん──」

 もう起きて大丈夫なのだろうか。

大方(おおかた)、貴女も私の社会不適合っぷりを矯正したかったのでしょう?」

「社会不適合って、そんなこと」

 少し自虐が過ぎると感じた。

「間違ってはいないでしょう?」

 美墨は肩をすくめた。

 こんなに自虐的な美墨を見るのは始めてだった。

「私を矯正しようとした人はたくさんいたわ。親の面子(めんつ)のため、家の格式のため。でも私は周囲の期待を裏切り続けた。だって何時(いつ)までたっても私は非社交的なまま。私を矯正しようとした人達はそんな私を(けな)しこそすれ、私にはなにもしてくれなかった」

 美墨じっとわたしの目を見る。

 美墨はわたしのの目を通して、今ではない何時かを、此処ではない何処(どこ)かを、わたしではない誰かを見ている気がした。  

 彼女の瞳に苦々しさを感じた。

 思えば、美墨が自分のことを話すのは今日が初めてだ。

 その事実に気づいたわたしは驚愕した。

「でも貴女は違ったみたいね。少なくとも私を貶したりはしないし、私を此処まで運んできてくれたのも貴女でしょう?」

 わたしは彼女の優しさにたじろいだ。

 いつも高慢に振る舞ってはいるが、根は優しい人なのだろうと。

 しかし現実はそれ以上だった。

 美墨の声には明確な優しさと労りが含まれていた。

 それは普段の美墨からは想像もつかない声だった。

 その衝撃がわたしを麻痺させた。

「それに私のためにほら、泣いているじゃない」

「それはわたしは、自分が情けなくて、それが悔しくて泣いただけ──」

「でも私の為に(せいで)泣いているのは変わりないじゃない」

 美墨はその陶磁器のように白い手を伸ばして、わたしの涙を(ぬぐ)う。

「ほら、早く泣き止みなさい。まるで私が貴女に酷いことをしたみたいじゃない」

「うん、うん──」

 わたしは美墨の心遣いが有り難くて、また涙がでた。

「もう」

 美墨はふっと苦笑して俯いたわたしの頬にかかった髪をかきあげた。

 その手の冷たさと、肌のきめ細かさにわたしの胸は意図せずに高まった。

 顔を上げると、美墨の顔がすぐ近くにあった。

「顔、近いわよ」

 美墨は朱くなりながら言うが、決して離れようとはしなかった。

 早鐘のようにわたしの心臓は鼓動する。

 体温が高くなっていくのが判った。

──ちょ、え?なにこの状況?近い、初瀬さんがが近いっ。

 わたしは状況を飲み込めてなかった。

 美墨は目を潤ませてわたしをじっと見つめている。  

 何故かわたしはその潤んだ瞳から視線をそらすことはできなかった。

 美墨の瞳の中にわたしが居る──。

 気づけば、わたしと美墨の距離が近づいている。

 肉体的にも、精神的にも。

 お互いの吐息が、お互いの顔にかかる距離まで近く。

 くすぐったいが、苦痛ではなかった。

 むしろ官能的ですらあった。

 わたしは自分の頬が朱くなっていくのを自覚した。

 わたしは急に美墨の名前を呼びたい衝動に駆られた。

 しかし、わたしには何故だかそれが吐いとく的に思えたのだが、衝動に打ち克つことができなかった。

「初瀬さん──」

 その名前を呼んだ直後、わたしの鼓動がさらに速くなった。

 体の奥底が浮わついている。

 気のせいか、美墨の吐息が熱を帯びてきた気がする。

 気付けば美墨の唇が、わたしの唇の至近距離にあった。

 無意識の内に、わたし達はお互いに徐々に近づいていたのだ。

 だ、だめだよ。このままじゃ。

 このまま近づいたら、キスになってしまう。

 女の子どうしなのに──。

 それでもわたしはお腹の底から吹き出る衝動に突き動かされたままだった。

 わたしに道を教えてくれた時の颯爽とした美墨。

 教室で物憂げに窓の外を見つめる美墨。

 雨の日に礼拝堂で涙をながす美墨。

 美墨──わたしの──憧れの──。

「に、新嶋さん──」

 美墨はぎゅっと目を瞑って──。

 





「あらぁ、青春ねぇ」

 養護教諭の声が全てを台無しにした。

「なっ?」 

「ひゃっ」





「あ、あう、あ」

 美墨がかつてないほど朱くなる

 がくがくと震えている。

 わたしも自分の血がさーっと引いていくのを自覚した。

 わたしの額に脂汗が浮かぶ。

「お二人で熱くなるのはいいけど神聖なる保険室でそんなことするのは感心しないわねぇ」

 25才独身がにやけながら言う。

「ば、ばか──!!」 

 美墨は絶叫しながら布団に潜りこんだ。

 彼女の絶叫の矛先は、わたしなのか栗山かおりなのか、それとも自分にむけてなのかはわたしには見当(けんとう)もつかなかった──。

 



 

──ちなみに。

 その後、美墨とは少し気まずくなった。

 美墨も似たようなことを感じているのか、わたしと逢うときは僅かにだが、顔を朱く染めていた。

 「ええっと、初瀬は──今日もいないな」

「せんせぇー。初瀬さんいまーす」

は、一読作者もやられたことがあります。

 

 そうそう、登場人物一覧、そのうち作ろうと思います。


 

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