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  24  5月21日午後19時56分


「あーあー急いじゃって。まあ、そんなに急く必要はないんですけどね」

 一人モニタールームに残った神門は呟く。

「そう簡単に私の生徒をやらせはしません。彼等は貴重な人材ですからね。それにしても、もう少し生徒が学内に忍び込む予定だったのですが、予想が外れましたね。案外、生徒達は従順なようです。良いのか悪いのかは微妙なところですが」

 独り言を発しながら、神門は手元のパソコンをいじる。すると、敷き詰められていたモニターの表示が一度消え、再度つき直す。

 そこには当然、白匙と龍堂、そして追手の姿しか無い。

 他の二名、などいやしなかった。

 それに白匙と龍堂の表情も、必死というよりかは随分と晴れやかだ。

「仲良く月見ですか。風流ですね」

 かたかたとキーボードをいくらか打つ。と、北階段非常用階段への入り口が、閉じていく。追手の一人が四階のそこに辿り着いた瞬間、上から高速でシャッターが閉まり、その人物の動きを阻害した。

 その人物は突然の妨害に苛立ったのか、シャッターを二度ほど叩く。

 シャッターは、叩くと思いのほか派手な音がする。

 距離的なものを感じさせないほどに。しかもそれが他に邪魔する音がない月夜の下ともなれば、聞こえて当たり前だ。

 のほほんとしていた、白匙と龍堂がその音に気が付いた。

 そしてその人物が内階段を駆け降りる中、白匙達は一階へ逃げた。

「さてさて、害虫駆除は愛園先生に任せて、私は彼らを無事に逃がすことを考えるとしましょうか」

 言いながら敷き詰められたモニターと、パソコンのモニターを神門は見やった。


  25  5月21日午後19時56分


 愛園は人生での全力疾走は、随分と久方ぶりだなと悠長に考えつつ、それでも間に合うかどうかの瀬戸際なのだと思い返し、普段走る者がいれば注意するべき立場である愛園黎は、廊下を駆け抜けていた。

 北階段を一気に駆け抜け、東階段を横目に見ながらカーブ。

 火花は散らないが、少しばかり足裏が摩擦で熱くなる。今夜お風呂でしっかりケアしてやるからなと言い聞かせ、無茶な速度を続ける。

息を荒げながらも速度はある程度維持していたのに、左手に正門が奥に見える生徒用下駄箱が見えた瞬間だった。

 ふと嫌な空気感に見舞われて、愛園は前方へ飛び込み前転をして、勢いのまま立ち上がる。

 と、立ち上がったその瞬間には、愛園が駆けていた丁度頭の辺りにあった窓ガラスが、勢い良く吹き飛んだ。

 パアン、と軽い音がして、ガシャガシャと耳障りな音が続く。

「はっ、何?」

 愛園が疑問を浮かべたその瞬間には、下駄箱から屈強な男が現れた。しかも完全装備、暗視ゴーグル越しにこちらを見据え、サイレンサー付きの銃口を向けている。

「へえ、襲撃者の一人ってわけね」

「だとしたら?」

「別に。通行の邪魔をするなら省くだけよ。私は生徒を助けに行くの、やられたくないなら私が通るのを放っておいてくれない?」

「冗談を言うな。無理な相談だ」

「まあそうなるわよね。だったら、強行突破、させてもらうわよ?」

「出来るものなら」

 男は軽快に会話を続けつつも、銃口は片時も愛園ラインから外さない。

 余裕綽綽な態度の男に対して、愛園は生徒を助けに行かなければという使命じみた何かとは別に、こいつをやり込めたいという意志が芽生えた。

 手元に持つは指し棒。それを手首のスナップで勢い良く振ると、軽めの音を立てて元々三十センチ前後だったのが、二倍を超える長さになった。

 瞬間、

 銃弾が放たれる。

 愛園は撃たれるのは覚悟していたので、ジグザグに駆け出して狙いを定めづらくした。相手は銃口を向けているのに近付くなんて、普通なら自殺行為に思えてしまうだろう。

 だが、銃を持った相手と対面した時の戦術は、とにかく近接格闘に持ち込むのが良い。しかも状況が速度を求めているのならば尚のことだ。相手の出方を、距離を取りながら伺って、なんてまどろっこしいことはやっていられない。

 加えて、これだけ狭い空間なら、近づけば近づくほど、相手は跳弾を気にして撃てなくなるのだから、怖がっても仕方がない。

 前へ進むのが最善だ。

「ちっ」

 男は苛立ちを露にした。

 その瞬間、愛園は伸ばした指し棒を前へと振る。

 男は棒がしなってくると予測したのだろう。しなりを計算に加えて、通常より早く身を引いたのだ。

 それで鞭のように棒がしなっていれば良かったのだが、男の回避は無駄になった。

 愛園が持つ指し棒は、曲がらず、しならない棒になっていたのだ。言わば少し細めのバットぐらいのものである。それでいて軽い。

 故に早めにありもしない攻撃の回避をしてしまった男の、無防備な銃の握り手に、握り込んだ指し棒を打ち付けた。

「ぐっ」

 反射的に開いた男の手から、銃が零れ落ちる。

 そんな好機を逃すわけにもいかず、愛園は無理矢理低く右足で踏み込み、かなり近付いた男の足に向けて引き戻した指し棒を繰り出す。

 当然、当たってたまるかと言わんばかりに、男は後方へ回避する。

「あらまあ、ありがとう」

 戦闘中のお礼の言葉など良いことはない。しかも敵からの言葉ともなれば、尚更気味の悪いものだろう。男は顔を歪める。

その時には、愛園は踏み込んだ右足に身体を引き寄せ、左足で下方に向けた水面蹴りを放ってみせた。女性特有の軽い故の速さがその蹴りにはあった。

 バックステップの連続で男はギリギリそれを退避するも、愛園の狙いはそれではなかった。

 狙いである男の足を通り過ぎたというのに、左足は右足軸の回転を止めない。むしろ速度を速めて、男が先程取りこぼした銃を下駄箱の方に蹴り飛ばした。

 そこまで回って、愛園は中腰に戻る。

 吹き飛んだ銃は、外の方へではなく、開きっぱだった誰かの下駄箱にホールインワンした。

「やりましたね、良い調子です」

 自分を鼓舞するように愛園は言う。

「銃の排除が目的か。良い戦略だな、だが残念ながら俺は格闘術にも長けているぞ」

 良いながら男も中腰になって、拳を構える。

「女性を殴る気ですか? 酷い方ですね」

「その武器をもたせている時点でハンデ成立だ」

「あら、そうなんですか。じゃあ仕方ないですね」

「にしても、銃を避けるなんて、貴様何者だ? 神門帝秘の回しものか? あるいはこの学院の警備部隊とでもいったところか?」

 男は普通に聞いただけなのだろうが、愛園にはその言い方がカチンときた。

 神門と同類、あるいは同じグループと思われているということに。

「いいえ、違いますよ」

 愛園は顔を歪めかけるも、精一杯の笑顔を浮かべて表情は取り繕った。

「私は現国の教師です。生徒を守るために戦うんです! 日夜我儘ばっかりの青春真っ盛りな子供達と戦ってるんですよ? これくらいの修羅場、なんでもないわ!」

 半ばやけくそなセリフを吐きながら、男へと駆ける。指し棒を握り直して、両手を背後へとやって、一気に迫る。

「その眼は明らかに教師のそれじゃないようだがな」

 急な肉薄に、男は一瞬だけ驚くも、今度は避けもせずに待ち構えている。

 こうなると先程の様にはいかない。回避のラグを利用しての追撃などが出来ない。つまり純粋な力と技の押し合いのようになってしまう。

「るっさい!」

 罵声と共に放つ攻撃は、下方からの振り上げ。

 男はそれに対して、しなりなしの速度対応で避けようとするも、

 指し棒は大きくしなり、その力を持って跳ねあがった速度で男の顎に迫る。

「なっ、ぐ!」

 彼にとっては予想外の動きになったようだが、愛園からしてみれば想定内だ。

 この指し棒は硬さを自在に変えられる。と言うよりか、硬いか柔らかいかの二択を、ある一ヶ所を握るかどうかで選択できるのだ。

 その一部分が機械的なギミックになっており、握ると内部の幾重もの線状の部品が縦並びになってしなる。握らなければ線の部品は全て横向きになり、指し棒を内側から圧迫するという仕組みになっている。

 つまり、この意表までは主導権は愛園のものなのだ。

「ふっ」

 指し棒の不意打ちが決まるも、威力はそれほど高くない。それは判っていたので、視線と注意が削がれたその瞬間、愛園は腰を引いてハイキックをかます。スリットを思いっきり裂いておいて良かったと思いながら。

 足の甲が鞭のような速度で、男側頭部に直撃する。回避も受けもままならず、確実に捉えたようだ。加えて間近の壁に頭からぶつけさせてしまった。

 軽く脳震盪は起きていることだろう。

「やりすぎたかな? まあ、私のスカートの中見たことで、チャラってことでお願いするわ」

 男には届いていないかもしれないとは思いつつも、サービス代わりに軽く再度スカートを持ち上げてみせた。

「これは壁激突の分ねっ」

 とウインクまでかましてみせる。

「さてと、じゃあ、後片付けはお願いします。学院長」

 そして休む間もなく、愛園は南階段へと向かう。そもそもの目的地はそこなのだ。本当なら銃の回収やら、身動きを封じるなどの事後処理をすべきなのだが、急いでいる愛園からすればそんな時間は無い。だから、監視カメラが捉えられそうな声量で適当な方向へ、顔を向けて言ったのだ。

『人遣いが荒いな。これでも私は君の上司なんだが?』

 インカムから学院長の返答を聞いて、声が届いているのは判った。

「関係ありませんよ。肉体労働に応じた報奨は出るべきです。それに上司なら、部下の尻拭いはしてもらわなくては困ります」

『ふふ、判った判った。こちらの負けだ。手配しよう』

「最初からそうしていれば良いんですよ」

『何だか、言葉と態度が乱暴になりつつあるみたいだけど、それが愛園先生の本性ということで良いんでしょうか?』

「貴方の様な外道と話したせいですよ。私の本性は普通です」

『それでは、今の貴方は本性を晒していないと?』

「それにはお答えしかねます」

『判りました。全ての元凶は私、そう言うことにしておきましょう』

「素直なのは美徳ですね」

 防犯カメラとインカム越しに会話をしながら、適当に探り合うような言葉の応酬をして、愛園と神門は再びそれぞれの仕事へと戻る。

 愛園の足は問題の南階段へ入った。

 再び指し棒を握り直して、彼女は駆け足で、しかし忍び足で階段を上っていく。


  26  5月21日午後19時56分


 大きな音が上の階から響いてきたので、とうとうここにも捜索の手が回ってきたかというところで、龍堂と白匙は北階段隣接非常用階段、或いは北外階段を直ぐに駆け下り、一階に身を晒すことにした。

 ほんの少し頑張れば外に出られるという、仮初の安心感と、それを理解した上で敵方が待ち伏せしている可能性が混ざって、危険と安全の狭間になっているのがこの一階だった。

「さっきのは、やっぱり追手……だよね?」

 銃口を教室で向けられた時の恐怖が未だ抜けない。頭上でサイズの大きなメットがからから音を立てているが、心もとない。

 手を引いてくれる白匙はこんなにも勇敢に前に進み、龍堂を守ろうとしている。なのに龍堂はそれに応えるどころか、恐怖に竦んで、手を引かれて逃げ回るのが精一杯ときた。

 自分自身で情けなくなってくる。

「だろうな。とにかく、裏門からこのまま出ちまうのが無難とは思うんだが、危険度は高いからどうするか。まあ迷ってる猶予はないみたいだが」

 足音が外階段横、内階段の上の方から響いてくる。

 決まってはいないものの、白匙は手を引いて裏門の職員用下駄箱の方へ向かった。

「ん、だとしたらさっきのインカムは、やっぱりフェイクだね。誘導されたかな」

「可能性は高いけど、だからって今更どうにもできねえよ。とにかくそうなると、俺達の居場所はバレてる可能性が高い。だからやっぱり外には行きたくねえな。相手が外から俺達を見つけたのだとすれば、思うつぼだ」

「でも、だとしたら……」

「どうするか、だな。一先ず様子を見よう。一応銃は持ってっから」

「……うん」

 話しながら、下駄箱の合間に縫うようにして入る。

 それと同じタイミングで、足音が一階の廊下に入ってきた。

 白匙が緊張した表情を浮かべて、そちら側に銃を下方に向けてにじり寄る。

 そんな背中を見ながら龍堂は思う。自分にふりかかる危機よりも、白匙に危険が及ぶことが怖くて仕方がないと。

 仮にもメットとチョッキを纏った身なのに、守られる側と言うのは心が少しチクリとする。

そんな状態なのに、

安全な場所にいられて良かった、

危険な場所に立たなくて良かった、

 銃口を向けられる危険がなくて良かった。

 そんな安堵を抱いてしまう自分が嫌で嫌で仕方がなかった。もう少し勇気があれば、彼の力になれるかもしれないのに。そう歯噛みする。

 と、耳元に声が響く。

『南階段異常なし……いいい? 馬鹿な、何だこいつ! 早い! 応援を! 応援を!』

 その声はすぐ近くに迫る追手にも届いてるはずだ。

 気付いた龍堂は白匙のYシャツの裾を引き、囁く。

「フェイクだと思ってたとこで何かあったみたい。今そこにいる追手がインカムの返事を出すはずだから、その瞬間を狙って」

 影を見ながら、男の反応を待つ。

 数秒空いて、動きがあった。

『ガンマ……向かう、もう少し待て……っ? ちっ!』

 向かうと言ったぐらいで、龍堂は白匙の背を思い切り叩いた。

 合図を受け取った白匙は、廊下に飛び出し、一気に北階段側へ駆けた。相手も気付いたようで、舌打ちが聞こえるも、白匙は相手に動く余裕は与えない。

 左右に身を振りながら迫り、追手の腹にタックルをかました。

「ぐえっ、貴様……」

 白匙に倒されながらも、そのままやられるというわけにはいかないのだろう。すぐにとられたマウンドポジションを逆転しようとしていた。

「くっそ、やられるか! ふざけっ!」

 白匙が振り上げた手には銃。その銃身で殴りつけようという考えだ。

「そう簡単にはさせないぞ」

 ガンマと自分の名を言ったその追手は、言いながら笑い、その手をとると、勢いのまま腹筋と腕力でポジションを逆転させた。

「ちっ、くそ!」

「これで終わりだ」

 躊躇い無くガンマが白匙に銃口を向ける。

 目と鼻の先、超至近距離だ。回避は不可能。

「やめ……っ!」

 隠れて様子を見ていた龍堂だったが、ここで我慢できなくなって廊下へと飛び出す。彼が殺されるのを黙って見ているなど、出来なかった。

 勿論急に人影が現れれば、状況は基本無視して銃口はそちらへ向けるのがプロの反応だ。

 そして施されたのは、プロの反応速度。

 銃口は一瞬で龍堂の胸の辺りを捉えた。

「ひ……っ」

 銃口を向けられた恐怖から、龍堂は身動きが出来なくなる。すぐに身を床へ投げるなりすれば良いと、頭では考えているのに巧くいかない。

「やめろ、お前っ!」

 白匙が叫んでガンマの握る銃に手を伸ばすも、あしらわれる。

 そしてトリガーが引かれ――……、

「そのぐらいにして頂けませんか?」

 ることは無くかった。

代わりに、銃口はガンマの反応に任せて、突如彼の真横に現れた人物がガンマへ語りかけたことによって、そちらへ向いた。

 その人物は、朝礼で毎朝良い話をすると噂の学院長、神門帝秘だった。

「銃」

 呟き、向けられた銃口から弾丸が放たれるより早く、その銃身を手首ごと左へ方向転換させた。早過ぎたので正確ではないが、恐らくフック気味のパンチだ。

 あまりの衝撃に、取りこぼした銃は虚しく廊下を滑っていく。

「で、仕込みナイフ」

 言葉通りにガンマが、手元、弾かれたのとは逆の腕、手首付近の裾から果物ナイフぐらいの短いナイフを取り出した。

 が、取り出した瞬間に、それも目に留まらないアッパー気味の右フックで銃が飛んで行った方へと飛ばされる。

「それで、肉体」

 武器を失ったガンマは、眼下にいる白匙を放置して、神門へと襲いかかる。正確には屈んだままのローキックだ。

 しかし当然それも見破られており、まんまと神門はそれを避け、空気を蹴ったガンマの足を思い切り踏みつけた。

 ポキリと安っぽい音が響く。

「ぎあああ……っ」

ガンマの口からプロらしからぬ、痛みにもだえる声が聞こえる。苦悶の声の原因は間違いなく骨折であろう。

「そんなに行動が読まれやすくては、プロとしては二流ですね」

 言い終えると、神門はトドメとばかりに、すっとガンマの前に屈むと、拳を握り、ストレートを腹に向けて打ち出した。

「…………――っ」

 まともに声も上げられず、ガンマは沈黙した。精々内臓を圧迫されて、衝撃で息を大きく吐き出した。

 ことここに至るまで、神門はずっと笑顔のままだった。

 そして龍堂は思い出した。戦いのやり取りをしていたその真正面が職員室で、学院長室はその奥に隣接しているということを。

「間一髪でしたね、もう大丈夫です。なのでこのまま退避して下さいと、本心では言いたいのですが、ちょっとその前に、良ければ君達にお願いをしたいのですが、お話を聞いて頂けますでしょうか?」

 呆然と廊下に寝転がったままの白匙と、廊下に突っ立ったままの龍堂は目を合わせた。

 互いに断る理由はないなと、軽い恐怖心の下、思って頷いた。


  27  5月21日午後20時2分


「目標はいたか? ベータよお」

「いやロスト……か? でも俺達は完全に包囲したのに、どうやって」

「そもそもガンマは? あいつは四階から下りてくる手筈じゃなかったか?」

「のはず、だったんだがな」

 南階段の横、非常用階段と書かれたドアを開けた先、三階のそのドアを開け放ち、フロアを見ながらそこを見守ってたアルファは、下階から現れたベータに問う。

 ベータは不思議そうな顔をして上を見上げたりしながら答えていた。

「取りあえず様子見てこいよ。この辺は俺が見張ってっから」

「お前に命令されるのは癪だが、了解」

「はっ、威勢が強くなったもんだね」

 軽い言葉のやり取りの後、ベータはそのまま上へ向かった。

 アルファは非常用階段、内階段、三階フロア廊下に意識を配りながら、どこから来ても対処が出来るように、銃は一ヶ所に固定せず、だらんと腰辺りに下げて両手で持っている。

 目もそうだが、耳でも注意を向けていた。

 すると、どこからか物音がする。

 ガンマやボスか。下の方から聞こえたような気がしたので、アルファはそう判断した。物音と言っても、音の発生場所が遠過ぎるのか、音だけでどうなったかの予想はつきそうもない。

 応援に行くべきかとも考えたが、インカムでの要請は無いし、これでただ荷物をどかしてただけですだったら格好もつかないと判断したアルファは、大人しくベータを待つことにした。

 ここで彼が動いていれば色々が変わったのだが、アルファはそれには気付けない。

 少し経って、ベータが上から下りてきた。

 非常用階段の方に背を向けて、アルファの方に顔を出して首を振った。

「駄目だ、誰もいない。どうなってるんだ?」

「さあな~。まさかガンマまでやられたなんてことはないよな」

「……可能性は考えて動いた方が良いかもしれないな。それより、ここまでくると……いや、でも可能性は拭えないか」

 急にベータが一人で言い始める。後半ごにょごにょと言い始めるので、アルファには聞きとれなかった。

「ああ? 今なんつった?」

 キレ気味に返すと、ベータは神妙な面持ちで顔を上げた。

「もしかしたらだが、インカムの通信が相手方に傍受されてる可能性がある」

「はあ? ……マジか?」

「ああ、だって考えてもみろ。俺達はインカムで情報をやり取りしながら、目標を追い詰めようと画策していた。普通なら既に捕まえていてもおかしくない。なのに、捕まえるどころか逆に姿すら見失ってるときた。

 相手が高校生なのにそれほどの実力者、と考えるよりかは、通信が傍受されていてこっちの情報が筒抜けだったと考える方が自然じゃないか?

 可能性としては、

 シータのインカムだな。さっき一度廊下越しに追い掛けた時、二人の内の女の方が、メットと防弾チョッキを装備してただろう? 他にインカムを奪い取られていても、おかしくはなかったってことだ」

 アルファは話を聞きながら嘆息した。

「俺らがそれだけ油断してたってわけか。あーあー、確かにこいつは難儀な仕事だぜ。俺らが盗るはずの目標物すらロストしてるってーのに、暢気に関係もない学生と追いかけっこしてるなんざ、名折れも良いとこだな」

「ああ、まあそれはここから巻き返すしかないな」

「オーライ、そうしてやろう。今朝の遅刻分、取り返さなきゃだしな」

「となれば、この南階段が云々も敵のフェイクかもしれないな……」

「そうか? 話を聞くだけならまだしも、そこまでしてくるか? それは相当だぜ? だったら、ガンマがこの事に気付いて、俺達ごと騙したって方が正確じゃねえか?」

「そうか……そうも考えられるのか……」

「まあ、可能性の探り合いをしててもしゃあねえ。一先ず、ボスのとこに合流しようぜ。インカムが使用不可となっちゃあ、実際に会って話すしかないだろ」

「そうだな。ああ、そうしよう。じゃあ一応こっちもフェイクのインカムを飛ばしておくよ。アルファは内階段から頼む、俺はこっちから下りる」

「オーケー」

 アルファは言葉を返し、もう一度三階を軽く見まわし、廊下が未だ無人なのを確認してから階段に足を踏み入れる。

 そういや、物音のことを言うのを忘れたな。警戒していくか。二階の非常用階段でベータにはそのことは伝えよう。

 思いながら、三階と二階の中間の踊り場に差し掛かる。

『……南階段異常なし……』

 インカムからざあざあという音の後に、ベータの声が聞こえる。例のフェイクか。アルファがそう思った時、外階段側から激しい物音がした。

『……いいい? 馬鹿な、何だこいつ! 早い! 応援を! 応援を!』

「ちっ、何が!」

 ベータがこの状況下で呼ぶ応援は、アルファだけだ。だからこのインカムはアルファへのインカムととれる。アルファは駆け出し、二階非常用階段を蹴り開ける。

 即座に銃を上に向けると、女がいた。タイトスカートにジャケット、いかにも社会人一年目の新人ですみたいな恰好の女だ。

まあスカートのスリットは腰までいってるし、タイツはボロボロだしでどこの痴女かといった風体だったが、その顔付きは見た目とは裏腹に明らかに修羅場を知っているもののそれだった。

 そんな女の横には、ベータが倒れている。見るに既に意識を失っているようだ。ベータの銃も既に彼女の手中にある。銃を持つ手の逆は、長い棒状のものを持っている。

「へえ、随分と良い女がいたもんだなあ。ええ?」

 アルファの挑発に、女は反応もしない。

 と、またインカムに反応がある。

『ガンマ……向かう、もう少し待て……っ? ちっ!』

 ガンマも無事だったか、思ったのだが、今のインカムの後半は、良くない想像が浮かぶ。

「もう一人のお仲間も、終わりみたいね。ってことだから降参とか、したらどう?」

 女が言う。

 余裕の表情で、というやつだ。

 アルファはそれに対して笑った。

「はっ、冗談! こんな良い女が目の前にいるんだぜ? その高慢ちきな態度と表情をベッド上で改めさせるまでは、降参なんざ死んでも御免だね」

 女は侮蔑を込めた眼差しを送ってくる。

「下品な人ね。随分と余裕みたいだから伝えとくけど、一階にいたお仲間はもう既に私が沈黙させてるからね。それが余裕の正体なら、改めなさい」

 アルファは息を呑むが、反応には示さない。

 一階ってことは、ボスがやられただと……まさか。となると、さっきのインカムからガンマにも危険が及んでると考えると、援護は望めないということか。

 勿論アルファは女ぐらい一人で何とかして、そのままお楽しみタイムに突入だくらいにしか考えていなかったのだが、彼女の言葉が本当だとすると、実力は底知れない。

 どちらにせよ、援護がもうないと敵に悟られてはおしまいだ。下手を踏めばガンマを片付けたもう片方の敵が、背後からにじり寄ってる可能性もある。

 これ以上敵に有利な情報はあげられない。

「はっ、だとしたらなんだ? 関係ないねえ。そもそも、お前らは俺らが何人のチームか、判って動いてるってのか?」

 そこまでの情報を握られていたとしたら、終わりだ。はったりのためにそれを質問とした。

「さあ? 私は、まあそれについてはどうでも良いの。それで、ここに生徒はいないの? さっきの南階段がどうとかって通信、嘘だったのかしら?」

 彼女の言葉に、アルファは彼女の耳の辺りをみる。自分達のものとはタイプが違ったが、インカムの様なものを耳につけている。通信傍受の疑いは確信に変わった。

「どうだろうなあ。もうどっかに拉致ってる可能性もあるぜ?」

「そう。だとしたら早く吐きなさい。痛い目見たくなかったらね」

 女の目付きが変わる。口にしたのは安い挑発だというのに。ということは、彼女の目的はそこにあるということだ。

 女は銃を腰の辺り、背中の方へ仕舞い、長い棒だけを左手に持つ。

 普通なら銃を使う場面だが、とアルファは考え、警戒した。

「ああ~じゃあ、解放しても良いぜ? ただしアンタが俺の相手を一晩中してくれるって言うのなら、だがなあ? 良い条件じゃないか? そんな格好してるんだ、アンタも嫌いじゃないんだろう? ベッドでのお楽しみ。

 あーそれともベッド外の方が良いか? 俺はそれでも大歓迎だぜ?」

「それがよっぽどなら考えるけど、貴方みたいな下種相手じゃ、鳴けもしないわ。それならその辺の犬の相手でもした方がマシよ」

 挑発に挑発で返されて、アルファは少し苛立ちを覚えた。

「へえ……俺より犬ねえ、そっちの変態だったか。まあ良い、調教してやっから、覚悟しとけよ。女ああああ!」

 湧き上がる激情に任せて、アルファは右に銃、左に仕込みナイフを手にして、階段上の女の方へと駆け上がる。

 女は変わらぬ余裕で立ちながら、跳んだ。

 丁度かくかくの螺旋階段みたいなこの外階段は、間が空間になっており、やろうと思えば踊り場などから真下の階へ跳ぶことが可能なのだ。

 女とアルファの立ち位置は、二階踊り場と、二階と三階の間の踊り場。

 アルファが上へ駆けたところを、彼女は身を乗り出すステップも踏まず、器用に右手を軸にして足を外へと放り、駆けてくるアルファの横、その空中を落下していた。

「なっ、無茶苦茶な!」

 叫びながらアルファは銃を向けるが、撃つ前にそれは女の手にした棒で弾かれる。

 鈍い痺れを感じた時には、銃は階段の外へ吹き飛んでいた。

「ちっ、この女、生意気な!」

 女はそのままアルファの後ろへ着地する。そこを狙ってアルファは襲いかかる。ナイフを逆手に握り、空いた右手は拳を握って。

 ナイフの手を振る。

 段差のない踊り場は人二人が入るとギリギリのスペースだったが、そんな狭さの中で、戦いは繰り広げられる。

 女はアルファの迫る手を、内側からからめ取るように弾き、棒を振って腹部を狙ってくる。

 アルファは腹部狙いのそれを、拳を握った手で受ける。痛いは痛いが、我慢できない程のものではない。

 歯噛みして、アルファはいなされた左手からナイフを投げ捨て、女の腕を取りにかかる。女はそれを嫌がってか、アルファの手を弾き飛ばそうとしたが、強引に手首ごと掴む。

 アルファはそのまま勢いに乗りたかったので、少し痺れた右手を開き、半ば強引に女を押し倒した。棒を弾くことまでは出来なかったが、その手首ごと押さえ込むことには成功した。ベストではないが、及第点だろう。背中からコンクリ製の階段の床へ叩きつける形で。

「か……はっ!」

 背中への衝撃で、身動きを一時的に封じたアルファは、その流れに乗って女の腰にのしかかり、残った自由になっている足は両足を器用に使って絡み取った。

 これで完全にマウンドポジション、アルファの勝利だった。

「威勢の割には長く続かなかったなあ~女。どうだい? 今から俺の今夜の相手をサービス満載でってんなら、命だけは助けてやるぜ?

 ちなみに嫌だってんなら、ここで好き勝手遊ばせてもらった後に殺す。

 どうだい? 俺だってお前みたいな良い女を殺したくはねえんだからさ、ここは素直に従っとけよ。そしたら今後も沢山遊んでやっからよお。なあ?」

 足なり腕なりを動かそうと躍起になって身じろぎする女を、アルファは力技で床から動かさない。上から下への圧力は重力も相成って、強力なのだ。

「随分と余裕みたいだけど、それが過信だって気付けないのかしら?」

 だというのに、女は減らず口どころか、表情も強気のままだ。

 身動きも取れない以上、それがはったりなのは明確だったのだが、それでも気味は悪い。

「じゃあ楽しませてもらおうかっ」

 言いながらゴーグルを装備したまま、女の顔へと近付いていく。間近になればなるほど、濃すぎないナチュラルメイクなのに美麗な顔付きで、アルファをそそった。

 こんな女と遊べるとはラッキーだったぜと、気を抜いてしまった。

 故に、少し痺れを残したままの右手の拘束が甘かったことに、アルファは気付けなかった。

 激しく瞬間的な力を発されたせいで、女の左手がしなる。

 早い……っ、口に出すまでもなく、その手に握られた棒がアルファの側頭部を狙う。

 だがアルファはそれをギリギリで弾かれた右腕を上げて、止めた。

 危なかった、やり取りは俺の勝ちだ。そう、アルファは思った。

 しかし、後方からカツンと言う音がしたと思った瞬間、後頭部に強烈な衝撃が走った。延髄の辺りを直撃したのだろう。身体の筋肉が弛緩する。

「ふっ」

 女は当然その好機を逃さず、アルファの顎に後頭部への衝撃と共に拘束を解いてしまった右手で、強烈な掌底を叩き込む。次いで腰を跳ね上げて、膝でアルファの背中を蹴り上げ、上った身体の腹に向けて右の肘を叩き込んだ。

「ぐうあ」

 まともな声も発せず、身体の様々な場所が痛みを発する中、されるがままにアルファは先程とは逆に、背中から床に落ちた。

「私の武器はただの棒? そんなわけないじゃない、相手の手の内が判らない段階で、私をどうにかしようと押し倒したのが、貴方の敗因ね」

 朦朧とする意識の中で、アルファは見下ろしている女を見やる。その手には棒ではなく、棒だったものの間、その途中が三節棍のように折れていた。ただ折れ場所が二か所ではなく一ヶ所で、位置が持ち手部分よりもかなり上なのを見るに、これは三節棍ではない。

 女の武器は、フレイルだ。鞭の異種。

「言ったでしょう? 貴方みたいな外道の相手は御免だって。だから取りあえず、眠ってなさい。起きたら何もかもが終わってるわ」

「きさま、何者だ……? 同業か?」

 アルファは最後の力を振り絞って、そんな質問を投げ掛ける。

「違うわよ。私は教師、生徒を守る現国の教師よ」

「はっ、素人なのに……この強さか……」

「冗談、あなた方は殺しのプロかもしれないけど、私は生徒を守るプロよ。その状況において負けるなんて、絶対にないわ」

「ふふ……そうか、ならしゃあねえか。好きにしろ」

「二流は最後のセリフまでばっちり二流ね。まあ、生徒の方は学院長に聞くとしますか。ならもう良いわ、貴方は寝てて」

 言って、女は足を振り上げる。

「残念だけど、二流に上げるサービスはないわ」

 月光の下、スリットの入りまくったスカートで、新体操張りに踵を振り上げた。

 アルファはそれを眺めていた。

 せめて逆光じゃなければな。

 最後に黒タイツの足の付け根部分を凝視していたアルファはそんな下らないことを考えた。

 ギリギリで見せないとは、随分と良い女だな。

 胸部への踵落としを食らい、蓄積された衝撃でアルファは気を失った。


  28  5月21日午後20時10分


「で、生徒はどこにいるんですか? 把握はしてるんですよね、学院長」

 男が倒れている横で、愛園はその辺に向けて言う。

『そこについては後で謝りますが、今この学院には、私達と敵、それ以外の生徒は二名しかいません。手を繋いで逃走していた男女です。他二名は、合成映像です』

「はあ? 何を言ってるんですか? それが本当だとして、どういう意図で?」

『貴方に正急性を持ってもらうため、だったのですが、良くなかったですか?』

「当たり前です。あまりに酷い冗談です」

『すみませんでした。調子に乗っていたようです。取りあえず、生徒二名は私の方で保護しましたので、御心配には及びません』

「……まあ良いです。彼等が無事なら。それで、他の敵は?」

 気を失っている男の腹を踵でグリグリやりながら訊くが、インカムから声が聞こえてくることはない。

 自由な人だなと呆れつつ、愛園は男が本当に気を失っていることを確認した。

 そうして敵の沈黙を愛園が確認したところで、真正面の二階廊下へ出るドアに影が見えた。

 敵かと、即座の反応で指し棒を向けるが、その先にいたのは見知った人物だった。

「黎ちゃん? どうしてこんなとこに?」

 ポカンと口を開けて立っていたのは、愛園が探していた白匙だった。その背後には恐る恐るといった形で、龍堂もいる。

「それは、どちらかと言えば私のセリフよ。どうして貴方達は退去時間を過ぎた学校に?」

 愛園は棒を下ろし、伸縮機能を使って元の三十センチサイズに戻す。

 それから教師らしい声音で言った。

「ああ~それはまあ、……」

 まごつきながら二人は視線を逸らす。

「あ、でも先生もどうしているんだ? 教師だって退去時間には従わなきゃだろ?」

 思い出したかのように白匙が言う。

「話を逸らすな。まあ、確かに私もイレギュラーだものね……」

「お互い様ってことで!」

「喧嘩両成敗、みたいにまとめない。全く、白匙君は」

 呆れた口調で言うも、一先ず彼等が無事で良かったと愛園は安心した。

 と同時に、他の敵からの追撃を危惧した。

「待って、まだ近くに敵がいるかもしれないから、警戒して」

 愛園が言いながら、辺りを警戒し、二人の方に寄ろうとすると白匙は、ああと何かを思い出したように切り出す。

「あーそれなら大丈夫だと思うぜ。俺らは伝言を持って来たんだ、先生に。まあ相手が黎ちゃんだなんて聞かされてなかったから驚いたけどな」

「伝言?」

「ああ、学院長から直々に。南階段で追手と戦ってる人がいるから、伝えてくれって。で、もし危なそうだったら手を貸してやってほしい、とも言われたぜ」

「学院長から、……ねえ?」

 愛園自身が守る側だというのに、立場を逆転して生徒である白匙に愛園を守らせようとは、あの人もかなり良い趣味をしている。愛園はどうしてくれようかと真剣に考えた。

 そもそも今の発言も彼は聞いているのだろうから、インカムに何か言葉が来るかと思ったのだが音沙汰がない。良い度胸だなと愛園は思った。

 段々愛園の中で、学院長への恐怖心が失せていく。昨日あんなに怖がっていた自分を殴ってやりたいとさえ考えた。

「おう。で、伝言の内容が、追手は貴方が戦っている人で最後です。後詰めとして外に潜んでいる可能性もありませんので、目の前の人物の排除に成功したらご安心を、だと。

 だから、これ以上敵が来るって心配はいらないぜ。あの学院長が言うんだから、流石に間違いはないだろうしさ」

「へえ、判ったわ。それで、その他には何か言ってた?」

「えっと……黎ちゃん? 顔が非常に怖いけど……?」

 愛園は自分ではそんなつもりはなかったのだが、全てが学院長の目の下というのがかなり気に入らなかったらしい。表情にもそれが出ていたようだ。白匙が見るからにビビっている。

「いや、何でもないわ。それで、学院長は他に何か言ってた?」

「いや……他には何も。俺達にはその人にそれを伝えてくれたら、後は帰ってくれて構わないとか言ってたけど」

「へえ……そっか、判ったわ。じゃあ私が許すから、一緒に学院長室に行きましょう?」

「え? あ、うん。判った」

 廊下に出て一階へと至る内階段を下りる。外階段の敵の処理は、学院長がどうにかするだろう。愛園は思いながら、少し足音を大きめに立てて下る。

 背後から二人の足音が聞こえるのは、一応確認して。


  29  5月21日午後20時23分


「で、この状況の説明をしっかり彼らにもしてくれるんですよね? 神門学院長?」

 立場は確か学院長の方が上だったようなと、白匙は思いながら、愛園が学院長室で奥に座っている神門に詰め寄る愛園を見ていた。

「いや、それはしたいが、愛園先生だって、それがそう簡単には出来ないことだって言うのは判ってくれているんだろう?」

「理解はします。でも最低限の説明はすべきと思いますが? 彼らは仮にも命を狙われたんですよ? そうなるに至った説明を受ける権利ぐらいは、あると思いますが?」

「いや、それは判るのだが……」

「言いわけは結構です。イエスか、ノーかでお答え下さい」

「……――……イエス」

「宜しいです」

 愛園はしっかり敬語を使ってはいるのだが、言葉の端から端まで、全く敬いというものを感じさせない。案外彼女は凄いのだなと、白匙の中で愛園の評価が上がった。

 そんなやり取りを二人が交わしている最中も、白匙の片手には龍堂の手がある。一階で敵とやり合って、神門に頼み事をされてからずっとだ。思い返せば、その前もほとんどずっと手を握っていた気がする。

やはり怖かったのだろうか、白匙はそんな龍堂が可愛くて、手を離そうとも言えず、ここまで来ていた。

 まあ嫌な気分はしないし、むしろ高揚しているので良しとした。

 と、向こうの話がついたのか、愛園が神門の横に秘書みたいに立ち、学院長の目がこちらを見た。この状況でも笑顔は張り付いているのだから、彼の世渡り術は相当のものと言えるだろう。想像はできないが、それほどの修羅場を潜ってきたのだろうことは、先程助けてもらった時の実力で理解は出来る。

「まず、今回は君達を巻き込んでしまったことを悪く思う。深くお詫びする」

「へらへらと謝らないで下さい」

「誠に申し訳なかった」

 愛園に言われて、神門の表情が引き締まった表情になって、再度謝罪の言葉を述べる。さっきの関心を取り消したい気持ちになった。どうやら神門は女性の尻に敷かれるタイプのようだった。自分の通う学院の長の性癖など、知りたくもなかったが。

「それで、今回の襲撃は、これを狙ってのものなんだ」

 言って、神門は足元から銀色のアタッシュケースを机の上に出した。大きさから、テレビのドラマなんかのやり取りで大金が入ってそうなレベルだった。

 神門が手際よくそれを開く。

 すわ金かと思ったのだが、そこにはまた黒いアタッシュケースより小さめの箱が鎮座していた。その箱の周りには緩衝材が敷いてある。

 大仰に神門はその箱を取り出すと、机の引き出しから鍵をいくつか取り出し、箱にいくつもある鍵穴に差し込んでいく。そうして数秒そんなことをして、やがてカチャリと鳴った箱を神門は開く。

 中には透明のケースが緩衝材の敷かれた中央にあった。

 だがその物が小さ過ぎるのか、良く見えない。

「…………?」

「近くに寄って構わないよ」

 神門に言われて、龍堂の手を引いたまま、白匙はその箱の方へ歩み寄る。

 視界に入った透明ケース越しのそれは、小さな歯車だった。所々錆びて見えるが、その年季の入り方がまた精巧さを際立たせているかのようだった。

「これは?」

 白匙はそれが何だか判らなかったみたいだが、一緒に見た龍堂は違ったようだ。グッと白匙の手を強く握って反応を示した。

「これ、は、まさかとは思うけど『アンティキティラの歯車』……?」

「はあ、何だそれ」

 白匙の言葉も気にせず、龍堂は神門に詰め寄る。

「本物だとは思いませんが、レプリカか何かですか? それにしてはかなり精巧ですし、厳重に保管されていますが」

「君の期待にはそえられそうだ。これは本物だよ。ギリシアのアテネ国立考古学博物館から個人的に借り受けた」

「まさか……凄い!」

「そんなに凄いものなのか?」

 価値が判らない白匙は呆けた顔で言う。

「勿論。だってこれオーパーツよ? しかも本物。まさかこんな間近で見れるだなんて、思ってもいなかったわ!」

 対する龍堂のボルテージは随分上がっている模様だ。

「ちなみにこれを借り受けたのは……」

「そこは掘り下げ無くて良いんですよ、神門学院長。それで、説明は?」

 調子に乗って更なる説明を添えようとした神門の舵を、愛園が握り直す。

「ああ……そうだったな。それで、このオーパーツを運び入れたがために、あんな違法な手段で奪おうとする輩が現れてしまったというわけだ。そこに君達が学院に迷い込んで、遭遇してしまったと。想定外のことで危険な目に合わせた。すまなかった」

 神門程の人物が頭を下げるなんて、白匙はそう思う。

「いや、俺らも勝手にルール破ってここにいるわけですから。一方的に謝られる謂われはありませんよ。こちらこそごめんなさい」

 普段は大人にも気にせず話す白匙だったが、ことこの状況ではしっかりした言葉を選んでいくことを選んだ。愛園に敷かれた神門が可哀想だったという思いもあったが。

 背後の龍堂も白匙に倣って、ごめんなさいと言った。

「いや、構わないよ。お互い様だ」

「って言うことよ。取りあえず、もう危険はないみたいだから、君達は寮に戻ること。良いわね? 裏門を空けてあるからそっちから出て」

 神門の言葉の端から愛園が続きを話した。

 龍堂は少し名残惜しそうにしていたが、一目見れただけでも彼女としてはそれなりに満足していたらしく、白匙が手を引いて帰ろうかと言うと、満足そうに頷き、笑んだ。

 職員室経由で廊下に出て、裏門前の職員用下駄箱へ至る。

「そういや、麗華の靴は? 俺はここにあるんだけど」

 自分が靴を入れた下駄箱を一発で当てて、それを足元に放って白匙は言う。

「私のは、自分のに入れちゃったんだよね……。だからこれから取りに行く。先に帰ってても良いよ」

 言って龍堂は手を離そうとする。

 だが白匙はそれをさせない。

「良いよ、付き合う。一緒に行こうぜ。ここまで来て最後に離れ離れは無いぜ」

 言ってほほ笑みかける。辺りが暗闇だから、こんなことを言えるのだろうと自分について考察しながら、白匙は言った。

 本心は、少しでも長くいたかったのだ。

 あの自分のクラスから窓越しに見た時から気になっていた子が、こんなにも近くにいて、そしてずっと手を握ってくれている。そんな夢みたいな時間が、ちょっとでも長い方が良い。そう考えていたのだ。

「そう……? ありがとう。じゃあ、お願い」

 龍堂の声を聞いて、少し声が震えて頬が赤く見えたような気がしたのだが、月明かりのせいだろう。気のせいに決まってる。空気がそう聞かせるんだ。

 そうして、白匙が手を引くことも無く、龍堂が手を引くわけでもなく、一度ギュッと握り直した二人は、ゆっくりと正門の方へ向かって歩いていく。

 勿論靴をとった帰り道もゆっくりと。

 会話は無かったが、とてつもなく短く感じた。

 白匙は少しでも長くと、歩幅を狭め、緩やかに歩いたのだが、龍堂も疑問も述べずにそれに従ったところを見ると、同じように思っていたのだろうか、などと考えてしまう。

 照れくさくて逃げだしそうになる白匙だったが、夜闇に紛れたこの時だからこその一時を無駄には出来ないと、ドキドキに耐えて、裏門を出ていく。

 そうして暗い道を、二人はまた黙って、ゆっくりと歩いて寮へと帰った。

 白匙は期待していた秘密を見つけることは出来なかったが、恋心を見つけることが出来た。


  30  5月22日午前9時23分


 気が付くとシータの視界は真っ暗闇だった。手足をもぞもぞと動かすも、どうにか出来そうな気配は無い。いくら動かしても動けない。

 一体どうなっているのか。そもそもここはどこで、今はいつなのか。とにかく情報が欲しかった。現状を把握する為の情報が。

 ただし、こうして身動きを始めて、どやされるやら暴力を振るわれるはしていないので、周りに誰かがいて、拘束されたというわけではないらしい。

 目と口、手、足、とにかく必要なそれらが完全に封じられている。鼻は呼吸をさせるためか塞がれていないが、鈍痛が酷い。その痛みで思い出す、そう言えば殴られたのは鼻だったなと言うことに。下手をすれば折れているかもしれないと思ったが、今はどうでも良い。

どうにか現状を打破できないかと、何とか足を無理矢理動かし、身体をよじったりしてみると、直ぐに壁らしき障害物に激突する為、ここが狭い場所だということは理解出来た。箱の様な物に囚われているのか、考えるも埒が明かない。

 とにかく、手か足を自由にしなければと、辺りに身体をぶつけて何か探す。硬いものに幾度かぶつかるので、それを利用しようと考えた。

 背筋やその他の筋肉、普段使わないような部分の筋肉も総動員して、幾度もぶつかったお陰でその硬いものが棒状に、先に何か鋭利な物がついていることが判った。腰の辺りにその部分が思い切り引っかかって、苦悶の声を上げながら把握したのだ。傷の功名というやつだ。

 その鋭利な先端を利用して、シータはまずは手の拘束を解きにかかる。二重にも三重にも拘束されているのか、大分時間はかかったが、外側の拘束を破ることには成功した。そこまでいけば、最後の拘束は力任せに……とはいかなかったが、肩関節の柔らかいシータにとっては難しくもない抜け技を使って、拘束から逃れた。

 そこで実はこの拘束されている箱の外に敵がいたとしたら、物音を立てたらばれてしまうかも? シータは考えたが、もしそうだったとしたら既にばれているだろうと考え直し、まずは顔の拘束を解いていく。そこでやっと自分の拘束が布製のガムテープで施されていることに気が付いて、肌から取る時や、ひげや髪に当たっている部分が痛くて最悪だったが、何とか我慢の末、取りきった。

 息を切らしながら、視界が確保されたことに安堵して、足の拘束も解いた。手の拘束には自分のベルトの上からガムテープだったが、足の拘束は知りもしないベルトの上からガムテープだった。

「誰のだよ」

 毒づいてから、真正面、光の漏れる小さな穴があるそこを、思い切り蹴飛ばした。

 と、そこは見慣れない学校の教室で、外からは陽光が注いでいた。

 暗視ゴーグルを取り、背後を見ると掃除用具入れがある。どうやらそこに放り込まれていたようだ。腕の傷を作り、シータの拘束を取るために使われた道具は、所謂ガム取りの大きい版みたいなもので、もんじゃ焼きのへらみたいなものだった。

 そんな掃除用具入れを感慨深げに一瞥してから、教室を見回す。

 辺りに人影は無い。黒板には体育! とデカい文字で書かれているので、移動教室ということだろう。机の上には脱ぎ散らかされた制服などがある。

 壁を見やり、時計を見ると示す時間は9時過ぎ。辺りの様子から伺うに、朝の9時と言うことだろう。

 シータは所々痛む身体を動かしながら、考えた。

 現状はどうなっているのかを。

 情報を取得しようとインカムを探すが、見当たらない。どうやら意識を失った時に奪われたということらしい。

 少しずつ記憶が蘇ってくる。

 この教室で、月光の下で女子高生に遭遇し、撃つか撃たないかを迷ったところを、男子高校生に後頭部を強打され、マウンドポジションを取られ、昏倒させられたということを。

 月光の下、ほぼ逆光だったが、暗視ゴーグルのお陰で奴の顔は覚えている。

 憎々しい。

 自分の作戦を邪魔立てされた上で、こんな仕打ちをされて掃除用具入れなどに放り込まれるなんて、最悪の気分だ。

 状況は、自分が助けられておらず、依然として当たり前に学校が通常に機能しているところを見ると、良くないことは確かなのだろう。

 シータは基本的に悪い方に悪い方に考えるタイプなので、この時点で自分だけ取り残されて作戦は失敗、部隊は全滅というところまでは考えていた。

あながち間違っていない想像なのだが、シータにその答えは判らない。

 と、キーンコーンカーンコーンという鐘の音が、教室に設置されたスピーカーから響いてきた。それはつまり、授業が終わり、休憩時間になるということだ。

「悠長に構えてもいられないか」

 考える間もなく、シータは自分が見つかることを危惧し、運良く目の前にある沢山の制服から自分に合ったサイズのものを見つけると、即座に着替えて教室を出た。

 廊下は休憩時間になったからか、生徒でごった返している。すぐに不審に思われるかとびくついていたのだが、案外誰も話し掛けてもこない。どこの世界も自分のことがまず一番と言うことなのだろう。

 ある意味ラッキーだとシータは思う。かと言って闇雲に歩いても埒が明かない。とにかく先に学校から出て、上と連絡をとるか。そう考えた。

 のだが、良いのか悪いのか、

 あの時の男と、ごった返す廊下ですれ違った。

 そこでシータは冷静さを失った。

 近くの男子生徒に声をかける。

「なあなあ、あいつの名前、何だっけ。忘れちゃってさ~」

「ん? ああ~あいつ? そりゃあ危なかったな、あいつの名前は白匙誠。あいつを名前で呼ぶと――……」

 不審に思いつつも答えてくれた男子生徒には感謝しつつも、言葉を最後まで聞ける余裕は無かったシータは、名前を聞いた時点で駆け出していた。

 少し距離のある助走をつけて、声をかける友達の振りをして拘束し、殺してやる。

 様々な必要事項、優先事項を度外視して、怒りのままにシータは思った。

「おーいっ、誠!」

 左手に先程仕込んでおいたナイフを握り、跳びかかる。

 捉えた。そう思ったのだが。

 白匙誠とやらは、振り向き様に、

「ああん? 名前で呼ぶなっつってんだろうが!」

 と叫び、肩と腰を入れた本気の右フックをシータの顔面に入れた。

「っくはあ!」

 反撃などする間もなく、シータは吹き飛ばされた。そのまま壁やら床に頭や背中をぶつけたせいで、意識も消えかけている。

回る視界の中で、

「きゃあ」

 という黄色い声がした方を向いた。

すると、女子高生が二人スカートの裾をおさえている姿が見えた。

 せめてもう少し早く見上げてれば、そんな馬鹿なことを考えながら、視線は真っ白な太腿に固定して、そのまま最後の刺客でもあったシータは気を失った。

 カランと、無情にもナイフがシータの手から滑り落ちた。


  31  5月30日午後16時44分


 愛園黎は、学院長室にいた。

 封筒を神門の座る机の上に置き、スーツ姿のままその真正面に立っていた。

「で、こうなるに至った経緯は?」

 神門は相変わらずの笑顔。

「それくらいは、学院長も想像がついているのでは?」

「生徒を巻き込むような研究、及びルール。そして生徒の安全を第一に考えないという思考についていけないと考えたから、といったところかな」

「お察しの通りです」

「だが、私の研究は無期限の凍結。地下研究室も封鎖して、オーパーツもギリシアの博物館に返還した。特待生については、また違った研究材料を、今回の様な危ない品ではなく取り寄せるということで合致した。勿論彼らには地上に特別室を設けた上で、通常の授業も一部は受けてもらうという方針にして、他の生徒との交流も図った。完全退去時間も来月からは廃止し、生徒の下校時刻をある程度融通がきくようにする。教師に関しても残業は可で、その代わり宿直制度を取り入れる。

これ以上君は何を望むと言う?」

「ですから、それを」

 言って指し示した愛園が置いた紙には、ボールペン字で丁寧に『辞表』の二文字が書かれていた。

 神門は面白くなさそうに笑う。

「そうなのだろうが、私は君が、これ以降もこの学院に残るために、こういった措置をとるための助言をしてくれたと考えていたのだが、違ったのか?」

「私はあくまでも、あなたのやり方がそのままでいられると困るから、今後の生徒達の為に恐縮ながら口添えをさせてもらったに過ぎないです」

「恐縮ながらな物言いでは無かった気はするが?」

「恐縮ながらに、です」

「まあそこについては構わない。で、辞職と?」

「ええ、教師としてこの学院に残るのは、不本意を通り越して嫌なので」

「そうか……では、このもう一枚は?」

 言って、神門は愛園が出した『辞表』と書かれた封筒の下にある、別の封筒を示した。

 殊更に笑顔なのが、愛園としては苛立たしい。

「そのままの意味ですが?」

 外には特に何も書かれていないので、神門は辞表の方は脇において、もう一つの方の封筒を手に取り、封もされていないそこから、折り畳まれた紙を取り出した。

 音を立てながら神門が開く。

 そこに神門の視線が言ったところで、愛園は口を開く。

 彼に先に口を開かれてはたまったものではない。

 あくまでも、愛園は先手を打ちたいのだ。

「教師としては御免ですが、私としては貴方の様な危険人物をのさばらせておくのは、正直気持ちが悪いので、秘書として務めさせて頂こうと思います」

 開いた紙は履歴書で、御丁寧にも職歴の古楯学院の部分は既に退職と書かれているし、資格の部分には秘書検定他、秘書になるにあたって、申し分のない資格が書かれていた。

「私に関わるのは嫌になったのでは?」

「上司としては、嫌です」

「秘書になっても私は上司じゃないか?」

「だとしても、秘書としての忠告が十重二十重で出来ますので」

 神門の笑顔に倣って、愛園も全力の笑顔で返す。

「本当に君は面白い。秘書ではなく、妻にならないか?」

 軽薄ながら本気じみた神門の言葉に、愛園は無言で笑顔全開の表情を見せた。

 答えは決まっていた。

 こうして、愛園は古楯学院の現国教諭ではなく、神門帝秘専属秘書に肩書きを変えた。

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