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  18  5月21日午後19時9分


 ボスを始めとした5人の部隊は、今回の仕事場である古楯学院の校門近くにある庭の様な場所に紛れて潜んでいた。匍匐の体勢で決行の時を待つ。

 散り散りに待機しているものの、無線を飛ばしたインカムで声は届く。

『決行は19時半に例の物品が学院内に運び込まれた瞬間を狙う。その段階では警備は激しいだろうが、その後は緩くなるはずだ。故に、物品を運び込むために門が開いたところを利用し、何とか学院内に潜り込む。そうしたら、ゆっくりとそれを追跡し、ベストのタイミングで襲いかかり、物品を奪取する。タイミングは指示を出す。良いな』

『アルファ、オーケー』

『ベータ、了解』

 耳元で行われていくやり取りを聞いて、シータも首元にセットしたインカムのボタンを押しながら声を出す。

「シータ、了解」

『……ガンマ、理解』

 耳に入れるタイプのイヤホンに似たそれが、シータには気持ちが悪かったが、支給品に文句を言えるような立場でもない。大人しく我慢していた。

『全員の理解を確認。それでは決行まで待機せよ』

 ボスの言葉を聞いて、シータは息を落ち着かせていく。

 先程まで見た目は酒場のアジトでの話を思い出す。

 今日の狙いは、オーパーツ『アンティキティラの機械』だ。

 古代ギリシアの歯車式機械、その一部。

 星の位置の計算や、日付の算出に使われたと考えられている紀元前100年に作りだされた、と言われている物品だ。

 その歯車の精巧さは驚くべきもので、30以上の歯車が使用された最古の複雑な科学計算機として知られている。

 使用方法は確実ではないが、その精巧さが技術的に現在の人類が生み出したのはその時代より千年は後の話。つまり『アンティキティラの機械』は、千年もの技術レベルを上回って作られた物品とも言えるのだ。

 周りの文明にはそぐわない物をさすオーパーツという言葉、それを見事に体現していると言えよう。

 シータ自身そういう工芸品や、歴史的価値のある物などには興味があるので、個人的に拝んでみたいとは思う。それがどういう意味を持ってとか、そこまで考えを巡らせるにはシータの頭では足りないが、凄いなと圧倒されるぐらいはしてみたい。

 そう考えている時点で、ボス率いるチームの中で、オーパーツに最も興味を持っているのだが、シータは自分では気付いていない。

 そもそもその物は、ギリシアのアテネ国立考古学博物館に保管されているはずなのだが、今回狙うそれはまごうことなき本物なのだろうか。

復元品にしてもアメリカの博物館などに保管されているのだから、それでも十分な価値はあるのだが、自分達の様なきな臭いチームが、人は殺さないに限るが必要なら殺してしまえ、なんて命令を受けた上で派遣されているのだ。

 恐らくは本物なのだろう。

 だとしたら国を渡ってまで影響力を持つ、この学院の長と言うのは一体何者なのか。そこにも興味が湧いてくる。その者については、この作戦にあたる前に簡単な説明は受けていた。

確か個人で大きなプロジェクトを成功させ、考古学界に多大なる功績を残したとかなんとかって話だ。シータ達の指揮系統である上の方々も、その部分までは判ったのだが、それ以降が不明瞭らしい。

 任務につく前に個人的にも調べてみたが、成果は得られなかった。

 詳しくは、この学院を設立するに至ったまでの流れなどが、曖昧極まりないのだ。

 これは探りを入れると命が消し飛ぶレベルだな。長年培われた危険察知能力がそう言っている。シータはそんな風に思いを巡らせていた。

 そうして、時は来た。

『目的の物を乗せているらしき車両発見』

 ベータの声が耳に響く。

 目線を送ると、黒い何の変哲もない自家用車がいた。

 普通の色だし、車両自体に不自然さは無いのだが、場所と時間が不自然過ぎる。

 目的の車両であることは間違いないだろう。

『了解。そのまま見張れ、全員匍匐のまま門に近付け』

 ボスの命が下り、シータもそれに従って、匍匐前進で暗がりに見える車両と門に近付いていく。辺りには鬱蒼と低い植物が生い茂っているため、ばれる要素は低い。

 運良くそのまま全員がばれること無く接近することができ、車両の方は門のロックを開き、中へ入っていく。

 報告と違ったのは、警備員が一人もいないということだ。

 そこについては、不自然さは抱いたし、疑問にも感じたが、かと言って止まるわけにもいかない。

 ある程度進むと、運転手と助手席に乗っていたのであろう二人の男が姿を表し、車の中からアタッシュケースを取り出すと、校舎の入口に向かう。

 生徒達が使う下駄箱のある場所だ。

『追うぞ。俺に続け』

 言って、ボスが門へと駆けていく。

 次いで近くに控えていた、アルファ、ベータ、シータ、ガンマが続く。

彼らはロックに従って閉じていく門をボスに続いて、ほとんど足音も立てること無く駆け抜けた。

 目的の車両のエンジン音にかき消されるぐらいの音での追跡だったのだが、向こうの方が上手だったのか、二人の男のうちの一人がこちらを見やった。

「急げ、追手が来てる!」

 そいつが叫び、二人はアタッシュケースを抱え込んで、走りだす。

「ちっ、もう良い。撃て!」

 ボスが舌打ちをして、肉声で言う。

 それに従ってサイレンサー付きの間抜けたヒュッと言う音が響いて、こちらに先に気付いた方の頭が打ち抜かれる。どうやら撃ったのはベータだ。良い腕をしている。

「ひい!」

 続けてもう一人にはアルファの銃弾が放たれるが、仲間が殺されてびくついたのか、悲鳴と共に頭を下げてしまった。

しかもそのタイミングが絶妙で、弾は見事に外れた。

 ヒュッという音だけが虚しく残る。

 その間に男は急いて入口を押し開く。

 だが流石にその段階で、シータの弾丸とガンマの弾丸が襲いかかる。

 ほぼ同時に聞こえた音が、二つの弾丸となって、逃げている男の両足に当たる。

「ぎああ!」

 痛みに声を上げて反応する。男は逃げ場を失うも、アタッシュケースは最後の悪足掻きか、下駄箱の奥にある廊下の方へ放り投げた。

「あの野郎、余計な真似をっ!」

 苛立ったアルファが男の脳天を撃ち抜いて、邪魔者二名は排除した。これで後は物を持ち出せば任務完了だ。

 死んでいなかったら困るので、ボスが各人に二発ずつ弾丸を放ち、死亡を確認。

「物を盗ったら退避するぞ」

 そう、他四人に告げて、学院の中へ入ると、奥には不可思議な人影があった。

「何だ?」

 ボスの言葉と行動に倣い、後詰めの四人もその影に銃口を向ける。

 廊下に放り出されたアタッシュケースと、そのすぐ近く、下駄箱の影に隠れた所にいる謎の影の人物。

 警戒度は高いまま、五人が奥へ進む。

 と、もう後数メートルというところで、その影がアタッシュケースに向かって飛び出してきた。シータとベータはアタッシュケースに当たることを危惧して撃たなかったが、アルファとガンマ、そしてボスは各一発ずつ銃弾を放った。

 しかし、その影は止まらない。一瞬でアタッシュケースに飛び付いたかと思えば、目にも止まらぬ速さで左の廊下へと消えていった。

 その際聞こえたのは、微かだったが確かにあれはモーター音だった。

 最前にいたボスとアルファがすぐさま、その廊下の先へと銃口を向けるも、二人は撃つこと無く残りの三人に視線を向けると首を横へ振った。

「人じゃなかったか?」

「多分、機械だな。あれは。ここはバカでかいからくり屋敷かっつーの。アホみたいな速さしてやがったぞ、んの野郎。こいつは確かに余計な警備はいらねえな。あれらがこの学院を守ってるってんなら、実質それで十分だろうさ」

 ベータの質問にアルファが答える。

 言葉の端々に苛立ちがある。

 そんなアルファの横、ボスが三人の方に歩み寄り、全員に聞こえるように話す。

「こうなっては仕方ない。各人別れて探索を開始しよう。状況は最悪だが、やれる限りを尽くさなくては帰れない。どんなトラップがあるかは判らないが、慎重に進むことで対処しよう。アルファとベータは左、俺を含めた後の三人は右だ。

アルファとベータの二人はそのまま一階の探索。こっちは各二、三、四階の探索にあたる。何かあれば適宜インカムで報告。良いか?」

「オーライ、ベータとってのはちょっと不服だが」

「うっせ、行くぞ」

「了解」

「……理解」

「それで、途中人を見つけたらどうします? 殺しますか?」

 全員の返事の後、最後にベータがボスに問う。

「ああ、殺せ。生徒だろうが関係ない。ことこうなってしまっては、隠匿性を保つためには、我々の存在を知ってしまった者の口を封じるしかない」

 ボスは、後半は淡々と全員に向けて告げる。

「了解です」

 シータは気乗りしなかったが、ボスの命令とあれば仕方ないと、頷く。

 ガンマも続いて頷き、ベータも「了解」と告げた。しかし唯一アルファだけはそうもいかなかった。ふざけたテンションでベータの肩に手を乗せたのだ。

 ボスを除いた三人に目配せしながらアルファが言う。

「まあ、でも女子は殺すなよ。せめて可愛がってから殺してえ。とにかく俺がやりてえからその時はみんな、連絡よろしくっ」

「ふざけるのも大概にしとけ、任務中だぞ」

 ベータが窘めると「はいはい」と返事はしていたが、アルファのあの口ぶりは本気だ。シータはそういう場面になった時に連絡をするか少し悩んだが、そんなことはどうでもいいと気を取り直した。

「行くぞ」

 というボスの声を聞いて。

 各人の返事を聞いた上で、五人は別れて学院内の探索に入ることになった。そしてシータを含む三人は右に曲がり、近くの階段を警戒しながら上り、二階にボス、三階にガンマが探索に向かい、四階をシータが探索に向かった。

 そうして警戒しながらだだっ広い廊下を歩いていく。

 病院みたいに気持ちの悪い広さと白さだ。病院と言う場所に生理的嫌悪を抱いているシータは、内装だけで気分が悪くなっていた。

 そんな静けさの中、変化が訪れる。

各教室を開きながら進んでいたシータは、途中自分が今調べている教室から少し離れた教室から、不自然な物音を聞いたのだ。

 誰かいるのか……。

念のためインカムで『四階にて不自然な物音あり、探索に向かう。以降応答がなかった場合は注意されたし』と一言入れて、物音のした方へと向かう。

 四人から返事の声が響く中、心臓の拍動を感じながら、シータはその教室に向かう。ドア越しに聞き耳を立てると、未だ物音は聞こえる。

 覚悟を決めてシータはドアを開け放ち、銃口を中へ入れ、人影に向けた。

 その先には、間抜けた顔で口を開いたままの、結構可愛い女子高生が床に座った体勢でこちらを見ていた。

 あれ? そう思ったものの、不審性は消えないので銃は下せない。

 ボスの命令とアルファの言葉が脳内で渦巻く。

 シータ自身も人を、しかも女子高生のような子供を殺すのは憚られた。

 トリガーは直ぐには引けない。

 そんな時だからか、妙にその女子高生を観察してしまい、可愛いなと再度素直な感想を抱いてしまった。

 口元だけでもと笑いかけると、女子高生もぎこちない笑顔を返してきた。


  19  5月21日午後19時25分


 白匙は昼間の内に自分で工作しておいた窓が機能しておらず、物の見事に閉まっていたことで一気に苛立ちを募らせたが、まさか空いてねえよなと触ってみた裏門が簡単に開いたので、テンションを跳ねあがらせた。

「おお~これは俺に探索してこいって、神様が言ってやがるな!」

 信仰者でも何でもないが、白匙はそう言って中に入っていく。

 学院内は奇妙な暗闇を演出していた。

「これはいよいよ何かあってもおかしくないな~」

 呟きながら職員用の下駄箱を抜ける。近くの来客用の下駄箱に靴を放りこんで、スリッパを履く。パタパタうるさいかと思ったが、足の裏に集中してればそうでもない。

などとスリッパの調子を確かめていると、職員用下駄箱の右横の影に、へんてこな機械があるのが見えた。

 大きさは白匙の腰ぐらいまでで、太めの業務用掃除機みたいな見た目だった。どこにも吸引部分がないようなので、掃除機ではないようだ。

 目元らしき部分が緑色に点滅している。

 まさか侵入者対策かと身構えたが、反応は無い。仮に警備ロボットだとしたら、あまりに機能がお粗末すぎる。侵入者がこれほど近付いても反応なしでは、まあもう少ししたらスクラップ決定だな。

「まあさ、頑張れよ」

 白匙はその機械の頭らしき部分を叩いて、元気付けた。

 当然何だかも判っていないのだろうその機械は、結局光の点滅で反応して見せたぐらいで、一度として動くことは無かった。

 それでも白匙はうんうんと頷きながら、左へ曲がっていく。

「機械も案外大変なんだなあ~」

 一階はあいつが見回ってるみたいだし、先に上から見ていくかと考えた白匙は、そのまま階段を上がって二階から見回ってみることにした。

 だからと言って何を探しているわけでもなかったので、直ぐに息詰まる。

 大体、どんな秘密があるって言うのか。

 怪しいのは一階だな、とは白匙も思っていた。何故なら、一階の方が地下などに隠し部屋を作りやすいからだ。

 勿論他の階にもロックされた教室などがあれば怪しいのだが、そんなものはここに来るまでに一つとして無かった。ちなみに白匙は今現在三階だ。

 片っ端から教室という教室のドアを開け放ってみたのだが、引っ掛かることも一度としてなく、すんなりと開けられた。

 そうなると、教室内は全てが普段通りの教室。精々明かりが点いているかいないかぐらいの違いしかない。

「もっと何か、あると思ったんだけどな」

 このままだと、成果を得られないまま探索は終わりそうだ。

 拍子抜けだなと思いながら、白匙は最後の階である四階に辿り着く。

 自分の教室なんかを見てみたが、余計に何も無いことに落胆するばかりだった。

 そうして白匙は、昼間のことを思い出す。対面の教室、そのクラスにいた文庫本を持った女生徒のことを。

「行ってみっか」

 別に何かがあると期待していたわけでもない。最早ここまで来れば、何も無いのも仕方がないとさえ考えていたからだ。

 だからこれは、単に白匙の欲望だった。

 あの女生徒がいた場所を見てみたいという。

 昼間だと用事もないのに他クラスに行くなんて、正直気まずいが、誰もいない今の時間ならそれも関係ない。欲望の赴くままに、だ。

 あれほど楽しみだった探索が、いざしてみるとつまらなくて拍子抜けしてしまったが、最後はどうやら良い締めになりそうだなと白匙は思った。

 これが終わったら帰ろう。

 思って足を動かす。廊下を歩んでいく。

 視界に例の教室が見えた。月光が教室内から漏れ出ている。

 つまり、教室のドアは開いていた。

 加えて言うなら、その月光を遮る影も見えた。

 完全退去時間まで設けるような完璧な学院が、戸締りの漏れ? 有り得るだろうか。そもそも、あの影は物だろうか、人だろうか。

 当然有り得ないと切ってしまうには要素が無さすぎたが、それでも異常だなという風には捉えられた。

 一応慎重に、そのドアに近付いていく。もう邪魔になったスリッパは脱ぎ捨て、靴下さえも廊下に放り投げていった。

 裸足で音を立てずに、迫った。

 聞き耳を立てると物音がする。誰かがいるのは間違いない。

 ということは、先程のは人影か。

 緊張するも、慎重さは忘れない。

 開いたドアに目を向けていく。少しずつ首を動かしていって、目線を教室内へと向けていくのだ。すると、広がった視界の、すぐ目の前に男が立っていた。

 しかもその男は何かを、前に向けて立っていた。

 慎重に慎重に、足元の影にも気を配りながら、男の先を探る。

 そうして見えた先には、女生徒がいた。怯えた表情で男を見上げていた。

「何もしなければ撃たない、良いな?」

 男がそう言った。

 そう言ってくれたことで、男が背を向けていて見えなかった何か、女生徒に向けて彼女が怯えている何かの想像がついた。勿論確証はないし、有り得ないんじゃないかという考えもあったのだが、そうだったら謝れば良いんだと考えた。

 だから、白匙は背後から男に飛びかかり、腰を入れた右フックを後頭部と右側頭部の中心辺りを狙って振り切った。

「な……っぐえ」

 呻き声もまばらに、男の身体は吹き飛ぶ。丁度教室の前方、黒版に頭から吹き飛ばされた。酷い音がして、衝突させられたのは判ったが、音の高さから頭の激突ではない。

 思って飛んで行った男を見れば、頭にメットがかぶせられていた。

「ちっ」

 いきなりの攻撃に驚いたのか、銃は取りこぼしてくれたみたいだが、意識は途絶えていなかった。

「そこの女の子、銃を確保してくれ! 早く!」

 言いながら白匙は倒れた男へ馬乗りになる。

 マウンドポジションだ。大きく拳を握り、振り下す。意識が軽く断絶しているのか、一発目のそれを男はガードし損ねた。見事に鼻の辺りに拳が当たり、骨が折れた感覚が拳の端っこに伝わってくる。

 その一撃で怯んだ隙に、顎に拳を入れる。マウンドポジションでの無理矢理のアッパーだったが、それもガードされること無くクリーンヒット。

 男は見事に白目を剥いて意識を失った。

「ふう」

 一息ついて、白匙はすぐさま男のメットを外した。ついでに意識を失ってすぐの今のうちにと、防弾チョッキを頂き、加えて耳に装備していたインカムもぶんどってやった。

 そこまでやると、そのまま手際よく男の腰紐、つまりズボンのベルトを外した。そしてそれで男の腕を後ろ手にぐるぐる巻きにしてやった。足は白匙自身のベルトを利用した。無茶苦茶に縛り上げてやったので、簡単には取れないはずだ。

「なあ、アンタ。銃の確保は出来たか?」

 そこまで至って、やっと女生徒の方を向いた白匙は言った。

「ええ。一応は。それで、君は一体……?」

「ああん? 俺はここの生徒だ。16時半に生徒も教師も学院から完全退去、なんて馬鹿げたルールを作った要因を探るためにここに来た。名前は白匙……だ」

 名前を言うのが嫌で、名字だけで誤魔化してみたが女生徒は別段不審がることはなかった。

「そう、なんだ。とにかく助かったわ。ありがとう。私は龍堂麗華よ」

「オーケー麗華、で、君はこいつが何だか知っているのか?」

「ううん! 知るわけない! 私は読みかけの小説を取りにきただけよ! それで帰ろうとした時に、こいつが現れて……」

 龍堂の言い方から、白匙は少し考えた。そして不自然に彼女に近付く。月光下でもその姿が判るぐらいの距離に。

 そして理解した。この子が、あの授業中も文庫本を読んでいた、あの女の子だということに気が付いてしまったのだ。

とは言え、龍堂麗華、彼女はそれに気が付いていない。ということはやはり彼女には俺が見えていなかったのだろう。距離があり過ぎた、仕方がない。

その事実は少し残念だったが、境遇を考えれば、好都合と捉える事も出来る。

「な、何よ?」

 急に寄ってこられて驚いたのか、勝気な表情の割に弱気な声を出す龍堂。

 そんな姿に、白匙はまたドキリとした。

「ふふ、いや何でもねえよ。まあ、巡り合わせだ。麗華は俺が守ってやるから、ここから脱出しようぜ?」

 心臓の高い拍動に合わせて、気障なセリフを吐いた。

 自分でも無いなと思ったのだが、意外にも龍堂は、

「そう……? だったら、よろしくお願いするわ」

 と言ってきた。よっぽど怖かったと見える。

「おうよ。じゃあ早速なんだが、ガムテープとかあるか?」

「ええ、クラスで使っているのが、確か」

 龍堂はそう言って、教員用机の内側から布のガムテープを取り出した。

「ラッキー、布製じゃん」

 白匙は怖々と差し出されたそれを手に取り、嬉々としてベルトで縛られた男を見た。

 手始めにベルトで縛った部分の補強を行い、続けて口と目を覆う。テープを一枚貼るだけでは心もとないので、鼻の穴を除いて頭をミイラ状にぐるぐる巻きにしていった。

 その最中で、

「そこに落ちてるこいつがしてたメットと防弾チョッキを付けとけ。んで、出来ればそのインカムも。どこのボタンもいじらないように装備しといてくれ。メットとチョッキはこれ以降何が起こるか判んねえから、念のため。インカムは、敵がもしまだこの建物にいた場合、運が良ければ敵の情報盗み放題だからな。これを利用しない手はないぜ」

 と龍堂に指示を出していく。

 指示に従った龍堂が全ての装着を終えるころ、白匙の方も完了した。

 そうしてガムテープまみれの男は、教室後方の掃除用具入れに放り込んでおいた。

「さって、これで一先ず完了だが、インカムから何か聞こえるか?」

 白匙は問いながら、教室の外を窺う。

「シータ、シータって何人もの人が呼んでるわ。今向かうって言ってる!」

 抑えた声量で、しかし焦った口調で龍堂が言う。

「はっは、そいつは厄介なことで。多分そのシータってのが、さっきのやつの名前かコードネームかってことなんだろうよ。だとしたら、あまり良くない展開だな。じゃあ、大体で良いから多く見積もって何人の声がするか分かるか?」

「明確じゃないけど、多分四人以上!」

「オーケー、判った。じゃあ今すぐここを出るぞ。ここに居着くのはまずい。とにかく下へ降りよう。一階にまで下りれれば、外に出るのは難しくない」

 言って、白匙は手を差し出す。

 龍堂は躊躇い無くその手を取った。

 女の子の手、初めて握ったそれは妙に温かく、でも震えていて、非常に守り甲斐のありそうな手のひらだった。

 白匙は、そんな龍堂の手を引いて、自分が昇ってきたのとは逆方向の廊下へ、駆け出した。


  20  5月21日午後17時3分~午後19時46分


 神門に連れられて下りて行った場所には、異常なレベルの空間があった。下りてすぐのところは、暗く、機械類が乱雑に並べられた放送室のような小部屋に過ぎないのだが、その更に下方に向かうと、沢山のデスクと沢山の生徒がいた。

 男女は関係なく、乱雑に敷き詰められたデスクに向かって、一心不乱にパソコンを叩く者がいれば、はたまた白紙に何かを書きなぐる者もいた。果ては何かの薬品をかけあわせているような生徒もいた。

 そんな生徒達には共通性があった。見た目で判るのは教師ぐらいのものだろう。それも各クラスの生徒をある程度覚えていなければ、この共通項は出てこない。新任だった愛園は、たまたま生徒の顔をみんな覚えてやろうと躍起になっていたから、直ぐに判ったのだ。

「この生徒達は……全員特待生の……?」

「ほう、よくお分かりになりましたね。良い記憶力です。合ってますよ。ここに集っているのは、この学院のブレインの礎とも言うべき天才達です。勿論学力では計れないような天才をメインにヘッドハンティングしました。

 学力にばかり頼った他校の特待生など、所詮は努力でも登れる壁ですからね。ただし私が探して選んだ、この生徒達は違います。普通なら見落としてしまいかねない才能を、発掘し、探し求め、集ったのです。最初は数人しかいなかったこの秘密研究所も、今やこれほどまでになりました。私も誇らしいです」

 語る神門の表情は、心なしか先程の笑顔よりも過剰な笑顔に見える。

 異常だなと、率直に愛園は思った。生徒をこんな場所に隔離して、普通授業の欠席を認めながら、この時間から彼らにとっての時間が始まる、と。一般生徒の完全退去はこのための布石に過ぎないってことか。

 暫く見学としてその部屋を隅から隅まで見させてもらった。その中で生徒達の様子も伺っていたのだが、異常に愉しそうに作業に取り組んでいることを除けば至って普通だった。

 広さは小さな体育館ぐらいはあるのに、机が密集していてそうは思えない。

 近くの本棚やガラス棚を見てみるが、外国の本か解読不明な外国語で薬品名の書かれた瓶などばかりで、探ろうにも手立てが無かった。

 それでもなるべく時間をかけて一周した。

 そうして一通り回ると、手を執事のように前で組んでいる神門の所に戻ってきた。そして第一声から喧嘩を売るような口調で言った。

「可哀想ですね、こんな檻みたいな場所で、あなたの望む研究をさせられてるなんて」

 侮蔑を込めてそう言うと、神門は意味が判らないという表情で首を傾げた。

「愛園先生は勘違いなさっているようです。彼らは、望んでここにいるんですよ? 周りや一般的社会では認められないような研究、あるいは勉強を好きなだけして、その成果を裏から社会に反映させていくという形を持って。

 これこそが、真に自分の興味を最大限に昇華させた形です。私からしてみれば、彼らのためにやっていることなのですが、御理解頂けませんかね?」

 確かにそこにいる生徒達は、時折凶器的な視線を浮かべている者もいるが、基本的にはとてつもなく愉しそうに作業に没頭していた。

「そうなのかもしれませんが、……それでも理解は出来ません」

 苦々しい表情を浮かべる愛園。

 生徒達の一人として、そんな愛園に気付くことはない。彼らは自分達のやっていることに集中しているのだ。他には一切目が向かない。

「ふむ、まあそう簡単な話ではないのは判っていました。他人に理解されないというのは、私からしてみれば最早当たり前なのでね。それを理解してもらえるような色々を持ち合わせているのも、また当たり前なんですよ。

 さあ、上の部屋に戻りましょう。飲み物を用意してあります」

 神門にそう言われて、愛園はそこにいる生徒達に話し掛けようか迷ったが、結局その愉しそうな表情を邪魔することが憚られ、諦めて神門に従った。

 二人は上の放送室じみた小部屋に戻った。

 そこが何故放送室じみているのかと言えば、辺りが一面ブラックアウトしたテレビの画面で埋め尽くされているからだ。何かのモニターの様だが機能はしていない。

 適当に置かれたキャスターのついた椅子に神門が腰掛け、もう一つの椅子に愛園を招く。愛園は不本意ながら、その椅子に座った。

「学院に退去時間や開門時刻が定められているのは、このせいなんですか?」

 小さな白い丸テーブルに紅茶のポットとカップがある。神門がそれにアールグレイを注いでる時に、愛園は既に質問を開始していた。

「ん、ええ。そうですよ。その時間が、そのまま彼ら特待生の研究時間なのです」

「それは何のためですか? 地下でやることなら、上で何があっても関係ないのでは? もしくは万全の態勢を期すためですか?」

「それも間違ってはいません。ただ全てではないです。答えは、今夜運び込まれる物が知っているのですが、まあお教えしましょう」

 言いながら注ぎ終えたカップを前に、どうぞと愛園に手で合図を送る。

 愛園は会釈をするも、口はつけない。

 神門はそんな愛園に満足そうに頷くと、自分で先に紅茶を含み、嚥下した。

「他の理由としては、彼等が学院の備品を使いたいと言った時に邪魔になるため。後は、この研究において有用な物品の持ち運びが、夜でないと難しいということですかね」

「……? どういう意味ですか? 不審な物を使っていると? ……まさか法に触れるようなことではないですよね?」

「ふふ、まさか。犯罪者を養成するつもりはありませんよ」

「では一体!」

「まあ、そう急かないで下さいよ。時間はたっぷりありますよ」

 言って神門はもう一度紅茶を促す。愛園は、今度は会釈すら返さずにいてやった。

「ふっは、威勢が良い。嫌いじゃないですよ、そういうの」

「お褒めに預かり光栄です。それで、その運び入れている物とは?」

「呆れないで下さいよ?」

「話を引き伸ばさないで下さい」

「良いでしょう、お教えします。何なら今夜その内の一つが届くので、後ほどご覧にいれますよ。で、私達が研究対象として運び入れているものは、オーパーツです」

「……はい?」

 急に話の方向性が頓挫して、愛園は間抜けた声を上げてしまった。

「聞き間違いではありませんよ。オーパーツです。その物品が発見された場所や時代にそぐわない物品のことです。オーパーツ自体略称ですが、意訳すれば日本語訳では、時代錯誤遺物、あるいは場違いな工芸品なんて呼ばれたりします、物です。

 今夜届くのは『アンティキティラの機械』というオーパーツです。物自体は、今であれば問題なく作成できる物ですが、その時代では到底作り出すことのできなかった物品なのです。

 どうです? 神秘的でしょう? その神秘を解明するのが、私と、この階下で研究をする生徒達の望みなのです」

「随分と突飛な話ですね、少し呆れましたよ」

「呆れた、呆れたといいますか。それが今後の文明の存続を左右するとしてもですか?」

「……どういう意味です?」

「世界には幾重もの大量絶滅が存在することぐらいは、愛園先生でもご存じですよね?」

 馬鹿にしているのかという質問の内容に、憤慨しつつも相手のペースに巻き込まれないようにしなくてはと、愛園は冷静さを取り戻す。

「ええ、勿論。それが何か?」

「つまり人類にもいずれ、大量絶滅が訪れるということですよ。当然それが近い将来なのか、遠い未来なのかは判りません。ですが、研究を始めておくにこしたことはない。そして、研究をするなら、私達の文明の発展で得た推測なんてものは役に立たない。だってそうでしょう? 世界の歯車はきっと、それを越えて滅びと共にやってくる。

 さもなくば、恐竜のような一時代を作った生命が、そう簡単に根絶されはしないでしょう。私からすればネアンデルタールの絶滅もその枠組みに入る気がしていますが、まあそこは推論の域を出ないので、置いておきましょう。

 して、私が何を言いたいのかというと、過去に滅びて消えた超古代文明の遺産を研究し、それを解明することで、今の人類の糧としたい。そういうことを私達はしています。

未来に叡智はありません。叡智は過去にこそあるのです。だから、我々は世界にあるオーパーツと呼ばれる物品を探ることにした。私が集めたチームで」

「随分と大仰な考えですね……。俄かに信じるのは難しいですが、仮にそれらが全て正しいとして、疑問が二つほどあります」

「何でしょう?」

「まず一つ目は、そのいつかも判らない滅びのために、何故今わざわざ貴方が動くのかが判りません。利益は何でしょう?」

「…………っく、くっははは! 面白いことを言いますね! 人類の存亡をかけているのですよ? 利益も何も、人類がそのために行動をするのは当たり前じゃないですか! 始めから私の世代で全てがどうにかなるなどとは、考えていませんよ。仮に次の世代、またその子の世代と受け継いでいったとすれば、いつか役に立つ。そう考えた末での行動です。

 ああ、どうせなら、あなたのような人を妻にしたいものだ。いかがですか?」

「お言葉ですが、反吐を吐きそうなのでパスします」

「ふふ、良い気概です。して、もう一つの疑問とは?」

「何故大人の優秀な研究チームではなく、彼らの様な子供をチームとしているのですか? あなたほどの人物なら、世界から有力な研究者を募るぐらい、簡単でしょう?」

 愛園が言うと、神門はつまらない質問を、と言いたげに鼻で笑う。

「大人の凝り固まった脳では約に立たないからですよ。勿論一握り、良い人材はいるでしょうが、私は先を見据えたうえで、あえて今の大人たちから人材を探すのは止めた。

 だって、優秀な子供達を育て上げれば、いずれは大人となり、優秀なチームを築けるでしょう? だったら、必要ないじゃないですか。大人の研究者など」

「……理解は出来ます」

 子供の方が柔軟な考えを有し、大人では考え付かないようなことを思いつく。それは確かにあり得る話だし、十分に現実的だ。

 だが、そのために生徒達の将来を殺すのは、どうなんだろうか。

 その疑問が拭えない。

「まだ考えがまとまらないようですが、重ねて言いますと、彼らは望んであそこにいるのですよ。平凡な未来等望まず、今の探究心という欲求のままに生きている。それは素晴らしいことじゃあないですか? だって貴方だって、その欲求に負けたからここにいるのでしょう?

 そんな貴方が、彼らに何かを言う資格があるんでしょうかね?」

「…………」

 正直言って、そんな資格は愛園には無い。自分でも判っていた。それでも踏み切れなかったのだ。それを許すということに。

「まあ、そこはゆっくり考えて下さい。それよりモニターを見て下さい。もうすぐ例の物品が届きますよ。……ん? おや、予想以上に面白いことになりそうですね」

 神門の言葉に嫌な予感を覚えながら、愛園は部屋一面に張り巡らされたモニターが点いていくのを見ていた。

 そのいくつかに、見知った生徒が映っていた。

「白匙君?!」

 何で彼がこんな所に……しかも、彼は女生徒、あれは龍堂麗華か。その龍堂さんの手をとって走っている。

 何故? 雰囲気から察するに逃げている?

 何から?

 別のモニターに、その答えがあった。

 銃を構えた男が、いくつかのモニターに映っている。

 風貌から見るに、四人いる。

「どういう……?」

 混乱する愛園の傍で、神門は愉しそうに口を歪ませていく。


  21  5月21日午後19時47分


 白匙と龍堂は、廊下を走り抜けていた。

 学院の構成は、四角い建物で。南階段、北階段、東階段、西階段の四つが建物内にある。他には建物の外にある階段が、北と南に二ヶ所ある。

 合計六か所の階段。うまくやれば、最悪敵が五人までは対応できる。

 最初にいた教室が丁度東階段と南階段の間で、出て左に駆けたので向かったのは南階段側。こちらを選んだのは、勿論外階段の有無だ。

 内側の階段は嫌でも目につくが、外階段は判っていないと利用するという概念が働かない可能性がある。

 なるべくなら安全な方を進まなくてはならない。白匙はそう考えて駆けていた。

 一人だったなら防弾チョッキを着込んだ時点で、戦いに赴いていてもおかしくはなかったのだが、今は彼女を守るのが第一優先事項だ。

 階段手前で急ブレーキをかける。

 白匙は裸足だったので、摩擦力がうまく働いてすぐにブレーキがきいたのだが、龍堂はソックスだったためそうもいかなかった。

「わ」

 さっきまでは自分のペースで走っていたのでソックスでも問題なかったのだが、手を引かれ走ったとなれば話は別だ。

 バランスを崩した龍堂は滑って壁に激突しそうになる。

「おいっ!」

 それを白匙がギリギリで引きとめるも、奥に滑った所を手前に引いたせいで、龍堂は見事に宙を舞うことになった。

 ほんの数センチではあったが、彼女の身体は慣性力からも離れ、白匙の方へと落ちていく。

「なっ」

「危ない、ごめん!」

 二人は驚きと謝りの言葉を交錯させた。

 龍堂はびっくりして身を固くすると、目を閉じて落下していくに任せた。

 対する白匙は片方の手は握ったままなので、それで引き寄せながらもう片方の手は包み込むように彼女の背中の方へと回り込ませた。

 落下の速度は随分とゆっくりに感じたので、白匙は問題なく彼女をキャッチした。

「ぐえ」

 ただ腹に向かって思い切り尻から落ちてきたので、呻き声が漏れたが、それぐらいで済んだので、白匙は龍堂を胸に抱きながら言った。

「だい、じょうぶか? 怪我はないか?」

 何とかそう口にして、彼女が落ちてきた時、痛みで閉じた目を見開く。

 そこには、桃源郷のような世界があった。

 彼女との彼我は数センチ。前から抱き締めた形になっているため、彼女の耳元辺りに白匙の顔がある。髪から伝わる甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 同時に身体に伝わる刺激が凶悪だった。

 深く抱き締めた格好になっているわけだが、彼女の方は危険だと思ったのか反射的に足を開いて落ちてきてくれたようで、尻から落ちた形になった。抱き締めながらその体勢になったものだから、足は白匙の背側に投げ出されからまっていた。

 彼女は制服なので、当然スカートだ。

 つまり素足が、布地が、服越しとは言え、当たっていた。

 既に夏服にしていたことが、白匙にとって最高の美点だった。その異常なまでの柔らかさが身体全体で感じられる。

 どれほどその体勢のままだったか。

多分ほんの数秒の間だったのだろうが、体感では数分の至福の時に思えた。まあ離れてみると数秒だったと実感してしまえたが。

 彼女は上半身を引き、身体を起こす。それにならって白匙は背側に回していた腕を解く。

「うん……何とか大丈夫、だよ。ありがとう、そっちこそ痛かったでしょう? 大丈夫?」

「ああ、俺は大丈夫。そっちが平気ならオッケーだ」

 片言ながらそう返す。いくら上半身を離してもほぼ馬乗りの体勢、白匙はにやけそうになる口の端を、無理矢理許容範囲に抑え込んだ。

「…………」

 だが唐突に龍堂は会話を切って、インカムの耳部分を覆って耳に押しあてた。それは聞き取りずらい声を聞こえやすくするための措置に見えた。

 白匙は声を上げるのを止め、龍堂が聞きやすいようにした。

 みるみるうちに彼女の表情が曇っていく。

 目は開き、緊張の面持ちに変貌していく。

 何があったのか、そう聞こうにも声を上げて良いのか判らない白匙は大人しく待った。すると、龍堂が白匙の耳元に唇を寄せた。

 ふわりとまた良い香りがするが、夢心地は彼女の言葉ですぐさま現実へ引き戻される。

「上の階で物音、調べてくるって声がした」

 白匙はそれを聞くと、握っていた龍堂の手を放し、すぐに身を起こそうとした。龍堂はその動きを察して、馬乗りになっていた足を解いた。

 その一瞬、太腿のその奥が白匙には見えた気がするが、辺りが暗過ぎて定かではない。頭がピンク色になりつつあったのを、頭を左右に揺らして振り払うと、また彼女の手を取る。

「待って、ソックス脱ぐから!」

 言った龍堂はその場で両足のソックスを脱ぐ。スカートで完全素足というのは、また目のやり所にこまる格好だったが、そんなことは口には出せないので「行こう」と彼女を促すと、誤魔化し気味に白匙は駆け出した。

 物音が聞こえたとなれば階下、しかも一番近いこの南階段の可能性が高い。

 そう考えた白匙は、一刻も早くその場から離れることを選んだ。未知数だったが、外階段とは言え、同じような位置の階段を使うのは躊躇われたので、白匙は更に奥へ廊下を走っていくことを選んだ。

 向かうは西階段。

 裸足の乾いた音が四つ。真っ暗な学院内を響き渡る。白い壁や床が功を奏したのか、月光だけでも十分に足元が確認できる程だった。

 だだっ広い廊下の端、教室側に寄りながら走る。

 窓際に少しでも身体を晒さないためだ。教室が四角い校舎の内側にあるので、窓は校舎外の景色を映している。そっちに何かあるわけでもないが、外側に敵方の仲間がいたら嫌だなと危惧したのだ。

「ねえ、こんな状況なのに、何で君、白匙君? は楽しそうなの?」

「はあ? そう見えんのか?」

「うん、だって口元緩んでる」

 言われて、先程の出来事がまだ尾を引いていたかと、白匙は口元を引き締める。

「ふふっ、無理しなくて良いよ。楽しいの?」

「んー、切羽詰まってるのは承知なんだけど、だからこそおもしれえなとは思ってる」

「正直だね、私も最初は怖かったけど、今はまあまあ楽しいよ」

「この逃走劇が?」

「そうだね。男の子に手を引かれて逃げるなんて、物語のヒロインみたいでさ。柄じゃないけどね」

「それだと俺がヒーローかよ、それこそ柄じゃないぜ」

「ふふっ」

「ははっ」

 危機的な状況に晒されて、精神的におかしくなり始めたのかなんなのか判らなかったが、白匙は笑えた。龍堂も同じみたいだ。

 悪くない空気だ。むしろ、楽しくて、良い空気だ。

 とにかく何としてでも逃げだそう。この楽しい一時が終わってしまうのは嫌だけど、それでも龍堂を守るためと、白匙は腹を括る。

 二人して笑い合いながら、退去時間を過ぎた学院内を、銃を持った追手から裸足で逃げている。文章にしてみると、成程二流の物語みたいだ。

 でも、悪くないなと、白匙は思った。

 だって楽しいのだ。あんなにもつまらないばかりだった世界が、光を帯びて見える。不思議なものだなと、他人事のように思った。

 と、そんな空気をぶち壊す出来事が起きる。

 ヒュッと空気を切り裂く音が、白匙の耳元を通り抜けた。

「なん……」

 何だと呟こうとした瞬間、前方の西階段手前の窓がパンッと派手な音をかき鳴らして、外側へ向けて破片を散らした。

 白匙は反射的に後ろを向いた。そこには男が一人、銃をこちらへ向けていた。

煙が銃口から一筋漏れているのが確認できるため、今のは銃弾が白匙の耳横数センチを通過したのだと判った。

派手な銃声が聞こえなかったことから、サイレンサー装備の銃だということが判った。

『不審人物発見! 男女の二人組だ! 女の方はシータの装備をつけてやがる! 西階段側へ向かった応援頼む!』

『ひゃっは、女は残しとけよ! 俺の獲物だ!』

 インカムから二つの声が聞こえた。怒鳴り散らす声量だったせいで、白匙にも装備している龍堂の耳元から漏れて聞こえたのだ。

 背後、銃口を向ける男の背後からもう一人が迫る。あれがもう一つの声か。

「ちっくしょう、麗華! 銃を!」

 考える間もなかったため、白匙は叫んだ。

 龍堂は逡巡するも、迷っている暇はないと防弾チョッキ内側に入れていた銃を、少しまごつきながらも取り出して、投げ気味に白匙に渡した。

 白匙自身銃など手にしたことは無かったが、様になるように演じる。走る足はそのままに、最高の速度で振り向き様に銃口を追手二人へと向ける。

 白匙達は既に西階段に到着しつつあるが、追手はまだ南階段を出た段階だ。後少しでこちらは階段を降りれる。つまり、その一瞬が稼げれば良い。

 撃つつもりなど無い。そのつもりがあると見せつけるためのフェイクだ。

 気分は西部劇のガンマン。とにかくその風貌を見せられれば良い。

 相手に、本当に撃たれると思わせる威圧を与えるんだ。

 良い気概でもって行ったその動きは、なかなかに様になっており、追手二人はその動きに反射的に身を屈ませて床に身を投げた。

 銃声も無いのに大の大人が、二人同時に飛び込み前転する様は、シュールだった。

 ドドンという物音がやけに虚しさを強調してくる。

「ぷふ……撃つわけないじゃん、そんな技術ないぜ」

 ついその姿に吹き出しながら、白匙は銃を向けるのを直ぐに止め、龍堂に笑いかけると、その手を引いて西階段まで一気に走り抜けていく。

 龍堂も、何故か安心したような笑みを浮かべていた。

 廊下の射線から外れる。

 そのまま階段を駆け降りる。

「二階はダメ、追手が来てる」

 笑っていた表情は変わり、真剣な面持ちになる。

 インカムから聞こえる情報を頼りに、龍堂が小声で言う。手を引く白匙にかかる負担はそれほどでもないが、引かれる龍堂にかかる負荷はなかなかだった。

 それでも龍堂は弱音など吐かず、足を動かす。

 龍堂の指示を聞いて、白匙は三階に下り立ち、真正面北階段へと走る。

 右の視界、南階段側に人影が見えたが無視だ。直線を駆け抜けるだけなら、装備万全で重たい彼らより、二人とは言えこっちの方が早い。

 息を吐き、吸いながら、白匙は気付いた。

 龍堂の呼吸が乱れつつあることに。

 どこかで休息をとらなければ、どん詰まりになる。けれど未だに追手の誰かしらの目には捕まっているため、それもままならない。

 何か策を考えなくては。体力を無くしてスピードダウンでは、どうにもならなくなる。

 追い付かれたら負けではない。この逃走劇は、向こうの銃の射程範囲内に入ったら負けだ。先程はほぼ端から端までの距離で、あれだけの精度のある射撃だったのだ。距離どころか視界に入った段階で既に危ない。

 追手全員があれほどの能力を持っているとは限らないが、想定は最悪をしておくに限る。

 考えながら白匙は北階段を下りる。

 降りる前に、背後に迫る敵は確認した。

 既に後方には二人が迫っていたのだ。廊下のほぼ端だが、危険度は跳ねあがる。

「ちっ、まずいか。なら……」

 考えを巡らした白匙は北階段を二階まで下りると、直ぐに近くの外階段へ向かうことを決めた。外階段は、内階段の傍に併設された非常時用の階段だ。

 作りは鉄みたいな緩いものではなく、コンクリ製だ。そこは手すりが高く作られており、万が一追手が外にいても、屈めば気付かれない。そう考えたのだ。

「屈んで外に出てっ」

 立てつけの悪いドアを、なるべく静かに押し開き、二人は屈んで身を外へ出した。

 冷えた空気が、熱を帯びた身体に気持ちが良い。

 階段は踊り場を挟んで、向きが逆になって下の階に降り立つという造り。その中間の踊り場で身を潜めようと白匙は考えたのだ。

 なので一息つく間もなく、龍堂の手を引いてそこまで下りた。

 場所は二階と一階の間。ここならどっちにでも逃げられる。見つかればそれまでな距離感ではあるが、あのまま逃げ続けて体力を失うよりはマシだ。

 二人の呼吸が荒く響く。

 縮こまってその場で座り込んだ二人は、肩を寄せている。手は握ったまま、まるで恋人同士のように二人は揃って空を見上げて、はあはあと口から息を漏らす。

「月が綺麗」

「確かに、バカみたいにな」

 月光は淡い水色の様で、白色の優しげな光にも思える。

 二人を見下ろす灯りに、心を少し癒されながら、状況も忘れて二人は笑った。


  22  5月21日午後19時53分


『おい、奴等はどこいった! 二階北階段周辺いないぞ!』

『良く見たのか、アルファ。くそ……下か?』

『判んねえ、とにかく俺は一階に行くぞ。上は頼んだ』

『了解。ボスは?』

『俺はアルファの方に行く。一階から脱出された方が厄介だからな』

『オーケー、行こうボス』

 アルファ、ベータ、ボスはそうしてやり取りを終えるとそれぞれの持ち場へ向かって駆け出した。

 そんな中、ガンマは一人上の捜索を継続していた。

 四階は既に静かで、先程までの喧騒の欠片も感じられない。ここで先ほど銃撃戦があったなんて、嘘みたいだ。

 にしてもシータはどこへ? やられたのか……?

 ガンマは考えながら慎重に進んでいく。先程の、他のメンバーのやり取りを聞いている限りは、相手は躊躇い無く銃を向けてきたとかって話だ。

 実際は撃たずにフェイクだったようだが、妙に撃ち方が様になっていたとの話で、弾数を気にした巧いフェイクだった可能性があるとベータが示唆していた。

 それ程のやり手なら、シータが既に殺されていても不思議はない。

 とは言え、彼も仮にもプロだ。確かに現行の作戦メンバーの中では、最も力量は低いし、相手がプロだとしたら危険だろうが、素人相手にそう簡単にやられる筈はない。

 殺されていないとしたら、彼は何処にいるんだ。

『一階北から西には見当たらない、南方面もだ!』

『同様に一階逆サイドもだ』

『同じく二階も異常なし』

『ちっくしょう、逃げられたのか?』

『そうとも限らないが、可能性はあるかもしれないな』

『やむを得まい。虱潰しに教室を探していくぞ』

『オーケーオーケー。くっそ、家探しかってんだ!』

 階下は大荒れだ。下で見つからないということは、上で見つけられる可能性はある。

 にしても妙だ。不気味なほどに相手方の動きが良い。まるでこっちの動きを察知しているみたいな……いや、実際に察知しているのか。

 浮かんだ疑問を確かめようと、インカムを飛ばし掛けたガンマだったが、その推論が正しかった時、最悪の結果を招くと考えたので、連絡は止めた。

 そう、シータのインカムを奴等が奪っていたとすれば……? 情報共有などお手のものだろう。どう襲うかの作戦を懇切丁寧に教えてくれるのだ、そりゃあ手に取るようにこちらの考えを把握し、逃げきるなどお手のものだ。

 だがどうやって、アルファ達に知らせるか。ガンマにとっての問題はそこだった。

 そして考えた結果、敵を欺くならまず味方から。その戦略を打つことにした。

『四階ガンマより緊急、南階段隣接非常用階段を目標が下へ逃走。応援求む』

 インカムでそう飛ばしながら、ガンマは北へと駆け出す。

『了解! なら俺は二階から挟み撃ちにする!』

『一階外は俺が見張ろう』

『なら俺は三階に向かうぜっ、一網打尽にしてやる!』

 意気軒昂とばかりに声が返ってくる。

 このインカムが敵に伝わっている前提で考えたとすれば、この情報を耳にした敵方は何処にいたとしても南からは避けたくなる。

 そして近付きたくもなくなる。

 故に、真逆である北に行く可能性が高い。ガンマはそう考えた上で走っていた。

 最悪他の場所にいたとしても、基本的な入口は封鎖している。南側の門は正門、そっちは外の見張りについたボスが守るだろうから、北階段で見つけられなければ裏門をマークすれば良い。思考の末、ガンマは行動に移す。


  23  5月21日午後19時49分


 モニターに映った白匙と龍堂は、明らかに尋常ではない表情を浮かべて逃げている。他のモニターに目を凝らせば、追手の他に後二人生徒が紛れ込んでいた。

 計四人の生徒は必死の形相で逃げている。

「これはっ、どういうことですか! 実際に上で起こってることなんですか!」

 愛園はいかれた映像を前に我を失いかけたが、それでも冷静に努めて、声を荒げた。

 神門は特に焦った様子もなく、回答する。

「ええ、あの組織は恐らく今夜運び込まれる『アンティキティラの機械』を狙って現れた組織でしょうね。どこの国の回しものかは判りませんが」

「何でそんな冷静な! 生徒が襲われているんですよ!」

「まあ物は既に私の優秀なロボットが、真上の学院長室に届けてくれていますからね。最悪の事態は既に避けられています」

「ふざけ……そのオーパーツの方が、彼らの命より大切だって言うんですか!」

「当然です。その究明により助かるであろう人類は、全人類ですよ? 全人類と彼らの命、単純に計らなくても価値の差異は明確でしょう」

 血が愛園の頭に上っていく。この男はどんな思考手順を踏んでいるんだ。脳に思考する為の組織が欠如しているのではないか、感情に関する部分が!

「目の前の命も救えずに、未来の判りもしない滅びを救う? 随分と笑えますね!」

「はは、確かに面白い。私もここまでの事態になるとは思いませんでしたよ。まさかこんな殺し屋なり運び屋を手配してくるなんて、世界にもまだオーパーツの価値を理解している人間がいるということなんですかね」

「くっ! もう良いです!」

 話していても埒が明かないと考えた愛園は、諦めて上に向かおうとする。そこを愛園先生、と余裕のある呼び掛けが響く。

 反射的に振り向いた愛園の方へ、何かが飛んでくる。手で受け止められそうな大きさのそれを、またもや反射的に出した手がキャッチした。

「……っ、これは?」

「それは通信傍受のインカムです。向こうのチームが利用している回線番号が判明したので登録してあります。それを聞いて動けば、より動きやすくなります。また、緊急の何かがあった場合は、こちらから情報をお流しします」

「……頂いておきます!」

 施しなど受け取るかと投げ返そうとしたが、それよりもその有用性を考え、愛園は湧き上がる怒りをかなぐり捨ててそのインカムを装備しながら、真っ暗な階段を駆け上がる。

 タイトスカートにハイヒールとは最悪の相性だと、愛園は自身の身なりに苛立つ。

 そして考えるのも待てず、ハイヒールはその場で履き捨て、タイツの足裏に当たる部分を裂いて、素足を足裏だけ出す。

 次いでタイトスカートのスリットを上まで引き裂いた。

 この際見た目など気には出来ない。

 愛園は腰タイトスカートにと身体の間に刺していた、授業などで使う指し棒を取り出し、廊下へと躍り出た。

 そこで丁度、

『四階ガンマより緊急、南階段隣接非常用階段を目標が下へ逃走。応援求む』

 という太い男の声がインカムから響いた。

「南かっ!」

 一階の北にある職員室から出た愛園は、東階段側の正門を抜けて南へ抜けるコースを選択して、駆け出した。

「間に合えっ」


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