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  10  5月20日午後23時49分


 ベータはアルファと別れた後、また数件の飲み屋で酒を浴びるように呑んだ。今燃やされれば盛大に、それはもうよく燃えるだろうよと言う程に。

「ちっ、呑み過ぎたか。まともに動けやしねえ」

 繁華街の裏路地。ゴミ溜めの匂いがこびりつくそこに、ベータは座り込んでいた。はたから見れば、アロハシャツという服装は季節外れの外国人観光者だが、顔は思いっきり日本人なので、派手好きか柄の悪い人間にしか見えない。

 当然裏路地にはそんな連中がうろつくわけで、いつの間にかベータの周りには柄の悪そうな男が数人で立っていた。

「なあ、あんちゃん。ここは俺らの縄張りなんだ、我が物顔でいられたら、こっちも黙ってらんないんだけどよお。そこんとこ、どうなのよ? 仮に有り金と金目の物全部置いてくってんなら、考えてやらなくもないぜ?」

 グループのリーダー格らしき男が言う。口元の十字架の刺青が不気味だが、ベータはそれを見ても信仰者かくらいしか思わなかった。

「取りあえず、怪我したくねえならその辺にしときな。今なら遊びで済ませてやるからよ」

 ベータは呆れたように言う。

 見上げた夜空があまりにも綺麗で、溜め息が出る。

「はっ、良い度胸じゃねえか! この人数相手にやろうってか?」

 リーダー格の男が言うと、十人ぐらいの連中はそれぞれがナイフやバットなどの、鈍器と刃物を掲げるように取り出した。

 ベータはそれをボーっと見ていた。

「抜いたな」

 見た後、一言そういった。

 そのセリフはそこまでの会話と1トーン落とした声になっていたのだが、それに気付けた人物はそこにはいない。

 なので、

「はあ?」

 と立場が判っていないまま凄むぐらいしか、彼らには出来なかった。

 もしこれがアルファなら、そこでもう既に近くの数人にチャカをぶっ放していてもおかしくはないのだがなどと、ベータは思った。

「だから、武器。抜いたな、っつったんだよ」

 ともう一度懇切丁寧に教えてあげると、腰の銃を手に取ると、手早く銃口を一番手前のリーダー格の眉間へと向けた。

 アルファなら撃ってるなと、また優越感に浸りながら、

「死ぬ覚悟、出来てんだよな?」

 と、本当の凄みというものを、彼らは体感した。

「ひい!」

 リーダー格の男が先頭でそんな間抜けな声を上げると、後は早かった。蜘蛛の子を散らすように裏路地から逃げていった。

 追っても良かったのだが、この様では奴らを全員殺せても、人目につくのは避けられないなと考え直したのだ。

「ちっ、つまんねえ。せめてもう少し楽しませろよ」

 拳銃を下ろし、仕舞う。

 本能的には物足りなかったが、実際は助かったなとベータは思う。

 計画実行が明日に迫っている身で、警察に追いかけ回されるのは御免だ。日本の警察は嗅覚ばかり発展しているので、撒くのが非常に面倒なのだ。

 そんなことを考えてから、その裏路地を離れ、ベータは今夜の宿を探して繁華街を歩く。

 その途中は、明日の計画のことを考えていた。

 ある学院のどこかにあるという、オーパーツの強奪という、聞きようによっては馬鹿げた計画の事を。

「そんなもん探してどうすんのかね」

 古代の文明の名残だとか何だとかって話だが、そんなものを手に入れる理由が、ベータには判らなかった。恐らく深い部分はボスでも知らない。それよりも、もっと上からの命令だからだ。

 にしても、ベータにはそれの価値が理解出来なかった。

 それほどまでの物を手にしたところで、結局は物だ。踏んだり投げつけたりすれば壊れてしまうだろうし、武器にもならないだろう。正直その技術を利用した武器を作って、とかするつもりなら、ベータは銃の引き金を引けば良いと思った。

 武器とも決まっていないのに、そんな余計なことまで考えて、ベータは尚もいらねえな。と考えていた。

 ベータの仕事への意識は、目的の遂行ではない。

 楽しめればそれで良いという考えだった。上の人間の駒になって楽しくなれるなら、喜んで駒にでも馬にでもなってやる。ベータはそう考えていた。

 それでも、ルールは遵守するというのが、彼のらしさでもあった。

 なるべく関係者を殺さず、物を盗み出せという端的な命令をしっかり守ろうとしていた。アルファ辺りは危ないので、またその手綱を握らなくてはならない。そういう役目は勝手にひとまとまりにされているベータの役回りだ。

「面倒くせえ」

 言葉ではそう言いつつも、ベータは決して嫌そうな顔はしていない。

 何だかんだ、巻きこまれるのが嫌いではないのだ。

 自分の表情が期せずして笑顔になるのが嫌なのか、噛み締めるようにベータは顔を出来るだけ歪ませる。

 ポケットの中から煙草の箱を取り出すと、一本咥えて箱はポケットに戻す。

 代わりにジッポを取り出すと、カチンと音を鳴らして煙草の先に火をつける。炎がジッポの銀色に反射して眩しい。

 立ち上る煙を合図に再び音を鳴らして、ジッポも仕舞う。

 そうして、くねる紫煙を纏い、ベータは未だ更けていく一方の、闇と繁華街へ消えた。


  11  5月21日午前5時23分


 毎夜眠るのが早い龍堂麗華の朝は早い。

 日が昇ってそう立たないうちに行動を始める。

ルームメイトの子は丁度真反対のベッドで、猫のように丸くなってすやすやと眠っている。

龍堂はそれを横目に見ながら、起き上がる。目覚ましをセットすることもなく、自分の思う時間に目が覚めるのは、彼女の特技とも言える。

 寝起きならではの起立性貧血もなく、目の冴えは良い。

 寮には二人部屋の他に三人部屋もあって、龍堂が寝起きするこの部屋も三人部屋ではあるのだが、もう一人は基本的に帰ってこない。

その人物のベッドは龍堂と、猫のようなルームメイトとの間にある窓際に隣接しているのだが、今現在そこは空っぽだ。

 ここ数日そのベッドが埋まったのを見た覚えはない。

 月に一度ほどの邂逅があれば十分、そんな希少な人物なのだ。

 当然学校には来ているので、実家に連絡がいってというレベルでもないのだが、何かあるのかと多少は気になる。

 とは言え、気にしても仕方ないのは明白なので、龍堂はいつものように起こしていた身体をベッドの外に出し、軽く伸びをした。

カーテン越しに伝わる日光が眩しい。レースのカーテンなので、やたらと陽光を通してしまうのだ。軽く、素材としては良いのだが、そういう面では困ったものだ。

 寮の部屋は大した広さは無いが、軽い調理ができるぐらいの場所はあり、コンロが二つと水道が併設されている。トイレは部屋には無く、共同のものが部屋の外にあるのだが、風呂については部屋にある。あまり広いものではないが、銭湯の様な共同風呂場が苦手な龍堂からしてみれば、狭さぐらいは気になることでもない。

 出入り口のすぐ近くにある調理場に向かい、真横にある一人暮らし用レベルの小さな冷蔵庫から卵を取り出し、調理場下のスペースから調味料を取り出す。

 寮で朝食を出してくれはするのだが、龍堂は決まって朝御飯は自分で作ると決めている。寮の朝食が朝の7時半からであり、それまで待てないというのもある。

 近くのフライパンを手に取り、換気扇を回す。

コンロの火の元栓を捻り、点火。

 油を敷いて、手際よく卵を割る。

 ジューという良い音を朝の空気に奏でながら、フライパンを揺らす。塩胡椒を適宜振りながら、仕上げにかかる。用意しておいた皿に出来上がった目玉焼きを乗せ、冷蔵庫に残っていたレタスを軽くあしらえば完成だ。

「よし」

 声を出して確認すると、龍堂は飲み物の準備に取り掛かる。やかんでお湯を沸かして、粒状のコーヒーのもとをコップにスプーン一匙入れる。

 そうして湧いたお湯をコップに注いでいるタイミングで、入口のカギがかちゃかちゃと音を鳴らした。

 こんな時間に誰が来るんだ。すわ不審者か、などと一度は勘ぐったが、すぐに違うなと龍堂は思い返した。

 朝早くとかではなく、時間に関係なく帰ってくる奴が、一人この部屋にはいるのだ。

 カチャリと解錠の音が響く。寝てる人を気遣ってか、鍵の開け方が嫌に丁寧である。

 そのまま大した音も上げずに、ドアが開いて、想像通りの人物が入ってくる。そのタイミングで龍堂はゆっくりとお湯を注いでいたやかんを、コンロへと置いた。

「麗華か、相変わらず朝が早いな」

 開口一番に目に大々的な隈を装備した少女。龍堂よりも十センチは小さいその少女が、笑いながら言った。

 隈が激し過ぎて視線が恐ろしく、奇妙な笑顔になっているのだが、彼女自身に悪気がないのは判っていたので、そこについては特に触れることはしなかった。

 背の割に、顔は小さく足は細く長く見え、身体つきも女の子らしいので、悔しいことに見た目で言う大人っぽさは明らかに負けている。下手をしたら、胸の大きさも負けているかもしれない。くびれの曲線も艶めかしい。

 少し嫉妬を帯びた眼差しで、龍堂が彼女の姿を上から下まで見ていくと、最後に再びあまり良くない顔色の目に視線を合わせる。

「朝だけじゃなくて夜も早いわよ。眞波こそ、久し振りに学院以外で見たけど、意外と元気そうで良かったわ」

「ああ、ありがとう。これでも結構疲れてはいるんだがね」

 会話を始めながら、ああ今日が月に一度の邂逅日かと龍堂は思う。

 女の子らしい見た目の割に、老人のような語り方をするため、龍堂からすればギャルなどよりは話しやすい相手だ。

 名前を細波眞波さざなみ まなみと言う。

 名は体を表すと言うが、こと彼女に関して言えばそれは間違っている。

 何故なら波と言う文字が二つも入っていながら、泳げないからだ。肩を越えるカールがかった髪を洗う時も、頭からお湯をかぶるのが怖いらしい。残念なことだ。

「疲れは確かに見てとれるわね。それで、もうすぐ寝るの? 登校時間までは一応もう少しあるけれど」

「そのつもりだよ。1時間でも2時間でもベッドに横たわれるのは良い」

「そう、判ったわ。今丁度朝食を作っていたところなんだけど、食べる? 眠気に良く効くホットコーヒーもあるけれど」

 龍堂がそう言うと、ベッドに向かおうとしていた細波は足を止めて振りかえった。

「頂こう。お腹は空いているんだ」

「判ったわ。私のはまた作るから、この今作った方を食べちゃって」

 語りながら、お皿をベッドからは少し離れた小机の上に置いた。

「ありがとう」

 眠っているもう一人のルームメイトを考えてか、細波は小声で返す。

 セットで箸を置くと、近くの椅子を引き寄せて座った細波は、待ちきれんとばかりに目玉焼きにかぶりつく。

 見た目は可愛いのだから、もう少し節操良く振る舞えば、今より可愛く見えるのに、と余計な気を龍堂は回してしまう。

「ああ、そう言えばコーヒーはどうする? ミルクとか入れる?」

 思い出したことを調理場から聞くと、細波は真っ直ぐに目線を向けて、真剣な眼差しで、いやブラックでと言いそうな表情をしながら、

「ミルクアンドシュガー満載で」

 と言った。

 こういうところは可愛いな、と思いつつ、龍堂は「はーい」と伸びのある返事をして、用意を進め、お望みどおりのコーヒーを細波の下へと運んだ。

 この時点で既に半分は彼女の胃の中にあるのだから、早い。

「ありがとう、恩に着る」

「いいえ、たまの眞波の御帰還だからね。これぐらいはするわよ」

 返して、龍堂は細波の対面に椅子を引き寄せて座る。

「麗華は食べないのかい?」

「私は眞波が眠ったら、また作って食べるから気にしないで」

「そうか、何だか悪いタイミングで帰ってきてしまったな」

「そんなことないわ、むしろとても良いタイミングだったわ。私が起きるより早く帰ってきてたら、こうして話す機会もなかったじゃない。しかも、眞波には朝食まで用意されてる。これって良いタイミングじゃない?」

「ふふ、確かにそうだな。有り難い」

 小声で語らいながら、龍堂は細波がハイペースで朝御飯を平らげていくのを眺めていた。

 と、食べ終わる直前に、細波が唐突に口を開く。

「そう言えば、麗華はオーパーツを知っているか?」

「オーパーツ? と言うと、水晶髑髏とか黄金スペースシャトルとかのあれ?」

「ああ、そうだ。他にはコスタリカの石球やヴォイニッチ手稿などもあるな」

「それがどうかしたの?」

 唐突な質問に、寝起きの脳内を叩き起こしながら、龍堂は会話を続ける。

「いや、麗華はオーパーツについて、どれくらいの知識を持っているかなと思ってね」

 細波は後一口分くらいを皿に残したまま、両腕で頬杖を作り、そこに顎を乗せて、上目遣いで龍堂の瞳を見上げる。

「知識って言っても、考古学的に説明のつかない物ぐらいのイメージかしらね。当時の文明や技術力では到底創作不可能な物品の証拠、あるいは異質な絵画、書物、建物などのことを指すみたいなイメージだった気がするけれど」

 あやふやながら龍堂が答えると、細波は満足そうに頷く。

「十分だよ。で、これについては諸説あってね。

ただ、今の技術で解明されていない過去の技術があって、それを利用して作られたという説や、少し前までは原因不明だったが、検証し直してみると別段不思議もない工芸品だったことが判明した。なんて考えが、今の考古学的には主力な考え方なんだ。

だから、今現在は検証不可能な物品も、いずれは単純な思いつきで破られると、今の頭の固い大人連中の大半は考えているんだ。

 私から言わせてもらえば、そんな考え、どぶに捨ててしまえと言いたいがね」

 彼女の語りが何を意味するのかは判らないが、折角楽しそうに話しているのだから聞いてあげなくては。そう考えた龍堂は、頷きを細波の会話の最中、タイミングを見て挟む。

 細波は気にせず、話を続ける。

「だって、考古学はロマンに近い学問だ。推論やバカみたいな考えを追い求めて、過去の遺物を探る。過去の文明を探る。そういう学問だ。だって言うのに、そんなつまらない考え方をしてたんじゃ、ロマンの欠片もありゃしない。

 どうせなら、超古代文明や宇宙によってもたらされた文明などを信じていた方が、ずっと面白い。私はそう考える。子供ならでは、なのは判っているがね。

 過去には我々現存する人類の文明よりも発達した文明が存在した。そして、その文明は何かの理由があって滅びた。生物史に謳われるような大量絶滅が、何故人類には生じなかったと言えるのか、私にしてみれば甚だ疑問だ。

生物は発展し過ぎた段階で、常に大量絶滅を起こしてきた。

 オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、白亜紀という大量絶滅を経た上で、どうして哺乳類の大量絶滅が起きないと言えるのだろうか。この絶滅には天体衝突説や、スーパーブルーム説などがあるが、その全てが確証を得られていない。

 ならば、現存する人類の存在、つまり猿人がホモサピエンスに進化を果たした後、発展し過ぎた文明が我々では想像もつかない大量絶滅を起こしたと、何故考えられないのか。だって、考えてみればおかしな話なんだ。

 現在の人類であるホモサピエンスは、そもそもの起源は約25万年前、発見されている限りでそれぐらいだ。

それを踏まえた上で聞いてほしい。

そもそも現状の歴史である古代史では、精々紀元前1万年から2万年くらいが技術発展の始まりであり、国などができたと残されている書で記された限界だ。ならば、ホモサピエンスは現行の人類と変わらぬ脳容量を持っていたにも拘らず、二十万年前後も文明を形成せずにのうのうと生きていたというのか? それはあまりにも暴論だと、私は考えている。例えば、現行の文明と同じレベルの発展を何度か遂げ、その度に滅ぼされてきたのだとしたらどうだろう。

 今の人類の技術は、紀元前を含めても数万年。ホモサピエンスが生きていた期間には遠く及ばない。なら、その間にホモサピエンスは技術を発展させたものの、滅ぼされてきた。そう考えるのが自然ではだろうかと、私は考える。

 でもないと、ナスカの地上絵やマチュピチュ、カッパドキア、モヘンジョダロなどの説明を無理矢理にでも出来ない。

 我々では想像もつかない技術が、過去の文明には在った。現存の文明よりも発展した文明が過去に存在していた。そう考えるても不自然にはならないだろう。

 今の研究者や国のお偉いさん、あるいは宗教信仰者は、今よりも過去にあった文明の方が優秀と認めたくないだけなんだ。

無駄なプライドを掲げているせいで、そんなことになっている。

 だから私はそんな頭の固い連中とは違った考えを持ち、違った方向に思考のメスを切り込んでいく。

考えるだけなら、ホモサピエンスと同等の脳容量を持ち合せながら、3万年前に滅んだといわれるネアンデルタール人の不思議。あるいはそのネアンデルタール人が、ホモサピエンスとどのように絡んでいたか、などの関連性。

調べるなら現存するオーパーツの解析を、近隣の歴史解明と共に行っていく。

 そういうことをしていこうと考えると、私はワクワクするんだ。世界には、未だに我々が知らない未知、秘密がどれほどあるのか、ってね。だから私はそれらを究明する」

 そこまで適宜息継ぎを加えて、細波は語った。

 そこで話が途切れたと判ったのは、言葉尻に箸を手に取り、最後の一口を口へと運んだからだ。満足そうに咀嚼し、嚥下する。

 口直しにコーヒーを口に含むと、一息ついた。

「夢のある話だね」

 頷くだけだった龍堂は、やっとそこで口を開いた。

 見方によっては適当に見える返事だったが、龍堂はちゃんと話を聞いた上でその返事を口にしたし、細波もそれを判っていた。

 とにかく人と話していなかったのだろう。話を聞いただけだというのに、細波はとても嬉しそうに笑った。

「ああ、そうなんだ」

 せめて胡椒が歯の間に挟まっていなければ、その容姿も相成って、とても良い絵になっただろうにと龍堂は思ったが、言いはしない。

 嗤う代わりに、笑顔を返した。


  12  5月21日午前6時57分


 昨夜はマスターだった男は、銃の手入れをしながら、店のカウンターに座っていた。

 口元に髭は無く、足元に死体も無い。

「ボス、決行場所の詳細は変更なしですか?」

 ボスと呼ばれた男は、マスターと呼ばれた時とは違って、慇懃な態度ではなく、横柄な視線だけを話し掛けてきた男に送った。

「情報筋からの変更はない。それよかシータ、アルファとベータはどうした?」

「いやあ、彼らは連絡がとれなくて……。多分生きてはいると思うんですがね……」

 ビクビクしながらシータと呼ばれた男は答える。

 ボスはそんなシータに一瞥だけ送ると、そうかと呟き、手入れ中の銃に視線を戻した。

「ガンマは何か知ってるか?」

 シータより奥。ボスと同じく銃の手入れを黙々と行っている男が、その質問に対し「連絡はない」と端的に答えた。

 ボスへの言葉にしてはあまりに軽かったので、シータはまたぞろ震えたが、そんなガンマに対してもボスは変わらず、そうかと述べるだけだった。

 やることを失っているシータも、仕方なく二人に倣って銃の手入れを始める。解体して、部品の細かい部分まで清掃していく。

 命のやり取りをしてくれる道具だ。

手荒に扱うとしっぺ返しが怖い。逆を言えば、それ相応の手入れを施せば、銃は答えてくれるなんて言う奴もいた。

 シータからすれば、道具なんざとよく言っている、アルファとベータの二人と同様の考えなわけだが、この空気の中行動しないなんて彼には出来なかった。

 あまり慣れていないので、手付きは不安定だが、何とか昔の記憶を呼び覚ましながら手入れを続けていた。

 黙々と作業をこなし、粛々と時が過ぎた。

 暫くして、地下にある店の入り口。階段になっているそのドアの先から、二つの足音がまばらに音を鳴らしながら聞こえてきた。

 ボスは作業の手を止める。

 シータも同様に手を止めるが、ガンマだけは変わらずに没頭していた。

 カランとドア上の鐘が鳴って、予想通りアルファとベータが現れた。ベータの表情は疲れており、アルファは正反対に生き生きとしていた。

「いや~すみませんね、ボス。昨日は良い女と出会っちゃって、朝方まで楽しんでたら、ベータのことをすっかり忘れちまいましてね。合流がうまくいかなかったんですわ」

「おい、それだと俺も悪いみたいじゃねえか。悪いのはお前だけだろうが。俺はあくまでもお前に巻き込まれただけだ」

「ああん? 何だと? 酔っ払って足元が疎かだった奴に言われたかねえなあ」

「腰がふらふらでへっぴり腰だったのはどこのどいつだ?」

「内股で震えてた奴に言われたかないね!」

「はっ、お前の方が内股気味だったよ!」

 シータはどちらも同じようなものだよ、と言ってやりたかったが、ボスの手前それは出来なかった。

 というか、ボスの面前だというのに、緊張感の欠片も無く喧嘩をしているアルファとベータの精神構造が計れない。

 他人事だというのに、冷汗を流すシータと違って二人は変わらず問答を繰り返す。胸倉を掴みかかって、という流れにならないのはせめてもの救いか。

「だあから、お前の方が散々なんだよ。昨日の女は良かったぞ~お前もいれば、三人で楽しめただろうに」

「るせえ、それを言うなら昨日の酒だって、極上だったぞ? お前にも呑ませてやりたかったよ。アルファ~」

「酒よか女だ、バーカ」

「女に入れ込むと面倒だ。酒は後腐れがねえから良いんだ」

「それはお前の性格が悪いんだよ」

「何だと?」

 ヒートアップしていく言い合いの中、それを止める音が響く。

 ボスが机を叩いた音だった。

 一気に辺りが静まり返る。ガンマの方からカチャカチャという音だけが響いている。

「いい加減黙れ。遅刻の件については今すぐ脳天かち割ってやっても良いが、それじゃあお前らの価値が無駄になる。だから遅刻の分は今日の働きで差し引いてやるから、そのつもりでとりかかれ。存分に働けよ?」

 怒りを含んだ空気だったが、ボスの発言は優しい言い渡しだった。他のチームだったらこうはならないだろう。最悪その場で射殺、本部から代わりの要因が派遣される。なんて展開も有り得た。

 それでもボスがそうしなかったのは、ボス自身の優しさか、はたまた、怒りにまかせて物言わぬ死体にしてしまうよりも、動いているうちに彼ら、アルファとベータの実力を利用する方が有用と考えたかのどちらかか、あるいはどちらもだ。

 世界は打算と計算が大半だ。

 目には見えないが、そう言う駆け引きが行われた修羅場をシータは何度も潜り抜けてきた。

 故に、今のこの瞬間も同様の空気だと悟ったのだ。

「了解」

「オッケー、ボス」

 アルファとベータはそれぞれ見た目とはちぐはぐな返答をして、目に見える範囲の適当な椅子に座ろうとする。

 と、ボスが再び口を開く。

「ただし、喧嘩は別途料金発生だ。一回ごとに適当な臓器をもらおう。喧嘩両成敗ってことで二人仲良く半分こでの支払いだ。それが嫌ならこれ以降は慎め」

「……了解」

「……オーケー」

 追加の一言で、調子に乗りかけた二人の手綱はボスの手に渡った。

 アルファもベータも黙って離れた席につく。

 互いに戦々恐々と視線で、一時停戦だと語らって。


  13  5月21日午前7時


 完全退去時刻が16時半なら、開門時刻は朝の7時だ。

 仕事場だというのに、半日もいることが出来ないなんて、全くおかしな職場だ。

 そう考えながら、開門時刻丁度に学院に入って、愛園黎は職員室に向かう。

 正門も裏門も完全オートロック製で、開門時刻になると勝手にロックが外れる。普通の学校だと職員の中で鍵当番を決めてというのが普通であり、宿直を設けたり、なんてのがあるのだが、この学院では宿直制度も無い。

 話に聞くと、学院長がここに住んでいるから必要ないとかって話だが、詳しくは知らない。

「いくら創設者とは言え、普通そこまではしないわよね」

 誰もいない静かな廊下で独り言。

 蛍光灯ぐらいにしか聞かれていない、寂しい23の女の独り言だ。

 職員室のドアを開け、いつも通りいの一番に辿り着いたと思ったそこには人影があった。

部屋の端、窓際の辺りだ。昼間の日光程凶悪ではない、緩やかな朝日を浴びているのは、昨日から頭の中を離れない学院長、神門帝秘その人だっだ。

「愛園先生、変わらずお早いですね。おはようございます」

 振り向きざまに、昨日と変わらない笑みを浮かべた神門がそう告げた。

「……おはようございます。早起きは得意なもので」

 何とか笑顔で返す愛園は十二分に不自然だったが、神門はそこについては追及しない。ただ変わらない笑顔でそうですかと言うだけだ。

「学院長こそ、お早いんですね」

 自分のデスクに荷物を置きながら、会話を続ける。

 彼が苦手なのは確かだったが、だからと言って、彼と無言のまま一つの空間にいることは愛園としては避けたかった。

 それ故、会話の継続を試みたのだ。

「ええ、今日はとても楽しみなことがありましてね、年甲斐も無く眠りが浅かったようで、朝が早くなってしまったんですよ」

「そ……う、なんですか」

 それは何ですかと問い掛けようとした愛園だったが、昨日の神門とのやり取りを思い出して無理矢理会話を終わらせた。

 何か踏み込んではいけない何かに、また入っていってしまいそうで怖かったのだ。

 加えて、彼の言う楽しみが、今日の放課後に愛園が来るかどうかについての隠語だったとしたら、自分で墓穴を掘るようなものだ。

 そういう事態を避けるための、会話強制終了だ。

「ええ。それより、今朝は毎度の朝礼は無しです。すぐに授業に入って下さい。余った時間はホームルームに充てるなり、自由時間に充てるなり、それは適宜判断に任せますので。他の先生方にも、そうお伝えください」

 会話を転換したかと思えば、そこまで言い切ると、それではと言って神門は職員室に隣接した学院長室へと引っ込んだ。

 それを見て、再度昨夜の神門とのやり取りを思い出す。

 好奇心に負けるのなら、愛園はあそこへ立ち行ってしまうことになる。

 今の愛園は普通ではなかった。通常運行なら、昨日のようなことを言われても、きっとそうですかと話を流して終われていた。

 だのに、愛園は現在をもっても、行くか行かざるかを迷っていた。

 このままでは行ってしまいそうだとさえ思った。これは危惧や心配ではなく、自分自身を冷静に分析した上で、出た結論だ。

それが間違った選択肢であれ、選んでしまう可能性があった。

「あ~……考えてても埒が明かない! とにかく、仕事仕事」

 愛園は思考を一度、取り止めた。

 カバンに詰め込んでおいた、昨日の採点の途中だったものを取り出し、行い始める。

 帰ってからは結局不安定な精神を隠すかのように、酒を飲み、眠りについてしまった。そのせいで仕事も終わっていない。

「それもこれもこの学院のせいだ」

 精一杯の小声で、愛園は呟いた。


  14  5月21日午前8時33分


 今日の朝は朝礼が無かったらしい。そんな話を、周りの連中がしているのを、呆れるぐらいに耳にしていた白匙は、大きな欠伸をして自席で座っていた。

 朝は基本、授業が始まるかどうかの瀬戸際で滑り込み登校をする白匙にとって、朝礼なんて朝の基本イベントは無いも同然だった。

 確か、各クラスに設置されたテレビから、学院長直々のお話が毎朝15分ぐらいあるって話だった気がする。一度としてその場面に遭遇していない彼からしてみれば、元々無いものが無いと騒がれても面白くも何ともない。

 なので、辺りがそんな話でばかり持ち切りになっている間、やることもなく外をぼんやりと眺めてみたりした。

 と、大きな病院のように、真四角で中央がくり抜かれた形をしている学院の対面。

白匙と同じように周りの喧騒には巻き込まれず、手元に文庫本を手にしてこちらを見ていた女子と目があった。

 正確には相手の女子は意識的にこちらを見ていたというよりかは、白匙と同じでぼんやりと外を見ていたら視界に入ったぐらいのものなのだろうが、白匙には目が合ったのが判った。

 真正面と言うことは同じ階、同じ学年だ。

 身体能力はどれもこれも高い白匙からすれば、目が合ったと正確に認識できるぐらいの視力があったのだが、恐らく相手はそうもいっていないだろう。

 見た目は可愛い。タイプどうこうと考えるまでではないが、話してみたら面白そうだなと思うぐらいの外見ではあった。

 特に、周りの喧騒とは無関係でいたのが良い。

 孤立無援とは、自分と似ているなと白匙は思ったのだ。

 数秒後には相手は、手元の文庫本に目線を落としてしまったが、白匙はそれからも暫く目線は彼女に固定していた。

 どんな子なのか、想像を巡らせていた。

 故に、

「おーい、聞いてる? 白匙君」

 と耳元で愛園に囁かれるまで、既に授業が始まったことに気付けなかった。

「あ~悪い悪い。ちょっと気が散ってたわ」

 教科書片手に、昨日の一対一の時とは違って、先生然とした表情で顔を引き締めた愛園黎が白匙の顔を覗き込んでいた。

 そんな愛園に、適当に笑って、白匙は返す。

 白匙の笑顔に、愛園も義務的に笑顔を返す。

「そう、じゃあこっからは聞いててね。で、この物語の筆者は、登場人物の感情とは違った思いを抱いて言葉を書いたことがわかり――……」

 愛園の授業が再開する中、白匙は適当に開いたページを軽く流し見して、今やってるページがわからねえなと思いながら、また対面の校舎の女生徒を見る。

 授業は始まっていたというのに、彼女は変わらずに文庫本に視線を落としている。白匙が見ている限り、彼女は一度も視線を前で授業をしている数学教師に向けてはいない。

 良い性格してそうだ。

 そんな反骨心に満ちた行動に、白匙はまた惹かれた。

 愛園の様子を伺いながら、白匙は1時間の授業中、実に三桁を越える盗み見を彼女へと向けていた。

 勿論、愛園に一度としてばれること無く。


  15  5月21日午後15時29分~午後19時11分


 午後の最後の授業まで、ばっちり小説を読み耽った龍堂麗華だったが、流石に授業中では普段通りの速度で読むことは叶わなかった。

 あーあと思いながら、本を閉じ、一度机の中に仕舞う。

 授業はまだしも、終わりのホームルームはしっかりと聞く。それは、龍堂の中にある変な意地。言いかえれば、自分ルールみたいなものだった。

 終わりよければ全て良しという言葉の通り、始まりよりも終わり重視。物語についてもそういう部分を求めたりしていた。

 時折何故だか判らないが、外が気になって目線をむけてしまったりと、気が散っていたのも速度低下の原因とも言えるだろう。

 外に何かがあったのか、結局感知は出来ずじまいだった。

 龍堂はルーチンワークとして、朝起きてから食後の少しの時間を使って、朝の読書時間を設けているのだが、今朝は急な細波の登場でそれもままならなかった。彼女を責めるわけではないが、それで読書の時間が作れなかったという事実は残った。

 結果、このやたらページの大半を文字で埋め尽くし、一瞬でも目を離すと、何処を読んでいたのか曖昧になってしまう本が、未だ読み終わっていない。

 律儀に授業中に先生から指された時に、答えたりしなければ良かったか。

 思いつつも、あと十数ページを残したところで、ホームルームに至った。

 物語は佳境に入り、手触りで判る物語の終わりが近いという感覚が、一体どうなるのかという高揚感を生んでいた。

 早くページを捲りたい。彼女にあったのはそんな願望だけだった。

そして、ホームルームも終わり、下校の時間になった。

 さあ寮に戻って読書のラストスパートだ、と考え、勢い良く立ちあがった時、不意打ちに横から声をかけられる。

「ねえ、麗華」

「何? 早く帰らないと、退去時間過ぎるわよ」

 クラスメイトからの声かけに端的な返事をする。

 聞きようによっては、印象が悪くなりそうな言い方だったが、そうはならなかった。

「それはそうだね~。ルールはルールだしね。でも、それよか麗華さ。世界史の先生に呼ばれてたから、取りあえず職員室行った方が良いよ」

 龍堂は対応が粗雑でもそれなりにクラスメイトに好かれている。自覚はあるが、理由は良く判らない。

 そんなクラスメイトからの言葉。出来れば聞きたくない事項だったと、聞いてから思った。次からは話し始める前に遮ろうと、心の中で決めながら、返答する。

「面倒ね、急ぎだった?」

「うん、ホームルーム終わったらすぐ来るように言っとけってさ~。向こうも向こうで退去時間があるからって急いでるんじゃない? こっちも同じ境遇なんだから、もう少し考えて欲しいところだよね~全く」

 確かにと、龍堂もその言葉には賛同したくなったが、直後にその時間が無駄だと判断した。

「まあ、諦めて行ってくるわ」

 間の抜けた行ってらっしゃいを背に聞きながら、龍堂は小走りで職員室へ向かう。

 結果から言えば、用事の内容は全く大したことじゃなかった。先日の世界史のテストの最終問題、ある事柄についての考察をまとめよ、みたいなありがちな問題。

 先生の采配で途中点や、配点が決められるその問題の出来について、ひたすら褒められた。

 こんなにしっかりした論を見たことがないだの、どういう経緯でこの論を展開するに至ったのかなどを聞かれた。

正直龍堂からしてみれば、既に終わったこと、興味の無くなったことについて、根掘り葉掘り聞かれるのは呆れを通り越して苛立たしかったが、仕方ない。

 結局退去時間まで話を展開され、結果先程のクラスメイトがカバンを職員室に持ってきてくれ、半ば強制的に職員室から出ていく運びとなった。

 退去時間ギリギリまで学院に残っていたのは数えるぐらいしかなかったが、別に普段とそれほど変わった何かがあったわけでもなかった。

 寮に着いてからも、仮職員室で話そうだ何だと、無理矢理に話を進められ、結局断りきれずに最悪なことに付き合う羽目になった。

 心優しいクラスメイトが、私が良いですと丁重かつ必死に先生に断っている最中に「あ、荷物は部屋に運んでおくから大丈夫だよ~」などと、いらない気を回してくれたせいで、勢いに乗った世界史教師を止めることは出来なかった。

 あのクラスメイトには、今後適当な対応をしてやろう。そう考えたのだが、肝心の名前が出てこないので、もう良いやと自己完結した。

 結局全てが話の間で何とか切り口を見つけ、仮職員室を出た頃には、既に日はとっぷりと暮れてしまっていた。

 何て無駄な時間を過ごしてしまったんだと憤慨したが、そんなことより早く小説の続きを読もうという意思が勝った。

 無駄な苛立ちも全て忘れ、龍堂は自室に戻ると、朝は猫みたいに丸まっていたルームメイトに遭遇した。同じ部屋なのだから遭遇も何も無いのだが。

 このルームメイトは他愛ないことを話す分には癒し系で、龍堂がまともな対応をする数少ない友達と呼べる存在だ。

 細波と言い彼女と言い、龍堂はルームメイトに恵まれているようだ。

「おかえり、遅かったね。先生に捕まってたんだって?」

「そう、散々な一日だったわ……」

 漏れる溜め息もそぞろに、龍堂はクラスメイトが運んでくれていたカバンを漁り、小説を探す。早く、あの続きを。終わりは一体どうなるのか。

 考えながら、カバンの中を探すも見当たらない。

「?」

 不思議に思い、カバンを引っくり返して中にある物を全部出してみても、目的の一冊は見当たらない。

 ノートや筆記用具、教科書がごった返す中に、目的の文庫本が無いのだ。

 そして、やっとそこで自分の今までを振り返ると、龍堂は肝心なことを思い出した。

 文庫本を机にしまってホームルームを聞いた後、そこから取り出した覚えのないことに。

「ああ……」

 怒りを通り越して、呆れた上で、行動に移す。

 龍堂は帰ってきたばかりの部屋をすぐにまた出ていこうとする。

「あれ、また何処か行くの?」

 ルームメイトが問う。

 それもそうだ。彼女からすれば退去時間を過ぎて、部屋に戻ることなく、仮職員室に直行して、そのまま帰ってこず、やっと帰ってきたかと思えばカバンを引っくり返し始め、一通りそれを終えると溜め息を吐いて部屋を飛び出そうとしたのだ。

 そりゃあ声もかけるというものだ。

 龍堂も彼女の行動については納得が出来たので、答えを考えながら振り返った。

「トイレ!」

 叫ぶほどのことでも無かろうと思ったのだが、気持ちは急いているのだから、叫ぶ意識を止めようもなかった。

 勿論トイレにいくつもりなど、毛頭無い。第一催してもいないし、別に月に一度のあれの日でもない。

 龍堂は、本を教室の机に置き忘れたことを思い出した瞬間から、ただ自分のクラスを目指していたのだ。

完全退去時刻をゆうに過ぎている学院へと向かうため、早歩きで寮内を抜けていく。

 通りすがる面々の視線が一度はそんな龍堂に向くものの、みんな直ぐに自分の行動の方へと集中してしまう。人間とは大抵そんなものだ。

 何があっても自分一番、そうでなくては逆に気味が悪い。

 龍堂にとってルールは遵守すべきものだし、自分からそれを破ったり、違反者になるつもりはないのだが、それが自分の行動、意欲を妨げるとなれば話は別だ。

 今龍堂は読みかけの小説をどうしても読み終わらせたかった。

 そんな衝動と意思が、ルールを守るという当たり前の律を瞬殺で破らせたのだ。

「こうなったら、どうとでもなれだわ」

 ぼやきながら、龍堂は夜の学院へと足を向ける。


  16  5月21日午後16時32分


 愛園黎は、世界史の教師と優等生の筆頭でもある龍堂麗華が、一通り話をした後、退去時間が迫ったからか職員室を後にするのを横で見ていた。

 一人、また一人と教員が職員室から減っていく。

 愛園もいつでも帰れるように、退去時間十分前くらいからのろのろと支度をして、結局身支度は全部済んだし、仕事も残っていないという状況にまでなった。

 なのに、足は職員室を離れようとしていなかった。

 隣の学院長室に、嫌でも視線が向かう。

 あそこに行ってしまえば、何かが終わる。あるいは変化する。

 昨日の学院長の言い方だと、悪いことのように聞こえるが、はたして彼の言い方が全て正しいのかは、愛園でも判り兼ねた。

 知ってしまうだけなら引き戻せるんじゃないか。

 何故だか判らないが、そんな考えが浮かぶのだ。情報とはいつの世も、どんなに恐ろしい凶器よりも万能で、また恐怖や畏怖の対象ともなり得るものだというのに、この時の愛園はまるで幼子のように、それに対する恐怖心が薄れていた。

 知るということへの恐怖が、薄くなっていたのだ。

 だから簡単に、知りたいという願望に負けてしまう。

 恐怖心、危険なものへの危機感が、

 探究心、知らない者への好奇心に負けた瞬間だった。

 愛園はまとめた荷物も置いたまま、学院長室の前に立った。

 既に退去時間は過ぎているが、昨日のようにこの扉が開いて、神門が現れるということはなかった。

 ということはつまり、言外に彼は愛園が好奇心に負けてこの部屋を訪れると、考えていることになる。勿論確証は無くとも、愛園もそれは考えた。

 しかし、それでも乗ってしまおうと考えた。

 ノブを握り、また逡巡した。これを押してしまえばもう後戻りは出来なくなる。扉にそんな風に囁かれている気がして、一度は動きを止めた。

 だが、愛園は気付けば、自分の意思とは別にそのドアを押し開いていた。

 部屋は職員室の半分ほどの広さ。一人が使う様にしては広すぎるが、愛園が想像していたよりかは狭かった。もっと職員室クラスの広さに、無駄に豪奢な家具が置いてあるのかと思っていた。だが実際は茶色の質素なタンスや本棚があり、赤い絨毯や白のソファ、黒い机というホームセンターに行けばありそうな物品ばかりだった。

 しかし、目を凝らしてみると、それぞれの材質の良質さが窺える。

 一目では高いとは判らず、体感したり、じっくり見ると物の本当の価値が見えてくるという仕様のようだ。

 部屋の主に合った構成だ、愛園はそう思った。

 そして目線を動かす。部屋の奥、レースのカーテンがかかった窓の正面、黒の机の傍で立っている神門と目が合う。

「こんにちは、愛園先生。来てくれると思っていましたよ」

 幾度も見た神門の張り付いた笑顔が見える。

「ええ、来ましたよ。好奇心に負けました。私は奥へと踏み込む好奇心には勝てませんでしたよ。貴方の思っていた通りに」

「ほう、私は私の考えを述べていませんが、確かに貴方が来ると思っていました。良くお分かりになりましたね。良い推察です」

 愛園は神門の言い方にしまったと思ったが、笑顔で直ぐに取り繕う。

「言外の言葉を察するのは、大人が社会で学ぶことの一つですから」

 対する神門も笑顔のままだ。

「確かに。では、私もそれに倣うとしましょう。ついてきて下さい。昨日の貴方が訊いた質問の答えをお教えしましょう」

 言った神門は、何の変哲もない本棚の前に立つと、適当な本をばっさばっさと取り出して机の上に置くと、その奥。本棚の奥に手を伸ばした。

それから数秒、その間何をしていたのかは判らなかったが、ジッと見ていると、本棚の下の方が動き、地下へと続く道が開いた。

 下に向かった階段だ。

「…………」

「開いた口が塞がらないと言ったところですか。隠し部屋や隠し扉、秘密の地下室なんて、ありがちなものじゃないですか。そんなもので驚かれてしまっては、私としては不本意ですよ。驚くのはこの先のためにとっておいて下さい。

 驚いて欲しいのは、その奥にある秘密と対面したときですよ」

「そう……ですね。そうします」

 言葉ではそう言ったものの、感情のコントロールはそう巧くはいかない。

 脈打つ心臓の音も心なしか早い。そんなに酸素を体内に巡らせてどうするのかと、自身の身体に問いたい気分だ。

「では、降りますよ。ここは真っ暗なので、これを使って下さい」

 神門はそう言うと、懐中電灯を愛園に寄越してきた。

 何て心もとない光だ。思いはするも、愛園は口にはしない。

この先の暗闇には何があるのか、現状では想像もつかない。

 愛園はここに至って、やっと身の危険を感じたのだが、同時に、ああもう遅いなと諦めの感情も湧いた。

 それらがない交ぜになった息を吐いて、乾いた靴音を鳴らして下る神門の後を追った。


  17  5月21日午後19時20分


 龍堂麗華は暗い学院内を歩いていた。

 学院の前まで来た時は、そもそも退去時間を超えた学院内にどうやって入り込もうかと悩んだのだが、その悩みは速攻で解決してしまう。

 普段ならオートロックがとっくにかかっているはずの裏門が、空いていたのだ。

 見るからに機械製でセキュリティシステムによるものだろうに、それが機能していなかったのだ。横に開くタイプの門を手で持ち押せば、軽く開いてしまった。

「…………」

 無言で驚くも、これは何か大変なことが起ころうとしているのではないかと、流石に龍堂も危惧した。

 それでも、今は好都合だという考えに落ちついて、彼女は学院内に潜入した。

 校舎内に入ると、リノリウムの床が異常なまでに足音を立てることに気が付いた。誰かいる心配はないが、それでもなるべくなら音を立てるのは避けたい。

 オートロックの門が閉まっているという現状がある以上、何が起こるか想定が出来ない。龍堂は冷静にそう考えていた。

 故に彼女は今頃になって、部屋で履くスリッパや、遊びに行く用の運動靴を履いてこなかったことを後悔した。足元はローファー、革靴は異常に音が出る。リノリウムとの相性は最悪だ。かと言って、下駄箱にある上履きも音が鳴る。

 彼女は考えた結果、ローファーを下駄箱に放り込み、靴下のまま駆けることにした。

 黒のハイソックスは、汚れも目立たないので後で洗えば何とかなるだろう。

 そう考えて、龍堂は廊下を疾走した。

 思いのほかソックスが滑りやすくて戸惑ったが、慣れてしまえば速度を抑えるなり、カーブでは減速するなりと対処のしようがあったので、さほど気にもならなかった。

 スカートが存分に翻って下着が丸見えになる場面は多々あったが、周りには人影もないし、誰かの視線を気にする必要もないので、気にせず駆け抜けた。

 暗い廊下の連続に、月光の明るさで対処するのも慣れ始めた頃、龍堂は自分のクラスの前まで辿り着いた。

 ふうと、息を吐いて教室に入る。

 しんと、静まり返った教室は、昼間の喧騒とは真反対で、龍堂にとってはむしろこの方が空間として好感が持てた。

 静謐な空気を吸って、酸素を体内に送り込みながら、彼女は自分の机に向かう。

 そうして念願の文庫本を手にした。

 信仰の末に手に入れた奇跡か、或いは苦心の末に手に入れた高価な物か、はたまたローンの末に手に入れたマイカーの鍵、なんかを手にしたようなテンションだった。

「あ~良かったあ」

 呟くと、龍堂はそこがどこかも忘れ、現状がどういう状況なのかを考えることも無く、目の前に椅子があるというのに、ペタンと床に座り込んだ。

 面倒なことを思考するより、読みたいという欲望が勝ったのだ。

 太腿からソックスの境目までが素足で守る物が何も無く、座った床の冷たさに驚いたが、結局は歯牙にもかけず、龍堂は夜闇に慣れた月光の下、小説を読み始めた。

 最後のページまで駆け抜けるように読んだ。読み終えた。

「……ん?」

 なのに龍堂に芽生えるのは満足感ではなく、不思議だった。

 何故ならば話がまとまっていないのだ。しかも最後の行末には『つづく』の一文字。

 それが示す意味は?

 表紙や背表紙、裏表紙に至るまで確認するも、上巻や1などの表記はどこにもない。だというのに続くとはどういう了見か。

そもそもこんなにも話を展開させておいて、風呂敷を存分に開き、中の重箱も隅々まで見せたというのに、その箱を閉じず、風呂敷をも閉じないとは、一体どういうことだろうか。

 流石に疑問と同時に、沸々と怒りの様なものが湧き上がってくる。

 そうして最後に読んでいなかったあとがきを開くと、作者がこう書いていた。

『終わらなかったので、この物語はシリーズとして続きます!』

 と、何故か誇らしく格好をつけて、そんな一言があとがきの最初に書いてあった。

その後に言い訳ともとれる文章が長々と綴られていたが、そんなものは今龍堂の頭には入ってこない。

「ふざけんなっ」

 ついそんな声を出して、本を放り投げてしまった。

 一気に様々なやる気が削がれた龍堂は、そこが床だということも忘れて大の字に寝転がってしまう。もうやけくそである。

 早く寮に戻らなくては、という考えさえ吹き飛んでしまった。

 ああ、もう、全部どうとでもなれだ。

 そのまま目も閉じてしまおうか、そこまで思ったのだが、無粋にも龍堂が一人佇む空間に入り込む音のせいでそれは出来なかった。

 自分の入ってきたドアから、その時と同様の音がした。

 誰だろうか。最早誰にばれても構いやしない。驚く振りぐらいはするけれど、先生なら先生で謝り通そう。学院長でも然り。他の生徒だったら協力を要請して学院を脱出しよう。

 多岐に考えを巡らせてから、振り返る。

 どんな人物がいても驚かない自信があった。

 それは勿論、彼女が常識的な思考で浮かぶ範囲内においては。

 だが、眼前に立つは、その常識的思考を容易に飛び越えた。

 そこに見えたのは、メットを被り、目に見える防弾チョッキ等を着込んだフル装備の男が、拳銃を向けている姿だった。

 驚かないと思っていた自分はどこへやら、龍堂は驚きのあまり息を呑んだ。

 ここで悲鳴をもあげれなかったのは、銃口を直視してしまったからだ。

あまりの恐怖に声を出すという『押す』動作ではなく、息を呑むという『引く』動作をしてしまったのだ。

 暗視ゴーグル越しに、二人の視線は交錯した。


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