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酔の王  作者: zan
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1.竜人

 竜人という種族がある。

 その体躯はおよそ人間よりも大柄で、その外皮は鉄のように堅い鱗で覆われ、刀剣も寄せつけない。強い力をもっており、素手で熊をも打ち倒すほどであるという。

 さらにその口からは金属をたちどころに蝕み弱らせ、人体に火傷を負わせる酸を吐き出す。戦うために生まれたような種族だった。

 彼らはその能力の高さから自尊心が高く、他の種族との交流を好まない。

 彼らは彼らだけの集落をつくり、そこで生活をしている。そうして一生を終えるものが大半だった。


 勇者タカトによる魔王の討伐から、およそ20年前。

 ベイクという竜人も、そうした集落の一つに生まれた。父も母も竜人であり、一族の若い光としてベイクも祝福を受け、大切に育てられる。本来ならば彼も、集落から出ることもなかったかもしれない。

 彼は二つ年上の竜人にいつも小さく弱いことをからかわれて暮らしていた。親たちは『よくあること』として特にそれについて対応してはくれない。ベイクは黙ってからかわれたり、小突かれたりすることを耐えていた。

 いちいち腹を立てるのも、損をするだけだろうと思ったのである。幼い頃からそうしたことを考えたせいか、彼は感情のコントロールが得意になってしまっていた。

 きわめて冷静な性格に、そして怜悧に育っていくこととなる。

 竜人のベイクの根幹はそうしたところからつくられていったのだ。

 そのまま育っていったのなら、いずれは彼が一族を率いるようになり、その発展に大きく寄与したかもしれない。


 だがそうはならなかった。

 その切欠といえる事件がある。集落に他種族が入り込んだのだ。


「旅の途中で病気になった者がいる。竜人が他種族との交流を好まぬのは知っているが、助けてもらえないか」


 そうした理由でもって、集落に三人の男女が入り込んできたのだった。


 三人のうち、二人は年端もいかぬ少女である。

 竜人の一族で最も若いベイクよりも、尚若いとみられた。このとき、ベイクは既に10歳をこえていたが、少女はそうでない。よくみえて五つか、六つという具合だ。若いというよりも幼い。そうとしかいえない。

 二人は姉妹であり、獣人だった。姉はどちらかといえば人間に近い容貌であり、獣らしさは頭頂部あたりに突き出た二つの三角の耳と、腰から伸びる尻尾だけだ。一方の妹は獣により近く、顔まで短い毛に覆われ、細い髭が数本、頬から飛び出している。毛色の違いから、頬にタビーが入り込んでいた。

 病に倒れているのは妹だった。体に触れただけでわかるほど、高熱を出している。聞けば嘔吐と下痢を繰り返しているという。かなり衰弱しているものとみられた。

 それに比較すれば姉はそれほどでもなかったが、腹痛や疲労をうったえている。


 この姉妹を連れた男は、人間の男性である。壮年といえる年齢で、自らカスターと名乗った。


「カスター・ド=シュークリームだ。ワガシ王国で領主をやっている。皆からはカスター卿と呼ばれているが」


 どうもその口ぶりからすると有名人であるらしいが、竜人たちは彼のことをほとんど知らなかった。つまり、彼の身分の証明にはならない。

 だがこの男の言うことがたとえ嘘であったとしても、獣人の少女が重病であり、死に掛けているという事実は存在する。弱っているものを見殺しにするのは竜人の誇りに傷をつけはしまいか。


 カスター卿をどう扱うか、竜人たちは議論を重ねることとなったが、ほどなく結論は出た。

 姉妹は助ける。その対価はカスター卿に支払わせる。

 そういう具合だった。あくまでも商売として取引をするのだ。姉妹に対する医療行為にも対価をつける。

 これで妥協するべきだと、彼らはそのように感じている。


 だが大人たちの事情はどうであれ、ベイクのいる集落に幼い姉妹がやってきたというところは変わらないのである。

 竜人たちは病の治療にも通じていたため、姉妹の病状を見てすぐにその原因を特定することができた。あとは治療をするだけだ。

 だがこの病は治療に時間がかかると見込まれた。

 治療薬の調達はそれほど難しいものではなかったが、子供に強い薬を飲ませることはできないため、対症療法で体力の回復を待ちながら少しずつ根本治療に当たるという遠回りな治療にならざるをえない。このため、姉妹は長期にわたって集落に滞在した。

 カスター卿への請求額も相当なものとなったが、どうやら自称どおり名士であるらしく、彼は大金を平気で支払う。カネを支払う限りは竜人の客人であるため、彼は邪険にされることもない。


 竜人のベイクは、姉妹の面倒をみるようになる。一族でも最も若い彼は、そうした仕事を押し付けられたのだ。

 医療の心得は彼ももっていたため、長老たちによってある程度の診察がされた後は彼一人に任せられる。竜人たちは姉妹にばかり時間をかけるわけにはいかなかったのである。


「ベイク、お前にはちょうどいい仕事だろう。まだ一人でろくに武器も振りまわせないお前には」


 二つほど年上の竜人がそんなことを言う。彼はことあるごとにベイクに嫌味を言ったが、このときもどうやらからかいの材料が増えたと認識していたようだ。

 彼の知らないところでベイクは何度か獲物をしとめたことがあるのだが、わざわざ反論する意味も薄いと考える。ベイクは何も言わずに彼の前を立ち去った。


 とはいえ、なぜ俺がこんなことを、と思わないわけでもない。しかし一族の決定であれば従うほかなかった。

 いずれにせよ与えられた仕事はこなさねばならない。ベイクは姉妹のところへと向かった。

 彼女たちは集落の片隅に張られた天幕の中に寝かせられているはずである。


「起きているか」


 と、一応声をかける。カスター卿は竜人の長たちと話し合いをしているため、この中にはいない。姉妹だけのはずだ。


「あ、お、起きている」


 返事はあった。緊張のためか少し堅い。


「入ってもいいか。お前たちの世話を任された者だ」

「いいよ」


 許可が出たので中に入る。途端、ベイクは異臭に気付いた。確かに、重病らしい。

 床に敷かれた布の上に、まるで猫のような姿の獣人の子供が寝ている。こちらが妹だろう。淡い色の髪があるが、その下の姿は猫に近い。

 彼女の近くに座り込んでいるのは姉だろうか。こちらはほとんど人間の容姿で、頭の上に突き出た二つの三角の耳と、尻尾くらいしか獣の要素がなかった。

 カスター卿が用意していたらしい汚物入れには吐瀉物がいくらか入ったままだ。妹の方が吐いたのだろう。姉は妹のことを心配しているようだが幼いために何をしていいのかよくわかっていないらしい。


「名前は」


 ベイクは妹の額に手を当ててみながら、比較的元気らしい姉に問いかける。


「ナッツ」

「わかった。妹の名前は」

「レア」


 単語だけで、ポツポツと返事をする。彼女自身も腹痛などの症状があるのだろう。

 姉がナッツ、妹がレア。

 そうかと返事をして、姉にもゆっくりと眠るように諭す。彼の治療は、まず汚物の処理から始まった。

 姉妹のうち、妹のレアは確かに重症だ。苦しみ、息も荒い。これでは姉も確かに心配するだろう。

 衣服や体を清める。そのあと、水を含ませてからかたく絞った布を額において、冷まさせる。地道でかつ、疲れる作業であった。


「ね、あんたの名前は?」


 寝ているだけでは暇になったのか、ナッツはベイクにそう訊ねてくる。レアがうんうん唸って寝ているところなので、ベイクは彼女の世話に忙しかったが、こたえられるものには小さな声で答えた。


「ベイクだ。お前の具合はどうだ。どこも痛くはないのか」

「ううん、ちょっと疲れてるだけ」

「少し寝ていろ」

「レアにばっかりかまってちゃイヤ」


 ナッツは少しわがままらしい。彼女に背を向け、レアの世話ばかりしていたらこう言われるようだ。

 だが現実としてレアは危険な状態だ。世話をしなければならない。ナッツは比較的元気なのだから、放置気味になる。

 とにかく命さえあれば、あとからいくらでも取り返しはきく。今は恨まれても仕方があるまいと考えたベイクは、竜人たちの絵本やおもちゃをナッツに貸し与えて満足させようとした。そうして自分はレアの治療に専念した。

 とにかく嘔吐と下痢が目立った。

 子供とはいえ、汚物の処理ばかりをしているような気になる。また、体から大量の水分が失われていくために衰弱もひどい。なんとかして輸液してならなければならない。水を飲ませてもすぐに吐き戻してしまう。


 吐き戻すのは仕方がない。下痢もだ。

 これらは体が自然に、病の原因を排出しようとしているのだ。

 薬で無理に止めることはよくない、とベイクは判断した。吐き戻したあと、時間を置いてから水を飲ませる。そうしなければ、脱水症状で死んでしまう。

 苦慮しながら治療を続けるうちに、三日が経過した。レアはまだ回復しない。

 しかし、ナッツは元々軽症だったこともあり、すっかり元気になっている。レアのことも心配しているのかもしれないが、有り余る子供の元気を発散しようと、外に飛び出して勝手に遊びまわっている。

 レアに飲ませる水をつくるために天幕の外に出てみれば、ナッツが花を摘んでいるのが見えた。

 好きにさせておいたほうがいいだろう。

 そんなことを考えたベイクだったが、二つ年上の竜人が彼を呼び止める。


「おいベイク、聞いたぜ。女の汚物ばっかり片付けてるらしいじゃねえか。

 お前には本当に似合いの、いい仕事をもらったもんだな。竜人らしいとはとてもいえねえがよ」

「いや、人の命を救う仕事だ。竜人らしいかそうでないかは、俺の決めることではない」


 黙っていればよかったのだが、ベイクも若い。10歳をこえたばかりなのだ。

 嫌味に言い返さないのは無理だった。

 結果として、相手が激昂することになった。ベイクが口答えをするのが気に入らなかったらしい。おまけに拳を一発もらうことになったが、これはやりかえさない。そうすると彼がまた怒り、面倒ごとに発展すると思われたからである。レアが苦しんでいるというのに、この竜人に関わっている暇はなかった。


「お前は黙って言われてればいいんだよ」

「そうだな、すまない」


 ベイクは適当に謝るそぶりを見せて、彼を追い払った。そうしてから水の材料をとり、天幕に戻る。

 レアは少し落ち着いていた。今朝からは嘔吐もなくなっている。

 少しは快方にむかったか。ベイクは少し安心しながら、彼女に飲ませる水をつくった。ただの水ではよくない。ほどよい塩分と、糖が必要だ。また飲みやすくするために果汁を少し入れておく。

 水ができたところで、レアを見やる。彼女は薄く目を開いていた。


「おはよう。水は飲めそうか」


 レアはコクリと頷いて、こたえる。そこでベイクは水差しを取って、彼女の口元に近づけてやった。獣人の少女は、コクコクと咽喉を鳴らして水を飲む。あまりたくさん飲むので少し心配になるくらいだ。


「今日は元気そうだな。何か食べられるか」

「あのね」

「ああ」


 細い声で、レアが呼びかけてくる。ベイクは初めて彼女の声を聞いたような気がした。

 聞いているぞ、という意味で相槌をうつ。


「おなかいたいの」

「ああ、そうだな。どのくらい痛む。少しか、たくさんか」

「すこし……」


 話せるだけはよくなっているらしい。

 ナッツは外に出たまま帰ってこないので、ベイクはレアをかまってやることにした。寝具の上から腹の辺りをさぐって、さすってやる。


「どうだ、少しはましか」

「うん。もっとして」


 ベイクは彼女の望みにこたえた。

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