0.勇者の旅
よくある話かもしれない。
絶対的な支配を行う魔王を勇者が討伐する冒険譚、なんていうのは。
確かに、魔王の圧倒的な魔力と兵力は人々を脅かしていた。
支配された地域では人間に対して地獄のような搾取が行われていたこともまた事実である。
人々は容赦なく弾圧された。
捕らえられた女たちは魔物たちによって見境のない獣欲の対象とされ、死ぬまで辱められた。
男たち、それに幼い子供たちにも容赦はなく、過酷な労働を課せられる。労働といっても実質的にはただの処刑に等しいほど過酷なものであった。子供たちは耐え切れるはずもなく、労働初日の夜には力尽きて亡くなっていく。大人たちでも三日と命を保てない。
特に抵抗をしなかった民衆たちも、平穏には暮らせない。生きるか死ぬかというぎりぎりまで労働を課され、苦難の日々を過ごすしかない。
一度魔王に制圧された地域にはこうした末路が待っており、人々は魔王やその配下を非常に恐れていた。大した対抗策もなく、逃げ惑うしかなかったのだ。
魔王が出現して以降、そうした絶望的な戦いを続けていた国がいくつもある。そのうちのひとつ、ワガシ王国は最後の賭けにでた。魔王に対抗できる力をもつ唯一の存在、『勇者』を召喚することにしたのだ。
『この』絶望的な世界よりも、ずっと技術の進んだ世界から一人、たった一人だけ呼ぶ。そして彼に、魔王の討伐を依頼するのだ。
魔王は凶悪であり、倒す手段があるのかどうかも実際に怪しい。だが、それでもそうした策にすがりつくしかなかったのである。ワガシ王国にはもはや魔王の軍団に対抗できるほどの兵力もなく、国民の士気もほぼ皆無と言っていいほどだったのだ。ワガシ王国の人々は魔王たちに抵抗することを諦めてしまっており、防壁を修復する作業すら遅々として進まぬ有様だった。
そうした事情により、ワガシ王国の王はついに勇者の召喚というところを選ぶしかなくなったのである。
この圧倒的な劣勢を押し返すには、一人で一個師団を押し返すほどの力を持った存在が突っ込むしかない。
ワガシ王国は『神』に対して一心に祈ったのだ。
どうかこの世界を救いたまえ、そのための使徒をここにあらわしたまえ、と。
そして神はワガシ王国の願いを聞き入れた。
ワガシ王国の儀式と祈りによって、勇者『三谷タカト』はこの世界に降り立ったのだった。
タカトはさすがに神の使徒らしく、全てを了解しており、命の危険をも厭わずに魔王を討伐を引き受けた。
彼がいうところによれば、『チート』なる万能の力を得ており、それをもってすればこの世界を覆う闇である魔王などは小指の先で弾くだけで問題なく倒すことができるだろうと。凄まじい自信だった。
その自信は、実際にそのとおりであった。勇者は圧倒的な力で戦いを続けて、苦戦らしい苦戦もせずに世界を救ってしまったのだ。
たったの数ヶ月で、勇者タカトは魔王を滅ぼしたのだ。
その報告は世界を揺るがした。
タカトは仲間をたった一人連れただけで、他の誰の力を頼ることもなくあっけなく、魔王を蹴散らした。
人々を恐怖から解放したのだった。
民衆はこぞって彼を褒め称え、吟遊詩人は彼を称える歌を何百もつくり、王たちは彼に名誉や富を分け与えた。
これらは彼が魔王の討伐に出かけたと同時に行われていたが、彼の評判が出回るに連れてその頻度は大きくなり、魔王が討伐された直後に最大のピークを迎えた。
人々の口から、勇者タカトの名が出ない日はなかったとさえいわれる。
これで、この世界は全く争いのない、平和な日々が続くようになった。はずだった。
ところが実際にはそうならない。
魔王が死んで、勇者は凱旋する。それこそが、始まりなのだった。
ワガシ王国の隣にある、モンブラン王国の騎士ベイクは勇者の凱旋を切欠にして下野に至る。旅の始まりだった。