#002: Sweeping
「よぉアルス。小娘の分際でこの業界に入ったのが運の尽き、だな」
脂ぎった中年男の声が裏路地に響き渡る。
その声は、同じ裏路地にたたずむ一人の少女に向けられていた。
「……それさぁ、もう聞き飽きたよ。もっとバリエーションを増やすんだね」
面倒くさそうに、アルスと呼ばれた少女は声の主を見上げた。
漆黒の闇に溶けるような黒髪が湿った風になびく。
白いTシャツに色あせたジーンズと、至って簡素な服装をした少女に向かってその声の主は、不快感を露わに答えた。
「そんなの知ったこっちゃねぇな。分かってるのは、今日がお前の命日だって事だ」
その言葉に合わせて肥満漢の腕が持ち上がる。地面から水平に上げられた手には、この男の自信の源なのだろう一丁の拳銃が握られていた。
「その台詞は確か…四十と三回だったかな。まぁどっちにしたって、ベタな台詞だよね。」
呆れた様子で肩をすくめるアルス。暗い銃口に捉えられているにも拘らず、余裕綽々な態度を見せれるのはただの酔狂か、あるいは………。
主人の感情を表すように、少女へ向けられた銃口はブルブルと震えだした。
「黙りやがれ!!」
眉間に大量の皺を刻み、こめかみには青筋を浮かべて肥満漢は叫んだ。
「いくらお前がお喋りを止めねぇ小娘でもな、これを見ればその減らず口も叩けるかってんだ!」
その声を合図に彼女を囲む路地の建物、窓、屋上、様々な場所から武装した男たちが湧いて来た。そして、それぞれの獲物を一斉にアルスへと向ける。
同じくその輪の中心に位置している肥満漢は勝ち誇ったように下品な笑いを彼女へ飛ばした。
金さえ積めば殺しを厭わない、そんな連中が吐いて捨てるほどいるご時世だ。
「どうだ。お前の首欲しさに集まった奴らだぜ?いくら人一倍頑丈なお前でも、これだけの鉛弾を喰らったことはないだろ?」
渦のように殺気が中心の少女一点へ集まる。時刻は夜明け前、街が静寂に包まれるにつれて、少女を取り囲む集団のテンションは最高潮へと向かっていった。
その中、アルスはただ黙ったままだ。
「どうした?ビビッてトイレでも探してるのか?」
「ンなわけないっしょ」
肥満漢の唱えた軽口をようやく口を開いたアルスは、もう話すのも面倒くさい、とでも言いたいように返した。倦怠感が漂うその態度は、今まで昼寝でもしていたかのような悠長さである。
「コルトの小言と愚痴聞かされてこっちは疲れてんのよ。早く帰って寝たいの。分かる?」
「……あぁ、分かったぜ。それなら――」
青筋を浮かべた表情のまま肥満漢はトリガーに指をかけた。
「こいつで目ぇ覚ましな!」
直後、銃声が響き渡った。
肥満漢の手中から放たれた弾丸は正確に少女の眉間へと吸い込まれていく。
その殺意の塊が彼女に当たったかどうか、そんな分かりきったことを確認する間もなく、周りにいた手勢が一斉射撃を始めた。たちまち辺りは着弾した衝撃で舞い上がった土煙に包まれ、その中に混じって火薬特有の硝煙臭が漂う。
それぞれの持つ獲物の弾が尽きるまでの掃射。
わずか数秒足らずで各々手持ちの残弾は尽きた。
しかしヒト一人殺すのに、ましてや歳が20も行かない小娘を殺るためにはこの数秒間は十分すぎるだろう。
「いい感じのシャワーだろぉ?ちったぁ目が覚めたか?」
肥満漢は満面の笑みを湛えながら余裕に台詞を吐いた。辺り一帯を囲んでいた手勢たちも、各々勝利の手応えに歓喜を噛み締めながら土煙が晴れるのを待つ。中にはもう既に一仕事終えた気分のままこの場を去ろうとしている輩もいる。
やがて間を置かずして立ち込めていた土埃が晴れていく。そして、
「言ったでしょ?」
土煙の向こう、ほんの数秒前までと変わらず立ち続けている彼女の姿――かどうか、肥満漢にはそれが確認できなかった。
見えたような見えなかったような。やや薄れてきているものの、依然として土煙が立ち込めている。
今見た白いTシャツは果たして誰のなのか。それは幻覚なのか、だとしたら今聞こえたのは?幻聴か?
否定する間もなく――
「『早く帰って寝たい』って」
風が疾る。
「う、うわっ!」
慌てて獲物を構えなおそうとした一人が派手に空中へ弾き飛ばされる。
彼を筆頭に次々と情けない悲鳴が裏路地に響きわたった。その中、未だに晴れようとしない茶色い土煙に紛れて目立つ白色の何かが高速で通り過ぎていく。
「て、てめぇら!何のために雇ったと思ってんだ!ちゃんと給料分働けっての!」
彼の周りはもう悲鳴と恐怖の混沌である。
その中心に位置する肥満漢はとにかく白いTシャツを見た空間に向かって、または自分の勘を頼って、拳銃を乱射しだした。運悪く流れ弾に当たった数名が悶絶してアルファルトに沈む。
しかし、その中に彼の目当ての人はいない。
(クソ、くそくそ!これじゃあ、いつものパターンじゃねぇか!)
逃げ場なし。加えて合計50の兵隊の一斉掃射。
いくら頑丈と思い知らせているアルスでも、これには耐えられるはずがない。と、思っていた。
脂汗を顔面から滴らせながら肥満漢は狼狽する。挑み、負け、挑み、そして負け続けた彼が必死になって編み出した勝利の方程式が、今崩れたのだ。
やがて湧き出てきた恐怖が彼の精神を狂わせる刹那、目の前に何か着地するような音。ステップでも踏むような軽やかにアスファルトを踏みしめる音が彼の耳に届いた。
恐怖が歓喜へと変わる。
その音の主がアルスとは限らない。確証も根拠も無い、しかし彼には目の前にアルスがいるという絶対的な自信があった。
姿など見ている暇など無い。肥満漢は音のした方へさらに銃弾を放つ。
だが、銃声が轟くとともに聞こえたのは肉を穿つ音でも、少女の悲鳴でもない、何かを激しく打ち付けた金属音だった。
「?」
困惑したまま土煙が晴れる。刹那彼の目に飛び込んできたのは不敵に微笑む少女の顔。
「! な、な、なな――!」
「おや?お喋りが苦手なら、家に帰ってABCからやり直すんだね」
余裕たっぷりの言葉。しかし肥満漢の視線は彼女ではなく、彼女の手中にあるものへと注がれる。
見る者を圧倒するかのように長大な重量感を醸し出す、何か冗談めいたものを感じるようなほど巨大な剣。刀身は彼女の半身を軽く凌駕し、銀色の輝きを放つ長剣は視界の悪い土煙の中でも確かな存在感を放っている。
そして彼女はその長剣を逆手にもったまま体をガードしていた。あの何も見えない土煙の中、彼女はその剣一本で銃弾を跳ね返したとでも言うのか。
「覚悟は、できてるね?」
目の前で少女が相変わらずの調子で嘲笑う。
刹那、彼の視界に彼女の拳が迫った。
便利屋、と呼ばれる職が裏社会にはある。
いつ、誰がなぜ彼らのような仕事を持つ者を便利屋と称したのかは、今となっては誰も分かるはずのないことだが、確かに彼らは便利屋と呼ばれ、自らもそう名乗る場合すらある。
ただ便利屋と言えば裏社会においては雑多な、表沙汰にはしたくない汚れ仕事を任せられる職業であり、いわば便利屋は下っ端的な存在だ。
しかし、そんな地位の低いはずの彼らの発言力が、この界隈では日増しに強まっている。
仲介屋を通して、本来は押し付けられる仕事を依頼という形で自らで選ぶというスタイルが定着しつつあった。
それは新たな便利屋としての在り方が根付いた証でもある――