SW そのくらい頑張ろうぜ、シーマン。
紅茶の注がれたティーカップが二つ置かれた小さなテーブルを挟んで、俺と天利理沙はソファに腰を下ろしていた。
「私ね、今度再婚するのよ。相手は、前の夫の知り合いで、D・Cっていう会社のそれなりに偉いところにいる人」
――よく動揺しなかった、と自分を褒めてやりたかった。
D・C社といえば、SW関連企業の中でも繊維に関する技術ではトップを独走する企業だ。
そこのお偉いさん、ね。
またそれは……凄いものだ。
「再婚ね。それで、それを俺に話してどうするんだ?」
「素っ気ないのね。嶋搗臣護君?」
「……再婚相手からの情報か?」
「ええ。貴方は有名人だもの」
やれやれ。
個人情報の流出かよ。やめてくれ。
今度D・C社を訴えてやろうか。
「有名? 心当たりはないな?」
「世界を救った張本人の癖に?」
「――……なんのことだ?」
俺があの事件で虹色の空の向こうで戦っていたというのは、極一部の人間しか知らない。
D・C社には、知る者すらいないだろう。
「貴方があの日、全てが終わった時に空から降って来た、って話しているSWが何人かいるのよ。まあ、どこからか口封じはされてるみたいだけれど、それでも人の口に戸は立てられない」
「おいおい。空から降って来た……って、それじゃあ俺はもう死んでるだろ」
「そうね……普通は」
とぼける俺に、天利理沙は意味深な笑みを浮かべる。
……くそ。なんだこの女は。
「でも、貴方が生きているのは普通とは違う場所でしょう?」
ごもっともだ。
というより、もう俺が普通という枠組みから外れているしな。
「言っておくけれど、私は別に貴方が何者だろうと、どんなことをしていようと、興味はないわ」
「そうかい」
なら、そのまま興味がないままでいてくれ。
「私が興味があるのは、悠希のことよ」
「へえ。あんたが昔捨てた娘が気になるのか?」
「……」
俺の憎まれ口に、彼女は無言で返してきた。
その表情は、何を考えているのか窺えない。
「あの子も、SWの中じゃ有名らしいわね。撃滅少女、だったかしら?」
その仇名に、思わず苦笑が零れる。
改めて聞いても、なんとも阿呆みたいな名前だ。
悠希が嫌うのも分かる。
「あの事件の時も、とんでもない無茶しでかして、かなり長い間入院していたそうね」
「……あんたは一度も見舞いには来なかったな」
ぼそりと零す。
「仕方ないじゃない。そのことを知ったのは、つい先日なんだから」
仕方ない、か。
ああ、そうかもしれない。
でもそれで済ましちゃいけないこともあるだろう。
今確信した。俺はこの女が嫌いだ。
気に入らない。
悠希を捨て、悠希を苦しめ、悠希のことなどまるで知らずにいたこの女が、俺は大嫌いだ。
「それで、それを知ったあんたが、今更あいつの前に現れてどういうつもりだ?」
「……言いたいことがある」
「言いたいこと?」
鼻で笑ってやる。
「あんたが悠希になにを言いたいって言うんだ?」
「――SWなんて、止めるべきだ、と」
その瞬間。
俺は立ち上がっていた。
そんな俺にかまわず、彼女は言葉を続けた。
「だってそうでしょ? あの子は女の子なのよ。SWなんて……そんな危険なことをするのは、間違っている」
「それがどうした」
見下し、告げる。
「なんですって?」
「だからどうした、と聞いた。女だから危険なことをするのは間違い? そんな一般的な道徳だが常識だか分からない言葉で、あいつを否定するのか?」
下らない。
本当に……悠希がこの女を嫌うのが、よく分かる。
「今の生き方が好きなんだよ。俺も、あいつも。それを、たかが血の繋がっただけのあんたがどうこう言えると思うな」
冷たく言い放ち、身を翻す。
もうこれ以上こんな女の前にいたくない。
「……この家、綺麗だと思わない?」
唐突に、そんな言葉を彼女は口にした。
言われ、見まわす。
確かに、家の中は綺麗に整えられていた。
掃除も行き届いているのだろう。
……掃除が行き届いているだって?
自分のその感想に、疑問が生じた。
「おかしいわよね。私が帰らず、あの子も今は別のところで暮らしているのでしょう? この家にはどれほどの間人が住んでいなかったのかしら。それで、どうして埃の一つも積もっていないのかしら? いえ、それ以前に……どうして売りに出されてないのかしらね」
つまり、どういうことだ。
……悠希が、定期的にこの家の手入れをしているということか?
それに家を手放さないでいるのは……。
どうしてだ?
「私は……あの人を亡くして、どうかしてしまっていたわ」
少しさびしげに、天利理沙が呟く。
あの人、というのは……悠希の父親のことだろう。
「本当に愛していたのよ。心の底から」
「それで死んですぐに他の男と寝るのか?」
「……そう、そこまで聞いているのね」
背中を向けているせいで分からないが、今彼女の表情は歪んでいるのだろう。
「人の温もりが恋しかったの……言い訳ね」
「ああ、言い訳だ」
人の温もり。
それを恋しく思うのは悪いことじゃないだろう。
まして愛した人間を失った直後なら。
……少しだけなら、俺にもそういう感覚に覚えはある。
でも……だからどうした。
同情はするし、共感もある。
だが、それだけだ。
「そんなの、捨て置かれた悠希には関係ない」
自分が辛いからと、温もりが欲しいからと、この女は悠希を捨て、誰とも知れない男共にしがみついた。
それが子供だった悠希にとってどれほど辛いことかも考えずに、だ。
「そうなんでしょうね。でも……でも、今なら」
聞きたくない。
それ以上続きを聞きたくなかった。
俺は、リビングを出ようと歩きだす。
「今なら……家族に戻れる気がする」
ああ畜生が。
聞きたくないって言ってるだろうが。
俺は玄関で靴を履くと、そのまま乱暴に扉を開けて外に出た。
†
『そりゃあ……また厄介事だなあ。おい』
「ああ」
携帯電話から聞こえてくる皆見の声に、苦々しく返す。
あの家を出て、俺は自宅に向かいながら皆見に電話をかけていた。
正直、今回のことは俺だけじゃどうしようもない。
このまま拒絶しつづければいいのか、あるいはなにかしらの妥協点を見つけるべきなのかも分からない。
だから、皆見に相談しようと思ったのだ。
皆見も悠希のことは大体聞いているしな。
アイに連絡してもよかったのだが、多分あっちに悠希は帰っているだろうし、それはやめておいた。
悠希があっちに帰っていると思った理由は、特にない。
ただなんとなく、こういう時にはあいつはあっちに帰るだろうと、そう思ったのだ。
『実のところ、俺は分からなくねーぜ。そのアマリンの母親のこと』
「意外だな、お前がそんなことを言うなんて」
てっきり皆見もあの女の事は気に入らないかと思ったんだが。
『シーマンよ。覚えとけ、人ってのは全員が全員、シーマンやアマリンほど強い心を持ってるわけじゃねえんだぜ? 悪口一つで挫けるような弱い心だってあるんだ』
そのくらい分かっている……つもりだ。
……いや。
皆見がわざわざこんなことを言うということは、俺は分かっているつもりになっているだけなのかもしれない。
『アマリンの母親は、弱い人間だったんじゃねーかな。それも、特別弱い方だ』
「……それは、」
『おっと、心が弱いのが悪い、なんて言うなよ? そりゃ強者の意見だぜシーマン』
口に出そうとした言葉を見透かされてしまう。
「よく……分からん」
『そりゃシーマンにはなあ……』
どこか呆れたような皆見の声。
なんだ。俺だからなんだというのだ。
『まあ、あれだ。俺から言えるのは一つだけだ』
たった一つ?
もっと、なにか言えることはあるのではないか。
そう思いながらも、俺は皆見の声に耳を傾ける。
『何をどうすればハッピーエンドになるかなんて分からん。そのハッピーエンドがどんな形かも分からん。でもな、もしそのハッピーエンドってのを目指すなら、頑張るのは頑固すぎるアマリンでも、弱いアマリンの母親でもなく、ましてや部外者の俺やアイアイ、アマリンの母親の再婚相手でもない。……シーマンだぜ』
そして電話が切られる。
……くそ。
簡単に言いやがって。
それがどのくらい難しいか。それは、皆見だって承知の上だろうに。