SW 本当にごちそうさまです。
日もすっかり暮れて。
「今日も遭遇出来なかったわね」
「まあ、そう簡単にぶちあたったら、それはそれでどうかと思うが」
俺と悠希は、異界研から自宅への帰路についていた。
……俺の家に帰るわけだから、悠希にとっては自宅への帰路ではないか。
まあ、もうさして変わらないような気もするが。
「というか……今更だが、本当にいいのか?」
俺がそう尋ねると、悠希は半眼で俺を見た。
「ほんと、今更ね」
肩を竦めると、悠希はそのまま、歩きながらそっと俺によりかかってきた。
俺の手を、悠希の手が掴み、指と指が絡む。
「臣護が自分の身体のことを不安に感じてるなら、私も……私も、同じになる。私は、そう決めたの。私の決定なんだから……反論なんて、させないわよ」
「……」
こいつがこう言い出したら、もう俺にはどうしようもない。
それは短くない付き合いでよく知っていた。
やれやれだ。
……俺が弱音なんて吐かなきゃよかったのかね。
いや、駄目だろうな。
もし俺が弱音を隠しても、きっと悠希はそれを見破ってしまっていた。
そんな気がした。
「まあ、なんだ」
「なに?」
どう伝えればいいのか、迷う。
どうにも、感情を言葉にするというのは難しい。
こういう時は、自分の不器用さが嫌になる。
本当はもっと、沢山の感情を言葉で伝えてやれたら、と思うが……。
そんなことを考えていると、胸を悠希の拳が軽く叩いてきた。
「なんだよ?」
「考え込んじゃって……らしくないわよ、そういうの」
「……そうか?」
「ええ」
断言されてしまった。
らしくない、か。
悠希が言うのなら、そうなのだろう。
ならば、俺らしいとはなんだろう。
……深く考えることでもないか。
こうなったら、思いついた言葉でいい。
下手でも、不器用でも……多分、それが俺らしいということなのだろう。
本当に深く考えることでもなかったな。
口を開く。
「……お前でよかったよ」
言うと、悠希が目を丸めた。
そして顔を赤くして、
「な、なに言ってんのよ!」
顔を背けた。
その様子に、思わず笑む。
「かわいいな」
「――っ!?」
今度こそ、悠希は耳まで真っ赤にした。
「か、かわっ……あんた、そんなの柄じゃないでしょ! そんな言葉!」
「なんだ。言っちゃ悪いか?」
「悪い!」
そこは断言するのは駄目だろ。
ったく、難しいやつだ。
「悪かったよ」
とりあえず謝っておく。
「……もう!」
すっかりご機嫌斜めになってしまった。
さてどうしたものか。
言葉もなく、二人並んで歩く。
……手は、握り合ったままで。
しばらくそうして歩いていると、ふと悠希が足を止めた。
「ん、どうした?」
悠希を見て……訝しむ。
その表情が、固く強張っていた。
悠希の視線は俺ではなく、少し先にある、一件の家に注がれていた。
「あの家が……どうかしたのか?」
普通の一軒家だ。
一階のリビングらしい窓からは光が漏れている。
別に、表情を強張らせるような要素は見てとれない。
「……う」
「なんだって?」
悠希がなにかを呟いた。
聞き取れず、聞き返す。
「違う……そんなの、違う。ありえない」
違う?
「違うって、なにがだよ?」
尋ねるが、悠希は答えない。
手が解かれた。
悠希が走りだす。それも、全力で。
「あ、おい!」
咄嗟に俺もその後を追いかけた。
悠希は一直線にその一軒家に向かい、そして迷わずその家の小さな門を押しあけると、敷地内に踏み入る。
流石にそれはまずいだろう。
制止の言葉を叫ぼうとして、俺はその家の表札を視界に収め、目を見開いた。
――天利。
表札には、その名字が彫られている。
天利だって?
そうそうある名字ではない。
偶然の一致?
珍しい名字の表札がかけられた家を見て悠希がおかしな様子で飛び込んで行くのが、偶然の一致?
馬鹿な。そんなわけがない。
見れば、悠希はスカートのポケットから鍵がいくつか繋がれたキーホルダーを取り出し、その鍵の一つを家の扉にさしていた。
そして、解錠の音。
扉が開かれる。
悠希が家の中に入った。
「……っ」
少し迷ってから、俺も家に入る。
家の中に入って一番最初の感想は、普通の家、だった。
玄関からフローリングの廊下が伸び、先にはリビングらしき部屋の入り口がある。
悠希はリビングの入り口で、立ちつくしていた。
俺は靴を脱ぎ捨てると、悠希に近づく。
「なにを……」
絞り出すような声だった。
一瞬、その声が誰の口から発せられたのか分からなかった。
「なにを、しているの……」
悠希の声だった。
そこに込められているのは……憎しみの色。
「なにって、自分の家にいてはいけないの?」
新しい声が聞こえた。
頭の奥に直接響くような、そんな声。
悠希の肩越しに、リビングを窺う。
そしてその姿を見つけた。
悠希に瓜二つの顔をした女性がリビングのソファに腰を下ろしていた。
年齢は重ねていても、決して美しさを失わない。そんな容姿。
見れば、三十代かと思う。
けれど違う。
その女性の実年齢は、恐らくそれよりもっと上。
俺は、面識はなくとも知っていた。その女性のことを。
「ふざけないでよ……っ」
荒々しい悠希の声が、その女性に打ちつけられる。
けれど女性は眉ひとつ動かさない。
「あんたみたいな女が、なんでこの家にいるのよ! 今すぐ、出ていけっ!」
咆哮、と。
正にそう表現するのが正しい怒号だった。
「……」
しかし女性は動じない。
そんな態度に、悠希の纏う気配がより鋭くなる。
それこそ、今すぐに目の前の女性を叩き潰すのではないかというくらいに。
「今更、のこのこと……っ!」
天利が一歩踏み出す。
まずい、と。
率直にそう感じた。
下手をすれば殺してしまう。そう思わせるほどの敵意。
「悠希!」
慌てて、俺は悠希の肩を掴んだ。
悠希が振り返る。
そして、そこで初めて俺の存在に気付いたかのような顔をした。
いや。
事実俺がここにいることに気付いていなかったのだろう。
あの悠希が、だ。
余程の事でもない限りは、そんなことはありえない。
つまり今は、それほどの事態ということだ。
「少し落ちつけ」
「っ、無理よ!」
悠希が叫ぶ。
「落ちつけ? こんな女を前にして!? 無理よ! そんなの、絶対に無理! 吐き気がする! 怖気がする! 寒気がするの!」
ここまで取り乱した悠希なんて、俺も初めて見る。
「いいから、落ちつけ!」
強く言う。威圧感すら込めて。
でもなければ、届かない。
「――っ!」
悠希が息を呑む。
そして俺から視線を逸らすと……そのまま、俺の横を抜けて、玄関に向かう。
「おい!」
「放っておいて!」
言い残し、悠希はそのまま外に出て行く。
……言われた通り、放っておいてやったほうがよさそうだな。
そう判断して、俺は一つ溜息を零すと、リビングの女性に目を向けた。
……名前は、確か。
そう。
天利……理沙。
悠希の母親だ。
彼女の視線が俺を捉える。
「あら、悠希の彼氏?」
「……そうなる」
言うと、彼女が驚いたように悠希より幾分きつい目つきでまじまじと俺の事を見詰めた。
「へえ……そうなの」
「あんたは悠希の母親だろう?」
「こっちのことは知ってるみたいね。あの調子じゃ、ひどい言われようなんでしょう?」
「……さてな」
ひどい言われよう以前に、悠希は母親のことはほとんど、話題にすら上げない。
それほど忌避しているということだろう。
わさわざそれを伝える必要は感じられなかった。
「そ。ねえ、お茶を入れるわ。座ったら?」
彼女が、微笑んで言う。
その笑顔は、なんとも妙な感じで。
悠希にそっくりだった。
……は。悠希にバレたら、こりゃ別れ話まで発展するかもな。
…………笑い話じゃねえ。
†
家を飛び出した私は、早足で夜道を歩いていた。
あの女……どうして。
どうして、今私の前に現れるのよ!
ああ気持ちが悪い。
違う。
そんな小奇麗な言葉じゃ言い表せない。
胸糞が悪い!
奥歯が危険な音を立てるが、気にも留めない。
「ふざけるな……」
そのまま、マンションのエントランスに入る。
臣護の、ではない。
私が所有するマンションだ。
あの事件で半ば倒壊したマンションはほぼ全ての場所を改築され、新築と見間違うほどに真新しい。
エレベーターに乗り込んで、最上階のボタンを押す。
そして到着して、目の前にあるドアの鍵を開けて、中に入った。
強くドアを閉める。その音が響き渡った。
リビングの方から椅子が倒れるような音。
走る音がして、リビングからアイが飛び出してきた。
「な、なに? え、どうしたの!? 泥棒!? ……って、悠希か」
アイは私の姿を確認すると、両肩から力を抜く。
「あれ、悠希。なんか顔色悪くない?」
「……」
問われ、でも応える余裕なんてなかった。
無言のまま家に上がり、そして自室に直行する。
「悠希? ねえ、悠希ってば」
部屋のドアを閉める。
アイの声が聞こえなくなる。
何度かドアを叩かれたが、無視してベッドに倒れ込む。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
どうして臣護に何も言わずにこっち来たんだろ、私。
……こんな顔、見せたくないからかな。
どうでもいいや。
頭の中身がこんがらがっていた。
どうでもいい。
もう、何も考えたくない。
眠いな。
……眠いな。