CO はいインフレです。
そういや、久々だな。一人で異次元世界に出るのは。
今日は、悠希がレールガンの調整とやらで出かけてしまった。マギの技術も取り入れ、最近悠希のレールガンは化物じみた威力になってきた。
……俺が言えた義理じゃないか?
巨大な岩の塔が乱立する世界で、灰色の空を見上げながら苦笑する。
一人の空気は久しぶりで、少し落ちつかない。
最近は、悠希の《魔界》探しに付き合ってあちこち奔走していたからな。
まったく、あいつは……。
まさか本気だとは思わなかった。
俺と一緒の存在になる、か。
それは人間をやめるということだ。
勇気がいらないわけがない。
人間をやめるだなんて、そんなの……普通なら、選べない。選ばない。
だというのに……。
頬を掻く。
俺にはもったいないくらいに出来た女だよ。
申し訳ないような、誇らしいような、なんとも言えない気分になる。
……もちろん、こんなことを本人に直接言うなんてことは出来ないが。
そんなの、らしくない。
きっと悠希だって、そう言うに決まってる。
別に俺達は、無理をする互いが好きなわけじゃないんだ。
今のままの互いが……。
「っ、と」
考えていると、傍の塔が歪み、その尖端が俺に落ちてきた。
それを軽く飛んで避けてから、魔導水銀剣を振るう。
剣から放たれた魔力刃が、攻撃してきた塔を含め、大量の塔を倒していく。
辺りの塔が、ぐにゃりと歪んで、その穂先を俺に定める。
どうやら、この塔は生きているらしい。
そして……今切断した塔が、あっというまに再生する。
「回復力も半端じゃない、か」
流石はブラックスペース。なかなか出鱈目だ。
塔群が、一斉に俺に刺突を放つ。
地面を蹴って雲の高さまで跳び上がり、俺はそれを回避。
剣尖を真っ直ぐ地面に向ける。
「ここには《魔界》もないようだし……適当に見て回って、終わりにするか」
ただえさえ、無限にある世界の中から《魔界》なんてものを見つけようとしているのだ。俺にはあまり、時間の余裕はない。
だから……誰も見ていないこの状況で手加減する理由もない。
「吹き飛べ」
剣尖に、黒い球体が生まれる。
それが、光に限りなく近い速度で打ち出され、地面に衝突。
――半径数キロの地面が、黒に飲み込まれ、消失する。
音もなく、ただ一瞬、風が吹き抜けた。
巨大なクレーターのど真ん中に着地する。
「こんなものか」
これで軽いウォーミングアップ代わりなのだから、どうかしてる。
「さて、と」
欠伸を一つかみ殺す。
「鉱物でもないか、探してみるか」
呟いた――刹那。
ガラスの割れるような音がして、空間が砕け散った。
そしてその向こうに広がる黒い闇から、何かが飛び出す。
……なんだ、こいつは。
それを見て、本能の部分が警鐘を鳴らした。
割れた空間は既に修繕を始めている。その現象も奇怪だが、そんなことよりも目の前の存在に気を奪われる。
黒い獣。
狼に近いだろうか?
巨大な黒い獣が、俺を見下ろしていた。
その輪郭ははっきりとせず、常に揺らめくようになっている。
異様なのは……それだけ巨大な獣なのに、気配がない。
有り得ない。
どれほど小さいものでも、そこにあれば気配はある。
ただえさえ俺の感覚は、普通の人間のそれを大きく上回ってるのだ。
なのに、どうして?
しかも気配はないのに、恐怖があった。
こいつは、いけない。
まともに戦ったらやられる。
そう思った。
だから……。
迷わず、全力の攻撃を叩き込む。
俺の身体から黒の魔術が放たれる。
ドーム状に広がる波動のようなもの。
それが、地の果てまでを覆う。
何もかもが消え絶える。
その筈だ。
なのに……。
俺は、浮遊しながら、それを見た。
黒の魔術が晴れて、虚空に……黒い色が蠢き、獣が再生したのだ。
獣は空中に足場もなく立つ。
「ば……」
馬鹿な、ありえない。そんな言葉を口にすることすら出来なかった。
黒の魔術に飲み込まれて、生きている?
おかしいだろう、それは。
ルール違反だ。
獣が吠える。
肌が痛いくらいに震え……そのまま、裂けた。
――は?
いや、ちょっと待て。
この俺が、声の一つで……満身創痍だって?
身体中から血が流れ、内臓は多分ほとんど潰れて、骨もかなり砕けてると思う。
痛みという次元を通り越して、違和感程度にしか感じないが、むしろそれが不気味だった。
まるで、あの《魔界》事件の時の麻述並みだ。
冗談きついぞ。
手に握る魔導水銀剣など、刀身が蒸発して使い物にならない。
今の俺の身体をこんな有り様にするなんて……。
しかも再生も遅い。
どういう理屈かは知らないが、俺の再生を阻害している。
今までそんなことをするやつに、遭遇したことがない。
未知だけならば、まだいいのだ。
そのくらいなら、この無限の世界のどこぞかには在るだろう。
だがこれは……いくらなんでも、滅茶苦茶が過ぎる。
「ふざ、けるな……っ!」
何故だか、無性に怒りが沸いた。
「吹っ飛べ!」
叫び、腕を前に突き出す。
黒の魔術を砲撃のように放った。
それは黒い獣を呑みこみ……けれどやはり、獣は再生する。
「っ……!」
なんだ、こいつは。
右腕が肘から千切れる。
気付けば獣は俺の背後にいた。
噛み千切られた……!?
獣の姿がぶれ、今度は左脚が落ちる。
獣が目に留まらぬ速さで爪を振るったのだ。俺にその爪は届かなかったのに、にも関わらず脚は斬られた。
「化け、物が……!」
はっきりと言える。
俺だってそうだが、こいつはその上をいく。
法則とか常識とか、そういうのを語るだけ愚かしい。そんな気分。
獣の目が細まる。
俺を仕留めようとしている。そういう目だった。
俺に抗う術は……ない。
「ふざ、けるなっ!」
だが諦めるわけにはいかなかった。
だってそうだろう?
俺は、こんなところで終われない。
悠希がいるんだ。
帰る場所があるんだ。
だから……。
「負け、るかぁああああああああああああああああああ!」
だが埋められない差がある。
俺は全力で黒の魔術を放つ。
けれどそれらを悉く受け切り、獣は……俺に向かって飛び出してきた。
引き裂く。
切り裂く。
食い千切る。
そんな意思が伝わってくる。
黒い爪が目の前に迫った。
脳裏に、悠希の姿がよぎる。
と同時、なにか、奇妙な音が聞こえた。
――その想いを受け止められた己を誇りたい。
これは、なんだ?
奇妙な音だった。
――お前と共に歩める未来を誇りたい。
声?
誰の声だ?
――俺にはお前が必要で、だからお前も俺を必要として欲しい。
もしかして……俺の声、か?
何を、詠っているんだ。
――支え合って生きよう。きっと続く、久遠を。
そもそも、どうやって詠っている?
そんなことをしている時間なんて、ないだろう?
――その未来の為に、俺は俺のままで在ろう。
どうして獣の爪は俺を裂かない?
どういうことなのだろう。
――誰にも邪魔はさせない。俺は潰れない。お前のことも守りきる。
ああ、けれど。
これはひどく……俺の心の奥に響く。
――誓おう。
何かを、感じた。
それを掴まなければいけないと思った。
だから、掴んだ。
それだけのこと。
そう……。
それだけの、ことなんだ。
しっかりと掴んだ。
俺自身。
俺という、『自分』。
理解する。
これが何なのかを。
俺が『俺』となる。
既にここに足はかけていたのだ。
黒の魔術。
それに、よく似ている。
黒の魔術とは全てを超越した『何か』を成すということ。
結果として『それ』になるのではないのだ。
『それ』を成す為に、魔力を限界の先まで集めることになった。
それは本能のレベルでの理解。俺は、俺達は黒の魔術をそれだけして、やっと信じていた。
けれど今、俺ははっきりと理解した。
つまりは魔力などなくとも、それを純粋に、強く、絶対的に信じきることさえ出来れば……そうなる。
それを俺に適応させる。
俺は、俺を信じる。
今ここにある、彼女を愛して、負けたくないと願い、負けるものかと思っている俺を、信じる。
――俺は負けない。
ここまでくれば上るのは簡単だった。
――――――――――――――――《顕現》――――――――――――――――
獣の爪が、俺をとらえる。
だが……それがどうした?
コートの裾が微風に揺れた。
先程の獣の咆哮で裂けた服だが……それはいつのまにか元通りになった、わけではない。
見かけは同じだが、違う。
これは俺が、俺として一番信じる姿。だから、こうなっただけの話。
「……ふん」
獣の僅かな動揺が伝わって来た。
俺は獣の爪を受け止めた人指し呼びを横に振るう。
獣の身体が吹き飛んで地面に衝突した。
「軽いな?」
手を伸ばす。
すると、手の内に眩いばかりの輝きを放つ銀色の剣が現れた。
それを掲げる。
獣の唸り声。
「新しい力を手に入れた途端に態度を変えるなんてちょっとありきたりで、まるで三文小説の主人公みたいで、なんだか少しばかり自分が情けない感じだが……まあ、一応言わせてくれ」
苦笑しながら、言い放つ。
「――お前のそれ、随分と獣臭いぞ。息苦しい」
銀色の刃が、断ち切る。
黒の魔術よりずっと洗練された現象。
綺麗に獣の身体が縦に切れて……そこから、消し飛んだ。
俺が獣を超えているという、はっきりとした証明。
剣を肩に担いで、溜息を吐く。
身体が光の粒子に一瞬代わり、元に戻る。
傷は塞がっていたが、服はぼろぼろ。
「こりゃ、新調しないと駄目か」
まあそのくらいの代金は、今回のことをM・A社に教えて、情報料として払ってもらおう。
異次元世界……まだまだ危険なものは残ってるんだな。
今更ながらに、無限の世界が孕む恐ろしさを知る。
もしまたこの獣が現れたら、まずいだろうな。
危険度で言えば、一匹で《魔界》にすら及ぶかもしれない。
《顕現》。
教えれば使えると言うものではない。自分を信じ切るというのは、本当に難しいことだ。
それが出来る人間が、どれほどいるだろう。
……対策はしていかなくちゃいけないだろうが、さて、どうしたものか。
面倒だな。
また溜息が出る。
どうしてこう、世界のピンチがそこらにごろごろ転がってるのかね。
「早速発見ね」
「――っ!」
弾かれるように振り返る。
「誰だ!」
そこに浮かんでいたのは、一人の女。
「……な」
その姿に、目を剥く。
背中から六枚の翼を広げた、黒いドレスの、永い銀髪をひとくくりにした女。
多分、俺と同じくらいの年齢。
「なんだ、お前……」
「なんだとは、またご挨拶ね」
くすりと、鈴の音を転がすような笑い声。
多分、皆見あたりならば正気を失って飛び付くくらいの容姿。
正直に言えば、俺も見惚れた。
「まあ、最初の自己紹介は大切か」
こほん、と。
わざとらしい咳払い。
「初めまして、臣護」
何故俺の名前を知っているのか。
不思議じゃない、と。自然とそう思った。
「早速だけれど、少し全ての世界の危機を私と一緒に救ってくれない?」
彼女が、俺に手を差し出してくる。
……おいおい。
「一つ忘れてるぞ?」
「……ああ、そうね。ごめんなさい」
彼女は静かに笑んで、目尻を下げた。
「エリスよ。よろしくね」
シーマン。お前……《顕現》までシュガーにすることないだろ。