第8話 火と水
人間界と同じように朝を迎えた世界は、太陽の光が燦々と降り注いでいた。太陽は周囲と洞窟内を照らし、幸奈はその眩しさで目を覚ました。
洞窟の外に出ると、大の字になって倒れている日向と、日向を囲むようにしゃがんでいる洸矢とプレアがいた。
「マジで眠い……」
「なんで寝なかったんだよ」
日向は完全に脱力していて、洸矢は呆れながら日向に手を翳していた。
「日向さんは僕たちのために頑張ってくれたんですから。僕たちは日向さんを癒しましょう」
プレアは談笑しながら両手を翳して力を強める。比例して、日向を包む光も少しずつ眩しくなっていった。朝の光も加わり、最終的に日向は大の字のまま完全に寛いでいた。
「一生このままがいい……」
「俺たちが疲れるからやめてくれ」
「頼む、もうちょっとだけ……」
日向のだらけた表情を見て幸奈は苦笑する。
「消えかけた火も自分からつけていた。そこまで張り切る必要はないのに」
幸奈の足元に現れたフレイムは、日向と瑞穂を交互に見て小さく溜め息をついた。
「もしかして、瑞穂ちゃんがいたから頑張ってたってこと?」
「そういうことだ」
なるほど、と頷く幸奈。好きな人を一晩守った結果だと、幸奈は素直に感心していた。
「セレン、どうしたのよ」
幸奈たちが盛り上がっている中、シルフは少し離れたところで尾鰭を抱えて丸くなっているセレンに気がつく。セレンは俯いて指で地面にくるくると円を描いていた。
「わ、私は起きていようと努力していたつもりです……ですが、瑞穂様の暖かさにすっかりリラックスしてしまい……」
「ぐっすり寝られたならいいじゃない」
「私は、瑞穂様のお役に立ちたかったのです……」
「だったら、今日リベンジしましょ。落ち込んでいる暇なんてないわ」
「は、はい……」
身支度を整えて、幸奈とシルフは森の中へ、洸矢と凜とプレアは幸奈とは別の方向の森へ、日向と瑞穂はフレイムとセレンを連れて水辺へ。それぞれ人間界に戻るための手がかりを探し始めた。
「シルフの言う通り、本当に孤立した島なのね」
瑞穂は視線の先にある、永遠と続く水平線を眺めながら呟く。海風が瑞穂の元に届き、瑞穂の綺麗な髪を揺らした。
日向たちが森を抜けると、そこには透き通るような美しい海が広がっていた。セレンに水中を任せ、日向たちは砂浜周辺の探索を始めた。
「フレイム、精霊界にもこういう海ってあるのか?」
穏やかな波が押し寄せる砂浜を歩きながら、日向はフレイムに尋ねる。
「もちろんだ。そこでセレンのように水を司る精霊たちが暮らしている」
へぇ、と軽く返しながら日向は足元の砂浜を軽く蹴る。
「そういえば、フレイムは山の近くに住んでるって言ってたっけ」
「そうだな。渓谷付近にいたから、俺はこういった海とは縁がない」
「お前、水苦手だもんな」
日向はフレイムの目の前にしゃがんでニヤニヤと笑う。
フレイムは冷ややかな目線を返したあと、全力のパンチを日向の脛にお見舞いした。声にならない声を上げて日向は砂浜を転がり身悶える。
「二人とも、なにしてるの」
「気にするな。早く手がかりを探そう」
悶絶している日向を放置してフレイムは歩き出した。
少し経った頃、セレンが水面から頭を覗かせ、恐る恐る海から上がってきた。
「すみません……水中にはなにも見つかりませんでした……」
「いいのよ。探してくれてありがとう」
「お役に立てずすみません……」
「気にしないで」
瑞穂に笑顔で返され、セレンは申し訳なさそうに肩を落とした。
その後、砂浜や周辺にも手がかりらしい手がかりは見つからず、日向たちは幸奈からもらったお菓子を食べて休憩していた。
「どうやったら人間界に戻れるのかしら……」
ぽつりと呟く瑞穂。物憂げな表情で海を眺める姿は絵になる光景で、日向は瑞穂に目を奪われていた。
「そもそも、初めから戻る方法なんてないんじゃないかしら」
寄せては引く波の音に混ざった声色は、どこか諦めのような感情が見え隠れしていた。
「……大丈夫、方法はきっとある」
「え?」
「俺たちが見つけてないとこにあるかもしれないだろ」
ニカッと歯を見せて笑いかける日向は、太陽のように眩しかった。
「あと、帰ったら……ほら、あ、遊ぶ予定もあるし……」
「……そうね」
段々と声が小さくなっていく日向に、瑞穂はそっと微笑んだ。
そのとき、日向たちの上を巨大な影が通り過ぎる。
見上げると、鷲の上半身に獅子の下半身――グリフォンと形容するべき生き物が上空を飛んでいた。優雅に羽ばたく様子に、日向たちは思わず息を呑む。
「あのかっこいいの、精霊なのかな――」
と言いかけたところで、日向の中にある単語が頭をよぎる。
「……あれも、精霊もどきなのか?」
見上げたままの日向の頬を一筋、冷や汗が流れた。
「分からないわ。でも、幸奈たちの話が正しければ、見つかる前に逃げた方が――」
突き刺すような視線が向き、日向と瑞穂は硬直する。視線は上空を飛ぶ生き物からだった。明らかな敵意と、獲物を狙う獰猛な目つき。
二人の本能が、あの生き物は危険だと判断した。
次の瞬間、轟音と共に稲妻が日向と瑞穂の間に猛烈な勢いで降り注ぐ。二人の間に落ちた落雷は砂を抉り、砂浜に大きな穴を作り出した。
日向たちが状況を理解する間もなく、生き物は稲妻を纏って急降下してきた。
「日向!」
「瑞穂様!」
フレイムは炎の渦を巻き起こし、セレンは二人を守るように水のベールを作る。炎によって勢いをなくした生き物は、羽ばたきで炎を払いのけながら離れたところに着地した。
「シルフ様が仰っていた通り、あの方からは精霊のような力を感じます……」
「確かに、あれは精霊もどきと呼ぶのが適切かもしれないな」
重苦しい表情のセレンと、神妙な面持ちで頷くフレイム。
生き物――精霊もどきは飛びかからず、じりじりと日向たちと距離を詰めていく。
「……俺さ、一度やってみたかったんだよ」
日向が肩を回しながら瑞穂たちの前に立つ。
「精霊と戦う動画見るの、最近ハマってんだよな」
ニヤリと笑う日向の手元に握り拳ほどの火球が現れる。
動画サイトで様々な動画が投稿されている中で、契約した精霊と戦うという動画が若者を中心に人気を集めている。しかし、それは動画内の企画であり、人間も精霊も本気で戦っているわけではない。
「日向、今はふざけている場合ではない」
「分かってるよ。でもこんな機会二度とないだろ」
日向の輝いた瞳は精霊もどきをしっかりと捉えていた。
「追い払うだけだからさ。フレイムも手伝ってくれよ」
「……危険だと判断したら逃げることを約束しろ」
「もちろん」
二人の会話が終わると同時に、精霊もどきは翼に雷を纏って日向に突っ込んできた。
「セレン、瑞穂を守ってて」
「わ、分かりました……!」
セレンに伝えた日向は素早く躱して炎の球を放つ。いくつものボールが投擲されるかのような動きで精霊もどきを翻弄するが、羽ばたきで火球は簡単に消し飛ばされた。
その間にフレイムが日向の横を駆け抜け、炎を纏った尻尾を叩きつける。小柄なフレイムと巨大な精霊もどきでは明確な体格差がある。それでもフレイムから放たれる炎に精霊もどきは跳ね退いた。
精霊もどきを中心にして雷が落ちると、日向とフレイムは軽いステップで避ける。日向が精霊もどきの反対側に回り込み、再び火球を投げつけると、精霊もどきの羽を数枚黒く焦がした。
「っしゃ、一発目!」
ガッツポーズをした日向から満足げな笑みがこぼれる。
「まだ追い払えていないぞ。俺のあとに続け」
「任せろって!」
冷静に返すフレイムに日向は返しながら炎の球を作り出し、再び精霊もどきと対峙する。
「日向、フレイム……」
二人が精霊もどきと戦っている光景を、瑞穂はセレンが作った水のベールに守られながら見つめていた。
精霊もどきは会話が通じそうな雰囲気ではない。本能の赴くままに日向たちに襲いかかっている。日向たちも果敢に攻撃しているが、追い払える決定的な攻撃はできていない。精霊もどきがどのくらいの体力を残しているかは不明だが、このままでは日向たちが一方的に体力を消耗するだけになってしまう。
(……このままではいけないわ)
表情を引き締め、瑞穂は目の前で水のベールを作っているセレンを呼ぶ。
「一つお願いがあるの」
「どんなお願いですか……?」
「セレンの力は争うためにあるわけじゃないのは分かっているわ。でも、今このときだけ。あなたの力を誰かに向けることを許してくれないかしら」
瑞穂の言葉の裏をすぐに読み取ったセレンは目を見開く。動揺で水のベールが波打つように揺れた。
「そ、それは危険です……!」
「大丈夫よ」
セレンの感情に反応するように、さらに水のベールが揺れる。
反論しようとしたが、瑞穂の真っ直ぐな瞳にセレンは閉口した。
「私を信じてちょうだい」
逡巡していたセレンだが、覚悟を決めたように口元をきゅっと引き締める。
「私もお手伝いします……!」
「ようやく四発目ぇ!」
日向は勢いよく着地したせいでついた砂を払う。
何度か火球は命中したが、精霊もどきは逃げることなく攻撃を続けた。
精霊もどきは溜めるような動作をした後、嘴からレールガンのように雷を発射した。
「あっぶねぇ……」
すんでのところで避けたが、一瞬の焼けるような熱に日向の体が怯む。
「……日向、瑞穂たちを連れて逃げるぞ」
「なんでだよ、まだ追い払えてないだろ!」
「さっき俺と約束したはずだ」
危険ならこの場から逃げる。つまり、今の状況は非常に危険だと暗に伝えていた。
精霊もどきの微かに焦げた羽を見て、日向は歯を食いしばる。
「大丈夫、もう少し――」
「日向、フレイム、動かないで!」
背後から声が聞こえると同時に、日向とフレイムの間から精霊もどきに向けて水流が噴射された。水流は勢いよく精霊もどきを十メートルほど後ろに押し飛ばす。
日向が振り返ると、瑞穂と横で目を丸くしているセレンがいた。
「セレン、ちゃんと使えているかしら」
「か、完璧です……」
突然のことに、日向もフレイムもセレンと同様に目を丸くする。
「瑞穂、下がってろって」
「いいえ、私だけが守られているだけなんておかしな話だわ」
精霊もどきは体勢を立て直し、落雷を日向たちに向けて放つ。油断していたと目を伏せる日向たちより早く、瑞穂は水のベールを作って自分自身ごと守り、雷を吸収した。
「セレン、海に飛ばしましょう。合図は私がするわ」
「分かりました……!」
「日向、フレイム。少しだけ精霊もどきの注意を引きつけられるかしら」
瑞穂に呼ばれ、日向の口角が上がる。
「てことでフレイム、もう少しだけな」
日向が嬉しそうに見下ろすと、溜め息をついてフレイムは了承した。
火球を作り出し、日向は精霊もどきに目がけて駆け出す。後ろにフレイムも続き、尻尾に纏わせた炎を精霊もどきにぶつける。動きが怯んだ精霊もどきを追い込むように、日向とフレイムは炎の壁を作り出す。行き場を失った精霊もどきの落雷が降り注ぐが、二人は軽やかに躱していった。
「セレン、今よ」
「はい……!」
タイミングを見計らった瑞穂の声に合わせ、瑞穂とセレンから炎の渦をかき消すほどの水流が流れ出す。
水流は精霊もどきを遥か遠くの海に押し流し、精霊もどきの姿はどこにも見えなくなっていた。
「すげぇ……」
揺れ動いていた波が落ち着き、平穏を取り戻した海を眺めて呆然とする日向。
精霊の力を活かすのは契約した人間次第と言うが、それを目の当たりにした。
「日向」
先ほどの戦いなど知らないと言わんばかりの、優しい笑みを浮かべる瑞穂が日向を呼ぶ。
「今のうちに逃げましょう」
「……あぁ」
日向はふわりと微笑む瑞穂に、笑顔で応えた。
自分が恋する人はこんなにも凛々しく強く、美しいのか。
戦いを終えた日向たちは森の中へ走っていった。




