第7話 本物と偽物
「りんごだ!」
森の奥深くに来た幸奈たちの目の前には、高くそびえ立つりんごの木があった。木の存在感に二人は感嘆の声を上げる。枝にはたくさんのりんごが実っていて、幸奈は近くにあった一つをもぎ取った。
「シーちゃん、りんごって精霊界にもある?」
「あるわよ。生えているだけで食べることはなかったけどね」
「確かに、シーちゃんたちはご飯いらないもんね」
「そうね。でも、人間界の食事の楽しさを知ったら、食事がない生活には戻れないわ」
シルフは微笑みながら、近くにあるりんごを小さな手でもぎ取る。
両手に抱えきれないほどのりんごを収穫し、意気揚々と集合場所へ戻ることにした。
森を歩く途中、幸奈はふと足を止めた。
「なにかいる!」
幸奈が指差す方向には、クラゲの姿をした生き物が空中に浮いていた。
日の光に照らされて透き通った身体と、そこから透けて見える自然の色が合わさり、この世のものとは思えないほど神秘的だった。しかし、木々に囲まれた中では幽霊のように不気味で、底知れぬ雰囲気にシルフは眉を寄せる。
「なにあの生き物……」
「ようやく精霊に会えた……!」
シルフが警戒する一方で、幸奈は好奇心に満ちた表情を浮かべていた。
クラゲの姿をした生き物は幸奈たちには気がついていないらしく、木々の間を泳ぐように漂っていた。
「ちょっと話しかけてくる!」
「幸奈!」
シルフが止めるより早く、幸奈はクラゲの姿をした生き物の前に立つ。
「初めまして、あたし幸奈って言うの! あなたは?」
生き物は幸奈の存在に気がついたようで、ゆらゆらと不規則に近づいていく。観察しているかのような動きを、幸奈はニコニコと見守っていた。
次の瞬間、クラゲの姿をした生き物から大きな触手が何本も現れた。
幸奈に覆い被さるようにして伸びる触手たちは、獲物を狙う捕食者の動きそのものだった。幸奈は凍りつき、自分に向かってくる触手を見上げることしかできなかった。
「幸奈!」
あと少しで幸奈に届きそうなところで、シルフの叫びが森の中に木霊する。空気が舞い、草木を巻き込んで生き物を勢いよく近くの茂みに吹き飛ばした。
「急いで戻るわよ!」
シルフに背中を押され、幸奈は手からこぼれ落ちたりんごを拾い上げて走り出した。
「変な生き物に出会った?」
洸矢の問いに幸奈は大きく頷いた。
人間界と同じように夜を迎えた世界は、幸奈たちの行動を制限した。そんな中、探索をしていた凜が小さな洞窟を見つけ、そこを拠点にしようと決めた。現在洞窟内とその周囲は、フレイムの力で起こした火で明るく照らされていた。
集めた食料と幸奈が持ってきたお菓子を食べながら、火を囲んでそれぞれの報告を進める。
「クラゲみたいで可愛かったんだけどね」
「危なかったんだから少しは焦りなさい」
「えへ、ごめんね」
呑気に笑う幸奈に、シルフは呆れたように溜め息をつく。
「……あの生き物からは精霊のような力を感じたわ」
「ということは、お二人が会ったその方は精霊なのですか?」
「人間を襲う時点で精霊じゃないわ。それはプレアも分かるでしょう?」
鋭い視線にプレアは圧倒され、静かに肯定する。
「そいつ、幸奈たちの話を聞いた限りだと精霊もどきって感じがするな」
「精霊もどき?」
日向は頷き、りんごの最後の一口を飲み込んでから続ける。
「だって精霊の力を感じるんだろ? でもここは精霊界じゃないし、精霊もどきって呼ぶのが一番分かりやすいだろ」
そこまで言って日向は欠伸をこぼす。顔を上げると、全員が目を丸くして日向に視線を注いでいた。
「……なんだよ、この空気」
「お前が急に頭良さそうなことを言うから驚いてる空気だよ」
「んだと洸矢。俺だってこれくらい考えてるからな」
「悪かったよ。あとお前は先輩をつけろ」
「すみませんでした。洸矢せ・ん・ぱ・い」
日向は洸矢をじとりと睨みつけ、洸矢はやれやれと肩を竦めた。「先輩を睨まないの」と日向は瑞穂に制止される。
「幸奈、どうしたの?」
凜の視線の先では、幸奈が浮かない顔をしていた。ぱちぱちと音を立てて弾ける火を眺めながら、なにかを考え込んでいる様子だった。
「なんか、もどきって言い方があんまりしっくりこなくて……シーちゃんが精霊の力を感じたなら、あの子は精霊じゃないの?」
「いいえ。私はあれを精霊じゃないと言い切るわ」
幸奈の言葉にシルフはキッパリと答えた。
「精霊の存在を気に食わない人間がいるのも知っているし、逆にそう思う精霊も少なからずいる。でも、精霊はそんなことを理由に人間を傷つけないわ」
「そう、なんだ」
「幸奈はなにもしていないのに、対話もせず襲いかかった。だから、私はあれを精霊とは認めないわ」
もしかしたら、幸奈が無事では済まなかったかもしれないからか。
シルフが心の奥底で怒りを募らせているのは、言葉の端々から全員に伝わっていた。
「あとは日向が言ってた通り、ここは精霊界じゃないんだから。精霊もどきって呼んでも間違ってないでしょ」
「……確かに。それなら納得!」
幸奈とシルフは目を合わせて微笑む。張り詰めた空気が緩み、緊張していた洸矢たちはほっと一息ついた。
「では、精霊もどきという名称で話を戻します」
瑞穂が話を切り出し、幸奈たちは座ったままその場で居直る。
「精霊もどきについてですが、再び遭遇する可能性も十分にあるはずです。明日以降は複数人で行動した方がいいのではと思います」
「賛成。襲われる危険もあるかもしれないからな」
話し合いを終え、幸奈たちは夜が明けるまで仮眠を取ることにした。暗闇で視界が制限され、尚且つ疲労が溜まっている状態でこれ以上の行動は危険だと全員が判断したからだった。
「フレイム、寝るぞ」
「俺は起きている」
各々洞窟の中や入り口で就寝場所を確保する中で、フレイムは火の前に座ったままだった。
フレイムは火からきょとんとしている日向に向けて視線を移す。
「火が消えたら困るだろう。それに、俺たちが寝ている間に精霊もどきに遭遇する可能性もある。だから俺は見張りもする予定だ」
「じゃあ、フレイムが起きてるなら俺も起きてる!」
日向はフレイムの隣に座り、堂々と胡座をかく。さも自分が提案したかのような態度の日向に幸奈たちは苦笑する。
「それなら、私も起きているわ」
「み、瑞穂……!?」
「三人いれば、交代で仮眠が取れるでしょ」
突然真横に瑞穂が座ってきたために、日向の顔が赤くなる。火に照らされていたおかげで瑞穂にバレることはなかったが。
「わ、私も起きています……瑞穂様たちだけに任せるわけにはいきません……!」
「いいのよ。セレンは休んでちょうだい」
「ですが、私がなにもしないというのは……」
「日向とフレイムがいるから大丈夫。あなたは私の横でゆっくりしていて」
瑞穂に優しく諭され、セレンは申し訳なさそうに瑞穂の横に座った。
「朝になって疲れが取れていなかったら僕と洸矢に言ってください。僕たちの力で疲れを癒します」
プレアはどこか自信に満ちた顔で伝える。
「ようやく幸奈以外で活躍する日が来そうだな」
洸矢の冗談に「そうですね」とプレアは穏やかな笑みを浮かべた。




