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第5話 準備と転移

「おやつでしょ、あとレジャーシートとトランプと……」

「幸奈、遠足じゃないのよ」


 鼻歌を歌いながら、幸奈は精霊界に向かう荷物をまとめていく。

 精霊界に持って行くリュックには明らかに関係ないものも詰め込まれていき、幸奈が入れてはシルフが取り出すという攻防を繰り返していた。


 数十分の格闘の末に準備を終え、二人は疲れ切った顔で床に転がる。カーテンを閉めていなかった窓から見える空は既に暗くなっていて、いくつも星が瞬いていた。


「いよいよだね」

「そうね。昔から行きたいってずっと駄々をこねてたものね」


 幸奈は起き上がり、ベッドに置いていたクッションを抱きかかえる。


「シーちゃんと初めて会ってから、もう十年くらい経つのかぁ」

「そんなに経ったのね。本当、人間界の時の流れは本当に早いわね」

「シーちゃん、おばあちゃんみたいなこと言ってる」

「失礼ね。私からすれば幸奈はいつまでも子供よ」


 一瞬の沈黙の後、二人は顔を見合わせて吹き出す。


「あたしは今回みたいに手続きがないと精霊界に行けないけど、シーちゃんはいつでも精霊界に行けるんだもんね」

「そうよ。四大精霊の権限なんて言うとおかしな話だけどね」

「あたしも連れてって欲しいなー」

「駄目よ。人間が勝手に精霊界に行くのは禁止されてるんだから」

「分かってる。冗談だよぉ」


 シルフのハッキリとした物言いに、幸奈は不満げに口を尖らせる。


「というより、幸奈を置いて精霊界に帰るなんてできないわ――」


 そこまで言葉を続けてシルフはハッとする。目の前にはニヤけた顔を抑えきれていない幸奈がいた。


「ち、違うわ! 私がいなくなったら洸矢が一人で大変だからよ!」


 シルフは顔を真っ赤にさせてぽこぽこと幸奈を殴る。と言っても、幸奈にとっては全く痛くない強さだったが。

 シルフから逃げるように、幸奈は楽しそうにベッドへ勢いよく飛び込んだ。ベッドに飛び込むと、クッションを抱えたままくるりと体勢を変え、無言で天井を見上げた。


「……シーちゃん、あたし思ったの」

「どうしたの?」


 幸奈はクッションをぎゅう、と抱きしめる。物憂げな顔にシルフもつられて表情が曇る。


「やっぱり、お菓子が足りないと思う!」

「……は?」

「持ってくお菓子! ということで、今から買いに行こう!」


 机に置いていたスマホと財布を持って幸奈は部屋を飛び出した。

 呆然と見送るシルフだったが、数秒後に我に返って幸奈を追いかけた。


「いやー、大漁大漁!」


 街灯が照らす道を歩く幸奈とシルフ。幸奈が提げるレジ袋にはチョコレートや飴、小袋のスナック菓子など、大量のお菓子が入っていた。


「どう見ても買いすぎよ」

「そんなことないよ! みんなにも配るんだから、このくらい買わなきゃ」


 自信満々な幸奈に反論する気力はなかったのか、シルフは「そうね」と頷くばかりだった。

 途中、二人は公園の横を通り過ぎる。ブランコとすべり台とベンチしかない小さな公園を、青白い街灯が静かに照らしていた。

 歩く速度が遅くなり、完全に遊具に視線が向いている幸奈から次にどんな言葉が飛んでくるのか。シルフは大方予想がついていた。


「ちょっと遊んでから帰ろ!」

「言うと思ったわ。少しだけよ」


 シルフが了承するや否や、幸奈は一目散にブランコへと駆け出し、レジ袋を持ったままブランコを漕ぎ始めた。


「あれ、幸奈?」

「洸矢兄!」


 幸奈を呼んだのは、公園の入り口にいた洸矢だった。パーカーとスウェットというラフな格好をした洸矢は、幸奈と同じようにレジ袋を提げていた。


「洸矢兄、買い物?」


 幸奈はブランコを漕ぐのを止め、公園内に来た洸矢を笑顔で迎えた。


「あぁ。親に買い物頼まれたからそこのスーパーに行ってきた。幸奈は?」

「精霊界に行くときのお菓子が足りないと思って買いに行ってたの!」

「遠足じゃないんだぞ」


 苦笑しながら洸矢は幸奈の隣のブランコに座る。地面を軽く蹴り、静かにブランコを揺らした。


「この公園、昔からなにも変わんないな」

「ブランコもずっとあるもんね!」


 再びブランコを漕ぎ始める幸奈を、洸矢は優しい目で見守る。幸奈が漕ぐたびにギィ、という金属音が公園内に響いた。


「幸奈。ようやく精霊界に行けるな」

「うん! 本当に楽しみ!」

「小学生の頃から行きたいって言ってたもんな」


 足を止め、洸矢は星がちらつく夜空を見上げる。


「……精霊界に行ったら、会いたい精霊にも会えるかな」

「会いたいって、プレアの友達?」

「いや、親友と契約してた精霊だな」

「なんで親友の人の精霊は精霊界にいるの?」

「あー……いや、なんでもない。今の忘れてくれ」


 言いかけた言葉を飲み込み、誤魔化すようにわざとらしく洸矢は笑う。

 首を傾げる幸奈だがそれ以上は追求せず、代わりに「どれにしよっかなー」と持っていたレジ袋を漁り始めた。


「疲れたときには甘いものだよ!」


 幸奈は笑顔を見せながら、キャラメルの箱を洸矢に差し出す。


「……ありがとな」


 ぽかんとしていた洸矢は幸奈の笑顔につられるようにして微笑み、キャラメルを受け取った。

 無意識かもしれないが、幸奈は人の思いを汲み取るのに長けている。そこに優しさも加わり、幸奈が周囲を惹きつける魅力となっている。

 穏やかな空気に包まれている二人を、シルフは腕を組んで静かに見守っていた。


「……やっぱり楽しいのかしら」

「シーちゃん、なにか言った?」

「なんでもないわ」


 雑談もほどほどに切り上げ、幸奈たちはそれぞれ帰路についた。


 そして、幸奈たちが精霊界に向かう日がやってきた。


   * * *


 午前九時。

 幸奈たちは精霊界に向かうため、とある研究所にいた。

 幸奈たちがいる部屋の壁には精霊界であろう地図が投影されていて、矢印でルートが示されていた。


「今回は森林エリアを中心に動きます。精霊界には先に向かった研究チームが待機しているので、到着次第合流してください。向こうでの動きは先日お渡しした資料の通りです」


 白衣を着た研究員は幸奈にタブレット端末を手渡した。


「連絡用の端末です。先に行った研究チームも持っているので、なにかあったときはこれで連絡を取り合ってください。人間界に戻る際は端末が発した電波を受信し、こちらから再度ゲートを開きます」


 ひと通り説明を聞き終えた幸奈たちは、精霊界と繋がる部屋へと向かった。


「これが精霊界に繋がるゲート……」


 幸奈たちの目の前には、直径三メートルほどの大きさをした円形のゲートがあった。最新鋭の技術と精霊の力を駆使して作られたゲートは、宇宙空間をそのままそこに映し出したような色模様をしていた。

 人間界と精霊界の時間の流れは異なっている。人間界での一時間は精霊界での一日。つまり精霊界で一週間を過ごしても、人間界では七時間しか経っていない。


「この向こうに精霊界が……」


 幸奈たちは、普通に人生を過ごしていれば見ないであろうゲートをまじまじと見つめる。


「……緊張するな」

「洸矢、安心してください。精霊界は素敵なところですよ」

「フレイム、楽しみだな!」

「お前は少し落ち着け」

「セレン、いつもより嬉しそうね」

「は、はい、久しぶりの精霊界ですから……!」


 ゲートを目の前にして、幸奈たちは不安より期待する感情の方が勝っていた。誰もが期待に胸を膨らませ、精霊界がどんな場所かを想像する。


「幸奈、準備はできた?」


 凜の問いかけに幸奈は大きく頷いた。


「……シーちゃん?」


 幸奈がシルフに視線を移すと、シルフの表情はどこか曇っていた。


「ごめんなさい。なんでもないわ」

「大丈夫だよ」


 感情を隠すように笑うシルフの前に立ち、幸奈はシルフの小さな手を優しく握る。


「あたしがいるから安心してね」

「……そうね。あなたとならどこにでも行けるわ」


 シルフの表情は明るさを取り戻し、幸奈たちは定位置についた。


「それでは、どうぞお気をつけて」


 研究員の合図で幸奈たちはゲートへ順に入っていく。

 ゲートを越えた先で白い光に包まれ、幸奈たちは精霊界へと向かった。


 はずだった。

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