第34話 信頼と絶望
「が……っ!」
衝撃でリヒトは倒れ込む。幸奈はリヒトの上に乗りかかり、左手もリヒトの首にかけた。
「違うの、リヒトさん! 体が勝手に……!」
突然のことに幸奈も混乱しているらしく、首を必死に横に振る。リヒトも息を吸い込もうと幸奈の腕を掴むが、幸奈の腕は首から離れなかった。
そのとき、幸奈は右手の紋章が光っていることに気がついた。
まさか、もしかして。
「精霊王……?」
幸奈は悟った。精霊王が自分の体を操っているのだと。
「精霊王……精霊王! やめてください!」
精霊王の名を必死に叫ぶが、精霊王はなにも答えなかった。それどころか、リヒトを掴む腕が段々強くなっていく。抵抗していたリヒトの力も弱くなり、掠れた息が漏れるばかりだった。
「やめて! リヒトさんが死んじゃう!」
幸奈が強く叫んだところで力がふっと弱まり、幸奈の両手はリヒトの首から離れた。意識が朦朧としているリヒトを必死に呼びかける幸奈。
すると、幸奈の手に先ほどモニターを破壊したものと同じ、光り輝く剣が現れた。幸奈の意思に反して手は剣を強く握り、そのままリヒトの顔に向かって振り下ろした。
「……少女よ、抵抗するな」
精霊王は冷静に告げる。剣はリヒトの顔の横に突き刺さっていた。
深々と刺さった剣が抜け、再びリヒトに向けて勢いよく振り下ろされる。
「精霊王、やめてください……!」
剣はリヒトの鼻先でぴたりと止まる。幸奈は顔を歪め、爪が食い込むほどの力で剣を握りしめていた。
「どうせこの男は将来裁かれる。ならば、今この場で葬る方が早い」
違う、と首を振る幸奈。抵抗する幸奈の手はぶるぶると震えていた。少しでも力を抜いてしまえばリヒトに突き刺さってしまう。
「リヒトさんは殺させない……!」
「なぜこの男を庇う。時が経てばじきに記憶が消えてしまう」
「庇ってない!」
「それならなぜだ。お前もこの男を恨んでいるのだろう」
「今回のことを後悔させるため! 生きて、罪をずっと覚えててもらう!」
幸奈は掠れた息を吐くリヒトを強く見つめ、歯を食いしばる。
「あたしと契約してるなら、あたしを信じてください!」
「……お前を信じる?」
呟く精霊王の鎧の先の目が細くなる。同時に、剣を握る力がほんの少し弱まった。幸奈は精霊王を真っ直ぐ見上げる。
「そうです! 精霊は人間を信じて契約してくれるんですよね!? 精霊王も、あたしを信じて力を貸してくれたんですよね!?」
喉から絞り出すように叫ぶ幸奈。精霊王は無言で幸奈とリヒトを一瞥する。
「……人間はときどき、私たち精霊の想像を超える」
「精霊王……」
「今回は、シルフが選んだ人間を信じてみるとしよう」
精霊王が手を翳すと、幸奈の手元から剣が消える。剣を握っていた腕もだらりと力が抜け、幸奈はふらつきそうになった体を必死に抑え込んだ。
リヒトが強く咳き込み、意識を取り戻す。
「……リヒトさん。リヒト・グレイアさん」
ぼんやりとした目で幸奈を見上げるリヒトに、幸奈は弱々しく微笑む。
「あたしはあなたのことを、ずっと忘れません」
微笑みかけた幸奈は視界が霞み、体がぐらりと後ろに傾いた。
「幸奈!」
床に倒れ込む前に、部屋に現れた洸矢が幸奈の体を支えた。
「洸矢兄……?」
「幸奈、息できるか?」
「えっと、あたし……リヒトさんを止めたよ……」
精霊王と仮契約を結んだ体の反動が今来たのか、幸奈は指一本動かなかった。いつになく力がない幸奈に洸矢は顔を歪め、合流したプレアと共に幸奈を癒し始めた。
日向たちも遅れて部屋に駆け込んでくる。現状を理解しようと部屋を見渡し、見慣れない精霊――精霊王に視線が集中する。
「あの精霊は……」
「精霊王だ」
凜の言葉に全員が目を見開く。まさかこんなところで精霊の王に会うなんて思ってもみなかった。
冷静になった凜は幸奈の近くにいたリヒトを確認し、ラインを連れてリヒトの元に向かう。どこか上の空のリヒトの体を起こして「リヒトさん」と呼びかける。
「ラインを連れてきました」
ラインに視線を移すと、ラインは小さな拳を握りしめて頷く。リヒトの横にしゃがみ、悲しげに眉を下げる。
「あのね、ライン、なんにも思い出せないの」
「……そうですか」
諦めたように、ふっと笑うリヒト。自分のせいで記憶を失ったとは言えなかった。
「でもね、凜が教えてくれたよ。ラインはライン・グレイアって名前で、お兄さんはラインの家族だって」
「……あぁ。私と君は家族だ」
リヒトに言われ、ラインの表情がパァッと明るくなる。だけど、とリヒトは続ける。
「これから君は一人で生きていかなければならない――」
「いいえ。ラインは一人ではありません」
遮ったのは凜だった。驚愕した様子のリヒトに、凜は真っ直ぐな瞳を向ける。
「僕がいます。ですから、ラインを一人にはさせません」
「……分かりました。では、君に任せましたよ」
凜とラインを交互に見てリヒトは微笑む。この子には彼がいる。自分がいなくても大丈夫だと安心した表情をしていた。
「リヒトさん」
凜たちの横に颯太が現れる。颯太は冷たい瞳でリヒトを見下ろした。
「俺たちを騙していましたね」
「そうですよ。君たちには悪いことをしましたね」
「……俺の精霊がいなくなったのも、あなたのせいですか」
颯太の問いにリヒトは口を噤む。過去に起きた出来事を思い返しているようで、颯太は黙ってリヒトの返答を待った。
「……申し訳ありませんが、それは覚えていないのです」
颯太は少し逡巡した後、「そうですか」と静かに呟いた。
「俺は……あなたのことをずっと忘れません」
拳を握りしめる颯太。そんな颯太の横からみのりが顔を覗かせ、「先輩」と呼びかける。
「一回冷静になりましょ。ここで先輩が殴ったら先輩もなにか言われますよ」
「運上……」
「まぁ、利用されたのはあたしもちょっとは怒ってますけど。後は偉い人たちがやってくれるはずですよ」
決して重い空気にすることなく宥めるみのり。冷静になったのか、納得したように颯太は小さく頷いた。
「では、私とシルフは精霊界に戻るとしよう」
部屋に精霊王の声が響き、再び全員の視線が精霊王に向けられる。精霊王は依然光球に包まれたままのシルフに視線を落とす。
「シルフの傷を早急に癒さなければならない」
「精霊王、シーちゃんは元気になりますか?」
「もちろんだ」
幸奈はゆっくりと立ち上がり、目覚めないシルフの前に立つ。
「元気になったら、シーちゃんと契約できますよね」
「契約は可能だ。だが、お前が生きている間にシルフと再会できる保証はない。今回の生命核の回復は時間を要する」
冷酷に告げられる事実に幸奈は唇を噛むが、一転してシルフに穏やかな目を向ける。
「シーちゃん。次会ったら絶対契約しようね」
優しく呼びかける。しかし、シルフから返事はなかった。
「それでは、またいつの日か会おう」
白んだ光に包まれ、シルフと精霊王は姿を消した。
部屋の中に静寂が訪れる。
「う、うぅ……」
静寂の中から小さくしゃくりあげる声が聞こえ始める。それは幸奈の声だった。
「う、あ、うあああぁぁ……!」
幸奈の意思に反して涙が勝手に流れていく。耐え切れず、幸奈はその場に崩れ落ちた。




