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第32話 幸奈とシルフ

「初めまして。私、シルフって言うの」


 シルフと名乗ったのは、蝶々の羽を持った愛らしい妖精をした精霊。そんなシルフの目の前にいるのは、年齢にして五、六歳ほどの幼い少女。


「私は、私と契約してくれる人間を探して人間界に来たの」


 不思議そうにシルフを見上げる少女に向けて、シルフは誇らしげに続ける。


「でも、契約は誰でもできるわけじゃないのよ。私が運命を感じた人だけが、私と契約できるの」


 シルフは少女の目の前に降り立ち、笑みを浮かべた。


「それで、私はあなたに運命を感じたの。だから、私と契約してくれないかしら?」

「契約したらどうなるの?」

「そうね……私の力を使って、人間界をよりよい世界にすることができるわ」

「あとは?」

「え? あ、あとは……」


 予想していなかった質問にたじたじになるシルフ。腕を組んで天を仰いでいたが、絞り出したように少女に向き直る。


「そ、そう! 私と仲良くなれるわ!」


 笑みを取り繕いながらシルフは少女に自慢げに伝える。シルフに言われ、少女は首を傾げた。


「契約しないと仲良くなれないの?」

「いえ、別に契約しなくても仲良くすることはできるけど……」

「じゃあ、あたしと友達になって!」


 少女の提案にシルフは一瞬思考が止まった。友達。眉を寄せて少女を見上げるシルフ。


「それは……契約してくれるってことよね?」

「違う! ただの友達!」


 つまり、自分とは契約しない。まさか契約を断られると思っていなかったシルフは、頭の中で考えを巡らせる。

 こんな返答をされた場合どう返すべきなのか。無理矢理にでも契約すべきか。いや、それは四大精霊の立場としては好ましくない。しかし契約はして欲しい。

 なんとか説得しよう。決意したシルフは必死に口角を釣り上げる。


「わ、私、あなたと契約したいのよねー……」

「なんか怖いからやだ!」

「こ、怖くないわよ! 契約なんてすぐに終わるわ!」


 やだ、と少女はそっぽを向く。少女の素っ気ない態度にシルフはわなわなと震える。なぜそこまで契約することを拒絶するのか。人間とはここまで自由な生き物だったとは。


「怖いから、これで契約!」


 シルフが再び思考を巡らせるうちに、少女は元気よく小指を差し出した。


「なによそれ」

「指切りげんまん!」

「なにを言ってるの。それじゃあ契約にならないわよ」

「いいの! 今はこれで、あたしが怖くなくなったら契約する!」

「いつの話をしてるのよ」

「あたしが大人になるまでに契約するから!」


 少女の純粋な瞳がシルフを射抜き、シルフは言葉を詰まらせる。


「……ちゃんと契約してくれるのよね?」

「うん!」


 満面の笑みを向けられたせいで、シルフはなにも反論できなかった。

 少女と小指を交互に見て大きな溜め息をつき、シルフは小さな手で少女の小指に触れる。


「今はこれで契約ってことにするわ」

「やったー!」

「でも、いつか必ず契約してもらうわよ!」


 強く訴えるシルフに、少女は大きく頷く。


「あたしは春風幸奈。よろしくね、シーちゃん!」

「なによ、その呼び方」

「シルフだからシーちゃん!」


 幸奈と名乗った少女は、銀紙に包まれたチョコレートをシルフに差し出す。


「シーちゃん、チョコ食べる?」

「いらないわ。精霊に食事は必要ないのよ」

「仲良くなった記念!」


 ずいっと寄せられ、シルフは思わずのけ反る。

 契約してもらうためなら、このくらいのお願いは聞いておこう。

 そう思いながら、シルフは溶けかけのチョコレートをしぶしぶ口に入れた。


 どこで聞きつけたのか、幸奈とシルフが出会ったことはすぐに周囲に広まった。


「幸奈ちゃん、四大精霊と契約したの!?」

「すごいね!」

「四大精霊って本当にいるんだ!」


 噂でしか聞いたことのない、四大精霊であるシルフを一目見ようと、幸奈たちを取り囲む少女たち。遠巻きに見守る他の子供や精霊たちの興味も二人に向いていた。


「ううん。あたしとシーちゃんとは契約してないよ!」


 笑顔で応える幸奈。幸奈の笑顔に反して、周囲の空気が冷えて固まっていく。


「えっと……まだ契約してないってこと、だよね?」


 少女たちの戸惑う視線は、幸奈の横にいたシルフに向く。突き刺すような視線を受け止め、シルフはふぅと息を吐いた。


「……そうよ。だから今日、帰ったら契約しようって話をしたわ」


 シルフの言葉に周囲はほっと安堵した。だが幸奈は一人、シルフを不満そうに見上げていた。


「シーちゃん、なんであんなこと言ったの?」


 自室で頬を膨らませている幸奈に向けて、シルフは呆れたように肩を竦める。


「あの空気で分かったでしょ。契約しないなんて有り得ないことなのよ」

「いいもん! シーちゃんとは友達になれたもん!」

「私は契約して欲しいって言ってるのよ!」

「契約しない!」

「早くしないと大人になっちゃうわよ!」

「まだ子供だもん!」


 二人の契約するしないの言い合いは数日、数週間、数ヶ月、数年と続いていった。しかし、幸奈とシルフが契約することはなかった。


「――だから、もし契約方法を聞かれたらそういうことにしましょ」

「分かった!」


 契約方法はよく話題に挙がるからと、嘘の契約方法も決めた。幸奈は嘘が苦手だから、予め決めておけば聞かれても問題なく答えられる。

 次第に、シルフは幸奈に契約を迫らなくなった。それは契約を諦めたわけではなく、幸奈を信頼し始めたからだった。そのうち幸奈の口から言ってくれるはずだと。

 契約したときには、四大精霊が契約していなかったなんて信じられないと言われるだろうが、それでもいい。幸奈といられるだけで十分楽しいから。シルフはいつしかそう思うようになった。

 幸奈は自分を四大精霊という括りで特別扱いをしない。一人の精霊として、親友として接してくれる。


 そして、幸奈が四葉学園高校へ入学した日のこと。


「シーちゃん。今年のあたしの誕生日に契約しよ」


 入学式の終わりに、桜並木の下で幸奈はシルフに微笑んだ。

 春らしい、柔らかく暖かい日差しが桜の木を抜けて二人に降りかかった。


「……今、契約しようって言った?」

「そう、契約!」


 いつになく明るい笑顔を見せる幸奈。シルフはその場に止まり――眉を顰めた。


「なにか変なものでも食べたかしら……もしかして、昨日お菓子を食べ過ぎたせい……? やっぱり高校入学だからって甘やかしたせいね。止めておくべきだったわ」

「違うもん! 高校生になったのと、今年だなって思ったの!」


 幸奈は頬を膨らませる。冗談よ、と笑うシルフ。

 シルフの胸中では、喜びより先に寂しいという感情が芽生えていた。自分がずっと待っていたはずの言葉なのに、いざ口にされると不思議な感覚がした。同時に、これでようやく始められるのだと、シルフの中に感動も生まれていた。


「契約するのはいいけど、あなたの誕生日は来年の春じゃない。一年も先よ」

「それじゃあ……今年度の誕生日?」

「そうなるわね」


 顔を見合わせ、笑う幸奈とシルフ。

 幸奈が小指を差し出すと、シルフは分かっていたかのように小指にそっと触れた。


「約束だからね!」

「えぇ。約束するわ」


 手を離すと、幸奈は軽いステップで桜並木を駆けていく。


「誕生日、まだかなー!」

「そんなに待ち切れないなら、今契約すればいいのに」

「やだ! あたしの誕生日と、シーちゃんと契約したお祝いを一緒にするの!」


 十年間見守り続けた背中はいつの間にか大きくなっていて。

 今までの思い出を胸に、これから先もたくさんの思い出を作っていこう。


「今から楽しみね」


 シルフは微笑み、先を歩く幸奈を追いかけた。

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