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第29話 思い出と感謝

「……あった」


 洸矢とプレアは寂れた廃ビルを見上げていた。人の気配がないそこは夕方の薄暗さも合わさって、幽霊がいてもおかしくないような雰囲気だった。誰も近寄ろうとしない外観で、洸矢とプレアは思わず息を呑む。


「ここで颯太さんが契約したのですか?」


 頷く洸矢。子供心で探索をしたら偶然出会ったのだと、当時颯太から教えてもらったことを思い出していた。

 ここに颯太が確実にいる保証はないが、もしかしたら。


「入るか」


 膝くらいまで伸びた草を掻き分けてビルの中へ入る。中はところどころコンクリートが崩れ、鉄骨が剥き出しになっていた。一階に颯太の姿はなく、階段を昇ってさらに捜索を進めることにした。


「洸矢」


 階段を昇る途中でプレアが洸矢を呼び止める。振り返るとプレアの表情は緊張していた。


「どうした?」

「……います。恐らく精霊もどきが」


 声を潜めてプレアは呟く。精霊もどきの力を感じ取ったのだろう。「分かった」と返す洸矢の表情も緊張が見え隠れしていた。

 次の階で遭遇する可能性がある。洸矢たちは音を立てないように階段を昇っていく。


「誰だ」


 階段を昇りきろうとしたところで、洸矢たちは呼び止められた。


「影井の声だ……」


 洸矢はぽつりと呟く。間違いなくここに颯太がいる。


「行きましょう」


 隠れていては進展がない。洸矢とプレアは顔を見合わせて頷き、そっと階段から姿を現す。

 フロアに足を踏み入れると、そこにいたのは颯太と精霊もどき。


「祈本……」


 洸矢たちを視認した颯太は思わず立ち上がる。驚く颯太の横では、狼の姿をした精霊もどきが洸矢たちを威嚇していた。

 洸矢は表情を引き締め、颯太の正面に向かう。


「影井。お前を探しに来た」

「俺を?」

「ラインのことと、そこにいる精霊もどきのことも聞きに来た」


 洸矢は精霊もどきに視線を移す。精霊もどきは威嚇こそすれど、洸矢たちに襲いかかることはなかった。


「ラインは今どこだ?」

「悪いが、あの子のことは誰にも言わないようにお願いされてる」

「あの人……リヒトさんがラインを連れ戻したのは知ってる」

「分かってるなら、わざわざ俺に聞く必要はないだろ」


 洸矢たちを見つめる颯太の瞳が厳しくなる。


「違う。俺がここに来たのは影井と話をしたいからだ」


 颯太の視線に怯まず堂々としている洸矢。名前が出たことで颯太の眉がぴくりと動く。


「影井とはあの日以来一度も話ができてなかった。だから、今日ここで話をしたい」

「話すことなんてない。放っておいてくれ」

「いいや、話す。お前には契約してる精霊がいるのに、なんでそいつと新しく契約したとか言ったんだよ」

「……あいつは死んだ。だから新しい精霊と契約しただけだ」


 吐き捨てるような物言いに、洸矢は顔を顰めて首を振る。


「精霊は死なない。なにがあっても契約は切れないってリヒトさんも言ってた」

「じゃあ、あいつとの繋がりが消えた理由はなんだ。それが契約が切れた証拠だろ」


 静かに攻め立てる颯太に洸矢とプレアは一瞬たじろぐ。


「それは俺には分からない。……けど、俺は繋がりが消えただけで別の誰かと契約しようとは思わない」


 洸矢は真っ直ぐ颯太を見据える。小さな拳を握りしめ、プレアが一歩前に出る。


「颯太さん。そちらの方とはどうやって出会ったのですか」

「リヒトさんが託してくれた。俺と同じように契約相手を失った精霊だって」

「有り得ません。契約相手が亡くなった精霊は精霊界へ戻ります」

「リヒトさんが嘘をついてるって言いたいのか?」


 プレアは真剣な表情で頷く。


「それと、なぜ彼はいなくなったのですか? なにか事故に巻き込まれたのですか?」

「あいつは、俺を精霊から守っていなくなった」

「精霊から?」

「俺とあいつはときどきここで遊んでいた。でもあるとき、突然精霊が現れて俺たちに襲いかかってきた」


 颯太の脳裏に浮かぶのは、襲いくる精霊から自分を庇って立ち向かってくれたときのこと。静かになった空間で颯太は呆然と、自分の影を見つめていた。


「あいつは影の中に精霊を飲み込んで、そのまま戻ってこなかった」


 影に視線を落として呟く颯太。込み上げてきたものを堪えるように歯を食いしばる。


「祈本に連絡した後、リヒトさんが駆けつけてきた」

「リヒトさんが……?」


 洸矢は眉を顰める。なぜリヒトがやってきたのか。まるで最初から居場所を分かっていたかのようではないか。


「俺が一人になったのを心配してくれて、リヒトさんは新しい契約方法だって言ってこれを渡してきた」


 颯太は中指に嵌めた指輪を見せる。シルバーの指輪が建物の隙間から射し込む夕陽に反射して、キラリと光った。


「精霊の力がこもった物を受け取れば契約したことになるだろ。それと同じだって」


 洸矢は思い出した。以前幸奈と一緒にリヒトの研究所に向かい、そこで話した内容を。


 ――手懐けて飼い慣らすという手段なら、多少関わることは可能かもしれませんね。


 指輪によって精霊もどきは制御されているのだと、颯太に寄り添う精霊もどきを見て洸矢は確信した。


「……精霊もどきと契約はできない。契約方法もただの飾りだ」

「精霊もどき?」

「あぁ。そいつは精霊じゃない。リヒトさんの研究で作られた偽物の精霊だ」


 颯太は目を見開き、横にいる精霊もどきを見下ろす。精霊もどきは颯太を見上げることなく、素知らぬ顔で大人しくしていた。


「俺は精霊を失う辛さは分からない。でも、影井は契約したときの話とか、色んな思い出を話してくれた。それを精霊もどきなんかで上書きできないだろ」


 悲痛の混じった顔で洸矢は呟いた。


「颯太さん。僕たち精霊は人間を信じて契約を結びます。ですが、そちらの方は颯太さんのことを信じて契約してくれたのでしょうか?」


 洸矢に続くプレア。二人の訴えに颯太は口ごもる。


「……じゃあ、あいつはなんで力だけを遺して消えたんだよ」


 表情を歪める颯太の影がぐにゃりと形を変える。影は別の生き物かのように動き、すぅと短くなって颯太の姿に戻っていった。それは颯太が受け取った、影を操る力。


「これ以上俺に関わるな」


 目を見開く洸矢たちに颯太は淡々と告げる。

 いつも影の中にいて、呼びかければ応じてくれた。なのに、今はどこにもいない。


「帰ってくれ……!」


 颯太が手を翳すと、精霊もどきは洸矢たちに飛びかかる。洸矢たちは急いで退き、精霊もどきから距離を取る。精霊もどきは牙を見せて唸り、様子を窺っていた。


「やめろ、影井!」

「頼むから、放っておいてくれ」


 洸矢の呼びかけにも応じず、颯太は俯いていた。

 精霊もどきがプレアの方を向き、プレアが肩を震わせる。獰猛な瞳がプレアを貫き、そのまま飛びかかろうと踏み出す。


「プレア!」


 プレアの名を叫びながら、洸矢がプレアと精霊もどきの間に割り込む。咄嗟に防いだ洸矢の腕に精霊もどきが噛みついた。


「ぐっ……!」

「洸矢!」


 痛みに悶えながら精霊もどきを振り払うと、精霊もどきは俊敏な動きで颯太の元に戻る。颯太は目を丸くして洸矢を見つめる。

 プレアがすぐに洸矢に駆け寄り、噛みつかれた腕に手を翳して治療を始めた。洸矢も片手で自身の傷を癒やし始める。


「なんでだよ……そこまでして、なんで帰らないんだよ……」

「親友が困ってるからに決まってるだろ」


 洸矢は傷を癒しながら颯太を強く見据える。


「精霊もどきじゃなくて、俺たちを頼れよ!」


 洸矢の訴えに颯太はハッとする。洸矢たちと精霊もどきを交互に見つめ、颯太ははくはくと口を動かす。


「俺は――」


 颯太が呟いたところで、精霊もどきが白く淡い光に包まれた。颯太は急いで精霊もどきから離れ、光球の中で暴れる精霊もどきを見つめる。突然のことに洸矢たちも治療する手が止まり、謎の光球を見守っていた。

 次第に光は強くなり、光球は弾けるように消滅する。元の光景に戻ると、精霊もどきの姿はどこにもなくなっていた。

 同時に、颯太がつけていた指輪にヒビが入り、パキンという軽い音ともに砕け散った。


「なにが起こったんだ……?」


 静寂が訪れ、状況を飲み込めない洸矢たちは光球があった場所を眺めるばかりだった。


「……リヒトさんに話を聞きにいく」


 地面に落ちた指輪の破片を集めながら颯太は言う。既に颯太は冷静さを取り戻していた。


「俺も行くよ。幸奈たちが先に向かってるからな」


 洸矢は立ち上がり、精霊もどきに噛みつかれた腕を軽く回す。


「怪我、大丈夫か?」

「プレアのおかげでもう治ったよ」

「……悪いな」

「気にすんなって。そんなに深い傷じゃなかったし」


 傷など最初からなかったかのような綺麗な腕を見せ、洸矢は笑う。

 フロアを出て階段を降り始める洸矢たち。途中でプレアは足を止めた。


「僕が思うに、颯太さんは契約が切れていないと思います」

「なんでそう思ったんだ?」


 尋ねる洸矢に、プレアは「これは僕の仮説ですが」と前置きをして続ける。


「まずは力を使えることが一つの理由です。二つ目に、繋がりが消えたのは世界を隔てているからと考えました。ですから、彼は今精霊界にいるのかもしれません」


 颯太は立ち止まり、プレアの話を静かに受け止めていた。


「あいつは無事、なのか……?」

「可能性は十分にあると思います。ですから、彼を信じて待ちましょう」


 颯太に優しく微笑みかけるプレア。「そうだな」と颯太はつられて小さく笑った。


「二人とも、ありがとう」


 颯太は呟き、階段を降りる足を再開させた。

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