第16話 日常と提案
「おはよー!」
週が明けた月曜日。
ドアを勢いよく開けて幸奈が教室に入ると、既に登校していたみのりが二人を迎えた。
「おはよ。念願の精霊界はどうだった?」
「楽しかった!」
「それはなにより。いい思い出になった?」
幸奈とシルフは顔を見合わせて笑う。
口にせずとも、幸奈たちの反応が答えだとみのりに伝わった。
「どんな精霊に会ったの?」
「え!? え、えーっとね……」
笑顔から一転してたじたじになる幸奈。左右に泳ぐ視線は先ほどまで笑い合っていたシルフに向く。シルフは口を滑らせないようにと言いたげな鋭い視線を送り、幸奈も親指を立てて応えた。
「い、色んな精霊に会ったよ!」
「なにそれ。どんな精霊に会ったか聞いてるんだけど」
「えっと……こ、ここじゃ言えない精霊に会ったの!」
「どんな精霊だって。まさか、精霊王に会ったとかじゃないよね?」
「せ、精霊王と同じくらいすごい精霊……のはず!」
「へー……」
ダラダラと冷や汗をかく幸奈に、みのりは冷ややかな視線を向ける。
精霊もどきと出会ったことを言ってしまえば、精霊界ではない世界に飛ばされたことも説明しなければならない。最終的にゲートが誤作動を起こした話にも繋がり、リヒトとの約束に反してしまう。
賑やかな教室で幸奈たちの空間だけ気まずい空気が流れた。数秒間の沈黙の後、みのりは溜め息をつく。
「ま、それはレポート出すときに見せてもらおっかな」
明後日の方向に視線を逸らしていた幸奈はあんぐりと口を開ける。次の瞬間には、シルフを連れて教室の端に座り込んでいた。
「レポートのこと忘れてた……!」
「あんな状況、レポートどころじゃないでしょ」
ひそひそと話す二人に冷たい目を向けるみのり。様子がおかしいのは目に見えて分かるが、追求するほど子供ではないと、「これ以上聞かないから」とスマホで動画アプリを開いて動画を見始めた。
「セーフ!」
始業のチャイムと共に、日向がスライディングで教室に飛び込んできた。日向の後ろからはフレイムが呆れた様子でトコトコとついてきていた。
「間に合ったぁ……!」
「最初のアラームが鳴った時点で起きていれば、こうはならなかったぞ」
「だったら最初から起こせよ!」
「俺はお前の目覚まし時計ではない」
椅子にもたれながらワイシャツをパタパタと仰ぐ日向。日向を見てチャンスだと言わんばかりに、みのりは肘をついてニヤニヤと笑う。
「月曜から遅刻ギリギリなんて、精霊界ボケが治ってないんじゃないの?」
ワイシャツを仰ぐ手を止めて、日向はきょとんとしてみのりを見つめる。
「な、なに?」
予想とは違う反応にみのりは思わずたじろぐ。
日向はみのりの前に座っている幸奈に目配せする。みのりに見えないところで小さくピースサインをする幸奈を見て、日向はみのりに視線を戻す。
「まぁ、そんなとこだな」
「え、なに。素直すぎて逆に怖いんだけど」
してやったりと笑う日向に、みのりは苦い顔をしてフンと顔を逸らした。
その日の昼休み。それなりに賑わっている食堂で、幸奈はサンプルメニューを前に腕を組んで唸っていた。
「日替わりメニューのオムライスは外せない……でもやっぱりカツカレーも美味しそう……ラーメンもいいし、カレーうどんという選択肢も……」
真ん前を陣取り、隅から隅までサンプルメニューを凝視する幸奈。一人で会議をする幸奈を後ろから見守っていたシルフは大きな溜め息をつく。
「幸奈。みんなもう席についてるわよ」
「だって、久しぶりに学食食べるんだから! 適当なのは選べないよ!」
振り返った幸奈の表情は真剣だった。普通なら土日を挟んだだけだが、幸奈からすれば一週間ぶりの学食なわけで。シルフは昼食のメニュー一つでそこまで悩める幸奈のことを羨ましく思った。
「幸奈。いつまで悩んでんだよ」
洸矢に後ろから声をかけられ、幸奈は洸矢に縋りつく。
「洸矢兄〜! オムライスかカツカレーか、ラーメンかカレーうどんの中だとどれがいい!?」
「あれだけ悩んでまだ絞れてないのかよ」
「久しぶりの学食だもん!」
洸矢が視線を移すとシルフは諦めたように首を振っていて、洸矢は苦笑する。
「俺はカツカレーにしたから、幸奈に少しあげる。それで今日は日替わりメニューにして、明日と明後日にラーメンとカレーうどんにすればいいだろ」
「洸矢兄、天才……」
「はいはいありがとな。早く注文してこい」
意気揚々と注文カウンターに向かう幸奈を、シルフと洸矢はやれやれと言った風に見守っていた。
「久しぶりのオムライス、最高……!」
スプーンにこんもりと乗ったオムライスを、一口でぱくりと食べる幸奈。
「完熟の卵と、学食でしか味わえないちょっと濃い味のチキンライス……懐かしいこの味……幸せ……」
オムライスを頬張り、洸矢からもらったカツカレーも続けて口に運ぶ。至福の表情で学食を味わう幸奈は、幸せオーラが周囲に満ち溢れていた。
幸奈たちは普段から一緒に昼食をとることが多い。連絡を取らずとも、いつも座っている一番奥のテラス席に行けば誰かしらいる。今日も例に漏れず、全員が揃って昼食をとっていた。
「いつも通りの生活なのに、なんか新鮮に感じるな」
「一週間近くあそこで生活をしていたからかもしれないね」
「確かに、そうかもしれないですね」
洸矢と凜が話している横で、幸奈はあっという間にオムライスを半分ほど食べ進めていた。
「凜くん、ラインちゃんは元気?」
「うん。元気だよ。今日も家でゆっくりしてるよ」
「良かった。あれからどこかに連絡はした?」
凜は首を横に振る。凜の表情はほんの少し曇っていた。
「ラインがどこにも連絡しないでって言うんだ」
「そうなの? どうして?」
「僕と離れたくないってずっと言ってるから、連絡をしたら僕と離れるって思っているんじゃないかな」
ラインの心情も凜は理解していた。連絡をしたせいで、また一人きりになってしまうのではという不安があると。凜もラインがそんな状況になるのはできるだけ避けたかった。
「だから、落ち着いたら連絡をするよ。それまではラインとの二人暮らしを楽しもうかなと思ってるよ」
冗談めいたように笑うが、凜が悩んで上での決断なのだと幸奈たちにしっかり伝わった。
幸奈はオムライスをごくんと飲み込み、元気よく椅子から立ち上がる。
「今日の放課後、みんなでラインちゃんと出かけない?」
前のめりになり、キラキラとした目でシルフたちを見回す幸奈。
「出かけたら、ラインちゃんもなにか思い出すんじゃないかな!」
幸奈のいつもの突拍子かつ前向きな提案に、洸矢たちは自然と頷いていた。




