契約から始まる君との絆の物語

第15話 帰還と追想

　幸奈たちは呆然と立ち尽くしていた。

　ついさっきまで精霊もどきと相対していたはずなのに、その姿も今はどこにもない。

　全員が立ち尽くす中、瑞穂がハッとして自身のつけている腕時計型端末を起動させた。

　起動すると画面に日時とメッセージの通知が表示される。つまり確実に電波を拾い、端末としての機能を果たしていることを示していた。

「端末が動いているわ……」

　日向もスマホを取り出し、動画サイトのアプリを開くと、画面にはおすすめの動画のサムネイルがずらりと並んでいた。おそるおそる一番上のサムネイルをタップすると、軽快な音楽と共に動画が再生される。

「動画も見られる……」

　日向は再生される画面を見つめるだけで、動画の内容は一切頭に入ってこなかった。

「やっぱり、やっぱりそうだよ……！」

　呟いた幸奈は駆け出す。建物の間を抜けると、遮るものがなくなった幸奈に向けて、太陽の光が燦々と降り注いだ。

　幸奈の目の前には、部活帰りらしい学生や早足で通り過ぎるサラリーマンと、人々と契約している精霊たち。人の波が忙しなく流れていた。近くで流れている街頭広告では天候を司る精霊が明日の天気を知らせ、また別の街頭広告では知識を司る精霊が今日起こったニュースを伝えていた。

　人々が通り過ぎる光景を無言で見送っていた幸奈はゆっくりと振り返り、くしゃりと笑う。

「あたしたち、帰って来たよ……！」

　シルフたちも建物の間を抜けると、爽やかな日の光が肌に刺さった。目の前に広がる光景はまさに自分たちが生活していた人間界そのもので、シルフたちは不審げに辺りを見渡す。

「本当に帰ってきたのか……？」

「そうだよ、あたしたち帰ってきたんだよ！」

　喜びを噛み締める幸奈を見て、シルフたちもつられて笑みがこぼれる。

「研究所の人に帰ってきたって伝えなきゃ！」

　幸奈は連絡用の端末を取り出す。端末を起動させると専用のアプリケーションが開かれ、起動したことにさらに笑顔が溢れていった。

「それじゃあ、研究所に向かおう！」

　端末でメッセージを送信し、幸奈は先陣を切って歩き出した。

　凜も続こうとするが、歩みとは別の方向に引っ張られる。振り返ると、ラインが不安そうな表情で凜の服の裾を掴んでいた。

「ライン？」

「……ライン、行きたくない」

　ラインの表情に凜はなにかを悟る。不安にさせまいと、凜は穏やかな表情でラインの前にしゃがむ。

「どうして？　ラインの家族と連絡を取らないといけないよ」

「……ラインは、ずっと一人だよ」

　優しい声色で尋ねると、ラインは俯きながら応える。

　出会ったときにも言っていた言葉の意味を、凜はようやく理解した。

「もしかして……」

　ラインには家族がいない。

　しかしそれなら尚更、早急にラインの存在を知らせる必要がある。

「……分かった。一度僕の家に行こう」

　凜の言葉に沈んだ顔をしていたラインは顔を上げる。

「僕たちは一度研究所に行ってくる。その後に二人でゆっくり話をしようか」

　落ち着いてラインの話を聞いて、それから行動してもきっと遅くはない。

　凜の笑顔で意図が伝わったのか、ラインはこくりと頷いた。

「幸奈たちは先に向かってて」

「うん。駅で待ってるね」

　それから、ラインを送り届けた凜はすぐに幸奈たちと合流し、研究所へと向かった。

　建物が幸奈たちの視界に入ったところで、入り口には守衛とは別に、一人の男性が立っていることに気がついた。すらりとした長身にグレースーツを着ている姿は一見するとモデルのようで、立ち姿は気品に溢れていた。

　男性の切れ長の瞳が幸奈たちを捉えると、男性は早足で幸奈たちの元に近づく。

「今回の責任者のリヒト・グレイアです」

　リヒトと名乗った男性は幸奈たちの目の前で立ち止まり、深く頭を下げた。

「この度は君たちを重大な事故に巻き込んでしまいました。……中で詳しい話をさせてください」

　リヒトに連れられ、幸奈たちは応接室に案内された。会議室も兼ねているらしい部屋はモダンなソファとテーブル、飾られた観葉植物が洗練された空気を作っていた。

「改めて、君たちを危険な目に遭わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

　入り口で会ったときと同じようにリヒトは頭を下げた。思い詰めた表情に、幸奈たちはなにも言えずに顔を見合わせる。

「行方が分からなくなったと連絡をもらったのは、君たちがゲートを越えて五分ほど経ってからでした」

　リヒトは静かに話を続ける。

「現場にいた全員がゲートを越えたのは確認しています。ですが、君たちに渡した端末の電波はいつまで経っても届きませんでした」

　幸奈が鞄から端末を取り出してリヒトに手渡す。電源をつけると問題なく端末が起動し、リヒトの表情が再び曇る。

「私は朝から会議があったために、現場は下の人間に任せていました。それも今回の事故を引き起こした原因の一つです」

　端末を強く握りしめ、リヒトは幸奈たちに居直る。

「ゲートに異変がないか、現在も調査を進めています。なので、原因が解るまでは君たちからは口外しないでいただきたい。各所には私から連絡します」

　幸奈たちはもちろんだと頷く。幸奈たちの返答にリヒトの強張った表情が少し緩んだ。

「……話は変わりますが、一つ尋ねてもいいでしょうか？」

「はい、なんでも聞いてください！」

「戻って来れたということは、君たちはどこか別の場所に行っていたのですか？」

「え？　えーっと……」

　自信満々に返事をした幸奈は、すぐに眉を下げてシルフたちに助けを求める視線を送る。

「精霊界とは別の世界に行っていたわ」

　幸奈の横にいたシルフがハッキリと答える。シルフの返答にリヒトは目を見開く。

「最初は精霊界かと思ったけど、孤立した島だったからすぐに精霊界じゃないって気がついたわ。そこからはみんなで戻る方法を探していたの」

「では、どうやって人間界に……？」

「精霊に似た生き物がゲートを通っていたの。私たちはゲートを逆に通って、人間界に戻って来られたわ」

「精霊に似た生き物とは……？」

「精霊のような力を持っているのを感じ取ったわ。でも精霊界じゃないし人間を襲うから、私たちはそれを精霊もどきと呼んでいたわ」

　シルフの説明で理解の範疇を超えたらしく、そこでリヒトからの質問は終わった。

　俯いて考え込んでいたリヒトは自分を納得させるように何度か軽く頷き、顔を上げる。

「……過去の研究にない事象が起きているのは間違いありません。もしかしたら今後、君たちに話を聞くかもしれません。そのときは是非協力してください」

　リヒトの言葉を最後に幸奈たちは解散となった。

　研究所を出て、幸奈たちは別れてそれぞれの帰路につく。

「今は午後五時……」

　シルフと二人きりになった幸奈は、近くにあった街頭広告を見上げる。

　表示されている日付は、幸奈たちがゲートを越えた日から変わっていなかった。リヒトと話をした時間を考慮すれば、幸奈たちが人間界に戻ってきたのはおおよそ午後三時。

　つまり、幸奈たちはゲートを越えてから人間界に戻ってくるまで、人間界では六時間しか経っていなかった。

「ねぇねぇ、シーちゃん」

　街頭広告をぼんやりと見上げたまま、幸奈はシルフを呼ぶ。

「どうしたの？」

「あの世界のことなんだけど――」

　近くの信号が青に変わり、立ち止まったままの幸奈の横を人々が行き交う。幸奈は横断歩道を渡らず、その場で立ち尽くしたままだった。

「楽しかったって言ったら怒られるかな？」

　約一週間。精霊界ではない別の世界に飛ばされ、チーム全員で乗り越えてきた。

　非日常を過ごしたが、帰ってきた人間界はなにも変わっていない。まるであの世界での出来事は夢だったのではないかと錯覚するほどに。

　青信号が点滅を始め、人々が駆け足で幸奈たちの横を駆けていく。

「……怒られるのは間違いないわね」

「だよねぇ」

　あはは、と乾いた笑いをこぼす幸奈。同時に信号が赤に変わる。

「でも、私も楽しかったわ」

　思いもよらない言葉に幸奈は驚いてシルフを見る。シルフはどこか嬉しそうだった。

「幸奈が小さい頃に行った冒険なんて可愛く思えるレベルだったわね」

　オレンジ色に染まり始めた空を見上げるシルフは、晴れやかな表情をしていた。

「一つだけ残念なのは、あそこが精霊界じゃなかったことかしら」

　シルフは悪戯っぽく笑う。

　あの世界で過ごしたのは本物だった。自分たちだけがあの特別な時間を過ごしたのだと、幸奈の中に言葉にできない感情が込み上げてきた。

「シーちゃん。いつか一緒に精霊界に行こうね」

「そうね。そのときは私がいくらでも案内するわ」

　そう言って、二人は信号が青に変わるのを並んで待っていた。