第13話 ゲートと議論
それから丸一日が経過したが、人間界に戻る手がかりは見つからなかった。そんな中でも、精霊もどきはそこそこ数がいること、幸奈たちに本能的に襲いかかること、精霊と同じようになにかしらの力を司ることは判明した。
「ここで一生過ごすのはやだなぁ」
「私も嫌よ」
幸奈とシルフは手がかりを探すために拠点の近くを歩いていた。木漏れ日が幸奈たちに降り注ぎ、優しい風が二人の間を通り抜ける。
「そろそろベッドで寝たいなぁ」
「確かに、ベッドが恋しいわね」
「目の前にあれば今すぐにでも飛び込めるのに」
普段より落ち着いた雰囲気の幸奈は、目の前の自然を眺めながらふぅと息を吐いた。
「このままじゃシーちゃんとの約束が守れないよ――」
幸奈の呟きに重なるように、突如五メートルほど先の空間が不自然に歪んだ。捻じ曲がったと表現するのが正しい歪みに、幸奈たちはピタリと足を止める。
歪みは次第に広がり、円形に形を変えていく。直径約三メートルの円形に広がると、宇宙空間をそのまま映し出したような模様が円の中に浮かび上がった。
「あれって……」
歪みの中心から現れたのは巨大な蝶々のような生き物。幸奈たちは咄嗟に草陰に隠れて動向を窺う。
「シーちゃん、もしかして……」
「静かに。喋ったら気づかれるわ」
声を潜め、物音を立てないように硬直する。生き物は行き先を決めず、ふわりふわりと宙を飛んでいた。
十数秒ほど過ぎた頃、生き物は鮮やかな羽を羽ばたかせてどこかへ飛んでいった。見えなくなるまで見送ったところで、幸奈たちはゆっくりと草陰から姿を現す。
「……シーちゃん、今の見た?」
「ばっちり見たわ」
「あれって精霊もどきだよね?」
「恐らくそうね。気づかれなくて良かったわ」
「それに……」
幸奈の視線はそこに変わらず存在する円形――ゲートを見上げる。
「これってゲート、だよね」
近づいた幸奈が手を触れようとした瞬間、ゲートは歪み、円形を留めなくなっていった。思わず手を引っ込め、ゲートの成り行きを見守る。
徐々に空間が捻じ曲がって円形が崩れていき、最終的にゲートは跡形もなく消え去った。
「精霊もどきって、ゲートを通ってここに来てるの……?」
幸奈の呟きは風に乗って消え、静寂が訪れた。木々がざわめき、幸奈たちの髪を揺らす。
「どういうことかな……」
「分からないわ。ゲートから精霊もどきが現れると思わないじゃない」
そうだよね、と幸奈は真剣な表情で頷く。
「まずはみんなに伝えなきゃ」
「そうね。早く戻りましょ」
二人は踵を返し、急いで拠点へと戻った。
「精霊もどきがゲートから現れた?」
洸矢の疑問に幸奈は大きく首を縦に振る。
合流した幸奈たちは、早速先ほど起きた出来事を報告した。俄かに信じ難い話に、洸矢たちは呆然と幸奈の話を聞いていた。
「それ、本当にゲートだったのか?」
「見た目は研究所で通ったのと同じだったよ!」
幸奈の力強い答えに、日向から思わず「はぁ」と気の抜けた声が漏れる。まだ信じられないといった声色で、表情もどこか訝しげだった。
「ということは、精霊もどきは人間界から来ているのでしょうか……?」
「そうとは限らないわ。人間界とは別の世界から来ている可能性も十分有り得るわ」
不安そうなセレンの横で瑞穂が冷静に返す。
セレンの不安を掻き消すように、「それでね、」と幸奈はニコリと微笑む。
「思いついたんだけど、そのゲートに飛び込んでみるのはどう?」
幸奈の提案に、シルフを含めた全員の思考が停止した。
「……悪い幸奈。もう一回言ってくれ」
「ゲートに飛び込むの!」
辛うじて洸矢から発せられた返答に、幸奈は溌剌に答えた。
「あたしたちはゲートを通ってここに来たんだから、もしかしたら人間界に戻れるかもしれないよ」
幸奈の表情は明るいが、口調は真剣そのものだった。洸矢たちは言葉が出ず、しばらく黙って考え込んでいた。
「幸奈は本気で言っているんだよね」
「うん。少しでも可能性があるなら、あたしはやってみたい」
「……分かった。僕は幸奈に賛成するよ」
幸奈の真っ直ぐな笑顔につられて、凜は朗らかな笑みを見せた。
「私はあまり賛成できないわ」
二人の和やかな空気を裂いたのは瑞穂の声だった。視線をやると瑞穂の表情は硬かった。
「幸奈たちの見たものがゲートという確証がないじゃない」
「瑞穂ちゃんも見たら、ゲートだって思うはずだよ」
「見るのはいいけど、今どこにあるの? 幸奈の話なら消えてなくなったんでしょ?」
「多分だけど、また見つかると思う!」
「どこで見つかるの? 偶然見つけたものがまた見つかるとは限らないわ」
幸奈と瑞穂のやり取りは静かに白熱していく。洸矢たちは会話に混ざろうとせず、神妙な面持ちで二人のやり取りを見守っていた。
「……仮にゲートを通ったとして――」
瑞穂は眉を顰め、唇を噛み締める。次の発言を躊躇っているようにも見えた。
「また別の世界に行ってしまったらどうするの?」
瑞穂の疑問に、幸奈を含めた全員が暗い表情に変わる。
それは誰もが抱えていた疑問だった。幸奈の言うゲートに飛び込んだせいで二度と人間界に戻れないかもしれない。その選択が最悪の未来を迎えてしまうかもしれない。
幸奈の頭にも浮かんでいたようで、幸奈は一瞬言葉を詰まらせる。
「そのときは――」
「ラインは、」
幸奈と重なるようにラインが口を開いた。全員が驚き、視線がラインに向く。
視線が向いたことでラインの体が少し強張るが、小さな拳をぎゅっと握りしめる。
「ラインは、みんなと一緒なら大丈夫だよ」
顔を上げると強い決意を持った、真っ直ぐな瞳が幸奈たちに向いた。
「まだちょっとしか一緒にいないけど、ラインたちはチームだもん。幸奈たちがいればラインは怖くないよ」
笑顔を見せながらも微かに震えているラインの声に、沈黙が一層深くなる。
「……ぷっ」
数秒の沈黙の後、日向が小さく吹き出す。かと思えば大きな笑い声を上げた。
幸奈たちが唖然とする中、日向は笑いながら「悪い悪い」と謝罪の言葉を口にする。
「ぶっちゃけ俺も反対だったんだけどさ。ラインに言われたらそんなんどうでもよくなったわ」
ぽかんとしているラインを見てくつくつと笑う日向。
「こんなところに何日もいるんだし、今さらどうとでもなるだろ」
同意を求めるように、膝の上にいたフレイムを楽しそうに見下ろした。
「……お前はどこに行ってもその調子だろうな」
多分な、と日向は満面の笑みを浮かべてフレイムを撫でる。フレイムもまんざらでもない表情で静かに撫でられていた。
「み、瑞穂様……」
日向たちをチラリと見てから、セレンはおずおずと瑞穂の名を呼ぶ。
「私も瑞穂様や皆様がいらっしゃれば、ど、どこまでも一緒に行けます……!」
「洸矢。僕もセレンさんと同じことを思っていますよ」
プレアもセレンに続き、優しい瞳を洸矢に向ける。
張り詰めていた空気が和み始める中、洸矢は幸奈たちを一瞥してくすりと笑った。
「瑞穂。俺たち考えすぎてたみたいだな」
「……そうみたいですね。思い返すと、チームに入るときも幸奈を信じたのですから。今回も幸奈を信じてみようと思います」
降参したように微笑む瑞穂に、セレンは勢いよく抱きついた。
「シルフはどう思っているの?」
「私は最初から幸奈に賛成よ。私がいなきゃ幸奈はすぐ暴走するんだから」
凜の問いかけにシルフは自信満々に答え、やっぱりと言った風に凜は笑う。
「ここまで来れば一蓮托生! ということで、明日からは頑張ってゲートを探そう!」
満面の笑みとともに夜空に拳を突き上げる幸奈。ラインも幸奈の真似をして楽しそうに拳を突き上げた。
ゲートを通るなら全員で行動する必要がある。明日以降の動きを決めた幸奈たちは、明日に備えて準備を始めた。
「凜」
目を擦りながらラインは凜を呼ぶ。凜が横に座ると安心したのか、ラインはうとうとと船を漕ぎ始めた。
「ラインと約束して欲しいの」
「どんな約束?」
「ラインは一人なの。だから、ずっと一緒にいて」
「……もちろんだよ」
凜は優しくラインを撫でる。
記憶をなくして知らない世界に迷い込んだラインに計り知れない不安があったことは間違いない。しかし、今は幸奈たちがいるから一人ではない。
「僕とラインは契約しているから、いつでも一緒だよ」
精霊が行う契約とは異なるが、凜とラインを繋ぎとめる約束になっていた。
「おやすみ、ライン」
とんとんと寝かしつけるようにラインを撫でる。
凜の暖かさに包まれて安心したラインは、嬉しそうに夢の中へと旅立った。




