第零世界 「殺しに来ました……」
週に2~3ほど気ままに投稿するつもりです。
深月は白い部屋で、じっと中央にいる裸の少女を見つめていた。
十代半ばと思える華奢な体。唇は糸で縫われ、左の目はまだ生えかけの赤、右の目は水色――だがオッドアイなどではない。さっきまで眼球がくりぬかれていて、今まさに目が再生してる途中なのだ。
深月の胸にある感情は、興奮でも好奇心でもなかった。唯一つだけ、揺るがない思いがあった。――殺してあげたい。
普通の人なら「助けてあげて」と思うだろう。だが深月にとって、その「助け」は、刃にならなければならなかった。彼女をこの世界からそっと解放するのが、いま考えうる最上の優しさだと信じている。
それでも、強制だけはしたくない。相手の意思を確かめなければ、それは救いではなく暴力になってしまう。慎重に、驚かせないように、深月は一歩ずつ近づきながら静かに声をかける。
「話せるかい?」
その声に、少女はかすかに身体を震わせた。耳は聞こえているらしい。反応が言葉に対するものなのか、ただ声に驚いただけなのか――深月には判断がつかなかった。
「僕の言葉、わかる?」
少女は数秒間、唇を震わせながら涙を静かに流し、ゆっくりと頷いた。深月は胸の中で小さく安堵した。次に来るべき最も大切な問いを、彼は慎重に準備する。
「僕は深月だ。君の名前は?」
彼はまず自分の名を名乗った。家の教えだ。少女は下を向いたまま、ゆっくりと顔を上げようとする。やっとのことで深月の方を見て、か細い声が漏れる。
「……イ、イリ、ム……」
ほとんど聞き取れない微かな声だったが、深月は聞き逃さなかった。名前を知っただけで、なぜか心が少しだけざわつく。彼は気を引き締めて、ここへ来た理由を確かめるためにもう一度息を整える。
「イリム、今から一つだけ質問する。正直に答えてくれ」
決意のこもった声は、さきほどの優しい語り口とは違っていた。言葉の端に強さが宿ると同時に、イリムは少し縮こまり、しかし必死に頷いた。
「……は、はい……」
その返事に深月はさらに深く息を吐く。そして、言葉を選びながら口を開く。
「僕は君を――殺すことができる。君は……死にたい? それとも……」
問いの途中、どこかで爆発が起きた。建物が激しく揺れ、白い壁に亀裂が走る。天井の一部が深月の近くへ落ち、あたりは粉塵と鳴動で満たされた。深月は間一髪で避けたものの、顔をイリムへ向けた瞬間、彼女の脚が瓦礫に切断されているのを見た。
知っているはずの「秘密」があっても、傷ついた者を見捨てることはできない。深月は無意識に、イリムを覆うようにして小さな石を自分の上に落とした。時折、大きな石が身体を直撃し、どこかの骨が折れる音がしたかもしれない。それでも彼は止めなかった。止めるという考えすら浮かばない。
その瞬間、イリムは初めて大声をあげた。
「やめてよ!!!」
長いあいだ声を出してこなかったせいか、声の端にガラガラとした枯れが残っている。だがその叫びは、世界の誰にも負けないほどの強さと恐怖を孕んでいた。深月はその声を聞き、こらえきれずに涙が溢れた。痛みがないとは言わない。だが何よりも、目の前の彼女の苦しみが胸を突き刺すのだ。
深月は目だけで涙を押し殺し、震える声で言い返した。
「同情なんてしない! 残念だったな! 僕は性格が悪いんだ。だから、早く答えてくれ! どっちだ!!」
イリムは顔を歪め、血を滲ませた唇を噛みしめる。瓦礫の下での痛み、恐怖、そして深月の迫り方――その全てが彼女の中で混ざり合っていた。
「生きたいわけないでしょ!!」
――しかし、叫びの中に混じる声は、一つではなかった。最初の「やめて」の叫びと、「生きたいわけない」の叫びが同時に響き、深月の耳の奥で反復する。確かに自傷や死を望む声は聞き取れた。だがその背後に、決めきれない何か、別の思いがある。深月にはそれが、かつての自分の迷いと重なって見えた。
「生きたいわけじゃない、か……」深月は小さく呟く。
「じゃあ、死にたいのか?」
その問いで、イリムは顔を完全に上げた。涙で濡れた瞳は水面のように揺れている。唇には噛みすぎた血がにじんでいる。苦痛が、恐怖が、そして――願いが、混ざり合っている。
そのとき、部屋の向こう側のドアが勢いよく叩かれた。誰かが外からでしかけをしているのだ。乱暴にこじ開けようとする音が、白い空間に響き渡る。
(まずいな……)
深月の胸に緊張が走る。時間は残されていない。選択は八方ふさがりに見えた。瓦礫の粉がまだ舞う中、彼は自分のしたいことと、彼女の望みの狭間で揺れる自分を直視した。イリムの瞳には、決断を迫られた者だけが持つ濁りと、ほんのわずかなきらめきが同居している。
深月はもう一度、瓦礫越しにイリムの目を見つめて言った。
「僕は――君の望みを尊重する。君を利用しないとも誓う。 龍にかけて誓う」
外のノックはなおも続く。イリムはゆっくりと、かすれた声で答えた。
「……りゅうに、かけ、て……」
その言葉は、部屋の空気をさらに冷たくした。深月は硬く頷き、二人の間に流れる時間を一瞬だけ止めるように静かに息を吐いた。選択はまだ遠く、だがそれが互いにとっての唯一の道だと、二人はどこかで理解していた。外の扉の乱暴な鳴り声が、答えを急かす合図のように聞こえた。
「……わた、しは……ただ、」
そう言いかけた時後ろのドアの方から爆発音と同時に人が入ってくる。全員が杖を持っている。むだ、爆発による煙で全員が視界が悪い様子だ。
深月は今すぐに逃げるために祈りを始める。
深月は瓦礫の上に膝をつき、ゆっくりと両の掌を胸の前で合わせた。呼吸を整え、血に濡れた指先をわずかに震わせながら、唇を動かす。彼の声は誰にも聞こえないほど小さい。それでも確かにこの空間の空気を変えていった。
「……我、光と闇のあわいに在りて、道を識る者なり……」
白い部屋の空気が、まるで水の底のように重く揺れる。粉塵が光の筋に溶け込み、流星のようにゆっくり落ちていく。イリムが不安そうに深月の方を見る。深月は目を閉じたまま、まるでその視線すら祈りの一部に取り込むように、息をさらに深く吸い込んだ。
そのとき、横を――風のように、鋭い熱線が掠めた。音はないが、頬を走る温度でそれと分かる。髪の一房が焦げた匂いが鼻をつき、深月の肩を撫でた布が瞬間的に灼ける。次いで別の一撃が斜め後ろをかすめ、瓦礫の一片が赤く光って砕け散った。
「――形を捨て、名を捨て、血を捨て……ただ、帰還を願う」
祈りの声が続くたびに、そうした掠め撃ちが断続的に起こる。光の矢、黒い火花、冷たい衝撃波――見えない者たちが、目測だけで適当に撃ちまくっているのだと深月は悟った。煙の中で視界が壊れているのをいいことに、彼らはランダムに放ってくる。威嚇か確実に仕留めるつもりか、どれも同じ雑な放物線を描いては消える。
何度も何度も、横を掠める。防げば小さな火傷、受け流せば浅い跡が残る程度で済むが、回数が重なると疲労はたまる。だが深月は手を緩めない。祈りが途切れれば、やり直しだ。彼の掌のあいだで、微かな光が蠢き、イリムの身体の輪郭を守る薄い膜へと還流していく。
隙間を縫うように、誰かの荒い声が聞こえた。罵り、命令、足音が瓦礫をかき分ける。だが声と視界は頼りにならない。煙の向こうで男たちは互いに当てずっぽうに魔を撒いているだけだ。深月は軽蔑を噛み殺すように、心の中で呟いた。
(どうせ治るからって、くずどもが)
その思いは冷たく、しかし確固としていた。――傷は戻る。痛みは消える。だがそこに残るのは、無造作に命を扱う奴らの穢れだけだ。深月は最後の一節を低く唱える。周囲の喧噪が再び研ぎ澄まされ、掌の間の光が濃く膨らむ。横を掠める魔法はなお何度も来るが、彼の祈りはそれらを一点の揺らぎも許さずに紡いでいった。
深月は掌を広げたまま、地を裂くようにその意志を放った。
白い床に、静かに黒い線が走る。最初は細いひびだったものが、次第に広がり、まるで巨大な心臓の鼓動のように震えながら、部屋全体の空気を引きずり落とした。
「さぁ! どうする?」
深月の声は叫びではなかった。むしろ、静かすぎるほどに静かで、しかしそれが逆に鋭く響いた。
イリムは震える手で自分の胸を掴み、息を吸うのもやっとの状態だった。涙と血と粉塵が混ざり合い、顔の表情がどれほどの感情で歪んでいるのか、もう判別がつかない。
「……わたしは……し、死にたくない! なんで死なないと生きないの! わたし、何も悪いことしてない! どうして、みんなわたしを……っ!」
叫びは途切れ途切れで、震える喉が絞り出すようだった。
それは恐怖でも絶望でもなく、ようやく掴み取った“願い”そのものの声だった。
深月はその言葉を聞いた瞬間、肩の力を抜いた。
どこか、微笑みにも似た表情を浮かべながら、低く呟く。
「……死にたくないか」
地面が、裂けた。
白い床の中心に黒が咲き、円形の穴が静かに開いていく。
そこから吹き上がるのは、闇とも光ともつかない風。空気が逆流し、音のすべてを吸い込みながら、部屋全体を呑み込もうとしていた。
イリムの髪が舞い、深月の外套がはためく。瓦礫が浮き上がり、杖を構えていた者たちの姿が歪んで消える。
その中で深月は振り返り、イリムの頬に手を伸ばした。彼の手は血と灰で汚れていたが、指先だけは異様に優しかった。
「君が望むなら――どんな地獄でも連れていく」
イリムはその言葉を理解しきれなかった。ただ、彼の目に浮かぶ何かが、誰よりもまっすぐに自分を見ていることだけは分かった。
恐怖の中で、彼女の唇がかすかに動いた。
「……行きたくない。でも……あなたとなら……」
その瞬間、ゲートが完全に開いた。
黒が世界を呑み込み、光が逆流する。耳を裂く轟音もなく、ただ“世界の音”そのものが裏返るような静寂。
深月はイリムの身体を抱き上げ、崩れる床の縁から一歩踏み出す。
「行こう、イリム」
彼の声が消えると同時に、二人の姿は闇に溶けた。
白い部屋も、爆煙も、追手の声も、すべてが紙のように折りたたまれて消え去る。
残ったのは、裂け目の余韻――まるでそこに二人が確かに存在していた証のように、空気だけが淡く震えていた。
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