はじまりの木
ここに来て、誰でもない“君”に話しかけるようになったのは、いつからだったろう。
僕の拠り所は、確かに君だった。
あの日から、僕の時間が始まったんだ。
ーーー僕はただの高校生だ。
特別に優れてもいないし、特別に駄目でもない。
長所と言える所も、短所と言える所もそれほど特異でもない。
ただ一つだけ上げるなら少しばかり見た目がいいらしい。本当にそれだけの普通の高校生だ。
いつからだろう。僕がこの場所に通うようになったのは。
顔はもう朧げな父のせいだ。
忘れたくても、忘れきれないものが、確かにそこにあった。
思えばあの日から僕の人生はグチャグチャになった。
穏やかだった母も、仕事に追われて。
最近では顔すら合わせる事もなくなった。声なんて二ヶ月は聞いてない。
学校でも上手くいかなくなった。
かつての友人も僕に気を使うようなって、それならいっそ僕を知らない、自宅から離れた高校へ行ってみたけどそれでもダメだった。
僕はあまり人付き合いには向かないみたいだ。
そんな上手くいかない、面白味もない毎日を淡々とこなしている、顔だけはちょっといい高校生。それが僕だ。
なんのために生きているのかわからない。なんて月並みな悩みを持ってるくらいには普通で。
ただ少しだけ、同情される過去があるくらいだ。
ーーそれでも。
この世界は、生きていかなきゃいけないらしい。
帰り道。僕は、夕方になるとあの神社へ通っていた。
町外れの山の中。
人の気配はなく、木々と風と、鳥の声しかしない場所。
神社というより、ほとんど祠に近い。石段も崩れかけていて、地図にも載っていないような場所だ。
その境内の奥、ひときわ大きな一本の木が立っている。
苔むして、ところどころ幹が割れていて、きっと百年以上生きている木だ。
僕はその木の前に立ち、手を合わせるわけでもなく、ぽつりと話しかける。
「今日も……何もなかったよ。いや、数学のテスト返ってきたけど、平均以下だった。……笑うなよ」
木なんだから、もちろん答えない。
それでも、誰かに言葉を向けるだけで、少しだけ気が楽になる。
「母さん…最近いい人がいるみたいで、あんまり帰ってこないんだ。
まぁ、帰ってきても気まずいだけか…」
葉が、さらりと頬を撫でる。
心なしか僕を慰めている様な葉の動きに少し笑みが溢れる。
「なぁ。聞いてるかどうかなんて、別にどうでもいいんだけど。ただ……」
言いかけて、ふと笑う。
いつからだろう。木と喋ることが、日課になっていたのは。
神様なんて本気で信じてるわけじゃない。
でも、もしいるとしたらーー
この木だけは、僕の話を、黙って聞いてくれてる気がした。
その日も、いつものように木の根元に腰を下ろそうとした時だった。
ふわ、と風が吹いた。
ーー風の匂いが、違う。
湿った空気。春先の花のような甘い香り。
でも、ここは山の中。花も咲いていない。
「……なんだ?」
不思議に思って木に触れた、その時ーー
視界が、歪んだ。
足元がぐらりと崩れ、木の根元が光に包まれる。
頭がぼうっとして、身体が浮かぶような感覚。
「……っ、まって、なにこれ…!」
叫ぶ暇もなく、光が僕を包んだ。