二〇一六年 八月三日
「じゃあさ、ウチのバイト来る?」と、ピアスさんの方から提案があった。昨日そのまま寝落ちしてしまったピアスさんを部屋まで運んで、花火を一通り処分しているうちに私まで眠たくなってしまって、結局二日間連続、ピアスさんの家に泊まってしまうことになったのだった。すっかり晴れてしまった空からの陽に叩き起こされると、彼女はあれだけ昨夜は酔っ払っていたのに一晩もすればアルコールなどすっかり抜けてしまう体質らしく私より先に目を覚まして、また朝ごはんを振舞ってくれた。実は半刻ほど前に少しばかり目を覚ましてキッチンに立つ彼女の後ろ姿を見て、それからもう二度寝してしまったのは内緒だ。意地悪でそうしたのではなく、微笑みの中で眠りにつく経験を味わいたかったからだ。作ってくれたのはホットサンドだった。「昨日はありがとう」とチーズホットサンドを食みながら言ったピアスさんの頬は恥ずかしさ故か酔いは覚めたはずであったのに少し赤くなっていて、悪戯に視線を逸らさず私がニヤニヤと笑いかけると彼女は絶対に目を合わせてくれなかった。提案があったのは、先ほど店長から遠回しにクビであると言うような旨の連絡があったことを朝食の時に伝えたからだった。
「ほぼ私が居たら他の人とは会話ナシで済むし高給だけど、割りかし嫌かも。死体処理のバイトなんだ」少し塩気の多すぎる気もした目玉焼きを頬張りながら、ピアスさんは説明してくれた。ピアスさんのメイクは割と濃い方ではあったのだが、落としても変わりない端正さでむしろ「美人だな」と言う印象が増すまであった。
「その、やるぶんには大丈夫ですけど、無死体の処理って資格要りませんでしたか?」
「資格がいるのは現場監督員だけで作業員はいらないんだよ。だから処理の現場に資格持ちは一人いれば大丈夫。なんだろ、日当の出るボランティアに近いイメージかな。労保もないし。」
「成る程」
「ほら、職業柄辞める人も多い内容だから、バイトで補填しないと全然回らないし、それでもいっつも人手不足なんだよね。」
今までに無死体を見た経験はそれほどなかったが、数回見た経験より推察するにも臭いさえなんとかできれば、それは耐えられそうなものだった。何より私は冷静に考えてみれば贅沢に職種を選べるほどの豊かさではなかった。聞いた時給もコンビニバイトの二倍はあったし、そんなことで私はその提案にすぐに乗っかった。そういえば買ったエフェクターは一体どこに行ってしまったのだろうかと、炎天下私の家近くの最寄り駅へ向かうまでの道のりでそう思った。
「もうすぐお盆だからさ、無死体の件数とかもすごく多くなっちゃって繁忙期に入るんだ。ウチの勤め先の処理局分場も高齢化で、ウチが一番年下だし。一番近い人で三十二とかだからね」と、ホームで電車を待ちながら彼女は言った。幽かな潮の香りと、海の湿度を孕んだ空気で満ちたその最寄り駅は、無人とまではいかないがかなり閑静な駅で、電車の本数も少ない。それなのに広告看板の数だけはやたらに多くて、それが何か風景的な違和感を齎していた。中でも私がこの前尋ねた心療内科の看板が一番大々的に存在感を放っていて、それがあまり気分のいいものではなかった。ホームは当然空調など効いていないはずなのにやけに涼しく、夏は良い心地だが冬場は寒い。駅内には蝉の止まるような場所はないため、必然的に近くの雑木林に群がる彼らの声と、電車を待つ我々のような人間との間には、物理的な隔離が齎される。それによってホームで聞く蝉の声というのは何か、今のこの不自然なほどの涼しさと相まって、夏という空間を「観賞」しているような、そんな実感を私たちに与えた。あの夏のもつ魔性は、代償として暑さを私たちに投げつけ、利害関係を平衡にする。だから暑さから逃れられたときに初めて、私たちは純粋たる夏を喰むことができるのだ。しかし夏が過ぎると、その温度さえも夏から発せられたものであることに気が付いて、性懲りも無く恋しくなる。そこに夏のさらなる悪意を見出すこともできたのかもしれないけれど、私は反対にそれらが無作為な事象であるというような実感を得る。夏は夏であって、それ以上の何かであることはない。遥か続く路線の円環性や、点在する駅たちのようなものであるはずだ。また、その構造に取り込まれた私たちはホームから、揺れる線路の鉄に触れる。蝉もそこで泣いている。
ホームの地面を幽かに、そして規則的に揺らしながら電車はやってきて、それに乗り込むと汗ばんだ、数人の乗客の姿が見えてそれで夏を取り戻す。端の方の二人座席に私とピアスさんで座り、動き出した列車の車窓から風景を望むと、はじめは深い青の海が遠くに見えていたが電車が遠ざかるにつれてそれも見えなくなっていき、やがて木々ばかりの風景になっていった。処理局の最寄りまではものの三駅だったらしく、田畑が見え始めたくらいの十数分で電車からは降りた。その駅は私の最寄り駅が開拓されて見えるほどの錆びた無人駅で、改札を抜けたところでピアスさんが、駅からは暫く歩くと言ったので、先にアイスでも買って体を冷やしておけばよかったなと思った。
道中昨日のピアスさんの話を、熱った頭で反芻してみる。体を触られるのが嫌だったとは言ったが、とにかく彼女は結果として警察の御用になってしまったわけであるし幾ら事情があったとはいえベースで殴るともなれば相手も無事では済まないだろう。と、私が当時のピアスさんと同い年くらいの年齢であれば考えたであろうが、孤独やトラウマがどれだけ人を壊すものであるかを悲しいかな私は知ってしまっていた。「過去」にポリシーが歪められてしまう現実も別に苦しみであると感じられなくなってしまった。麻痺を感じる器官が麻痺していくことを優しさとは呼びたくないな、くらいには思ったけど、だからと言って行動に現出していくことは想像できなかったし、不思議とピアスさんを「悪いやつ」にはしたくなかった。
民家や小さな洋服店、トラクターなどが格納されている倉庫のようなものが並ぶ路地を進んでいくと、左手にその事務所はあった。まさにイメージ通りの「事務所」というような外観を有していて、白いコンクリートの塊、豆腐みたいだった。入口は地上から離れており外付けの階段で二階まで上がる必要があった。階段の進行方向が太陽の向きと一致していて、真正面から夏の日差しを受ける。目を細めると、登っていくピアスさんの姿がブラックアウトする。硝子の扉をピアスさんが開けて、先に「こんにちはー」と中へ入っていったので、私は勝手に閉まっていく扉を手で押さえて後から入った。思ったよりも中にいる人は少なくて、それは勤めている人数が足らないというのではなく、置いてあったデスクの数との不一致より大半の職員が出払ってしまっているからであるということが推察できた。年季の全く感じられない新しいふうの内装で、観葉植物なんかも植えてあり、私が業務の内容から持っていた何か退廃的な種類の妄想はここに裏切られた。皆ピンとした薄緑の制服を着用していて、それが内装も相まって如何にも「事務」というような雰囲気を醸し出しており、ピアスさんの声は憶えているのだろう、彼らはこちらを見ることなく「おはよう」と返した。あとから数を数えてみると室内にいたのは四人だった。ピアスさんが右側の棚に靴を入れて自分のスリッパを履き事務所の中に入ろうとしたところあたりで、手前のデスクに座って居たひょろ長い後ろ姿の男が立ち上がり、私たちの方に向かってきた。私はどうすればいいのか分からず、そのまま玄関口で立って居た。
「蓮見さん、いらっしゃってから直ぐで本当に申し訳ないのですが周回票がもうシフト個数分来ていますので、早速回っていただけますか」と、その男は白い折り目のないマスクの下で、もごもごと口を動かしながらそういった。下の名前は知っていたのだが、成程ピアスさんの名字は初めて聞いた。しかし、男の身長は非常に高かった。おそらく170程はあるだろうピアスさんが、見上げるようにして彼の眼を見ている。190はありそうだった。その割には短くてペタンとした頭髪、細く、ほぼ線のような目、それからサイズの合っていない小さな白いマスクのせいで年齢は低く見えた。何なら自分よりも若く見えたし、どことなく気の弱い河童みたいだった。などと観察をしているうちに視線に感づかれたのか、彼はピアスさんの業務の内容であろう説明をしている折にちらり、ちらりと私の方を見た。一通り終えてからやはり「あの、そちらの方は」とピアスさんと私の顔を交互に見ながらいった。
「えっとね、新規で私の学校の後輩の、福山蒼空ちゃん。新規といってもさっき私が連れてきただけだけど」
「あ、成程」と手を打つと彼は左手にあった茶色い扉を押して何処かに行ってしまい、ものの一分ほどで戻ってきた。
「これが、一応履歴書というか管理登録のための書類になっています。一応面接もあるのですが、人手が足りてないから殆ど形式だけですし蓮見さんの紹介ならなおのことです。あとは一応、これが制服です。」
彼は私にファイルに入った紙切れと、袋に入った制服だけを手渡してきた。手配の迅速さからストックがあることが容易に想像でき、また人手不足の切実さが伝わってきた。私がそれを受け取ると、ピアスさんが「向こうに着替えるところあるから、一旦着てみな。終わったら取り敢えず研修がてらウチと廻ろう」といった。
着替えた制服のサイズは私にぴったりとあっていた。皆と同じ薄緑色で無地の制服。風通しも悪くない。事務所の向かい側には事務所所持の車庫があったようでピアスさんに導かれてそちらに赴くと、止められていた五台の白いワンボックスカーの側面にはいずれも「⬛︎⬛︎支部安全巡回中」というような刻印が、簡素な黒いゴシック体であった。なるほど、いくら業務内容を明確にとはいえ「死体」などというような文字を連ねた車が国道を走るのには、些かの不穏さを覚える。このような表記でぼやかすのだと独りでに感心をしていた。車庫の入り口あたりで少しばかり待っていると、私と同じような小柄な、眼鏡をかけた女性が事務所から階段を駆け降りて私たちの方に走ってきた。パタパタとした動きが若々しかったが近くで見ると、どうやら私たちよりかは五つ六つほど年上のように見えた。「すみません名札がどこかに行ってしまって」と彼女はどこからか取り出したハンカチを額にポンポンと当て、もう片方の手で首元を仰ぎながらそう言った。高く、小さな声だったが芯は通っていた。私が145センチほどだったが、彼女は私よりも少し小さくて140ほどだったかもしれなかった。
「柏原と言います、運転なんかを担当しています」と彼女は私の方を向いて頭を下げた。気の弱そうな印象と死体がどうにも結び付かなかったために抱えていた違和感が、運転担当だと聞いたために解消されて、そのために私は少し遅れてから彼女に頭を下げた。頭を上げたときには彼女はもう一番手前に停められていたワンボックスの運転席の方に向かっていて、口数の少なさに安堵を覚えた。ピアスさんが「あ、蒼空ちゃんはじゃあ後ろの席乗って」と指示したので、扉を引いて乗り込むと懐かしい、あの尋常ではない熱気が感じられる。夏の悪いところだけをかき集めたみたいなその暑さに気分を悪くしながら、最後に車に乗ったのはいつだったかを思い出してみた。
思い出せる範囲のそれは、一番新しいものでおそらく中学生の頃のものだった。千葉に住む祖父が八十を迎えるために祝いの会を開くというようなことで、母の運転でそこまで車で向かったのであった。母は日頃朝から焼酎を麦茶で割って飲むような人であったので、母の運転する車に乗る機会は滅多になく、私はその時でもう車に乗るのは小学生以来というような感じだった。物心ついた頃には既に置物のごとく庭に停められていた薄い黄色の軽自動車で、小田原の実家から千葉まで凡そ三時間ほどかけて向かった。確か時期は年明けすぐだった。車に乗る経験に乏しかった私は幾らか楽しい画策をして、例えば車で流すCDなんかをレンタルショップに借りに行った。小さな店舗だったがCDだけではなくレコードやカセットなどもあり、ニッチな揃えのある個人経営店で、一度に借りられる上限が六枚だったので恐らく二時間は選ぶのに悩んでしまったと思う。その頃の私は音楽を少々嗜み始め、また年齢的な時期も相まってとにかくマイナーで憂鬱さを孕んだ音楽ばかり、その前提条件の中でも特にシューゲイザーやポストパンクのようなジャンルを聴き漁っていた。とはいえ染み入るメロディというのはどうやら本能、或いは環境的にも純日本人的平均的少女というような感じだったらしく、借りたものらは相対性理論とAlcestと米津玄師、MBV、Radiohead、ゆらゆら帝国という訳のわからない並びになってしまったのだった。いかに私が音楽をファッション化していたかがわかるラインナップではあったが、今の煩雑なエフェクターボードや、捻くれた暗喩的な「シューゲイジング」な生き方に彼らの影響があったことは否めないように思えた。楽しみのあまり十分に眠れなかった上に、当日は出発の一時間前に起きてしまった。母が起きてしまわないよう豆電だけをつけた薄暗い部屋にて望むあのCDジャケットたちは、如何様にも蠱惑的であった。まだ日の上がらない朝五時に車に乗り込んで悴む手に吐息を送り、私は取り出したCDをカーデッキに挿入する。走り出した車のスピーカーから流れ出すシンセサイザーのアルペジオ、或いは古びたタイヤによる振動が気分の高揚と共鳴、融和していった。暗い高速道路、そしてやおら滲むように広がっていく地平線の朱色、「シンクロニシティーン」の「気になるあの娘」をバッググラウンドとして、やがて朝日が現れた。嘗て感じたことのない速度で、見慣れた、しかし初めて見る表情の太陽に向かって走っていく。あの時の景色は、自分の人生史上でもかなり印象的なものになった。その後にパーキングエリアで食べた朝ごはんのワッフルも、非常に感動的なものにすらなり得たのだった。
渋谷の近くを通りかかったので、無理を言って母に昔から気になっていたレコード屋へ連れて行ってもらった。その時に初めて渋谷という土地を訪れたのだが、私にとってそれは驚きこそあったもののそこまで記憶に残るようなものでもなかった。単純に人が多く、記憶が磨耗してしまったのかもしれない。ハチ公地味だな、くらいのことは覚えている。レコード屋は大きな商業施設の上階の方にあって、今までこれほどまでに大きな、スーパーみたいな大きさの店舗を見たことがなかった私は、それはもう喰らいつくような勢いでそれらに見入った。棚から棚へ、見慣れないバンド名のアルバムを引っ張り出す、お洒落なジャケットのCDをひっくり返し大して読めもしない英語のタイトルを確認する。しかしそうしていくうちに私は、そこにあるものがネットで見つけるような品揃えと大差がないことに気がついた。もっと宝箱的なところを想像していたので、いくらばかりかがっかりしたのだった。Burzumの「Filosofem」というアルバムをジャケットに惹かれて中古で購入してみたものの、いざ車でかけてみるといかにも「呪詛」というような音声の連続でで聞くに耐えず、Radioheadに代わってもらった。やがて渋谷を離れ走っていくと、酔い気味になったために開けた窓から流れ込む空気に磯の香りがやや混じり始めて、羽田空港を横切ってしまうと長いトンネルに入った、かと思えば、やがて橋に出た。これもやはり同じく私は今まで車で渡るような大きさの橋を見たことすらなかったので、それは新鮮な気持ちだった。トンネルを出た光の世界の中、右を見ても左を見ても海であるというあの感覚と、その上を走っているという実感が何よりも面白く先ほどまで咽頭あたりに蔓延っていた吐き気などはすぐさまどこかへ消えてしまった。前を見るにも、人工物であるはずの橋のうねりが何か意思を持って動いている有機のものに思われてならなかった。
千葉の祖父の家での思い出も、殆ど残ってはいなかった。かなりの額を数年分のお年玉としてもらったが、私は高校を出てから使うとある用途のために貯金することを前もって決めていたので、そこまでの記憶でもなかった。それよりかは帰りがけに寝てしまい、再び橋を見ることができなくなってしまった後悔の方が、念としては大きかった。
柏原さんの運転は、何かと全てにつけて荒い母のそれとは違って、イメージと同じく静かなものだった。もうすでに冷房も効き始めていてその音と、あとは後ろに積まれた、おそらく清掃のための用具であろう何かが微かに揺れる音がするだけで、対向車もなく純粋な夏の田舎の静謐を味わうことができた。それは駅のホームから聴く蝉とも似ているなと感じた。やはり車の窓から見る田畑や、帽子の作る濃い陰で顔の見えない通行人の農夫、赤いトラクター、住宅の庭先に繋がれ一瞬だけこちらを見る飼い犬の雑種犬、錆びたタバコ屋、自動販売機などは鑑賞の対象として取り込まれていった。窓を貫通する日差しの高温だけが、その流れに反駁していた。
「そういえばさ」ピアスさんが家から持ってきていた自前のリュックサックを開けて、中を漁り出す。プラスチックケースのぶつかり合う非常に聞き馴染みのある音を鳴らして、やがて彼女は薄いクリアケースに挟まれた一枚の、何の書き込みもない白いCDを取り出した。
「夏休み前に録音したデモなんだけど、流していい?他の人にまだ聞かせてないし楽器演奏も録音も一人でやっちゃったからさ」
「是非是非」
「私も聴きたいです」相槌を打つと、バックミラーを介して満足そうなピアスさんの笑みが見えた。
「初めて聞くかもしれません」柏原さんがCDの挿入口を開けて、ピアスさんがそこにそれを入れる。CDを読み込むキュルキュルというような音が鳴ったあと少し長い無音時間があって、ギターリフが流れ出した。十分な音圧で流れ始めたそのリフは、どこかナンバーガールを想起させるようなもので、ビリビリと鳴っていた。デモだけれどもマスタリングまで自分でやってしまったのだろうか、邦ロックがルーツなのだろうか、などと考えているとベース、ドラムというふうに楽器が入ってきてやがて音が止み、スティックが四つをカウントしてそれらが一斉に、掻き鳴らされる。歌唱は、歌詞の聞き取りが難しいくらいの清々しいシャウトだった。
そういえば以前セックスピストルズの話をしていたような気がしたが、家で彼女がやっていた練習は無限にダブルプルのゴーストノートを繰り返すような地道なものであったので、ファッションこそパンクだったが作る音楽までがそうであるとは思わなかった。しかし殆どツーコードのそのフレーズには一切の濁りもなく、やはり技術の高さは疑えた。曲そのものからは暴力的なまでに炭酸の強すぎる清涼飲料水というような印象を覚えた。何より女性のシャウト、ひいてはピアスさんのシャウトが非常に、何か上品だったのである。アンプノイズがフェードアウトして、二曲目が始まる。そちらは似ているとまでは言わないが如何にもIn Uteroに収録されていそうな重たいグランジで、そう考えると先ほどの一曲目も、どちらかといえばパンクというよりかはジャンルでいえばグランジであるような気もした。三曲目は、予想だにせず弾き語りだった。おそらく少しピッチの高いチューニングと、ピアスさんの歌声で録音されたそれは、この移動の良いバックグラウンドとなった。
私は、自分と近似のバイブスが彼女の動脈に流れていることに対する悦びと、曲と、好みとのそもそもの合致に途中から笑みが止まらず「どう?」と後ろを覗き込んだピアスさんに「最高です」と満面の笑みで食い気味に返してしまった。一方、柏原さんはにこやかに沈黙していた。広義マジョリティの沈黙というものを、これまた是としてしまう私の悪癖は変わっていなかった。続く地面がまた有機のようにうねって見えた。
無死体が発見された時、家庭で発見された場合にはそこの同居者、マンションであればその管理人に報告義務が課せられる。その場合には所謂、清掃の方を専門に担当している下請けの業者に直接連絡が行き私たちが介入することはない。だから私たちが行うのは空き家、所持者欄が空欄であるような物件を周りその清掃を行うことだ。多くの場合は単純に空き物件であることが多いのだが、稀にそこに無死体があったりもする。無死体は人を寄せ付けない、遠ざけるというような言い伝えが昔から存在するが、実際に原理はわからないがその言い伝えは統計学的にいえば正しいという。また、確認されていない悪臭の通報などを処理するのも私たちの仕事である。
最初のリスト登録物件、それは殆ど新築のような一戸建てであったが、そこに着くまでにピアスさん、柏原さんが話した情報を統括するとそのような内容であった。脇道で停車した車から外に出ると乾いた暑さに忽ち汗が吹き出し、先ほどの田舎道よりかは舗装された住宅地であったが、アスファルトはたっぷりと荒々しい夏の熱気を溜め込んでおり、空間自体が蜃気楼として揺らめいているような感じすら覚えた。周りの住居よりも随分と新しく見えるそのリスト対象物件に向かい、柏原さんが躊躇いもなくインターホンを押す。薄い音圧でチャイムが鳴るが、何の反応もないようだった。音を窺おうとするために皆沈黙し、それによって自身の鼓動、皮膚を伝う汗の滴がより鮮明に感じられる。少しばかり緊張していた。二、三分とたってドア前で声をかけてもやはり何も返ってこなかったので、柏原さんが徐に鍵をこじ開けるための針金を取り出した。小慣れた手つきで鍵穴に差し込んだ二本のそれを操作して、やがて五分にも満たないうちにカチャリ、というような幽かな音を鳴らして扉を開けてしまった。比較的喋りを絶やさないようなピアスさんですらやはり黙っていたので彼女からの緊張は感じたが、一方で元から口数の少ない柏原さんはやはり静かに作業をしており、それを感じなかった。寧ろ極めて冷静に見えた。扉を引くと、光に照らされた白い内装が見えた。意識の集中していた嗅覚が、嗅いだことのないような匂いを感知する。しかしどうやらそれは、新しく建てられたばかりの家特有の塗料の匂いだったようで、不快なものではなく、光の射す窓にカーテンはかけられていなかった。一通り家の中を巡回したが、そこは死体のない新築物件であった。
その後もお昼時までに数軒の家を周ったが、死体が見つかることはなかった。中には一軒住人が普通にいるような住居であり、歯がほとんど欠けてしまっている老いた住人の立ち話に私たちは三十分ほど付き合わされてしまった。玄関口は外ほどではなかったがそれなりに暑く、よくわからない昔話を聞かされている最中ピアスさんは今にも「話長いですね」と言いださんばかりの表情を浮かべていたが、最後に冷たい瓶コーラを人数分奢ってもらったため車内では誰も文句を言わなかった。
いざ冷たいコーラで喉を潤してみると私たちは皆してお腹が減っていたのを思い出したらしく、通りがけにあった少し大きなスーパーのような複合商業施設のフードコートで、昼食を取ることにした。人は少なくて、冷房が良く効いている。食事をしながら軽くお互いに自己紹介をして、柏原さん、柏原美咲さんが実は三十二であることを知って驚いた。頼り甲斐のある先輩の風采はあったがかなり若く見えたし、昼食として食べていたざるうどんも大盛りだった。あの小柄な体のどこに吸い込まれていくのだろうといった見事な食べっぷりで、一方ピアスさんは育ちの良さが滲み出てている上品な食べ方で、ケバブを美味しそうに頬張っていた。私は特に食べたいものもなかったのでカツカレーを頼んだ。福神漬けがやたら赤くて酸っぱかった。
午後には一軒だけだった。最寄りのコインパーキングに車を停めた後、不自然なほど人通りの少ない寂れた商店街に入り、その中のドラッグストアの角を曲がった路地の突き当たりにその対象物件はあった。外見も錆だらけの柵、生え放題の雑草、閉められたカーテンにガムテープの貼られた窓、落ちて疎らになった瓦など、「如何にも」な様相であった。慣れによって解けてきた最初の緊張がまた蘇る。家の中に乗り込むと、臭いこそしなかったものの割れたガラスなどが散乱しているのが見えて私はいよいよ覚悟を決めた。しかし幾ら回っても死体の気配はなかった。二十分程散策をしたあたりでリビングに通じる扉に手紙がかけられているのを見つけたのはピアスさんだった。浴槽の方を調べていた私たちに、彼女は「お楽しみタイム」と、手紙を片手に嬉々として声をかけてきた。手紙を書いたのはこの家の家主らしかった。「返せなくなってしまって申し訳ありませんでした。ご恩は忘れません。」とだけ書いてあって、どうやら家主は夜逃げをしたらしかった。ピアスさん曰く、手紙を残してある空き家の元の主は、ほとんどの場合夜逃げらしく中には巡回に来た私たちのような人間を想定して宛てたものも、場合によってはあるらしかった。筆跡を見る限り高齢化中年の男だったようで、大胆ではあるが文字からは生気を感じなかった。死体は、見つからなかった。
最後に巡回したその家から事務所に戻った時には、もう夏の日は西に傾いて赤くなってしまっていた。車庫に駐車され、ドアを開けてワンボックスから出ると覚悟していたほどの暑さはもう去っており、代わりにヒグラシたちが活動を始めていた。事務所に戻ると朝方は見かけなかった職員がちらほらいて、河童くんがやはり長身を揺らめかせて立ち上がり私たちの周回表をチェックした。柏原さんは正規職員だったので雑務のために事務所の職務に戻るようで、私たちは着替えた制服を返してそこを後にした。日は、今日も想像を上回る迅速さで地平へと撤退していく。そして街も然りどんどん赤くなっていく。なるほど、暑さによる体力の奪取とドアを開くたびに訪れるあの緊張により、業務内容は口頭で聞くよりかは幾分シビアなもので、私たちは少しばかり足を引き摺るようにして駅までの道のりを歩いた。やがて空は淡い紫を帯び始め、疲れのためか口数の少なくなったピアスさんの表情を確かめようと左手を見遣ると、どうやらピアスさんも時間差で同じことを考えていたらしく、先にこちらの方を眺めていた目があった。微笑みあい、伸びた影も消え始めた頃に電灯たちが疎らに、徐に薄黄色の光を灯し始めた。本数の少なさゆえに少しばかり待たねばならぬことを厭っていたわけだが、電車は私たちを迎えるようにちょうどホームに現れた。元の私たちの街に着くと、安堵を覚えるとともに音数の多さを明確に感じた。そこまで街が都会なわけでもないのに、田舎の静けさというのはやはり相当のものである。疲れ切った頭と体で今更訪れた彼女との青春を想った。