二〇一七年 二月一五日
楽屋で知らないマッシュヘアの男が、「ピック分厚いない?」と粘度の高い声で話しかけてきた。全く、なるべく話しかけられないようにと端の方で小さく練習していたのにこういう類の人間はお構いなくやってくるものだ。
「おれ、次の次の番でやるバンドのギター。宜しく。お前は?」
握手のための差し出したのであろう手を見るくらいの角度で俯いて「はあ」と返す。ピックについての指摘は話しかけるための口実に過ぎなかったようで、彼はもう話題を変えて全く興味のない別の共演者の話を始めた。やがて私の徹底した無反応に耐えかねたのか、彼は煙草を胸ポケットから取り出して火をつけた。煙が上がったのを見てしめた、と思い私は態と大袈裟に咽始めてやった。「あ、ごめん」と速やかにその場を離れた彼は直ぐに出番のためにスタッフに呼ばれて楽屋を後にした。暫くして楽器が鳴りだすと、コーラスのくせに裏返りまくっているその男の粘度の高い声が聞こえた。再び指板に目を落として、コードを再確認していく。楽屋の薄汚い照明を受けて、青く分厚いピックが透けるように輝く。やがて私たちのバンド名が呼ばれる。
秋ごろに思っていたよりも遥かに早く、ライブの日はやってきてしまったのだった。喋り下手な私の代わりに、ベースの女の子がMCをしてくれた。中規模のライブハウスだったがキャパの五分の一くらいしか人はいなくて、しかもひとつ前の対バン相手はここらでは結構有名な方々だったらしく、その出番が終わって殆どお客は帰ってしまっていた。MBVのカバーなんかを数曲やって、最後だけがオリジナルだったので作曲の私がその前に少し話すことになっていた。暖房の全然効いていない部屋で悴んでしまっていた手も、今ではすっかり温まっている。けどいまだ緊張はほぐれなかった。ベースの子は明るいフリでMCのバトンを渡してくれたものの、あれだけ練習したのに結局私は吃りに吃ってしまい、メンバーや、無駄に神々しい黄色い光を当ててくれている照明さんにすら申し訳なく思えてしまった。温度差でまた手が冷たくなってしまいそうだったが、何とか愛想笑いをして、咳払いをし呼吸を整える。大丈夫だ。誰に何と言われても肯定し続けられるくらい、自傷しながらも想いを込めた曲だ。照明が落ちる。暗闇の中幽かに見えるダンスホールに、いつかの神様がいたような気がした。目を瞑って四弦の位置を確認する。
見えないものの欠落が一番恐ろしい。コミュニケーションが辛いのでも、勉強が辛いのでも、自傷をしてしまうのが辛いのでも、ODをしてしまうのが辛いのでもなく「生き」辛いのは、何かがあるからではなくて、何かがないからなのだ。見えないものを失ってしまえば、それに気づくことはできない。だからきっと生きづらかった。そんな決定的に極限まで穴だらけになってしまった二〇一六年の私の前に、その曲は唐突に現れたようであった。空虚さを感じるたびに私はその曲を縋るようにして歌った。それは曲であるから、私に寄り添ってくれるわけではなかった。唯、それはあった。何よりも麗しくそれは存在しているだけだった。それを歌うことがどれだけ私の空白を埋めては肩を抱いたかわからない、まさしくそれは夏のようであった。
ステージに立つのは初めてで、真っ暗闇だけど今は何の記憶にもつながらない。ちゃんと、私は歌える。右ポケットにある紙片の幽かな質量を想う。カウントがよく聞こえるように耳は澄まして、マイクに近づいて。そっと、私はその名前を口にした。