当たり前の定義(超短編小説)
当たり前って何だろう、と疑問に思ったことは今になってからではない。
私が小学校を卒業する前、担任の先生が道徳の時間に言っていた。
「皆さんはこれから多くのことを学び、経験し、失敗し、乗り越えていくと思います。そして、当たり前の人になっていくのです」
当時は、「当たり前」と言われても疑問を抱くことはなかったし、むしろかっこいいと思っていた。
しかし、歳を重ねていくうちに徐々に当たり前が分からなくなっていった。
勉強ができる人が、当たり前なのか。若しくはその逆か。
運動ができる人が、当たり前なのか。若しくはその逆か。
性格がいい人が、当たり前なのか。若しくはその逆か。
社会は当たり前を求めている。
上司は言う。なんで当たり前にできないんだ、と。
会社は言う。会社の規則でこれが当たり前だ、と。
社会は言う。組織に所属するのが当たり前だ、と。
人生も当たり前を求めている。
当たり前に、学校に通って。
当たり前に、会社に就職をして。
当たり前に、結婚をして。
当たり前に、子供を育てて。
当たり前に、老いて。
当たり前に、死んでいく。
では、当たり前を逸脱した人は当たり前ではないのだろうか。
それは、違うのではないか。
私は、みなが言う当たり前を知りたいと思った。
お父さんは言った。お父さんの当たり前は、大黒柱として家族に尽くすことだ、と。
お母さんは言った。お母さんの当たり前は、家族と一緒に過ごすことだ、と。
おじいちゃんは言った。ワシの当たり前は、今の病気と闘っていくことだ、と。
おばあちゃんは言った。私の当たり前は、おじいちゃんを支えることだ、と。
中学校の友達は言った。私の当たり前は、お金を稼いで人生を豊かにすることだ、と。
高校の友達は言った。私の当たり前は、起業をするために日々邁進することだ、と。
大学の友達は言った。俺の当たり前は、世界を飛び回り新しい知見を得ることだ、と。
会社の同期は言った。俺の当たり前は、動物と一緒に過ごすことだ、と。
バーの店長は言った。私の当たり前は、お客さんにゆっくりできる場所を提供することだ、と。
中華屋のおばちゃんは言った。私の当たり前は、お客さんにお腹一杯になってもらうことだ、と。
通りすがりの人は言った。俺の当たり前は、同じ日を作らないことだ、と。
人それぞれの当たり前が異なるのであれば、人はみな当たり前ではない。
もし、世界のトップが当たり前を定義するのであれば別であろうが、定義すれば社会の反感を買うだろう。
私は、私らしく生きようと思った。
例えそれが、人から懐疑的な目線で見られても、私にとっての当たり前なのだから堂々としていればいい。
だって、この世には当たり前の人なんかいないのだから。
私の当たり前は・・・