でんしゃ
女は電車に乗っていた。
平日の昼間だ。
それほど客は多くない。
席もまばらに空いている。
ただ、目的の駅がすぐだった女は席にはつかず、出入口の近くに立っていた。
電車が駅に着き、扉が開く。
女は駅名を確認する。
駅名に、神の名がつく駅だった。
だが、目的の駅ではない。
女が降りる予定の駅は次の駅だ。
扉が開いたことにより冷たい空気が電車内に入ってくる。
その時は、それだけではなかった。
妙な臭気が、淀んだ池の臭いとでもいうのか、カビの臭い、土の臭い、生臭さ、それらが混ざったような臭いが冷たい外気と共に電車内に入ってきたのだ。
女はスマホを見ていた手を止めて、電車の入口の方へと目をやる。
そこにはよくわからない物がいた。
黒い塊。
それにたくさんの目がついている。
いや、目だけではない。人の、人間の、体のパーツが無作為についている黒い塊がいたのだ。
それはぶよぶよと動き、電車の中に入って来ていた。
女はそれを見た瞬間、動けなくなる。
いや、体がガタガタと震え力が入らず立っているだけで精いっぱいといった感じだ。
悲鳴も上げられずに、ただただ、電車の入り口の脇で震え、その存在を見ていた。
視線だけは動かせたので、視線を動かし他の客に助けを求めようとするが、他の客たちは平然としている。
まるで黒い塊が、他の人間には見えてないかのように女には思えた。
その黒い塊は、まるでまるまると太った芋虫のような体形で、ブヨブヨと動き、空いている座席を陣取る。
女は心の底から席に座ってなくてよかった、そう思った。
電車の扉が閉まり、電車が発車する。
女はその黒い塊をもう見ないほうがいい、とそう感じ視線を電車の外へと向ける。
全身に汗をかき始めた女は、生きた心地がしなかった。
電車が次の駅に着き扉が開いた時、女は転がるように、いや、転びながら電車の外に出る。
電車から駅のホームに転がり出て来た女に周囲の人間が心配して声を掛ける。
女はガタガタと震えながら電車の方を振り返る。
黒い塊に無作為についている目の一つと目があってしまう。
そのとたん、その黒い塊は、電車の席から立ち上がり動き始める。
黒い塊が電車の出入口に近づこうとしたところで、電車の扉が閉まる。
黒い塊についている目が、口惜しそうにガラス越しに女を見ていた。
そして、黒い塊を乗せた電車は発車していき、女から遠ざかっていった。
女は急いで立ち上がり、心配して声をかけてくれた人たちに簡単にお礼を言って、その場を足早に去った。
もしかしたら、あの黒い塊が戻ってくるかもしれない。
そう思えて仕方がなかったからだ。
それ以来、女がその駅を利用するとき、稀に淀んだ池の臭いがするときがある。
そんな時は、その駅の利用をやめるようになった。
でんしゃ【完】




