おじぞうさま
お地蔵様がある。
少年が帰る道に、そのわきに置いてあるのだ。
けれども、普通のお地蔵様ではない。
顔がだけが妙に大きく笑っている。
その大きさは小さな社にギリギリのサイズだ。
その顔だけ妙に大きい地蔵は笑顔だ。
笑っている地蔵だ。
笑っているのだから、悪い物ではない。
その地蔵の由来を、誰が作ったのか、いつからあるのか、大人たちもしらないのだが、大人たちはそう言った。
だから、少年も悪い物ではない、そう思うことにしていた。
だが、少年はその地蔵様が不気味でしたかがない。
地蔵の胴部分に対して、顔の横幅が二倍くらいあるのだ。
非常にアンバランスな地蔵なのだ。
いや、そもそも、これが地蔵なのかもわからない。
古くからあり、ボロボロの社に収められている像だが、地蔵とは限らない。
何か別の神様を祀った像だったのかもしれないが、それも今になってはわからない。
その地蔵の付近で何か良いことが起こた、逆に悪いことが起きた、そんな話も聞いたことはない。
そんな、地蔵様があるのだ。
ただ、その像は、やはり地蔵と、地蔵様と、そう呼ばれていた。
少年が学校が終わり、帰り道に友人らとも別れた後、その地蔵の前を通る。
少年は地蔵を見る。
笑っている。
大きな顔で笑っている。
ただその笑顔は大笑いではなく、どこか含みのある笑顔なのだ。
少年は不気味で仕方がないのだ。
少年はそのことを父親に相談した。
なら、お供え物でもして味方に付けちまえばいい、酔った父親はそんな事を少年に言った。
少年は帰り道の途中で、少ないお小遣いをだし、団子を買い地蔵に供える。
そして、地蔵に手を合わせ、味方になってください、と願う。
それからだ。
不思議と少年はその地蔵様が怖くなくなる。
含み笑いのように見えていた地蔵の笑みも、何か良いものに思えるようになった。
これはただそれだけの話だ。
地蔵かどうかも定かではないなにかが、そうやって信仰を集める、ただそれだけの話だ。
おじぞうさま【完】




