ひっし
男は必死に逃げていた。
既に日が変わっている時間の仕事帰り。
駅から自宅まで歩いて帰っているときだ。
男はそれに出会った。
それは首が九十度曲がった女だった。
まるで首の骨だけが折れているような、そんな女だ。
それが道の向こうからものすごい勢いで走って来たのだ。
髪を振り乱し、腕を必死に振り、大股で駆けて来たのだ。
それを見た男は咄嗟に逃げ出す。
首の曲がった女は、キエェェェェェェと、鳥の鳴く様な甲高い声を上げ、逃げ出した男を追い始める。
男は必死に走った。
呼吸をするのも忘れて必死に全力疾走をする。
すぐに男の息が切れ、速度を落とす事になるが、後ろを振り返ると首の曲がった女が追ってくる。
男は息がまともに吸えずに苦しい中、足をどうにか動かそうとする。
男は必死になって走りながら、どこか助けを求められるところを目指して走る。
近くに交番でもないか、そう思い走る。
だが、男がいる場所から交番までかなりの距離がある。
とてもじゃないが辿り着く前に女に追いつかれる。
とにかく人がいる場所へ、と男は思うのだが、もう夜の零時過ぎだ。
商店街も、明かりはついているものの、通行人も男意外にはいない。
普段なら、こんな時間でも数人程度はいるはずなのだが、今日に限っては誰もいない。
男は必死に走り、駅まで戻ってくる。
駅ももう終電が終わり入口に金属の格子のようなシャッターが下ろされている。
男は駅のロータリーまで逃げる。
そして、そこに一台だけ止まっていたタクシーに乗り込む。
咳をしながら息を整え、早く出してくれ、と、運転手にそう言う。
そうすると、運転手は、落ち着いてください、と優しく声を掛ける。
男は、いいから早く出してくれ、化け物に追われているんだ、と息も絶え絶えに必死に怒鳴る。
そうすると、タクシーの運転手は、男の方を向き、その、まるで座っていないような首を九十度に曲げて、虚ろな目で男に聞いた。
化け物ってどんなですか、と。
男は悲鳴を上げて、タクシーから転げ降りる。
その際、頭をぶつけて気を失う。
次に目覚めたとき、男は病院の一室に寝かされていた。
そこに看護師がやってくる。
男がその看護師を見て息を飲む。
首こそ曲がってないが、昨日自分を追いかけて着た女がそこにいたのだ。
男が恐怖で茫然とするなか、女はそんなこと知らないかのように淡々と話し始める。
あなたは今朝駅のロータリーで倒れているところを発見されたのですが、御存じですか? とか、痛い場所とかありませんか? など、普通の看護師の対応でだ。
男は何が何だか分からなかった。
男はきっと夢でも見たのだろう、そう思うことにした。
だが、看護師が病室を去る際、カクンと首が急に横に九十度倒れた。
その看護師は慌てて、手で首を元に戻した。
そして、男に笑顔で振り返る。
男は再び必死に逃げ出すこととなった。
ひっし【完】




