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蒼壱

——燃え尽き症候群というか、何にもやる気が起きない……。


 華はリビングのソファの上に座り、何も映って居ない真っ黒なテレビ画面をぼうっと眺めていた。


 現実世界に帰って来て二週間程経った。もう一度ゲームをプレイしようと何度も試みたものの、『サーバ接続に失敗しました』というエラー表示がされるだけで、オープニング画面すら映らなかった。


 二人がゲームの世界に居る間、現実世界ではたったの一日しか時間が流れていなかった。当然ながら捜索願どころか、両親は自分の子供達が大変な状況に遭ったなど知る由もなく、平和な日常が流れているだけだ。


「華、今日も学校休むの?」


 登校の準備を終えた蒼壱がうんざりした様子で華に声を掛けた。だが、華は何も答えずに口を閉ざしたままだった。

 ゲームの世界でついた額の傷痕は綺麗さっぱり消えているものの、華の心にはなかなか癒えない深い傷が残ってしまっているのだ。


「……それじゃあ、俺は行って来るよ。帰りにスーパーに寄ってくるからさ、絶対料理しようとか思わないで大人しく待っててね」


 蒼壱は華を部屋に残し、玄関を出た。


 今朝は気候が良く、わざと遠回りをして登校する事にした。


 昨夜降っていた雨のせいで空気が洗浄されたのか、早朝の公園は驚く程色鮮やかに見えて、花の香りがほのかに香っていた。

 踏みしめる芝生に朝露がたっぷりと含んでいるので、蒼壱のスニーカーに染みて来たが、それさえも心地よいと考えた。


 思えば、加賀見妃那と出会った朝もこんな日だった気がする。


 あの日と同じ過ちを繰り返さない様にと水たまりを避け、ほんの少し成長した自分にこっそりと自嘲する。もう二度と、彼女には会いたくないと思っているのだから。


「あの! これ……先日落としませんでしたか?」


 ふいに掛けられた声に振り返ると、そこに立っていたのは、艶やかな黒髪を肩まで垂らした、華と同じ学校の制服に身を包んだ少女だった。プラスチック製のケースに入った簡易吸入器を差し出している。


——加賀見妃那……!


 蒼壱はドキリと心臓が鼓動したものの、落ち着かせる為にふぅと小さくため息を吐いた。


——彼女は『ヒナ』じゃない。落ち着けよ、俺。いつの間にかゲームの世界に居るヒナを好きになっていたんだから。現実世界の加賀見妃那と混同したらいけない。全くの別人なんだから。それに彼女は華に告白してるんだ。


 愛想笑いを浮かべたつもりが、蒼壱の顔には寂しげな笑みが浮かんでいた。


「君が拾ってくれていたんだね」


 妃那から簡易吸入器を受け取ると、蒼壱はそのままポケットの中へと突っ込んだ。ゲームの世界から帰って以来、体調が頗る良い。喘息の発作も起きておらず、簡易吸入器はもう不要になった。


「有難う。それじゃあ……また何処かで、()()


 そう言って立ち去ろうとした蒼壱を、「待って!」と、妃那が呼び止めた。


——なんだろう。できればもうあまり関わり合いになりたくないんだけれど。こうして話しているだけでも、彼女に対する気持ちの向け先がどうしたらいいのか分からなくて、正直辛い……。


 早々に立ち去りたい気持ちを押し殺して脚を止め、「何?」と、振り返った蒼壱は、ぎょっとして瞳を見開いた。


 妃那が、顔を真っ赤にしながら涙を零していたからだ。


「え!? あ、えーと、俺、君に何かした!?」


 妃那は頷いた後、首を左右に振った。


——どっち!?


零れ落ちる涙を手の甲で擦る様子に、蒼壱は慌ててハンカチを取り出して差し出した。簡易吸入器が一緒に引きずり出され、カツン! と音を立てて舗装された道の上を転がる。


「ずっと勘違いしていたの。現実世界でも、二人が双子だって知らなくて!」


 涙交じりに言う妃那の言葉を聞きながら、蒼壱は頭の上に『?』をいくつも浮かべた。


「私! ゲームヲタクで、ゲームの中のキャラクターが好きすぎて。退くかもしれないけれど、でも!!」


——え……?


「ゲームの世界で会ったアオイ様を、華だと思っていたの! だから、好きになって……。なのに、公園で貴方と出会って、アオイ様は本当に居るんだって知って!!」


わぁっと泣き始めた妃那に驚いて、蒼壱は慌ててハンカチを差し出した。


「ちょっと待って、落ち着いて。ゆっくり話そう!」


 妃那を公園のベンチへと座らせ、蒼壱もその隣へと腰を下ろした。


 早朝の公園は人気が無く、偶にスーツに身を包んだサラリーマンが急ぎ足で駅へと向かう様子が見えるだけだった。


 妃那は少しだけ落ち着いた様だが、それでも興奮気味に蒼壱に話し出した。

 彼女の話によると、蒼壱と華がゲームをプレイするひと月前に、同じゲームをプレイしたとの事だった。なんでも、ファッション誌のモデルとして活動していた彼女に、ゲームのキャラクターモデルとしての仕事が舞い込んだ。

 そこで、仕事を引き受けるうちに、コアな乙女ゲームファンである妃那は、ゲームテスターも兼ね、発売前のゲームをプレイする事になったというのだ。


「ちょっと待って、それじゃあ、君もゲームの世界に入り込んでいたってことなの?」


蒼壱の質問に、妃那は曖昧そうに頷いた。


「私の場合は夢で見ていたの。でも、妄想が強すぎて、現実と区別がつかない程になっちゃって。私、おかしいのかなって思っていたわ」


 様々な事を経験し、喜んだり、時には傷つき、悲しくて泣いたりもした。あれ程の濃厚な時間がただの夢や妄想だったと片づけられるはずもない。


 いいや、例え夢や妄想なのだとしても、経験した当事者にとっては現実なのだ。


「アオイ様が、『もう諦めない』って言ってくれたから。私も絶対に諦めないって心に決めていたの。でも、華は何も知らないみたいだったし、正直心が折れそうになっていたわ」


『弱くて嫌になる。ヒナも華も皆強くて運命に抗おうと懸命だってのに。自分さえ犠牲になれば、丸く収まるんだって早々に諦めてしまったんだから。けれど……もう諦めない』


魔王城で、自分がヒナへと言った言葉を思い出し、蒼壱はぎゅっと拳を握り締めた。


——ヒナは俺達よりもひと月も早くゲームをプレイしていたんだ。時差の分を彼女はたった一人で耐えていたのか……。


 蒼壱は震える声で言葉を吐いた。


「こんな奇跡が起こるだなんて、思ってもみなかったけれど……」


 ぎゅっと両手を握り締め、震えを押えようと試みたものの、高揚する気持ちが抑えられるはずもなく、蒼壱の瞳から涙が溢れ出た。


「俺は、妃那が好きだ……」

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