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ハンナ・ランセル

 華はフォルカーとミゼンに案内された部屋の中で、途方に暮れていた。ここに入ってもうかれこれ数時間は経つ。部屋の扉は施錠魔法が掛けられているのか、全くびくともしない。勿論、窓も同様だ。


——一体どういうつもり!? 早く蒼壱のところへ行かなきゃなのにっ!!


 蒼壱がヒナを傷つける様な事は絶対にしないだろうとは思うものの、ヒナを救う為に派遣された騎士団相手に、蒼壱が戦うことになれば、彼等を傷つける事で蒼壱自身の心が傷付いてしまう。ゲームの世界のエキストラキャラだと思ってはいても、優しい蒼壱が傷つかないはずがないのだ。

 そして、ヨハン達攻略対象の手によって、蒼壱が魔王として討伐されてしまう事だけは、何としてでも食い止めなければならない。


——絶対嫌だからね! 私は蒼壱と一緒じゃなきゃ、帰らないんだからっ!!


 王宮からヒナを連れ去る時の蒼壱の背は、まるで覚悟を決めていたかのように思えた。


 自分の死を受け入れ、華との別れを決心していた様に見えたのだ。


「絶対に、ぜぇ————ったいに蒼壱も一緒に帰らないとだめなんだからっ!!」


 扉に脚を掛け、渾身の力を込めてドアノブを引っ張っていると、ふいにガチャリと開き、華は勢い余ってその場に倒れ込み、顔面をしこたま打ち付けた。


「いったぁ……」


涙目で鼻を擦りながら声を上げると、扉を外側から開けた者がぎょっとした様子で声を上げた。


「すまぬ! まさかそなたが居るとは思わなかったのだ。大丈夫か?」


 慌てた様子でそう言って手を差し伸べたのはヨハンだった。華はキョトンとしてヨハンを見上げ、「ヒナを助けに行ったはずじゃないの!?」と、素っ頓狂な声を上げた。

 ヨハンの服装は聖女叙任式の時のままで、純白に銀色の見事な刺繍が施された詰襟に、群青色のマントを片方から下げていた。


「その予定だったのだが、毒矢を受けた私の代わりにミゼンとフォルカーの二人が指揮を執る事になったのだ。私は二人にここへ来る様に言われてな」


すまなそうにそう言ったヨハンに、華はこうしてはいられないとハッとしたように頷いた。


「そっか。お大事にね、ヨハン。じゃあ私は二人を追わないと!」


——急がないと、蒼壱がミゼンやフォルカーに倒されちゃう!!


 ヨハンの手を借りて立ち上がると、華は急いで部屋から出ようとした。が、ヨハンが華の手を握り締めたまま離そうとせず、華は困った様に振り返った。


「何? 私急いでるんだけど」

「私と話す時間を作ってくれるはずではなかったのか?」

「それは後で……!」

「聖女奪還は二人に任せておけばいい」


ヨハンはピシャリと言い放つと、華の手を引いて強引に抱き寄せた。


「ちょっと、ヨハン!?」

「そなたは私の妻となるのだろう?」


華は顔を真っ赤にすると、いやいや、照れている場合じゃないと首を左右に振った。


「でも、ヒナが魔王に攫われてるんだから、先にそっちを!!」


——ヒーローがヒロインほっといてちゃダメでしょ!!


「ヒナ嬢の事を傷つける者などおらぬだろう」

「え? いや、でも……」

「あの魔王は、アオイなのだろう?」


ヨハンはそう言った後、唖然とする華を抱きしめたまま溜息を吐いた。


「案ずるな。誰もアオイやヒナを傷つけようとする者などおらぬ」

「そんなの分からないじゃない! 私が行かなきゃ!」

「一人で頑張ろうとするな」

「でも、私が頑張らなきゃ……」


——私、姉さんなんだからしっかりしなきゃ!


華は無意識に唇を噛みしめていた。自分は体力があるだけで、全てを蒼壱に頼り切って不甲斐ないと思っていたのだ。


「アオイも子供ではない」

「私がいつも蒼壱に頼り切ってるの。蒼壱は頭が良いから、何でも察してくれるから、それに甘えきっちゃってる。もう、どうしようもないくらいに不甲斐ない姉で……」

「そなたが一人で抱え込む必要などない」


ふっと笑うと、ヨハンは華の頭を優しく撫でた。


「……私も人の事を言えぬがな。そなたも私も、そしてアオイも。何でも一人で抱え込もうとするのは悪い癖だと、先ほどフォルカーとミゼンに叱られたところだ。二人に任せよう。尤も、人に任せるということも勇気の要ることだ。だが、私もそなたも身体は一つしかない」


 躊躇う様に間を開けた後、ヨハンは静かに言葉を吐いた。


「だからこそ、限られたそなたの時間を私にくれないか?」


——限られた時間……? それってまさか……!


顔を上げ、ヨハンを見上げると、エメラルドグリーンの瞳を寂しげに細めて見つめる様子にズキリと心が痛んだ。


「ヨハン……。私が、この世界の存在じゃないって、聞いたの……?」


頷いた後、ヨハンは「信じたくは無いが」と続けた。


「それでも、もしも本当にそうならば。私は一生後悔することになるだろう。後悔したくなどない。今だけは、私は我儘な男に徹したい」


 ヨハンは華を抱きしめる手を解き、すっと一歩下がると、その場に跪いた。肩に掛けたマントがふわりと靡き、床へと広がる。サラリとした金髪の頭を垂れ、白い手袋をつけた手を胸の前で握った。


「そなたは、私の命だけではなく心も共に救ってくれた。他の誰にも代えられぬ」


僅かに間を開けた後、ヨハンは意を決した様に言葉を吐いた。


「愛している。私と結婚してはくれまいか」


華は目の前で跪くヨハンを見下ろしながら戸惑う様に声を出した。


「ヨハン……」


微動だにせずに頭を垂れるヨハンから、緊張が伝わる。いついかなる時も感情を殆ど出す事のない冷酷王子が、華の前では簡単に壊れてしまいそうな程の弱さを曝け出しているのだ。


 もしも一言、ヨハンを受け入れない言葉を言ったのなら、彼は絶望に打ちひしがれる事だろう。


 華は僅かに口元をほころばせた。脳裏に聖女叙任式でのヨハンの姿が浮かび上がる。


「公然の場でハンナと『婚姻する』って言っておきながら、今更プロポーズ……?」


 華の突っ込みにヨハンは苦々し気に「確かにな」と、溜息交じりに言った。


「では言い直そう。我儘になると決めたのだからな」


コホンと咳払いをした後、ヨハンは立ち上がり、華を強引に抱きしめた。


「断る事などゆるさぬ、そなたは私のものだ」


 華はクスクスと笑うと、「分かりました、殿下。仰せの通りに」と応えた。


「それでは嫌々に聞こえるが……まぁ良い」


不服そうなヨハンを見つめると、華はニッコリと微笑んだ。


「全然嫌々なんかじゃないよ。悪役なのにハッピーエンドになっちゃったんだから」


華はそう言って、ヨハンの肩に腕を回した。


「私、悔しいくらいヨハンが好き」


華の言葉を聞き、ヨハンが耳まで真っ赤に染めた。


 そんなヨハンに、華はキスをした。

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